世界の各国が保育施設に対してある基準を出している中で、保育内容について基準を出しています。日本では、かなり細かく、幼稚園教育要領とか、保育所保育指針などが出されていますが、そこには、内容が書かれているだけで、保育形態についてはあまり書かれていません。保育、教育形態はその建物や保育、教育空間に関係し、それが保育の質に関係してくるという事から外国では定められている場合があります。
アメリカで、有名な調査として「ペリー・プレスクール」というものがあります。この調査は、1962年から67年にかけてアフリカ系米国人の家計水準の低い家庭の子弟を対象にした調査ですが、就学前教育の経験の有無が、児童のその後の発音、成長プロセスにおいてどんな影響を及ばしているかを追跡調査したものです。その結果、「質の高い」就学前教育プログラムを受けた児童が、その後の成長過程を通じてより高い学歴水準、経済水準に到達したことが分かり、「質の高い」就学前教育とは何かを示したものです。
その中で行われた、質の高い就学前教育手法の具体的な内容は以下のようなものだそうです。
「個人の主体性を尊重した学習活動を中心に、大・小規模のグループ学習活動を組み合わせた教育手法である。教員は、児童が様々な社会・学習スキル(主体性・社会関係・創造性・運動能力・音楽能力・論理的思考・読み書き能力・数学能力)を習得することができるよう、多様な活動プログラムを提供することを役割とし、そのために、この教育手法に関して定期的な研修を受講した。」
ここで見られる質の高い教育手法は、決して教師が児童の前で一方的に話しをし、児童がみんな黙って座って先生の話を聞くという形態は見られません。そして、学習活動の基本は、「主体性を尊重した」ものでなければならないのです。そして、グループ活動が中心になります。また、子どもの学習スキルとは、まず第1に挙げられるのは、「主体性」なのです。そして、第2に「社会関係」です。この内容は、3~4歳児を対象にしています。幼児を対象にしたものですが、これは、当然学校教育にも言えることです。
9月7日の読売新聞に「北欧の教育 先進的」という特集が組まれていました。その記事の中で、ヘルシンキ大学で教員研修を研究しているテューム博士に、PISA(国際学習到達度調査)で過去3回とも世界トップレベルの成績を収めたフィンランドの学校教育の特徴を聞いているものがありました。
教師は生徒の意欲を引き出すために何をしているかという問いに対して、こう答えています。「社会の激しい変化に伴い教え方は変わってきた。20年前には権威的な教師がいたが、今は教師の話を聞くばかりの一斉授業では、生徒が飽きて学習意欲を低下させる。教師はいろいろな教え方を自由に選び、生徒を授業に集中させている」たとえば?という質問に
「生徒2人で問題を考えさせたり、3,4人のグループ学習をさせたりして、問題解決のために生徒どうし知恵を出し合わせる。この助け合いがキーポイント。教師が一方的に教えるよりは生徒はよく学ぶ。調べ学習させたり実験方法を考えさせたり、とにかく生徒に何か作業をさせ、教師はいい質問をして、生徒によく頭を使わせる。」と答えています。
先日のテレビで、最近の1年生はきちんと先生の話が聞けないということが問題になっていましたが、それは、しつけの問題というより、授業の仕方の問題かもしれません。
遊育の9月8日号によると、8月21日に行われた文科省の幼児教育の振興策の研究会で、いわゆる無償化の論議の中で「ペリープレスクール」が取り上げられたそうです。(以下、遊育より抜粋です。)『アメリカのヘックマン教授は論文のなかで、年齢と投資効果の関係をグラフ化し、小学校の低学年以前への教育投資は市場金利より高く、年齢が高くなるにつれて効果が下がるという曲線を描いた。その上で、①高所得を得るなど、社会的に成功する上での重要な能力は、認知能力と非認知能力の両方が重要であり、就学前教育の効果の多くは非認知能力(忍耐、やる気など)を育てることから発生している。②最新の脳科学によれば、さまざまな能力の発達には臨界期が存在する。③就学前における能力の発達があれば、就学後の教育効果は大きくなる。』ともすれば遊び中心の保育になりがちな日本ですが、ここでいう非認知能力を養うためには保育形態や保育空間の見直しに踏み込んでいかない限り、世界に後れを取るばかりだと思います。
本日のブログ最後の二文は全く以って同感です。現在小学校1年生の息子を持つ親として学校での学習に意欲を低下させつつある我が子が心配です。先日、道徳の授業参観があり、家内が参加しました。先生の問いに対してクラスメイトは「ハイ!ハイ!」と挙手をして指名を待ちます。我が子は何度かあるそうした機会に一切挙手することなく、挙句の果てには授業内容が理解できていないのではないかと心配する教師とのマンツウマン。それでもクラス全体が気になる先生は誘導的な質問をし、その質問にまんまと答えその場を凌いだ息子の姿を帰宅後家内が知らせてくれました。とうの息子は「道徳」の授業のことについては黙して語らず、でした。よっぽどつまらなかったとみえます。あるいは全く理解できていなかったのかもしれません。関心の無いことには問われても反応しないという我が子の一面を見せられました。我が子のような子どもに対する「基準」づくりをわが国に要望したいと思ったところです。
1年生の授業や生活を見る機会があり、そのたびに子どもたちは自分たちでもっとできるのに・・・、と思うことがよくあります。自分たちで考えようという気持ちが沸いてくるような授業と子どもたちは感じているのか疑問です。「ペリー・プレスクール」のような調査、北欧の教育などを参考にして、変わっていこうという動きがどんどん見えてくることを期待しています。
まず質の高い教育手法というのが日本のように先生が前に出て子どもに教えるという授業形態でなく、子どもが主体性に活動し、そしてグループを作って色々な問題を解決するために話し合ったりすること。そして先生は子ども達に色々なプログラムを与える為に先生が研修をする。このことは藤森先生が講演などでよく言われているような事だと思いました。授業が聞けない一年生といってしつけのせいにするのは何か情けないですね。しかも今まで幼稚園や保育園で楽しく過ごしてきた子どもに対していきなり、先生の話をじっと45分も聞きなさいと言う方がおかしい気がします。そして、授業を聞けないのをしつけのせいにしないで、子ども目線から考えてあげることが大事だと思いました。