米アップルの新型携帯電話「iPhone(アイフォーン)3G」が発売されてほぼ一ヶ月経ちましたが、今でも売れているのでしょうか。本当に活用する人にとっては必要でしょうが、多くの人はどうでしょうか。新しいものが出ると、みんな群がって手に入れようとしますが、よく吟味しないと無駄になってしまう商品が過去にも多くありました。良く、例に出される「ぶら下がり棒」がありましたが、今は、どんな商品が家で眠っているのでしょう。
しかし、日々色々な商品が開発されています。先週号のR25に、そんな商品が紹介されていました。
夏の日差しが強いときに、紫外線対策で子どもたちや女性は帽子をかぶりますが、男性はオフのとき以外は余り帽子をかぶる習慣がありません。また、女性にはもうひとつ便利な物があります。それは、日傘です。日傘は、頭の上だけでなく、顔全体や首筋、体も覆ってくれます。そんな日傘の男性用が出来て、売れ始めているそうです。台東区にある洋傘専門店『ワカオ』では、昨年1200本製造した紳士用日傘が完売したので、今年は製造数を5000本まで増やしているそうです。太陽光に含まれている「紫外線」による皮膚への影響は周知されていますが、その防御となるとなかなか行いません。もともとは、皮膚には紫外線から身を守るための仕組みが備わっています。それは、日焼けすると肌細胞の遺伝子が紫外線で傷を負わないようにメラニン色素が作られ肌が黒くなるのです。しかし、紫外線を過剰に浴びて肌のダメージが重なると、肌細胞の突然変異が起こり、将来、皮膚がんになる可能性もあるそうです。そのためにも、日傘は効果的かもしれません。
小学校時代、自分の足の遅さに、悔しい思いをしないような靴が売れ始めています。これは、ブログでも取り上げたことがある商品ですが、昨年度だけで450万足を売り上げたそうです。この走りの速くなる靴「瞬足」は、「児童が運動会でより速く走れるように、と開発しました。スピードが落ちやすいコーナーでも強く踏み込んで駆け抜けられるように、トラック競技で力の掛かる足の左側に重点的にスパイクをつけた左右非対称の靴底が特徴です」と開発の経緯が語られます。この商品が売れた理由に、「少子化にともない、“わが子に運動会でよい記録を”とか“目立ってほしい”と、子供に対する親の見る目や意識がより高まり、お金をかけたがるようになった時代背景や、そのような親同士の口コミ効果も売り上げの追い風となり、大ヒットへとつながった」とアキレス広報部の話です。
夏の暑い日、汗をかき、汗臭い匂いが気になります。そんな悩める男性のために、AOKIが開発したのが、デオドラントスーツをはじめとする消臭衣類の「デオドラントシリーズ」です。この商品は、男性特有のすっぱいニオイであるアンドロステノンの発生を抑える素材を繊維に付着させているそうです。スーツだけでなく、ワイシャツなどにも使われています。「実験では、男子大学生に1週間着続けてもらったワイシャツのニオイを20代~50代の女性に嗅いでもらいました。しかし、7割の人がニオイを感じなかったという結果が出ています。とはいえ、スーツはともかく、シャツは毎日着替えることをおススメしますね」と話しています。
どんな商品が根付いていくのでしょうか。
月別アーカイブ: 8月 2008
信号
今日の8月20日は、交通信号の日だそうです。1931(昭和6)年のこの日、銀座の尾張町交差点(銀座4丁目交差点)や京橋交差点などをはじめ、34カ所の市電交差点に、日本初の三色灯の自動信号機が設置されました。
世界初のガス灯火式信号機は、1868年(明治元年)に、道路交通を整備するため,イギリスのロンドンに設置されました。この装置は,緑色・赤色の2色の灯器を手動で表示し,光源としてはガスを使用していました。当時は、車などなかったので、この信号は馬車の交通整理のために置かれたのですが、起動後まもなく爆発事故を起こしています。
そして、世界初の電気を利用した電気式信号機は、1918年(大正7年)にアメリカのニューヨーク市5番街に設置されました。この時,黄色は「進め」,赤が「止まれ」,緑が「右左折可」だったそうです。
