基準3

 保育施設についての基準を各国で決めていますが、施設の室内や屋外空間についての推奨基準を見ると、その国における生活のあり方がよく見えてくるのでとても興味深いものがあります。
 例えば、フランスでは県レベルで保育所施設推奨基準というものがあります。その中でちょっと面白いものがいくつかありました。施設入り口の条件に「一番大きな子供が、着替えのために寝転んだり、座れたりするスペースを確保することが必要である」日本での入り口には、靴を収納するだけのシューズボックスが並んであるだけのところが多く、座る場所や、ましてや寝転ぶ場所として確保しているところはないような気がします。
 「事務室」の内容に「最低でも、両親と二人の子どもを受け入れられる広さの面積が必要である」とあるのは、翻訳の仕方の問題かもしれませんが、事務所とは、事務をするところではなく、家族との面談の場所として捉えているようで、そのような役割を園は担っていることが分かります。
 「調理室」は、「このスペースは、遊戯室(保育室)から離すことによって、子どもが食事やその他の活動の時間を静かに過ごすことができるようにすること」とありますが、日本の多くの保育室のように元気よく活動する場所で、食事をすることが多いのですが、外国では活動する部屋と同じ部屋で食事をするのは考えられないようです。フランスの他の県では、もっとはっきりと「独立した食事コーナーを設けることを推奨する」と決めてあるところもあります。
 「衛生室」として、オムツ交換台やトイレの基準がきめられていますが、トイレのところに「小さなサイズのトイレ」ということと、「子供のプライバシーを尊重し、お互い離れた場所に配置すること。子供が水を流す装置を作動させることができるようにする。」とあります。この基準は、2歳までの園ですが、お互いのトイレを、水を流す音が余り聞こえないように離せと言っているのでしょうか。そうであれば、凄いですね。場所の問題もあるのですが、いま、日本の学校で男子がトイレを使いたがらないのは大便をしたのがわかってしまうということがありますが、流す水の音がしないようという配慮には驚きです。
 施設に関する一般注意事項の中にも興味深いものがあります。その中の「温度規制」です。
 「施設の室温は18~22℃に保つ。冷房は、熱波による健康上の被害を避けるための第1の解決策ではなく、建物設計上のミスを補う万能薬としては高価すぎることに注意する」これは、凄いですね。部屋が暑くなるのは、建物の設計上のミスであり、しかも、そのミスを補うために冷房を使うのは最終手段であるといっています。日本では、暑いとすぐに冷房をつけてしまいますが、もう少し配慮が必要ですね。まず、建物の設計を考えるべきでしょうが、具体的にどうかということも書かれています。「大きなガラス窓が付いた真南向きの部屋の配置は避ける」これも、日本の感覚と外れるところです。日本では、できるだけ南に大きな窓をつけようとするでしょうね。他の県でも遊戯室や保育室は真南向きの区画は避けるように指示されています。そして、防火のためかカーテンは付けないことを推奨しています。
 暖房についても「19℃に統一。ただし、トイレ、洗面所、シャワー室は21℃」と書かれています。ずいぶんと低い基準ですね。壁は「洗剤で洗える光沢のある塗料」とあり、日本で多く見られる壁紙は考えていないようです。
 基準は、風土の違いから来るものもあるかもしれませんが、日本でも生活のあり方を見直さなければいけないヒントもたくさんあります。

