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2008年09月01日 講演先にて

何が幸い

 物事は、先のことはわからず、何がよいのか悪いのかも判断が難しいものです。失敗というときのブログでも書きましたが、そのときは失敗のように思えても、それが、かえって成功への近道であったりします。特に、子どもにとって何がいいのかということも、子どもは将来が長い分だけ、先の短い大人より判断が難しくなります。
 先日訪れた熊本県山鹿市に、「八千代座」とう国の重要文化財に指定されている芝居小屋があります。当時全国には何千という芝居小屋があったそうですが、現在残っているのは20余りで、そのうちのひとつです。芝居小屋というのは、人が多く集まる場所に建てられることが多いために、利用されなくなるとすぐに取り壊され、別な建物に建て替えられてしまうことが多いのです。また、当時は特に貴重な建物という意識はなく、かえって古くなると危険な建物となってしまうのでなおさら保存しようとは思いません。それなのに何で山鹿に残っているかというと、八千代座で説明している人が、「町が衰退していったことが、幸いしたのかもしれません」と言っていました。
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 ここ山鹿市は、昨日のブログでも書きましたが、江戸時代から付近を流れる菊池川を利用した水陸交通の要衝として、関西などとの水運が活発で、商工業の中心的都市として栄え、さらに県内屈指の温泉場を核とする観光地としても有名でした。熊本県内では熊本に市に次ぐ第2の都市だったのです。また、それ以前の江戸時代も、市内の豊前街道は参勤交代のルートとして、宿場町としても栄えていた地域でもありました。そんな場所だからこそ、明治43年、当地の裕福な旦那衆によって「八千代座」が作られたのです。
しかし、昭和30年ころになると、映画の時代となり芝居興行が下火になります。そこで、この八千代座でも映画館としても営業しますが、他の映画館に比べて、この八千代座は経営の行き詰まりから、畳に座る升席の構造を椅子に座るように改修しませんでしたので、それは映画鑑賞においては不評で、客足が遠のいてしまいます。しかし、これが、かえって升席をそのまま残すことになるのです。さらに、テレビの時代になると、映画も下火になり、結局八千代座も昭和40年代には経営不振となり閉鎖されてしまいます。
 その後、建物は朽ちはて、人々から「お化け屋敷」と呼ばれるほどひどい状況になっていきました。その頃山鹿市は交通手段が水路から陸路に変わると、ますます便が悪く、土地としての賑わいが一気になくなってしまいます。ですから、八千代座を解体して跡地にショッピングセンターを作ろう、という話も持ち上がりますが実現しませんでした。ますますさびれ、そのままに放置されていきます。時代が変わってくると、そのままに残されていることが幸いし、過去の文化遺産として、その建物は貴重になってきます。その後、昔を知っているお年寄りを中心に保存運動が起き、昭和63年に国の重要文化財にも指定され、改築が施され、平成元年から一般公開されることになったのです。
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それにもまして、この芝居小屋が全国から注目を浴びるようになった出来事が起きます。八千代座復興を願う女性カメラマンが、たまたま建物の資料を歌舞伎役者の坂東玉三郎に送ったことがきっかけで、平成2年から「玉三郎舞踏公演」が始まったのです。この公演がきっかけで、使用可能になるように大修理を行い、その後、八千代座は「玉三郎が来る芝居小屋」として全国に名が知られるようになったのです。今年も10月に公演があるそうです。
もちろん、こうなるには様々な人の努力があるのですが、同時に時代や歴史における逆境は、いつそれが福となるかわからないものだということを教えてくれます。