その信号が、日本の銀座に付けられたときは、今と同じ、向かって右から赤・黄・青です。赤色が止まれという意味を表すように感じるのは生物学的見地から以下のような理由があるようです。光の原色の中でも赤は光の波長が長く、粒子的にも周囲の影響を受けづらい色です。逆に、波長が短いのは紫(青系)で影響を受けてすぐに散らばる性質があり、空が青いのは、波長が短い青色が大気で散らばる為です。そして、夕焼けが赤いのは、傾いた太陽から出る光が大気を通る距離が長くなる事で、直進性が高く影響を受けづらい赤色の光だけが届くからです。ですから、赤色の光は物質的にも神経伝達系にも強く届く色なのです。また、雨天・吹雪・スモッグの中でも青よりも赤がより遠くまで届く色なので、止まれには見えづらい青よりも赤が使われているようです。
当時、青信号は、法令的には緑色信号と呼んでいました。しかし,一般の人々の間では,色の三原色(赤・青・黄)のひとつである青色が誰にでも理解されやすく,また,日本語で表す青の範囲はたいへん広く(たとえば,植物の緑のものを青葉,青物などと呼ぶ場合)、漢字でも「緑」と「青」を厳密に区別しないため、かつての日本人は「緑色」のものを「青色」と表現することがあるという点などから,しだいに緑色の信号も青信号と呼ばれていきました。それが定着してきたので、昭和22年には法令でも青信号と呼ぶようになりました。呼び方だけではなく、私の子どものころは、青信号と呼ぶのをためらうほど緑色をしていましたが、今では、信号の色も改良が進められ,昭和48年以降に作られた信号の灯器は呼び名のとおり青に改められています。
現在では、道路上において交通整理を行う色は世界共通で、対面する信号機の青は「進むことができる」(注意通行)であり、よく「青は進め」といいますが、「進め」ではなく、「進んでいい」ということです。別に進まなくてもいいのです。黄色も、「注意」ではなく、「停止位置で止まれ、ただし停止位置で停止できない時はそのまま進むことができる」(停止)ということです。しかし、赤は「止まってもいい」ではなく、「止まれ」(停止保持)です。また、信号機には歩行者用と車用の2種類があり、車用は青・黄・赤で、歩行者用は青と赤です。この場合は、黄信号は、青の点滅で表します。にこれらは、国際的な取り決めですが、行政上の運用取り決めは国によって少し違うようです。
「青は進め、黄は注意、赤は止まれ」ではないのです。世界共通なのに、ずいぶんいい加減に、アバウトに伝えられていますね。
失敗と成功
オリンピック競技を見ていると、勝負というのは、本当にきわどい差で勝ち負けが決まります。少しの失敗も許されません。しかし、人というものは、緊張もしますし、失敗もしますし、あの時こうすればよかったという悔いを残すものです。今日の読売新聞の編集手帳に面白いことが書かれてありました。
「西条八十に会食の席での失敗談がある。パリを旅し、「商船テナシティ」の原作者で詩人のシャルル・ビルドラックから晩餐に招かれた時である。料理を皿に取ったつもりが、皿と見えたのはレースの敷物だった。うろたえる客人にビルドラックはひと言、「Jeunesse」(青春)と告げたという。日本の詩人は当時30代、年齢の青春ではあるまい。若い日々が記憶のなかで輝くように、この失敗もやがては思い出という宝物になりますよ…と」
人が失敗をしたときに励ます言葉として、「それが青春だ」というのは面白いですね。私たちは、よく子どものころに失敗すると、「失敗は、成功のもと(母)」ということを言います。しかし、失敗をすることが成功することにつながるというのは、単に慰めでしかありません。失敗は繰り返すということもあるのですから。ですから、このことわざの意味は、「失敗してもあきらめずに、失敗を繰り返してもどこが悪かったのかを考えるうちに、どのようにしたら良いかわかって来て少しずつ成功に近づいて行く。つまり、失敗は決して無駄ではないと言うこと」なのです。
ですから、孔子が「過而不改、是謂過矣(過ちてこれを改めざる、これ過ちという)」と言うように、失敗すること自体がいけないのではなく、それを改めないのがいけないのです。また、こうも言っています。「小人之過也必文(小人の過ちは、必ず文る)」失敗したり間違いをするたびに、言い訳をくどくどと繰り返す人がいますが、失敗を取り繕ってばかりいると、失敗した本当の原因がつかめず、同じ失敗を二度三度繰り返す恐れがあるといいます。間違いに気付いたら即座に改め、常に反省を怠らなければ、同じ失敗は繰り返さないし、失敗を糧として人間的に進歩向上できるということです。