基準2

 世界の各国が保育施設に対してある基準を出している中で、保育内容について基準を出しています。日本では、かなり細かく、幼稚園教育要領とか、保育所保育指針などが出されていますが、そこには、内容が書かれているだけで、保育形態についてはあまり書かれていません。保育、教育形態はその建物や保育、教育空間に関係し、それが保育の質に関係してくるという事から外国では定められている場合があります。
 アメリカで、有名な調査として「ペリー・プレスクール」というものがあります。この調査は、1962年から67年にかけてアフリカ系米国人の家計水準の低い家庭の子弟を対象にした調査ですが、就学前教育の経験の有無が、児童のその後の発音、成長プロセスにおいてどんな影響を及ばしているかを追跡調査したものです。その結果、「質の高い」就学前教育プログラムを受けた児童が、その後の成長過程を通じてより高い学歴水準、経済水準に到達したことが分かり、「質の高い」就学前教育とは何かを示したものです。
 その中で行われた、質の高い就学前教育手法の具体的な内容は以下のようなものだそうです。
「個人の主体性を尊重した学習活動を中心に、大・小規模のグループ学習活動を組み合わせた教育手法である。教員は、児童が様々な社会・学習スキル(主体性・社会関係・創造性・運動能力・音楽能力・論理的思考・読み書き能力・数学能力)を習得することができるよう、多様な活動プログラムを提供することを役割とし、そのために、この教育手法に関して定期的な研修を受講した。」
 ここで見られる質の高い教育手法は、決して教師が児童の前で一方的に話しをし、児童がみんな黙って座って先生の話を聞くという形態は見られません。そして、学習活動の基本は、「主体性を尊重した」ものでなければならないのです。そして、グループ活動が中心になります。また、子どもの学習スキルとは、まず第1に挙げられるのは、「主体性」なのです。そして、第2に「社会関係」です。この内容は、3~4歳児を対象にしています。幼児を対象にしたものですが、これは、当然学校教育にも言えることです。
 9月7日の読売新聞に「北欧の教育 先進的」という特集が組まれていました。その記事の中で、ヘルシンキ大学で教員研修を研究しているテューム博士に、PISA(国際学習到達度調査)で過去3回とも世界トップレベルの成績を収めたフィンランドの学校教育の特徴を聞いているものがありました。
 教師は生徒の意欲を引き出すために何をしているかという問いに対して、こう答えています。「社会の激しい変化に伴い教え方は変わってきた。20年前には権威的な教師がいたが、今は教師の話を聞くばかりの一斉授業では、生徒が飽きて学習意欲を低下させる。教師はいろいろな教え方を自由に選び、生徒を授業に集中させている」たとえば?という質問に
「生徒2人で問題を考えさせたり、3,4人のグループ学習をさせたりして、問題解決のために生徒どうし知恵を出し合わせる。この助け合いがキーポイント。教師が一方的に教えるよりは生徒はよく学ぶ。調べ学習させたり実験方法を考えさせたり、とにかく生徒に何か作業をさせ、教師はいい質問をして、生徒によく頭を使わせる。」と答えています。
 先日のテレビで、最近の1年生はきちんと先生の話が聞けないということが問題になっていましたが、それは、しつけの問題というより、授業の仕方の問題かもしれません。

