今日は、東京都から保育計画係の方が緑環境課の方と一緒に調査にみえました。それは、「東京都認可保育所屋外遊技場芝生化実証実験事業補助金交付」についての調査です。この事業は、東京都が推進する緑化対策の一環で、保育所屋外遊技場の芝生化事業の実証実験を行うためのものです。
建築家の伊藤豊雄さんは、Casaという雑誌の中で、こんな話を展開しています。
建物を建てると、その分だけ、大切な地球の土地が減ってしまう、そんな考え方が今は普通です。突き詰めると、建物を建てること自体が、よくないことだと考えられています。しかし、本当にそうなのかを問いかけています。
もし、建物の壁や屋根を地球の表面みたいに作ったらどうだろうかという提案をしています。地球の表面というのは、平らではありません。また、地球環境に影響する土地の広さは投影をした広さではなく、表面積です。ですから、表面積をふやすことが地球環境に関係してくるので、建物を作るというのは、地球の表面積が増えるという考え方です。それを、伊藤さんはこう例えています。「建物の壁や屋根を地球の表面みたいに作ったら、地球の表面が伸びたり曲がったり、ひだが増えることになる。表面積は増える。」それを人間に例えています。「人間の皮膚も、これに似ている。胃や腸はからだの中にあるけれど、口やお知りを通して表の皮膚とつながっている。そしてとても細やかなひだを作って、効率的に栄養を吸収しています。つまり、皮膚の表面積を増やしている」
ですから、人間の体と建築は似ていると思えてくるといいます。人も建物も、きれいな空気や水を取り入れて、汚れた空気や水を外に出す。それから人は食べ物から、建物は石油やガスなどから得るエネルギーを使って、部屋の内部を温めたり冷やしたりと、いろいろに調節する。人の体も建築も、地球との関わりの中で存在しているのだから、この二つが似ているのは当然だといいます。
それが、今は、街が作られ、技術が進歩するのに伴って、いつの間にか建物は、地球と切り離されたものになってしまったというのです。私は、地球の共生していた建物のような人間の生産物が、いつの間にか地球に立ちはだかる存在、対立するような存在になってしまっている気がします。そのために、課題は、常に自然をどのように克服するか、自然の影響をどれだけ受けないようにするかでした。そのうちに、自然を破壊し、自然を捻じ曲げてきてしまい、結局は、人間の生活をも破壊し、捻じ曲げてしまっているのです。
今、求められてきているのは、どのように自然と共生していくかということだけではなく、どれだけ自然に貢献していけるかということを考えなければいけないのです。ですから、伊藤さんが言うように、これからは、建物によって地球の環境を豊かにするということを考えていかなければならないのです。
伊藤さんは、そんな人の体のような建築が課題です。私が、グッドデザイン賞を受賞した2001年に、授賞式に行った会場で公開審査をし、大賞を受賞したのが、彼の作品、公共施設「せんだいメディアテーク」でした。そのときのコメントで、「せんだいメディアテークにおいては、いつもの建築よりはるかにたくさんの人たちとコラボレーションを行なった。子供たちの遊び場だったり、カップルのデートスポットにもなっている。さまざまな年代の人たちに自由に使ってもらえてうれしい。建築をやっていて良かったと思う」と言っています。彼は、この作品を転換期として、建物自体が息づく作品を生み出しています。
建物の壁などを人体のひだのように考えるという発想は面白いですね。でもそう考えると、先日訪れた東京の町並みはひだという感じはあまりしませんでした。では自分の地元はどうかというと、こちらもひだとはいえない気がします。自然の形を変えて開発をしていくとき、それが本当に必要なことがどうかをいろんな角度から検証し、更には自然と共生していける形を求めていかなければいけないんですね。新宿せいが保育園で芝生化が実現すれば、また1つのモデルになりますね。
最近は確かに屋上を緑化する動きが活発になってきていると思います。やはり、時代が変わってきているのですね。これから建物を建てる時はデザインも大切ですが、地球のことも考えて建てる必要があると主思います。建築家の方の発言と言うのは本当に面白いと思います。人間の体と建築が似ていると言われても、あまりピンときませんが、その後の説明を聞いてみると納得してしまいました。地球上にあるもの全てに生命が宿っているならば、共生するのは当然であり、しっかり意識するべきだと思います。
建物が地球の表面積を増やすことになる、と考えると、人工的に造られた建物でさえ、地球の息吹を伝える立体となって浮かび上がってきます。建築家の伊藤豊雄さんのアイディアには同感です。しかも「ひだ」という発想がいい。「建物」はただの構造物ではなく、ちゃんとした地球の一部、と考えれば、何だか建物が林立する都会の風景が一変します。人間が地球自然の一部であるならば、その人間が拵えた「建物」も地球自然の一部です。「建物」を建てる建築家の皆さんの意識の在り様によって「建物」が息づいたり漲ったりするのでしょう。遠くに見える高層ビル群のライトの点滅が命の鼓動として感じられてくる不思議さを今日のブログの読後に味わいました。