とはいっても、失敗をするということはとても痛手をこうむります。「失」という字は、「うしなう」という字であり「手足を舞わせて自失の状にあること」を示しています。しかし、オリンピックのような競技でははっきりわかりますが、人生においてでは、何が失敗で、何が成功かということはわかりにくい場合が多くあります。渋沢栄一は、「眼前に現われた事柄のみを根拠として、成功とか失敗とかを論ずれば 真実を逃すことがある」と言っています。家庭を犠牲にして仕事で成功しても、家族関係では失敗したことになりますし、他人を引きずり落として地位が上がっても、人生の成功者とはいえない気がします。また、このようなことも言っています。「会社事業その他一般営利事業のごとき、物質上の効果を挙げるのを目的とするものにあっては、もし失敗すると、出資者その他の多くの人も迷惑を及ぼし多大の損害を掛ける事があるから、何が何でも成功するように努めねばならぬものである。が、精神上の事業においては、成功を眼前に収めようとするごとき浅慮をもってすれば、世の糟(かす)を喫するがごとき弊に陥って、永遠の失敗に終わるものである。」
また、失敗かどうかという判断も、短期的に見てはとても危険です。栄一はこうも言っています。「たとえ一時は失敗のごとくに見えても、長い時間のうちには努力の功空しからず。社会はこれによって益せられ、結局その人は必ずしも千載の後を待たずとも十年二十年あるいは数十年を経過すれば、必ずその功を認められることになる」
本当の意味で、成功者になりたいですね。
ヒト
今、オリンピックが開催されている北京について、私はあまりよく知らないことに気がつきます。あの広大な領土を持つ中国の歴史も壮大であり、民族も多様であり、ただでさえ複雑でありながら、報道規制も多く、ますます実態は分かりません。私は、中国へは2度行ったことがあり、一度目は広州あたりの教育事情視察ということで、二度目は南京あたりの自然教育視察でした。北京には行ったことがありませんが、もっと現在の中国の首都である北京について知るべきかもしれません。
中国4000年の歴史の中で、北京市が首都となったのは、それほど古いことではないようです。私たちが様々な小説などで知っている時代では、ほとんど国都は北京ではなかったようです。B.C.222年に中国初の全土統一を成し遂げた秦はもちろん、その後の漢や隋・唐の時代にも国都ではなく、北京が国都となったのは、今から八百数十年前、モンゴルの元王朝三代目皇帝フビライが1267年に大都と名づけたのが最初です。それにしても、他の国に比べれば古いかもしれませんが。
しかし、そう聞くと不思議な気がします。私が小学生の頃、初めて「北京」という言葉を聞いたのは、「北京原人」でした。北京原人とは、中国北京の北東、房山県周口店竜骨山の森林で発見された化石人類です。現在は、この化石が発見された周口店の北京原人遺跡はユネスコの世界遺産として登録されています。
この発見にはとても劇的なドラマがあります。
最初に人類のものと思われる歯の化石を発見したのは、スウェーデンの地質学者 ヨハン・アンダーソンでした。それは、1926年のことでした。翌年には新たな歯の化石が見つかり、カナダの人類学者ブラックが研究し、「シナントロプス・ペキネンシス」と命名されました。この名前は、なぜかその発音が興味をそそったのか、子どものころに覚えた記憶があります。その命名を機に新生代研究所が設置され、1929年には、その所員であった中国の考古学者 裴文中が完全な頭蓋骨を発見しました。結果的に男女、子どもから大人までの頭蓋、下顎骨、歯、四肢骨など合計十数人分の原人の骨が発掘されました。
しかし、日中戦争の激化により、化石は調査のためにアメリカへ輸送することにしたのですが、途中に紛失し、いまだにその行方は分かっていません。しかも、命名したブラックが発掘調査中に急死してしまったのです。しかし、幸いなことに、紛失の前に協和医学院の客員解剖学教授であったドイツ出身の学者F・ワイデンライヒにすでの詳細な記録や研究を残しており、研究は引き継がれていきました。