投稿者 fujimori : 2008年09月01日 22:34

コメント

 確かにこの先、何に価値が出てくるか分かりません。もしかしたら今自分が使っている何かがとても価値が出てくるかも分かりません。もしかしたら、すでに捨てている物が実はとても価値があったかもしれません。八千代座のように、当時では建物も古く、芝居の人気が低迷してきたことによって邪魔者になってしまった建物でも、八千代座の資料を有名な歌舞伎役者に送ったことがきっかけで、一気に有名になりました。そう考えると本当に何が幸いなのか?と考えてしまいます。ですが、こうして八千代座が有名になったのは、歌舞伎俳優のおかげもありますが、残しておいた地域の一部の人たちの努力のおかげが一番だと思いました。

投稿者 Sasuke : 2008年09月02日 07:38

当地香川県の琴平町にも金丸座という芝居小屋があります。(藤森先生は何度も訪ねられているようですが)天保7年の創建で、日本で最古といわれています。普段は見学者のために開放されていますが、毎年4月の桜の満開の頃に、有名な歌舞伎役者による「こんぴら歌舞伎大芝居」が開かれて、町じゅうが歌舞伎一色になります。今でこそ、修復されて立派なたたずまいをみせていますが、映画が斜陽の頃は廃屋状態であったといわれています。2代目中村吉右衛門がここでの公演を熱望したことから金毘羅歌舞伎がスタートして、一気に全国的に名を知られるようになりました。このあたりは八千代座と似ていますね。近代的な歌舞伎座での公演もいいですが、江戸時代の芝居見物の雰囲気を味わうにはこんな古い芝居小屋が一番ですね。ぜひ、みなさん、一度お越しください。

投稿者 yamaya49 : 2008年09月02日 18:11

以前リーダーの役割として「決断する」ということを学ばせてもらいました。決断する場面には、明らかな答えがなくどちらも正しいといったことが多くあります。客観的な判断基準はなく、自分の考えを駆使しなければいけない場面です。そこで決断しなければいけないわけですが、その難しさを体験していると時々逃げたくなることもあります。恐れずに決断して無意味に先送りしないことは、本当に難しいことだと思っています。でも、今はうまくいかなくても何が幸いするかわかりません。今はうまくいっていたとしても、状況は悪くなっていくかもしれません。だからいい加減な決断でもいいのではなく、そうであるからこそ自分で責任をとる覚悟を持って決断できるよう、自分の生き方を磨き続けていなければいけないんだろうと思います。

投稿者 あいやま : 2008年09月02日 22:24

人にもモノにもさまざまな運命、あるいは天命、といってよいものがあると思っています。残らなければならないものは時代を超えて残り、残らなくてもよいものは残念ながら姿を消してしまいます。運命、あるいは天命、のなせる業でしょう。今日のブログで紹介されていた熊本県山鹿市の「八千代座」が今に残り、逆に世間からの脚光を浴びている、ということを考えると、およそ人智によっては測り知れない力あるいはエネルギーが働いていたのだろう、と思います。「八千代座」を創設した人々がどんな思いで同施設を築いてきたか。その思いの丈に応じて取り壊されもしただろう、と推測します。今現在において存続しているということは、「八千代座」を取り巻く人々の「思いの丈」が天に通じて同館の運命を決しているのだろうと推察します。

投稿者 toshi0802 : 2008年09月02日 23:26

私は九州生まれの九州っ子ですが八千代ちゃんの事はよく知ってます
1次的にも廃屋にちゃって大変だった事これを昔舞台を見てたおじいちゃん達が反省の気持ちから助けた事これに行政がしぶしぶ手伝い今日の重要文化財にまで発展させた事
私の住んでる福岡にも飯塚市に嘉穂劇場と言うのがありますがここも1次的には市民がずぼらして忘れ去られ中だったんですがへの15年だったかみぞうの大水害にあってから市民の反省のおかげで今や観光の名所+国指定の登録有形文化財に出世しました
八千代ちゃんは4月末で解体される東京歌舞伎座様の妹分に当たる劇場だと言うのがわかりまして大吃驚しています
私が知る範囲で書きこしました
どうでしょうか?

投稿者 舞台研究会の石井です : 2010年04月26日 11:52

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