基準1

 各国には、その国における施設に対して、その施設が人の生活や精神に影響が大きく、その影響が将来に関わるような場合には、その基準が定められています。その施設の中で、特に保育施設については、その利用者が環境からの影響を受けやすい乳幼児であることから決められていることが多いようです。
 この基準は、最低基準としてきめている場合や、標準基準、推奨基準など様々なですが、その決め方は、その国でどんな人材を作ってきたかという教育のあり方を反映しているような気がします。法律もそうですが、基準値を出す場合は、基本的に性悪説でできていることが多く見られます。悪いことをする人がいるので、決まりを作って、悪いことをしないようにする場合です。
例えば、乳幼児施設において、何が子どもにとって良いことかは、基準をきめなくても当然その運営主体が考えることでしょうし、まさか、子どもにとってよくないことを考えるはずはないと思うのですが、実際はそうでもないようです。というのは、「子どもにとって」というような、人によってその定義が多様化してしまうような場合は難しくなります。しかも、本当の利用者であり、そのものの最善の利益を優先しなければならないのは、まだ、自分の意志で選んだり、要求したり、評価したりできない乳幼児だからです。ですから、その代弁者としての保護者の利益と、子どもの利益が相反することがあったときに、どちらを優先するかが施設の判断によってしまうからです。
また、基準をきめるのは、その施設に対して補助金を出している場合です。補助金というのは、税金ですので、その使途は公共的でなければなりません。個人の考えや、理念を超えた公共性の考え方から使う必要がありますので、ある基準を作って、その部分は遵守してもらおうという考え方です。逆の考え方もあります。その内容を保障するために補助金を受けて事業を行うために、保障する範囲として基準をきめるということです。しかし、補助金だけで運営し、利用者から独自で利用料を徴収することができない施設では、この基準が運営基準となりますので、そのときにその基準を最低としてきめるのはおかしくなります。そういうときには、推奨基準にしなければ最低で運営しなさいということになってしまうからです。最低というのは、それを上回って、運営をすべき基準でなければならないのです。
それなのに、最低基準でなくて、推奨基準にしてしまうと最低を下回る可能性があるという危惧をするような社会は情けないですし、最低基準の運営しかできないような補助を支給するのもおかしな話です。
たまたま、各国の保育施設の基準を見る機会がありました。それを見ると、その決め方はその国の考え方を反映していて、とても面白い部分があります。その基準の中で、教員の学歴水準や教員数と児童数比、クラス規模など人的な質に関係する部分などはその国の財政的な優先順位を見ることが出来ます。どのような事業に、どの年齢に対して税金を投入しようとするのかを見れば、その国の考え方が分かります。経済協力開発機構(OECD)は先日9月9日、加盟国の教育予算の国内総生産(GDP)に占める割合(05年時点)についての調査結果を発表しています。日本は前年比0.1ポイント減の3.4%で、データが比較可能な加盟国28か国中、最下位だったそうで、28か国の平均は5.0%で、1位は7.2%のアイスランドだったようです。
 ただ予算が多ければいいというものではありませんが、国が国の事業の中で教育をどのくらい重視しているかは分かるかもしれません。

野分

 台風が近づいてきました。この台風は、ずいぶんと台湾に被害をもたらしたようです。台風の「台」と台湾の「台」が同じ字なので、何か関係がありそうですね。「台湾の風」という意味から「台風」というように思いますが、一時そんな説もあったようですが、実は全く違うようです。それよりも、どうも最近の説で有力なのは、台湾に関係していないというよりも、もともと日本語ではないということのようです。
 その呼び方は別としても、昔から秋に大嵐があったことは間違いありません。それをどう読んでいたかというと、よく知られているのは、「野分」でしょう。これは、なかなかいい呼び方ですね。秋の際に吹く疾風が野の草を吹いて分けるところから、日本では、古くから野分(のわき、のわけ)といっていました。10世紀末に書かれた「枕草子」の200段には、「野分きのまたの日こそ、いみじうあはれに をかしけれ」(野分きの吹いた翌日の様子は、たいそうじみじみとして風情がある)という文章があります。今のイメージでは、台風の跡は様々な被害の爪あとが残されていて、風情があるとは思えませんが、当時は、自然と共生していた暮らしをしていたので、台風一過の清々しさのほうを感じ、それをめでていたのかもしれません。
しかし、台風の後は被害が心配です。そんなことが、枕草子と並び称されている「源氏物語」の第28帖「野分」に書かれています。台風が吹き荒れた後、その被害が心配になった夕霧が、六条院や明石姫君を訪れ、その安否を知る話が展開されます。その頃から台風の通過後に親しい人の安否を気遣って家を訪問する「風見舞い」が行われていたのですね。
 それが明治時代になってどういうわけかこのような秋の突風を「颱風」(ぐふう)と呼ぶようになります。このように命名したのは、当時の第四代気象台長岡田武松博士で、「颶」は「激しい」という意味で、熱帯で発生した颶風のことです。その後、昭和21年にこの「颱」という字が当用漢字にないため「台風」と改められたのです。
 では、どうして颱風を「たいふう」といわれるようになったかというと、その語源にはさまざまな説があって、はっきりしていません。
ひとつの説は、ギリシャ神話に登場する恐ろしく巨大な怪物で風の神といわれているテュポン(Typhon)に由来する「typhoon」から「たいふう」となったという説です。
もうひとつは、アラビア語で、嵐を意味する「tufan」が東洋に伝わり、「颱風」となり、英語では「typhoon」(タイフーン)となり、それを漢字に当てたという説です。アラブ人は、大航海時代以前にはインド洋から東アジアへの海路に最も精通した民族で、当時のアラブの航海者たちが、しばしば強烈な台風の洗礼を受けたことでしょう。ですから、アラビア語からの説は有力です。他にも、インド洋の季節風として有名な「モンスーン」もアラビア語の「mausim」が語源といわれています。また、もともとは、中国の福建省や台湾では、強い風のことを「大風」(タイホン)といい、それが西洋に伝わり、また東洋に逆輸入され「颱風」となったとも言われています。
どの説にしても、「台風」という名前は日本語ではなく、もともと外来語だったようで、明治時代には、台風はハリケーンやトルネードと共に「タイフーン」と片仮名で書かれていました。多くの人が、日本語の台風が英語にもなったと思っているようですが、改めて調べてみると、意外な語源があるのですね。