もちろん、今では人間の祖先はサルであるとか、人間は、サルから進化したということを言う人はいないでしょうが、最近まで北京原人を現生人類(アジア人)の祖先とする考えがありました。また、この北京原人の化石が発見されるだいぶ前の1891年にインドネシアジャワ島で発見されたジャワ原人のことをピテカントロプス・エレクトスと覚えましたが、現在では、北京原人同様、アフリカ大陸に起源を持つ原人のひとつで、現生人類の祖先ではなく、何らかの理由で絶滅したと考えられており、ホモ・エレクトスといわれます。ホモとは人類のことであり、エレクトスとは「直立(2本足歩行)する」という意味であり、現生人の祖先のホモ・サピエンスは、「考えるヒト」という意味です。
現在の私たちは、二本足で歩く人ではなく、考える人なのです。
江戸の舞台
連日熱戦が行われているオリンピック会場は、開会式が行われた別名「鳥の巣」とも呼ばれている鉄骨構造で出来た北京国家体育場は、とても印象に残る建物ですが、他の会場は余り特別な印象はありません。その点、1964年に日本の東京で開かれた第18回夏季オリンピックの会場は、どれも当時話題を呼びました。昨日、テレビで建築家丹下健三のことを放送していましたが、彼が東京オリンピックのために設計した建物が、「代々木国立屋内総合競技場」です。第一体育館(当時は本館)が水泳競技、第二体育館(当時は別館)ではバスケットボール競技が行われました。
この建物は、オリンピックの組織委員長のブランテージ会長も「あの競技場は本当に素晴らしい。スポーツをやる人を非常に鼓舞しました。また美を愛する人びとの記憶の中にはっきりと刻み込まれるでしょう」と言ったそうですが、また、この建物で都市という概念に目を向けたこの時代を表現しました。当時の丹下はこの周辺が拡張されたときにもこの道が延びることによって、さらに増やすことができるようにと設計したのです。そして、この道が「開かれた空間」と言われているのですが、考え方が、やはり都市的なものであったのです。その時代の精神を象徴することで建築は人間性を得ることができ、象徴という問題は構造主義をさらに発展させ、人間性というものを一層深めることになるのです。
一方、チャスラフスカなどの演技が話題になった体操競技のために造られたのが千駄ヶ谷にある「東京体育館」です。この建物は、1981年に老朽化のため一時閉鎖されていましたが、1990年に、幕張メッセの設計で知られる槇文彦の設計でリニューアルオープンされています。

この建物は、蝶が羽を広げているような屋根の形をしていますが、今は、ロボット系のアニメの主人公のようなイメージを持っています。この建物は、2016年夏季オリンピックを東京都に招致する構想の中で、新体操と卓球の会場予定になっています。
この建物に意外な顔があります。今、高視聴率をあげているNHKの大河ドラマ「篤姫」ですが、篤姫が大奥にいた頃は、今の皇居のある江戸城の中にいました。大奥のあった場所は、現在、無料公開されている皇居東御苑のなかの天守台跡付近にありました。
大奥の女性たちは、この天守台跡の後ろのほうで、大手門の反対側にある平川門から出入りしていました。
幕末、江戸城が薩摩藩に攻め込まれたとき、彼女が、勝海舟と西郷隆盛の無血開城の話し合いに一役買ったといわれています。その江戸城明け渡し後、篤姫(天璋院)は本寿院(家定の母)とともにまず御三卿である一橋家に転居します。徳川家最後の将軍である一橋慶喜の一橋徳川家は、現在竹橋の辺りの一橋という地名の、丸紅の社屋から気象庁のある場所までの広大な敷地のなかに屋敷がありました。
慶喜の正室の省子はもともと大奥には居住していなかったために天璋院と同居するのですが、亀之助が宗家家督を継ぎ、徳川家達となり、徳川宗家の駿府(静岡)転封が決まると、新政府から徳川宗家に対して、千駄ヶ谷に屋敷地が与えられ、天璋院は千駄ヶ谷の屋敷に転居することになり、ここで一生を終えるのです。その場所が、今の東京体育館一帯といわれています。この東京体育館から鳩森神社あたりまですべて徳川屋敷だったようです。
