失敗と成功

 オリンピック競技を見ていると、勝負というのは、本当にきわどい差で勝ち負けが決まります。少しの失敗も許されません。しかし、人というものは、緊張もしますし、失敗もしますし、あの時こうすればよかったという悔いを残すものです。今日の読売新聞の編集手帳に面白いことが書かれてありました。
「西条八十に会食の席での失敗談がある。パリを旅し、「商船テナシティ」の原作者で詩人のシャルル・ビルドラックから晩餐に招かれた時である。料理を皿に取ったつもりが、皿と見えたのはレースの敷物だった。うろたえる客人にビルドラックはひと言、「Jeunesse」(青春)と告げたという。日本の詩人は当時30代、年齢の青春ではあるまい。若い日々が記憶のなかで輝くように、この失敗もやがては思い出という宝物になりますよ…と」
人が失敗をしたときに励ます言葉として、「それが青春だ」というのは面白いですね。私たちは、よく子どものころに失敗すると、「失敗は、成功のもと(母)」ということを言います。しかし、失敗をすることが成功することにつながるというのは、単に慰めでしかありません。失敗は繰り返すということもあるのですから。ですから、このことわざの意味は、「失敗してもあきらめずに、失敗を繰り返してもどこが悪かったのかを考えるうちに、どのようにしたら良いかわかって来て少しずつ成功に近づいて行く。つまり、失敗は決して無駄ではないと言うこと」なのです。
ですから、孔子が「過而不改、是謂過矣(過ちてこれを改めざる、これ過ちという)」と言うように、失敗すること自体がいけないのではなく、それを改めないのがいけないのです。また、こうも言っています。「小人之過也必文(小人の過ちは、必ず文る)」失敗したり間違いをするたびに、言い訳をくどくどと繰り返す人がいますが、失敗を取り繕ってばかりいると、失敗した本当の原因がつかめず、同じ失敗を二度三度繰り返す恐れがあるといいます。間違いに気付いたら即座に改め、常に反省を怠らなければ、同じ失敗は繰り返さないし、失敗を糧として人間的に進歩向上できるということです。
とはいっても、失敗をするということはとても痛手をこうむります。「失」という字は、「うしなう」という字であり「手足を舞わせて自失の状にあること」を示しています。しかし、オリンピックのような競技でははっきりわかりますが、人生においてでは、何が失敗で、何が成功かということはわかりにくい場合が多くあります。渋沢栄一は、「眼前に現われた事柄のみを根拠として、成功とか失敗とかを論ずれば 真実を逃すことがある」と言っています。家庭を犠牲にして仕事で成功しても、家族関係では失敗したことになりますし、他人を引きずり落として地位が上がっても、人生の成功者とはいえない気がします。また、このようなことも言っています。「会社事業その他一般営利事業のごとき、物質上の効果を挙げるのを目的とするものにあっては、もし失敗すると、出資者その他の多くの人も迷惑を及ぼし多大の損害を掛ける事があるから、何が何でも成功するように努めねばならぬものである。が、精神上の事業においては、成功を眼前に収めようとするごとき浅慮をもってすれば、世の糟(かす)を喫するがごとき弊に陥って、永遠の失敗に終わるものである。」
また、失敗かどうかという判断も、短期的に見てはとても危険です。栄一はこうも言っています。「たとえ一時は失敗のごとくに見えても、長い時間のうちには努力の功空しからず。社会はこれによって益せられ、結局その人は必ずしも千載の後を待たずとも十年二十年あるいは数十年を経過すれば、必ずその功を認められることになる」
 本当の意味で、成功者になりたいですね。

失敗と成功” への6件のコメント

  1.  今までスポーツにしても勉強にしても失敗を多くしてきましたが、基本的にその場では反省しても、その失敗の改善方法というのは正直言うと考えていなかったかもしれません。なので今回のブログを読んで、とくに孔子の二つの言葉は自分が言われているようで恥ずかしくなりました。一番は失敗をしないのがベストですが、失敗をしてしまったら、まずは自分の非を認め原因を追究し改善する癖をつけるべきですね。昨日のブログではないですが、人間は「考える人」なので失敗をしたら何も考えないのでなく、しっかり考えなければいけないと思います。

  2. 東大の名誉教授で「失敗学のすすめ」の著者である畑村洋太郎氏はこう語っています。『失敗と言っても「よい失敗」と「悪い失敗」があります。よい失敗とは個人が未知の経験や知識を獲得する過程で避けることのできない失敗です。新しいことに挑戦しようとすれば十中八九失敗する。人間の成長や技術の発展にこうした失敗は不可欠なんです。その一方、悪い失敗とは単なる不注意や誤判断から繰り返されるものです。この両者を一緒くたに考えて、「失敗してはいけない」「恥ずかしい」となると何も挑戦できなくなるからです。』ー藤森先生のお話に触れて、今の子供たちにとっていい保育だと思っても、なかなか実践への一歩が踏み出せないのは、失敗することを恐れるからでしょうか。未知の世界なのですから、失敗の一つや二つはあって当たり前で、それを克服することで園の保育のレベルが上がると思うのですが・・・。子供たちのために、もっと勇気を持ってほしいと思います。

  3. 今までの経験から、何か失敗したときに他人ではなく自分に原因があると考えなければ次に進めないと思っています。まだまだ素直に失敗を受け入れきれないこともありますが、完璧は有り得ないと考えると、もっと上手に失敗に向き合えるようになりたいと思います。そして成功については何を成功と考えるか、何かと比べたりするのではなく、きちんと判断ができるようにならなければと思っています。

  4. 「成功と失敗」といった時、私たちはどうしても「失敗」と考えれられることにのみ目を向けがちで、「成功」のモデル、あるいは「成功」感、とでも言うべきものを持ちにくいのではないでしょうか。そして「目を向け」がちな「失敗」も自らそれを「失敗」と判断するというより、他者の反応によって「失敗」と自覚する傾向が間々あるように思います。ビジネス書の中に『成功の哲学』などがありますが、『失敗の本質』という書籍同様に売れているらしいですね。「成功」も「失敗」も多くの人々の関心事ではありますが、具体的な「成功」「失敗」の判断基準となるのはやはり「理念」「目標」でしょう。「理念」「目標」がなければ「成功」も「失敗」もよくわからないということになるのではないでしょうか。

  5. 失敗と成功に対して、一番印象に残っているのが「物質上」と「精神上」の成功の捉え方が異なっているということです。成功したとしても、一方から見ればそれは失敗でもあるかのように見られてしまうのは、物事が決して単純ではないという言葉だけでは済ませれませんが、立場とかステージ、その他感情の持ち方によっても捉え方が、常に一つではないということが大きいのだと感じます。成功の本質とは何でしょう。自分だけでなく、幸福感を他者と共有することでしょうか。人によって変わることのない成功の本質を追求していけるような人になりたいですね。

  6. 失敗は成功のもとと言われますが、それはただ失敗をしてもいい、重ねてもいいということではなく、「間違いに気付いたら即座に改め、常に反省を怠らなければ、同じ失敗は繰り返さないし、失敗を糧として人間的に進歩向上できるということです」ということを行うことで、失敗も無駄にはならないものになるのですね。ただただ、失敗を繰り返すのではなく、その失敗を改めて、次はどうするのかという姿勢がまだまだ私には足りないので、今回のブログは自分のことを言っていただいているような気がしました。短期的に見ては危険ですともありましたが、長期的に、長い目で見て、どうなのかという意識もまた大切になってくるのですね。そうすることで、今をより良く生きることができるのかもしれませんね。

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