人生の哲学書ともいえる「淮南子」の兵略訓でこんな言葉を言っています。「千人心を同じくすれば、則ち千人の力を得、万人心を異にすれば、則ち一人の用無し」(千人が心を一つにすれば、千人分の力が得られるが、万人がいても心がバラバラであれば、一人分の役にも立たない)ということばです。この言葉は「兵略訓」の中にあるので、戦うときの考え方でしょうが、その表している意味は深いものがあるような気がします。
この言葉を素直に取ると、昔から言われるような「みんなの力を合わせると大きな力になる」と言うことを言いたいのでしょうか。確かに重いものを持ち上げるときにみんなの力を合わせれば重いものでも持ち上げることができるでしょう。しかし、ひとつの組織の中にいるとき、社会を形成していくときに力を合わせるということはどういうことなのでしょうか。ここで言いたいのは、みんな同じくするものは「心」であって、逆に心がみんな違えばいくら力を合わせても一人分にもならないと言うことなのでしょう。
ここで言う「心」とは、「志」とか「理念」とかであり、同じ理念の下、それぞれが自分ながらの力を出し、それを集めてこそ大きな力になるのだということいっている気がします。それは、「淮南子」の「職分論」の中でこういっています。
「湯王武王は聖主である。しかし越人のように小舟で江湖を渡ることはできない。伊尹は賢相であるが胡人のように野生馬に騎乗することはできない。孔墨は博学であるが山人のように険阻な地に入ることはできない。これによって見れば、人知のものに対応できるところは浅い」自分の能力だけでは、いくらその力は大きくても天下を治めることはできず、ましてや世界を照らすことなどはできないのです。この淮南子では、それができるのは、「道の条理」であると言い、「人の君主で廟堂を下らないで世界の外まで知ることができるのは物によって物を知り、人によって人を知るからである」と言っています。それで人々の力を積み上げれば勝てないことはなく、衆人のそれぞれの知を用いてなすことに、できないことはないと言うのです。
「それぞれの知」という「衆人の能才を用いること」をこうたとえています。
「駿馬は一日に千里に至る。それでも兎を捕えさせれば狼に及ばない。技能が異なるからだ。ミミズクは夜蛾を捕る、毛先を分けるほどの視力だが、昼間は丘を見分ることもできない。性が異なるからだ。蛇は霧の中で動き、龍は雲に乗って上がり、サルは木の上で跳ね、魚は水を得て素速い。また車を作る時、漆を塗る者は描かない、彫る者は削らない。それで職人に二技なく士は官を兼ねない。各々その職を守り相乱さず、人の的を得て仕事がやり易い。こうだから、機械に狂いなく、職務に支障がない。職責少なければおぎないやすく、守りやすく、任務が軽ければ計りやすい。お上が簡約省力に分かつように操作し、下々はやりやすく効果を上げる。そこで君臣共に久しく疲れない」
この考え方は「韓非子」で言うような「職分」を言っているのではありません。「人の的を得て」ということで、自分の得意とするところ、自分を生かすことを見つけ、それぞれが分担し、それぞれの立場から補い合うことでそれぞれの負担が軽くなり、より成果が上がるのだということを説いているのです。
集団でのチームワークのあり方を考えるうえでのヒントになりますね。
皆が同じ目的を持つという事は、チームワークがいい最前提だと思います。そしてその次は個人の能力です。仕事場や色々の場面で、自分の能力を発揮する時があると思いますが、その時に自分が得意なことをやらずに、皆で一つのことをやればチームワークがいい、と勘違いして得意な事を出さずにいては効率も悪いし、個性が失われてしまいます。しかし、私はどちらかと言うと、少し前までチームワークについては勘違いしていました。皆でやればいいという考えでした。今回のブログで改めてチームワークというのを学ばせていただきました。これは、チームワークだけでなく保育にも通じる部分があると思うので、じっくり考えてみようと思います。
「淮南子」の言葉ですが、昔からこんな考え方が大切にされていたんですね。読みとり方によって随分と意味が変わってしまうところが怖いですが、個を抑えて1つの目的を果たすために「みんなが力を合わせなければ…」と使われることが多かったのではと思います。「力を合わせる」と「心を合わせる」を比べると、力を合わせる方が具体的で動きやすい気がします。でも大切なのは心を合わせることで、だからこそ理念を明確にし浸透させるにはどうすればいいか考えることが必要なんだと思います。改めて、クレドをもとに行動しているリッツカールトンのすごさを感じます。
藤森先生の講演会を当地で始めて7年目の今年、うれしいことに毎回講演会に熱心に参加してくれるある園さんが、GTにめでたく御入会されました。うれしいですね。普段は業者としてお付き合いさせていただいていますが、少しは御恩返しができたかなあと思っています。GTといえば、理念と志を同じくする先生方が藤森先生のもとに結集した言わば「チーム藤森」ですね。みなさん、それぞれの地域で、園の独自性を生かしながら、子どもの主体性を大事にする保育を真摯に探求されています。その活動を見るにつけ、この運動こそが日本中に広がることがこの国の幼児教育の革新を実現し、今子どもたちが抱えている危機的な状況を解決する唯一の道だと確信しています。そんな素晴らしい先生方とお付き合いできることを心から誇りに思います。これからも縁の下の力持ちとして、みなさんの活動のお手伝いをさせていただければと持っています。
「チーム」はある目的を持った集団です。私たちは通常この「目的」のために集団の構成最小単位の個を表に出さず、皆と一緒のことをやる、ことを強制されます。ことがうまくいっているときは「滅私奉公」も我慢できます。私が我慢することによって全体がうまくいけば・・・式の発想が大勢を占めます。ところがこの逆の場合、すなわちうまくいかなくなった場合、個が尊重されてこなかった分崩壊も早い。歴史を紐解くと容易に理解できることです。そしておよそ「チーム」という集団にはリーダーシップをとる人がいます。もしリーダーがチーム員一人一人の特性を知り、適材適所でひとりひとりが動けるよう配慮するとなかなかの威力を発揮するだけでなく、チーム自体が強固な集団として持続していく、と今回のブログを読んで考えたところです。