毎年、NHK大河ドラマの舞台を訪れるのですが、今年はほとんど江戸が舞台なので、東京のあちらこちらにその名残があり、今後東京を歩くときの楽しみが増えそうです。
体操
オリンピックで、体操の選手が活躍していますが、夏休みに体操というと、ラジオ体操を思い浮かべますね。一昨年の8月の終わりのブログで、夏のラジオ体操の思い出を書きましたが、NHKラジオ体操第1の音楽を手がけた作曲家の服部正さんが2日、100歳で老衰のため死去されました。
このラジオ体操は、夏休み中のものだけではなく、学校の体育の授業が始まって、まず、はじめに行うのが、このラジオ体操第1による準備体操でした。今でも、学校ではこの体操を行っているのでしょうか。私の高校は、1時限が100分授業でした。体育の授業では、まず、みっちりとこの準備体操を行い、そのあと何をするかは、私たちの自由で、先生は教員室に戻ってしまいます。それは、体育の教師がかなり高齢であったために、準備体操で疲れてしまったからのような気がします。それだけではなく、全体的に私たちの高校はかなり自由で、私たちの自主的な活動に任されていました。
体育の授業で、準備体操の後の自由な時間はかなりあるので、その時間の使い方によって大きく三つのグループに分かれました。私たちのグループは、自分たちでネットを張り、バレーボールをやりました。(たまに、グラウンドでソフトボールをやることもありましたが)毎時間やっていたので、自分で言うのも変ですが、クラブに入っていたわけではなかったのですが、バレーボールは仕事についてからも代表選手になったくらい得意でした。あるグループは、雀荘にマージャンをやりに行きました。その頃、学生やサラリーマンの間ではマージャンがかなり流行っていました。最近は、あまり聞きませんね。もうひとつのグループは、図書室で勉強をしていました。これらは、それぞれ自分のやりたいことをやっていたので、私の高校では、図書室にいった子がまじめだとか、がり勉だとか誰も思わず、マージャンに行った子が不良だとか、不真面目だとも誰も思いませんでした。
準備体操というものは、その後行うスポーツによって、体の使うところが違うために、当然体操の種類も変わってくるはずです。今の時期、よく行われるのが、プールに入る前の準備体操です。園では、曲を流して、その曲の振り付けに合わせて体操をする場合が多いようです。今、私の園では、プールの前は、「かえるの体操」をしています。その曲を子どもが大好きということと、昨年、たまたまこの曲を作った谷口國博さんが来園し、本人が生のうたごえで、生の踊りを子ども達と一緒に踊ってくれたからです。
最近、まだこの体操をしている園があるのかは分かりませんが、私が保育園、幼稚園というと思い出す体操が「はとぽっぽ体操」です。この曲の歴史は古く、昭和30年代初め頃に、お茶大の戸倉ハル先生の作品に、先日亡くなった服部正さんが幼児向けに曲をつけたものです。しかし、その歌詞は今考えると、とても不思議なものです。
「ぽっぽっぽっぽっ はとぽっぽ 羽を広げて降りて来い あっち向き こっち向き 首振り人形 お空を見上げる可愛い人形 キューピーさん(ちゃん) キューピーさん(ちゃん) バンザイ手をふれ 胸を張れ パッと見て パッと見て 後ろはどなた? パッと見て パッと見て 後ろはどなた?」とまだまだ続きます。これは、きちんと体のあちらこちらをきちんと動かすために、歌詞だけを読むと奇妙なものになるのでしょう。
NHKの「おかあさんといっしょ」のなかでも体操がありますが、この体操も子どもには馴染みがあるようです。たまたま、体操のお兄さんだった佐藤弘道さんと先日一緒に写真を撮る機会がありました。
本質2
保育関係、教育関係者たちにとっては、当然のようなことでも、それを人に伝えることはとても難しいことです。形は伝えられても、その本質は伝えるためには、その歴史や風土、その地域性などの背景に関係することが多いために、容易ではありません。そのひとつが、○○保育とか、△△教育といわれるものです。
