基準1

 各国には、その国における施設に対して、その施設が人の生活や精神に影響が大きく、その影響が将来に関わるような場合には、その基準が定められています。その施設の中で、特に保育施設については、その利用者が環境からの影響を受けやすい乳幼児であることから決められていることが多いようです。
 この基準は、最低基準としてきめている場合や、標準基準、推奨基準など様々なですが、その決め方は、その国でどんな人材を作ってきたかという教育のあり方を反映しているような気がします。法律もそうですが、基準値を出す場合は、基本的に性悪説でできていることが多く見られます。悪いことをする人がいるので、決まりを作って、悪いことをしないようにする場合です。
例えば、乳幼児施設において、何が子どもにとって良いことかは、基準をきめなくても当然その運営主体が考えることでしょうし、まさか、子どもにとってよくないことを考えるはずはないと思うのですが、実際はそうでもないようです。というのは、「子どもにとって」というような、人によってその定義が多様化してしまうような場合は難しくなります。しかも、本当の利用者であり、そのものの最善の利益を優先しなければならないのは、まだ、自分の意志で選んだり、要求したり、評価したりできない乳幼児だからです。ですから、その代弁者としての保護者の利益と、子どもの利益が相反することがあったときに、どちらを優先するかが施設の判断によってしまうからです。
また、基準をきめるのは、その施設に対して補助金を出している場合です。補助金というのは、税金ですので、その使途は公共的でなければなりません。個人の考えや、理念を超えた公共性の考え方から使う必要がありますので、ある基準を作って、その部分は遵守してもらおうという考え方です。逆の考え方もあります。その内容を保障するために補助金を受けて事業を行うために、保障する範囲として基準をきめるということです。しかし、補助金だけで運営し、利用者から独自で利用料を徴収することができない施設では、この基準が運営基準となりますので、そのときにその基準を最低としてきめるのはおかしくなります。そういうときには、推奨基準にしなければ最低で運営しなさいということになってしまうからです。最低というのは、それを上回って、運営をすべき基準でなければならないのです。
それなのに、最低基準でなくて、推奨基準にしてしまうと最低を下回る可能性があるという危惧をするような社会は情けないですし、最低基準の運営しかできないような補助を支給するのもおかしな話です。
たまたま、各国の保育施設の基準を見る機会がありました。それを見ると、その決め方はその国の考え方を反映していて、とても面白い部分があります。その基準の中で、教員の学歴水準や教員数と児童数比、クラス規模など人的な質に関係する部分などはその国の財政的な優先順位を見ることが出来ます。どのような事業に、どの年齢に対して税金を投入しようとするのかを見れば、その国の考え方が分かります。経済協力開発機構(OECD)は先日9月9日、加盟国の教育予算の国内総生産(GDP)に占める割合(05年時点)についての調査結果を発表しています。日本は前年比0.1ポイント減の3.4%で、データが比較可能な加盟国28か国中、最下位だったそうで、28か国の平均は5.0%で、1位は7.2%のアイスランドだったようです。
 ただ予算が多ければいいというものではありませんが、国が国の事業の中で教育をどのくらい重視しているかは分かるかもしれません。