学芸的から文化的へ

そろそろ「文化の秋」ということで、小学校では作品展とか、学芸会とか、文化祭などの学芸的行事が行われます。園などでも、行事は生活に変化を持たせたり、心身の発達を違う側面から援助するのにはいいのですが、それが職員の負担になったり、子どもの負担になったりすることも多いようです。
学校行事は、小学校では特別教育活動であり、授業の一環であり、参加は強制です。昭和33年に初めて施行された小学校学習指導要領では、学校行事等の目標として「児童の心身の健全な発達を図り,あわせて学校生活の充実と発展に資する」とあり、留意事項として、「その教育的価値をじゅうぶん検討」「学校生活に変化を与え,児童の生活を楽しく豊かなものにする」「児重の負担過重に陥ることのないように考慮し」という今でも確認しなければならないことが定められています。
それが、昭和46年に施行された小学校学習指導要領になると、きちんと「学校行事」として位置づけ、その中を「儀式」「学芸的行事」「保健体育的行事」「遠足的行事」「安全指導的行事」と分けられます。しかし、内容についてはあまり細かく規定せず、考えられる行事の例として、「学芸的行事」は学芸会、展覧会、映画会その他として記載されているだけです。
それが、昭和55年施行になると、学芸的行事は、「平素の学習活動の成果を総合的に生かし,一層の向上を図ることができるような活動を行うこと」となり、内容の取扱いとして、「教師の適切な指導の下に,特に児童の自発的,自治的な実践活動が展開されるように配慮する必要がある」というように、児童の自主的、自治的な活動となるように書かれています。しかし、「仕込む」「訓練する」「やらせる」的行事からはなかなか脱皮しきれません。
平成4年施行のものになると、「学校の創意工夫を生かすとともに、学校の実態や児童の発達段階などを考慮し、児童による自主的、実践的な活動が助長されるようにすること」というように、自主的という言葉は残りますが、少しそのニュアンスは薄くなった気がします。この頃から、学校行事の中に、「勤労生産・奉仕的行事」が入ってきます。それが、平成14年施行では、「学校行事においては、全校又は学年を単位として、学校生活に秩序と変化を与え、集団への所属感を深め、学校生活の充実と発展に資する体験的な活動を行うこと」とし、「実施に当たっては、幼児、高齢者、障害のある人々などとの触れ合い、自然体験や社会体験などを充実するよう工夫すること」と広がっていきます。
 今回の改定ではどうなっているのでしょうか。「学校行事」の目標として、「望ましい人間関係を形成し、集団への所属感や連帯感を深め、公共の精神を養い、協力してよりよい学校生活を築こうとする自主的、実践的な態度を育てる」とあります。そして位置づけも、「学芸的行事」から「文化的行事」となり、「平素の学習活動の成果を発表し、その向上の意欲を一層高めたり、文化や芸術に親しんだりするような活動を行うこと」となります。そして、ふれあいの中に「異年齢集団による交流」が意図され、行事のあとも、「気付いたことなどを振り返り、まとめたり、発表し合ったりするなどの活動を充実するよう工夫すること」とあります。
 これから子どもに求められる力が変わってきたことを感じます。

