塞翁が馬2

「塞翁が馬」に見られる考えかたは、人生はどうなるかわからないので、それを受け容れていくしかないというような消極的な気持ちのように思えますが、実はそこには違うメッセージがあるのです。
この「淮南子」には、もうひとつ同じ趣旨の逸話があります。馬と対比して、牛にまつわる逸話です。
昔、宋の人で善を好み、3代にわたって怠ることがありませんでした。その者の家で、理由もなく黒い牛が白い子牛(白犢)を生みました。そこで先生に質問したところ、「これは吉祥です。鬼神に捧げなさい」と言われました。それから一年たって、その家の父親が理由もなく目が見えなくなってしまいました。そして、また牛が白い子牛を生みました。父親はまた息子を先生のところにやって質問させようとしました。すると息子は、「前にあの先生の言うことを聞いて失明してしまった。また尋ねるのはどうだろうか」と答えましたが、父親は「聖人の言葉は、最初は合っていないようであっても、後で合ってくるものだ。これはまだ結果が出てしまったわけではない。とにかく行ってまた尋ねてみなさい」と言います。そこで息子は、また先生に聞いてみると、「これは吉祥です。また鬼神に捧げなさい」と言います。帰ってきて父親にそのことを言うと、先生の言うとおりにしなさいと言うことでその言葉に従います。それからまた一年たって、今度は息子の方が理由もなく目が見えなくなってしまいます。その後、楚の国が宋の国を攻めて城を包囲しました。そのとき、壮年の者は死に、老人・病人・童子は城に上って固く守り、下りてきませんでした。それを楚王は大いに怒り、落城させたときには城を守っていた者すべてを殺してしまいました。しかし、例の親子だけは、目が見えないために城に行かずにすんだので命は助かりました。その後、軍の包囲が解けたとき、この父子の目は再び見えるようになったということです。
この逸話も「塞翁が馬」同様に、禍は福に転じることがあり、その禍福は、お互いに生じるものであるのでその変化は理解しがたいということを言っています。しかし、この二つの話は禍福がただ転換することや、人生の偶然性を指しているわけではないようです。「淮南子」の本意は、「人間訓」の書き出しの一部に、こんなことが書かれています。
「それ禍の来るや、人自らこれを生ず。福の来たるや、人自らこれを生ず」
災いや福が来るのは、偶然ではなく、皆人間が自ら招くものだといっているのです。「淮南子」のほかのところで、おなじ「人間訓」には、「禍と福とは門をおなじくす。利と害とは隣を為す」とありますし、「説林訓」には、「禍の中に福あり」とあるように「禍転じて福となす」というような無為自然ではなく、運命に打ち勝つという気概が見えます。
夏が終わり、そろそろ秋を感じる季節になってきました。「説山訓」には、こんな言葉もあります。「見一葉落、而知歳之将暮、睹瓶中之冰、而知天下之寒」一葉落ちて天下の秋を知るといわれているもので、桐の葉が一枚落ちるのを見て秋が来たのを知るという意味です。変化はなかなか読み解くことは難しいですが、僅かな現象を見て、その大勢や将来を予知することはできます。最近の青少年の事件を見て、今後の教育を考えていかなければならないでしょう。

塞翁が馬2” への4件のコメント

  1. 物事は自分の捉え方や行動で大きく変わりますね。上手くいくのもいかないのも自分次第と考えるようになって、以前より次の一歩が踏み出しやすくなりました。自分の行動に責任を持たなくてはという意識もついてくるように思います。しんどいですが。世の中の動きを見て変化を感じ取りながら自分のすべきことをしっかりとやっていこうと思います。

  2. 「桐一葉 落ちて天下の 秋を知る」え~と誰が詠んだ句でしたっけ。有名な俳人の句かと思っていたのですが、戦国時代の武将で片桐且元という豊臣秀吉の家臣だそうですね。有名な「賤ヶ岳七本槍」の一人で、豊臣秀吉の信頼も厚かったようです。秀吉の死後、徳川家康との和平交渉に奔走したのですが、淀君に内通と疑われ失脚させられた時に詠んだ句がこれですね。桐は豊臣家の家紋、つまり大阪城を暗に示しています。豊臣家の将来を案じて、また自分の境遇を悲しんで詠んだんですね。身の回りに起こる小さな兆しから、世の中の行く末を見通す洞察眼を養わないといけませんね。保育の世界だけでなく、ビジネスでも同じように思います。

  3. 義務教育を修了した後、自らの進む道はほぼ自分で選び決めました。「ほぼ」というのは、結婚と現在の仕事を除いて、という意味です。おそらくは自らの力を過信する「我慢」があったからでしょう。自らに慢心することなく、しかるべき人に相談していたら・・・と思ったことも幾度となくあります。「自律」「自立」ということがその根底にあったのでしょうが、それら「自立」「自律」は「共生」と「貢献」に裏づけられていなかった、と現在反省しきりです。「共生」と「貢献」に裏付けられたは「自律」と「自立」は行動に透徹さが求められる分磐石です。「禍福」に翻弄されることない、「それ以上でもそれ以下でもない」生き様が保障されるような気がします。私心を捨てて「観る」ことができれば、世の中の変化から未来を見通すことができるようになるかもしれません。

  4.  「塞翁が馬」は昨日とは、また違った考え方があるのですね。本当に勉強になります。
     最近の青少年が起こす事件を見て、教育は本当に変えないといけないと思います。以前、先生のブログで風邪をひく前に予防しないといけないと書いてあったのを思い出しました。子ども達もだんだんと変化してきて結局は凶悪な犯罪を起こしてしまうようになってしまったのですから、そのちょっとした子どもの変化というものを研究者や大人が早く気づいて教育を変えるべきだったのかもしれません。今後ももしかしたら少しずつ子どもは変化していくかもしれませんが、その変化に敏感に気づくようにならないといけないと思います。

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