このレッジョ教育といわれるものも同様に本質を理解するのは容易ではありません。そこには、方法ではなく、ひとつの哲学があるからです。また、簡単に説明しようとすると、解説する人によって、何をポイントとするかが分かれるために、聞いた人の印象が変わってくるかです。
産経新聞には、目を引くためにこう書かれてあります。
「イタリア北部のレッジョエミリア市で行われている、0歳から6歳までの子供が集う幼児施設の美術を主体に想像力と創造力を養う教育が、世界の教育関係者やデザイナーらから注目されている」
もちろん、この記事は、刊行された書籍の紹介であるために美術を強調しています。しかし、その記事を読み進めていくと、それだけではなさそうです。「レッジョエミリア市では、子供が持つ可能性を引き出すことができる空間とは何かを、行政、教育者、デザイナーだけではなく、保護者も含め、みんなで考えています」とあります。この教育方法のひとつの特徴は、デューイ、ピアジェ、ヴィゴツキー、ブルーナーといった有名な教育学者の影響を受けて街のコミュニティー、教育者、父兄達が協力しあって子どもたちの教育に力を入れ、街の支出の12%を学費資金に充てられ「最高の教育」を目指しているという点です。ある意味では、街おこしのひとつでもあるのです。
教育内容は、確かに美術教育かもしれませんが、アトリエという作業空間は、「石や葉っぱなどさまざまな物が置かれていて、そこにあるもので自発的に何かを作り始めます。親や大人に強要されず、何をやってもいい。イマジネーションを見いだす空間です」と説明されています。それは、美術を教えるのではなく、「日本の教育では早く答えを出すことや多くのことを覚えることが評価につながります。しかし、レッジョエミリア市では、感じることや自分で考えることを重んじています。だから創作を楽しむことを幼いころから教えています」ということなのです。
ここでの「制作」は、何かを作ることが目的ではなく、制作を通して、子ども達は算数、言葉、サイエンスなどの学習もやることになり、しかも、あくまでも制作の内容や目的などは子ども達の発想によるもので、「子ども主体」であることです。そして、教師はこういった制作における過程で子ども達を観察し、よきアドバイサーとなります。決して答えを教えず、子ども達が答えに持ってけるよう言葉かけをしてゆくのです。
また、ここでアドバイスするのは教師だけではありません。このレッジョでは、混合クラスが主流で、年齢の上の子ども達は、下の子どもの世話をしてあげたり、アドバイスをします。また、年齢が違うため、「出来ない子」を仲間ハズレにすることもありませんし、「出来ない子」も劣等感を感じることもありません。
よ く知ってくると、はじめの印象と変わってきます。このようなことは、他の場合でも同じことが言えるでしょう。
本質1
こんな話を聞いたことがあります。
智者が空に輝く美しい月を指した時、愚者は月を見ないで智者の指ばかりをしげしげと見つめました。そこで智者に「君、指を見るのではなく、指のさし示す方を見るのだ。ほら、あんなに美しい月が見えるじゃないか」と言われ、愚者はやっと気がついて、その月を見ることができたというはなしです。
私たちは、先を見ないで、目の前のものを見ようとします。しかし、見なければいけないのは、その先にあるものです。教育、保育は、今、目の前にいる子どもに対して、将来のあるべき姿を見通して、現在をより生きるために援助しなければなりません。また、その先にあるものを見るだけでなく、本質を見抜く力が必要になってきます。以前のブログで、「群盲、象を語る」ということを書きましたが、人によって、見る角度、見える部分によって判断が違ってしまいます。この逸話は、色々なときに例えられますが、そのあとのコメントにこんなのがあります。
今から100年以上前に、ラーマクリシュナという師によって語られたあとのコメントです。
「象とはどんな動物か話してあげよう。みんなが言ったことは正しくもあり、また間違ってもいる。君たちのそれぞれが触れたのは、象という動物の一部分だ。そこから象の全体像を描こうとしても、それは正確なものではない。象はうちわのようでもあり、柱のようでもあり、またこん棒のようでもあり、壷のようなものでもある。そして、これらすべてをあわせたより以上のなにかだ。それは全体を見ることによってはじめてわかるのだ」