秋眠

そろそろ、朝晩はとてもすごしやすい季節になります。夏のあいだ、寝苦しさで夜なかなか眠ることができなかったのが、朝までよく眠れるようになります。よく「春眠暁を覚えず」というように、春は眠い季節だと思われていますが、実は私は秋のほうが眠い季節のような気がします。
この有名な言葉は、盛唐の孟浩然の「春暁」という有名な五言絶句の中の一部分です。中高校生の頃に習ったことがあると思うので、全文は、聞いたことがある人が多いと思います。
「春眠不覚暁 處處聞啼鳥 夜来風雨聲 花落知多少」(うららかな春の朝、夜が明けたのも気付かずに、うつらうつらとまどろんでいると、夢うつつに鳥があちらこちらで鳴いているのが聞こえてきます。ゆうべ風雨の音が激しくしていましたが、あの嵐で花はどれほど散ってしまったことでしょうか)
この春の朝、夜があけたのも気がつかないのは、夜が長かった冬に比べて次第に夜が明けるのが早くなってきて、いつもの時間に起きるころにはすでに明るくなっているからです。そして、もう鳥がさえずり始めている声を聞いて、春になったという実感を朝に感じたということで、寝坊してしまったということではないようです。そして、激しい雨が降ったと思っても、秋の激しい台風や、花がほころぶことをさえぎる雪と違って、花を散らす程度であることを心配すればよいのは、やはり春になったということを強調しています。
 そう考えると、やはり眠いのは秋のほうかもしれません。起きるころにはもう明るくなっていた夏から、次第にまだ薄暗く、まだ眠りが足りないような気になります。また、秋は夏の疲れが出てくる頃なので、なんだか1日だるいような、眠いような気がします。
 私の園に、何も秋に限ったことではありませんが、会議中や話し合いをしている最中によく寝てしまう職員が数人います。どういうわけかその職員は動物占いで「タヌキ」であることが多いので、園では、「タヌキ寝入りをしないで、本気寝入りをしてしまうタヌキ」とからかうことがあります。昔から、タヌキは死んだふりをするといわれています。それを「タヌキ寝入り」というのは、猟師が猟銃を撃った時にその銃声に驚いてタヌキは弾がかすりもしていないのに気絶してしまい、猟師が獲物をしとめたと思って持ち去ろうと油断すると、タヌキは息を吹き返しそのまま逃げ去っていってしまったという経験から出た言葉です。それは、タヌキは非常に臆病な性格で、本当に恐怖の余り気絶してしまうからで、その振りをしているわけではありません。気絶するのは、何もタヌキだけに限ったことではなく、アフリカのブチハイエナなども、人間にけしかけられた犬に追いかけられると、途中で恐怖のあまりに気絶をしてしまうそうですし、アメリカに住むオポッサムという有袋目の小動物も犬などに追われると、同様に失神して仮死状態になってしまうそうです。本当に、呼吸や脈拍などが完全に止まってしまうので、誰もが気を抜いてしまうのですが、突然ムクッと起きあがって逃げ出してしまいます。また、同様の習性を持つことから、海外ではFox sleep(キツネ寝入り)といいます。日本では、タヌキは人をだますというイメージがあるので、タヌキ寝入りというように代表して言われてしまったようです。
 まあ、仕事中は眠るわけにもいきませんが、夏の疲れを取るためにも、気候が良くなる秋を楽しみながら、ゆったりと過ごしたいものです。

