昨日は、遅くまでオリンピックの開会式を見てしまいました。さすが中国という感じで、ダイナミックで、中国の長い歴史と、現在の息吹を感じる素晴らしい企画でした。しかし、それが立派であればあるほど、もう二度と日本ではオリンピックはやるべきではないという気がしました。オリンピックの招致をキャンペーンしている東京都の住人としては、こんなことを言うのは不謹慎かもしれませんが、こんなオリンピックはもう、時代遅れかもしれないということを思ってしまったのは、私だけだったでしょうか。
開会式では、「有朋自遠方來,不亦樂乎」から始まり、ずっと論語をBGMとして読んでいました。中国では、数年前から「論語」がブームのようです。それに呼応するかのように、日本でも論語を様々な観点から読み解いた書物が出版され、一昨年の 読売新聞でそのうち何冊か紹介されていました。論語というと、漢文の授業というイメージでしたが、紹介されていた本は、発想を変えて見直したものです。
神戸大学名誉教授の一海知義さんの「論語語論」(藤原書店)では、論語の内容を、言葉を分解し、それを分析することから論語を読み解いていこうとするものです。例えば、まず、「論語」という題名もそういう意味であるかということから解説します。当然のように私たちは「論語」という題名を言っていますが、改めてその意味を考えると、中を読み進めていくことで深まっていきます。
論語は、字からそのまま意味を考えると「語を論ず」ということですが、実際は、論語は言語論ではなく、孔子の言行録なのです。それなのに、なぜ論語というかということや、原本に「女」という字が19回も出てくるのはなぜかということを、一語一語の意味を吟味しつつ、教えをたどっています。しかも、私からすると一海さんは関西人だけあって、なんだかおちょくっているようにも聞こえます。
孔子を「おもろいオッサン」だと評し、「教え魔で、たくさんいた弟子には、相手によっていろいろな説明のしかたをする。思想家であり、教育者だった」といいます。
述而篇に「子不語怪,力,亂,神。」(子は怪・力・乱・神を語らず)と、霊魂を語らないと言っていながら、別の篇で「神」を論じています。それを「一般的な話としては霊魂を論じるが、若い時代には神に混じらん方がいい、と思っていた。だから、若い弟子に神を語らなかったのだ」と書いています。そして、「孔子はプラグマチックで、人間中心主義。霊魂の世界を否定はしないけど、人生にとってあまり大切ではない。人間がどう生きるかが大切なのだと説いて、大変な共感を得たんです」と結んでいます。このような解説を読むと、孔子が身近に感じられますね。
大阪大学名誉教授の加地伸行さんは、「すらすら読める論語」(講談社)の中で、絶海の孤島に1冊だけ本を持っていくなら、必ず論語を選ぶと言っています。それは、「論語を読むことで得られる知恵は〈人生の用心棒〉となる」からだそうです。
なぜ今、論語かということを、広島大学助教授の加藤徹さんは「漢文力」(中央公論新社)の中で、「論語は“東洋のバイブル”と言われる一方、庶民にとって身近な存在。敷居が低く、間口が広いので、時代を超えていろいろな人が語りたくなる格別な本なのでしょう」と語り、「楽天的でおもしろく、処世訓も詰まっている。右肩上がりではなく、階段の踊り場のような時代にあって、しみじみと人生を考えるのに役立つからではないか」と論じています。なんだか、あの派手な開会式とは不釣合いの気がします。
オリンピックの開会式はその国のオリンピックに対する考え方を表現する場だと思うので、派手さが求められている訳ではないんですよね。今回の開会式は見ていませんが、盛大なだけでなく、かなり派手だったんでしょうか。オリンピックはスポーツの祭典であると同時に平和の祭典でもあるはずです。今回のオリンピックが果たして平和の祭典という理念を大切に開催されたか、開催に至るまでの様子を見てきて疑問に思うところはあります。この先も経済効果や変な駆け引きのためではなく、理念を大切にしたオリンピックが開催されるかを注目したいと思います。
オリンピックと論語とはどういう関係があるのか?と思いましたが、開会式で論語がBGMとして流していたのですね。見ていないので始めて知りました。ですが、入場行進で論語が流れるのは、どうかな?と思います。確かに中国で開催されているので、その国の文化かもしれませんが、だからと言って論語はないと思います。論語を詳しく読んだ事が無いので全否定は出来ませんが、イメージで固い感じがあります。オリンピックの開会式は明るく楽しいイメージですから、やはりBGMもそういう音楽が一番だと思います。
オリンピックの開会式で、論語の「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」をBGMで流すっていうのは、何か白々しい感じがしますね。外国の客を歓迎するというのでしょうが、あの開会式は、中国人民にむけての国威発揚のためであり、国際的な地位を確立するためのセレモニーであったように思います。今、中国では論語がブームだそうですが、孔子は「同じ敷地に住む古い友人」と仲良く共生する知恵は明らかにしなかったのでしょうか。今、中国政府がなすべきことはお祭り騒ぎではなく、それこそ国の威信をかけて、チベットやイスラム勢力との話し合いによる和解の道を探ることが、健全な大国として国際的な地位を確立する第一歩だと思います。
北京オリンピックの開会式は私もテレビで観ました。何とも形容しがたい演出で、とても驚かされました。中国の国力を世界に喧伝する。その凄さは「中華思想」を想起せざるを得ないほどでした。世界の中心は中国だ、という中国漢民族の思想が随所に現れます。いやはや何とも凄い「開会式」でした。「論語」は藤森先生とお会いしてから急に身近なものになりました。高校の漢文の時に少しかじった程度の「論語」ですが、今や処世訓として一種の拠り所となっています。時折ページをめくっては、なるほど、なるほど、とわかった気になります。二千年以上に渡って人口に膾炙してきた同典籍は21世紀の今日に至ってもなおその輝きを失わずに在るのは北京オリンピックの開会式を待つまでもありません。