それぞれは真実であるけれど、物の本質はそれぞれの部分をあわせて分かるものではなく、全体を見て初めて分かるのだといいます。
同じような逸話は、釈迦が弟子の一人が托鉢に出ようとした時に「町に行って何か尋ねられても、教えのことだけ話してきなさい」と言い、そのときに「盲目の人たちは、象の一部分を知って全体を知らなかったために、言い争いをすることになった。これと同じで、少しの知識だけで何でも知っていると思い込んだ者が、世の中には大勢いる。そういう者たちと言い争ってはならないよ」と諭したことにもあります。この教えには、論語の三省の中にも「伝不習乎」(良く知りもしないくせに、知ったかぶりしていい加減なことを人に伝えなかっただろうか)と同じようなことを言っています。
先日の8月12日の産経新聞に、イタリア北部のレッジョエミリア市で行われている保育が「美術を主体、想像力育てる」として、紹介されていました。以前のブログで書いた『子ども、空間、関係性 幼児期のための環境のメタプロジェクト』(学習研究社)の本の紹介ですが、この記事を読むと、一部を知って、本質が見えにくくなってしまうような気がします。「教育内容は、計算や読み書きよりも、美術に重点を置いている。その象徴的なものが「アトリエ」と呼ばれる作業空間で、広さの違いはあるものの、市内に33施設ある保育園、幼稚園のすべてに備えられている」という紹介文だけを読むと、レッジオの保育は、美術教室かと思ってしまいかねません。それを通して、その先に、子どもたちに育っていって欲しいものがあるのです。
指標生物
北京からは、連日オリンピックのニュースが流れてきますが、今日の新聞には、同じ北京からこんなニュースが流れてきました。
「メダカを使って水質を監視する「生物センサー」を福岡市の企業が開発し、この夏、中国・北京市のダムに設置された」というのです。なぜ、今監視するのかというと、現在開催されているオリンピック開催のために集まっている、世界中のアスリートたちが飲む北京の水の安全を守るためです。
福岡市の配電盤メーカー、正興電機製作所が開発した「フィッシュトキシメーター」という全体は冷蔵庫ほどの大きさの機器で、中に小さな水槽が二つあり、1匹ずつ入れたメダカの様子がモニターに映し出されるようになっています。有害物質に反応して激しく動き回るなど、メダカが特定の動きを見せた場合に警報を出す仕組みで、ダムの取水口や浄水場などに取り付けられ、水質の監視に使われています。
一時期、サリン監視のためにカナリアをかごに入れて入り口にぶら下げていたことがありましたね。 それと同じ考え方でしょうが、テロから防ぐ手段というのは悲しいですね。しかし、この機器は、広島県の浄水場をはじめ福岡市や長崎県諫早市、秋田市、沖縄県東村などですでに使われているのですが、本来は、工場排水や環境汚染のチェックのためです。
一般に自然環境の状態やあるいは環境汚染の程度などを調べる際には、その場における様々な条件、たとえば、温度や湿度、化学成分やその組成、特定成分の濃度、酸素濃度、あるいは明るさなどから必要と思われるものを取り上げ、数値として記録します。このように測定機器による数値的な調査が正確かもしれませんが、そこに生息する生物のうち、ある条件に敏感な生物を用いて調べることがありますが、この生物を「指標生物」といいます。それは、厳密さを欠いたり、季節によって影響を受けたりという欠点はありますが、どうして環境を調べる必要があるかというと、多くは生物や人間への影響を考えるためですので、直接に生物にどんな影響が出たのかを見ることが行われます。
ずいぶん前のブログでも書きましたが、大まかに判断する方法もあります。
まず、河川や湖沼で生息するものが「赤くなったら気をつけろ!」です。その水が汚染によって栄養過多になると、水中での微生物の分解を引き起こし、結果的には酸素が不足してきます。これに対して、動物の適応として、赤い血を持って体内に酸素を抱え込むことが広くみられます。たとえばユスリカ類では、流水の種は半透明であるのに対して、不栄養の条件で生息する種はアカムシと呼ばれるように赤く、同様の条件では、イトミミズやヒルなど、海ではゴカイやアカガイ等、やはり赤い動物が生息するようになります。