秋の花

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「おりとりて はらりとおもき すすきかな」(飯田蛇笏)
お月見に飾ろうとススキを採りに行きました。かわらに一面、穂を風に揺らしながら涼しげに生えています。その姿は軽やかに見え、持って帰るときに、いかにも軽そうです。しかし、折り取って手に持ってみると、意外にずっしりと重さを感じます。それは、ススキの重さというよりも、そのススキの生命の重さかもしれません。いくら軽そうに見える姿でも、生きていくということは重いことなのかもしれません。
今年の中秋の名月の今日は、晴天率に反してきれいな月を見ることが出来ました。ここ数日、ブログでこの話題を続けているので、今日、実際に空を見上げた人が多いかもしれません。まさか、我を忘れて夜が明けるまで眺めていた人はいないと思いますが。
 先日、園に秋の花でも飾ろうかということになり花屋に買いに行きました。しかし、秋の花はどうもどれも地味で、余り子ども向きではありません。そこで、とりあえず、お月見用としてのセットを買って帰りました。
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 秋の花の代表というと、もちろん思い浮かべるのは、万葉時代からの「秋の七草」ですが、これらの花も派手な植物が入っていず、しかし、ひっそりと秋の到来を知らせてくれる花ばかりです。
 「秋の野に 咲きたる花を 指折りかき数ふれば 七種の花 萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」(山上憶良 やまのうえのおくら、万葉集)
 万葉集の中で山上憶良が七草を選んで歌いこんだのが「秋の七草」になったのです。ですから、全く個人的主観ですが、これが今に至っています。
 この歌の中の「尾花」とはススキの花穂が出ている時の呼び名です。今は、川原などに一面に生えている植物ですが、昔は、ススキは私たちの暮らしになくてはならない植物でした。茎葉は屋根材や家畜のえさに、根茎は解熱・利尿に用いられていました。ですから、お月見にススキを供えるのは、その風情だけでなく、豊かな穂が実りの秋を連想させるので、豊作を祈願したものといわれています。
 一番論議になるのが、最後に挙げられた「朝貌の花」です。これをそのまま取ると、小学校1年生の夏の観察定番である「朝顔」でしょう。ですから、朝顔というと夏を代表する花のようで、秋というイメージではありませんが、その花の咲く期間が長く、俳句の季語としては秋になっています。しかし、「万葉集」や「源氏物語」に出てくる朝顔は現代の朝顔ではなく、どうも、「キキョウ」「ムクゲ」だと言われています。私は、桔梗の花が好きなので、秋の七草に入れて欲しいと思います。
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  このキキョウのことを韓国ではトラジといい、肥大した根をキムチ、ナムル、ビビンバなどの食材にします。焼肉屋でトラジという名前の店があるのはそれから来ています。
 しかし、多くの人に好まれるのが「萩の花」です。
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 岡本かの子の「秋の七草に添へて」にこんな文章があります。「萩は田舎乙女の素朴と都会婦人の洗練とを調和して居るかと思えば、小娘のロマン性と中年女のメランコリーを二つながら持っている。その装いは地味づくりではあるが、秘かな心遣いが行き届いている。」
 秋の野の花が咲き乱れる野原を散策して、短歌や俳句を詠むことが、昔から行われていました。秋の七草は、春の七草と違ってそれを摘んだり食べたりするものではなく、眺めて楽しむものです。まだまだ秋の花について話したいことがありますね。