河川の汚濁は、見た目が「白い鳥と黄色い花には気をつけろ!」です。シラサギとカモメなどの鳥や、セイタカアワダチソウとセイヨウカラシナなどの花が河川に増えたら環境汚染が始まっているといわれます。そのほか、大気汚染の指標として、感受性の高い地衣類の有無や種子植物の葉の変化(斑紋の有無、白化等)が用いられ、土壌汚染の判定には、シダ植物の仲間が用いられるほか、農業上の利用として土地の肥沃度の判定などに用いられるようです。
人間は、指標生物になるのでしょうか。汚染されても生きていられる生き物なのでしょうか。
体のような建物
今日は、東京都から保育計画係の方が緑環境課の方と一緒に調査にみえました。それは、「東京都認可保育所屋外遊技場芝生化実証実験事業補助金交付」についての調査です。この事業は、東京都が推進する緑化対策の一環で、保育所屋外遊技場の芝生化事業の実証実験を行うためのものです。
建築家の伊藤豊雄さんは、Casaという雑誌の中で、こんな話を展開しています。
建物を建てると、その分だけ、大切な地球の土地が減ってしまう、そんな考え方が今は普通です。突き詰めると、建物を建てること自体が、よくないことだと考えられています。しかし、本当にそうなのかを問いかけています。
もし、建物の壁や屋根を地球の表面みたいに作ったらどうだろうかという提案をしています。地球の表面というのは、平らではありません。また、地球環境に影響する土地の広さは投影をした広さではなく、表面積です。ですから、表面積をふやすことが地球環境に関係してくるので、建物を作るというのは、地球の表面積が増えるという考え方です。それを、伊藤さんはこう例えています。「建物の壁や屋根を地球の表面みたいに作ったら、地球の表面が伸びたり曲がったり、ひだが増えることになる。表面積は増える。」それを人間に例えています。「人間の皮膚も、これに似ている。胃や腸はからだの中にあるけれど、口やお知りを通して表の皮膚とつながっている。そしてとても細やかなひだを作って、効率的に栄養を吸収しています。つまり、皮膚の表面積を増やしている」
ですから、人間の体と建築は似ていると思えてくるといいます。人も建物も、きれいな空気や水を取り入れて、汚れた空気や水を外に出す。それから人は食べ物から、建物は石油やガスなどから得るエネルギーを使って、部屋の内部を温めたり冷やしたりと、いろいろに調節する。人の体も建築も、地球との関わりの中で存在しているのだから、この二つが似ているのは当然だといいます。
それが、今は、街が作られ、技術が進歩するのに伴って、いつの間にか建物は、地球と切り離されたものになってしまったというのです。私は、地球の共生していた建物のような人間の生産物が、いつの間にか地球に立ちはだかる存在、対立するような存在になってしまっている気がします。そのために、課題は、常に自然をどのように克服するか、自然の影響をどれだけ受けないようにするかでした。そのうちに、自然を破壊し、自然を捻じ曲げてきてしまい、結局は、人間の生活をも破壊し、捻じ曲げてしまっているのです。
今、求められてきているのは、どのように自然と共生していくかということだけではなく、どれだけ自然に貢献していけるかということを考えなければいけないのです。ですから、伊藤さんが言うように、これからは、建物によって地球の環境を豊かにするということを考えていかなければならないのです。
伊藤さんは、そんな人の体のような建築が課題です。私が、グッドデザイン賞を受賞した2001年に、授賞式に行った会場で公開審査をし、大賞を受賞したのが、彼の作品、公共施設「せんだいメディアテーク」でした。そのときのコメントで、「せんだいメディアテークにおいては、いつもの建築よりはるかにたくさんの人たちとコラボレーションを行なった。子供たちの遊び場だったり、カップルのデートスポットにもなっている。さまざまな年代の人たちに自由に使ってもらえてうれしい。建築をやっていて良かったと思う」と言っています。彼は、この作品を転換期として、建物自体が息づく作品を生み出しています。