芭蕉と名月

 明日9月14日は今年の中秋の名月ですが、ブログにも書いたように、東京では天気が怪しいようです。ですから、今日の少し満月には早い月を眺めています。月はどんな大きさでも、それぞれに風情がありますね。十五夜の月を少し過ぎた月のことは十六夜と書いて「いざよい」と読みます。次第に月の出は遅くなります。十五夜の満月は日没ごろに昇ってきます。その月の美しさを満月の次の日も見ようと思って待っているのに、前日に比べてなかなか出てきません。ということで、「いざよい」(ためらう、なかなか進まないの意)と呼ばれます。その次の日には、もう少し立って待っていなければなりません。ですから、「立待月」と呼ばれます。その次の日の月になると、もう立っていられません。座って待っていると出てきます。ですから、「居待月」。次の日は、座っていてもしかたないので、寝て待っていましょうと「寝待月」。更に待っていると「更待月」が、夜が更けてから出てきます。
この月の満ち欠けは、自分の人生に照らし合わせてしまいます。松尾芭蕉は、39歳のときに「月十四日今宵三十九の童部」という句を詠んでいます。それは、月は十五夜で完成します。だからその前の日の14日の月は未熟です。男は40にして立つといわれていますが、自分はまだ39歳です。ですから、まだまだ未熟です。と思ったのです。
 そんな芭蕉も、40歳を過ぎ、心身とも充実してきて、名月の美しさを理屈なく受け入れることができるようになり、中秋の名月をつい見とれてしまって、芭蕉庵にある「蛙飛びこむ」古池の周りを歩いていて、夜も明けてきたのにも気がつかないほどになります。「名月や池をめぐりて夜もすがら」
 東京で見る月にしても、こんな今でも美しい名月は、江戸時代ではさぞかしきれいだったでしょう。しかし、どんなきれいな月にしても、山国での澄んだ秋の夜の月が山の端に上る姿は何ともいえない秋の風情です。このような月は、いくら江戸時代でも江戸では味わえません。「詠むるや江戸には稀な山の月」と詠んだのは、江戸日本橋界隈からでは山を背景にした月は見ることができません。こういう景色は江戸にはないものであると同時に、江戸の濁った月を悲しがったのでしょう。それでも「夏かけて名月暑き涼み哉」昼間はまだまだ暑い日が続きますが、夜になるとすっかり秋めいてきて、中秋の名月である今宵の月見は、夕涼みの気分で見ています。
 美しい月を眺めているとつい我を忘れてしまいそうになります。しかし、月が雲に隠れると、ふっと我に返ることがあります。「雲をりをり人をやすめる月見かな」美しいものでも、ずっと美しいだけでは、その美しさに入り込んでしまいその美しさも麻痺してしまいます。時たま雲に隠れること、その美しさが見えなくなることがあるので、また雲から出てきた月の美しさを感じることができ、自分を取り戻すことができるのです。
 松尾芭蕉とともに、月を眺めてみると、人生も少し見えてきます。しかし、そんな人間の思惑に関係なく月はあくまでも美しく輝いています。その美しさを邪念なく眺めることも必要かもしれません。童心を持った小林一茶にこんな句があります。「名月を とってくれろと 泣く子かな」名月を取ってくれと泣いてねだるわが子に、戸惑う親の姿がほほえましいですね。

反語

東京校閲センターの原田泰雄さんが面白いことを言っています。
「受験生だったころから古文の試験で釈然としなかったことがあります。反語表現の現代語訳です。たとえば吉田兼好の徒然草の一節「花は盛りに月は隈なきをのみ見るものかは」を現代語に訳せといった問題を出されたとします。そのまま訳して「桜の花は満開を、月は満月ばかりを見るものだろうか」でよさそうなものですが、これでは正解にはなりません。答えの末尾に「いやそうではない」と書かないと減点されてしまうのです。受験生としては反語表現を理解していることを明確にするために、「いやそうではない」と原文にはないことを書き加えなければならないのですが、私は蛇足以外の何ものでもない感じがしてとても嫌いでした。」
私は、この反語を非常に日本的な言い方のような気がしていたのですが、英語でも「rhetorical question」という話し手の意図していることをわざと疑問文で述べる言い方があります。そして、断定を強調しようとするのです。もうひとつ、反語には、あえて、本当に表したいこととは反対のことを述べるという効果を出そうとすることがあります。揶揄、皮肉を目的として用いられることが多いのですが、本当はどちらを意図しているかわからないことがあります。
このわかりにくい反語を、小さな子どもを怒るときに使う場面をよく見かけます。
「そんなこと、していいと思っているの!」
これを聞いたときに、これは本当に子どもがいいか悪いかわからないので聞いているとは思えませんでした。というのは、私がこの文章を書いたときに「思っているの!」と書いて、「思っているの?」とは書かなかったのは、その語感がさいご「!」で終わるような感じがしたからです。すると、子どもの答えは「ううん」と言うと、「じゃあ、なんでしたの!」と追い詰めていきます。またこの言葉も反語的表現です。「なんでしたの?」ではないのです。子どもは、もう、答えようがありません。なんでしたのと聞かれてもねえと思ってしまいます。
しかし、小さな子どもにも、この問いは疑問文ではなく、反語だということがそのいい振りでわかるようです。ですから、こんな答えようがないような叱り方はやめたほうがいいような気がします。なんだか脅迫じみて、尋問で追い詰めている検事のような気がするからです。
 子どもには、発達期における子ども特有な行動があります。ハイハイを始めた子どもに「なんで、ハイハイなんかするの!」と怒る親はいないでしょう。しかし、物に触ったり、壊したりすると「なんで、触るの!」と怒ります。ともに発達においては、必要な行動であることが多いのですが、大人にとって支障がなければほめられ、都合が悪い行動は怒られてしまうのです。いろいろなものに興味を持ち、いろいろなことを知ろうとすると、「そっちへ行っちゃあ、ダメ!」と止められてしまい、「フラフラする悪い子」と決め付けられてしまうのです。
 子どもは、大人の都合で決め付けられたり、気まぐれな大人の間で、苦労しますね。

パラリンピック

この夏は北京オリンピックで盛り上がりましたが、地味ではありますが、現在はパラリンピックでも日本の選手は頑張っているようです。そんな活躍のニュースが流れてくる中で、懐かしいというか、久しぶりに聞いた名前を見つけました。
92年バルセロナ大会から通算20個目のメダルを同着3位でもぎ取った。男子100メートルバタフライ(視覚障害)の河合が涙に暮れた。「金メダルで泣いたことはあるけれど、銅でこんなにうれしいことはない」視覚障害選手はまっすぐ泳ぐのが難しい。33歳の河合は20歳代の体力はないものの、パラリンピック5回目の経験を生かし無駄なく進んだ。英スピード社製水着レーザー・レーサーを着用し、1分5秒79の自己ベストをマーク。日本競泳陣に今大会初のメダルをもたらした。
 日本パラリンピアンズ協会の事務局長を務めるなど、日本の障害者スポーツを引っ張ってきた。「世界のレベルが上がり、日本が(練習環境などで)取り残されていると思った。でもそんなことを言い訳にしたくなかった」(朝日新聞記事より)
彼のことは、ブログの2007年1月5日に書きましたが、オリンピックで通算20個のメダルを取ったというのは、もっと、日本のヒーローになってもいいと思うのですが。ただ、ヒーローといっても、たぶん彼は騒がれたり、英雄扱いされることではなく、マスコミ等で頻繁に取り上げられることで、障害について、障害者のスポーツなどの環境等の社会参画についてもっと国民に認知して欲しいからだと思います。
最近、保育についての相談で、障害児についての対応が多くなりました。また、保護者対応についても障害があるであろう保護者への支援が課題であることが多くなりました。しかし、障害者への認識がまだまだ国民の中では浅いことが問題を生んでいるということがあります。例えば、園で障害と思われる園児がいるとすると、課題が、その子をどうすれば他の子と同じことをさせるようにできるかとか、親に子が障害であることをどのように伝えるかということが多く、その子が、現在をよりよく生きるためにどのようにすればよいかということは余り議論になりません。
今回メダルを取った河合さんにしても、水泳で、他の子と同じように泳ぐことを目指してきたのではありません。彼の生い立ちを描いた映画「夢 追いかけて」の中で、かれはこのようなことを学んでいきます。
中学3年の時に、かろうじて見えていた右目の視力も失います。まっすぐに泳げない、ターンのタイミングがわからないという悔しさに、水泳部の主将でありながら大会への出場を辞退します。しかし、教師や家族、クラスや部の仲間の厳しく暖かい励ましの中で、次第に自分の泳ぎを身につけていきます。そして大学に行き、教師として教壇に立とうとします。そこで目指そうとしたのは、目の見える教師と同じようにそのハンデがないかのように教えることではなく、健常者である生徒に、全盲の自分が教師として伝えられること、伝えたいことがあったからです。
 人の境遇は様々です。人が持っている才能は様々です。だからこそ、人それぞれが社会の一員として必要なのです。それは、肩書きでも、名づけられた障害でもないのです。