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2008年08月31日 [講演先にて]
唐傘
ここ数日、日本列島をゲリラ雨が襲っています。東京でも、ものすごい雷の稲妻と音とともに激しい雨が降り、傘を差していても足元はずぶぬれです。また、傘からも水滴が落ちるほど滝のように降り注ぎます。こんな雨ではなく、しとしとと降る雨ですが、そんな雨に傘を差す歌があります。今の人が思い出すのは、「雨降りくまの子」です。なかなか雨がやみそうにないので、くまの子は、傘でもかぶっていようと、頭に葉っぱを乗せるのです。
最近の子どもたちは歌うのか分かりませんが、私たちがよく歌った歌は、大正14年に北原白秋作詞、中山晋平作曲の「あめふり」です。「あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」迎えに来てくれた母親が持ってきた傘は、「蛇の目傘」です。同年、野口雨情作詞、中山晋平作曲の「雨降りお月さん」では、「雨降りお月さん 雲の蔭(かげ) お嫁にゆくときゃ 誰とゆく 一人で傘(からかさ) さしてゆく 傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた お馬にゆられて ぬれてゆく」一人で、唐傘を差して行きます。この頃は、傘と書いて「からかさ」と読んだように、傘といえば、蛇の目傘とか、唐傘のことを言いました。
この唐傘というのは、その字のとおり、古代に大陸から伝来したためだという説が一般的でしたが、最近の説では、て、日本で開閉式に改良したことで、開け閉めが自由にできるカラクリ細工の傘、唐繰傘(唐繰は絡繰と同義語)の略語だといわれています。東洋では、傘はまず、魔除などの目的で、貴人に差しかける天蓋(開閉できない傘)として古代中国で発明され、その後、飛鳥時代の552年に仏教の儀式用の道具として朝鮮半島(百済王)から貢物として日本に献上され、「きぬがさ」(絹笠、衣笠)と呼ばれました。平安絵巻に見られる傘は貴人に差しかける、開いたままの傘で閉じることが出来ないものです。それを改良して、現在の複雑な構造にしていったので、往時の人々が「からくり」と思ったのでしょう。
この和傘には番傘と蛇の目傘があります。蛇の目傘は、傘の中央部と縁に青い紙、その中間に白い紙を張って、開いた傘を上から見た際に蛇の目模様となるようにした物で、外側の輪を黒く塗ったり、渋を塗るなどします。一方、番傘は江戸時代から広く民衆の間で使われるようになり、昭和に入ってからも終戦前後まで日常生活で使われていました。
蛇の目傘が細身で美しい女性的な和傘であるのに対して、番傘はがっしりと丈夫にできており、素朴で独特の渋さがある男性的な和傘です。余計な装飾を施さず、素材の竹と和紙の良さが光り、質素な中にも粋な雰囲気を感じさせ、骨組みだけでなく、柄にも素材の竹をそのまま使っています。そして、傘布に柿渋、亜麻仁油、桐油等を塗って防水加工した油紙を使用しています。
昨日訪れた熊本県山鹿は、菊池川のほとりにあり、豊前街道沿いで、熊本県では熊本市についで二番目に栄えた町です。ここからは菊池川を使って米や和紙の傘などは運ばれていきました。この町で、番傘と蛇の目傘を園へのお土産として購入しました。
投稿者 fujimori : 23:46 | コメント (4)
2008年08月30日 [近頃思うこと]
炭酸水
園で、ドイツからのお客さんを迎えて、職員室で「ガス入りの水」が話題になりました。ドイツでは、レストランで食事をするときに、日本では当たり前のように出てくる「水」がなく、ミネラルウォーターを注文します。そのときに「ノンガス」と言わなければ、普通は炭酸入りの水が出てきます。園を訪問したときの接待でも、飲み物はコーヒーか炭酸入りの水です。(たまにビールか、ハーブティーか、紅茶が出ることはありますが)炭酸入りの水というと、なんだかサイダーやラムネを思い浮かべますが、それらのように砂糖が入っていないので、私からするととてもまずい飲み物の気がします。どうしてそんなものを好んで飲むのかということが園での話題でした。
ドイツでは水道の水は他国と比べて大変よく、そのままでも飲むことができます。しかし、園にいくと、子どもたちは水道から汲んだ水に日本でも買うことができるソーダサイホンをという器具を使って水に炭酸を入れて飲んでいるのを見かけました。ヨーロッパ各国や日本で、発泡性ミネラルウォーター(スパークリングウォーター)と無発泡ミネラルウォーター(スティルウォーター)がどのような比率で飲まれているのかというと、1994年の統計で比較すると、日本では、発泡性の消費比率が0.2%ですが、ドイツでは、発泡性の消費比率が89.5%にもなります。
では、何でそんなに飲むのかというと、もちろん健康のためというよりもその味が好きだからでしょう。基本的には、二酸化炭素は、胃の中に入っても、消化されずに温度が上がったらげっぷになって出て行くだけですから特に害にも、益にもならない気がします。しかし、そのげっぷが出るというのは、満腹感も出るので、食べすぎが気になる人は食前に炭酸飲料を飲むとダイエットになります。また、胃や腸の粘膜を炭酸成分が刺激し、胃腸の煽動を促進するので食欲増進効果があり、体に溜まった疲労物質である乳酸の排泄を促す作用があるので、疲労回復にも効果があるといわれています。また、炭酸が水に溶けていると、水が酸性になるのでカルシウム、マグネシウム、鉄などのミネラルが溶けやすくなり、この状態のミネラルは比較的体に吸収されやすいので、体にいいそうです。
この炭酸水は、飲むのに良いだけではなく、肌にも良いといわれています。少し前に名古屋でスパに行ったときに、ある湯船が炭酸水でした。中に入ると体中に気泡が着きます。なんだかそれだけでも皮膚によい気がしました。実は、炭酸の含まれている温泉(炭酸泉)は、水中の炭酸ガスが皮膚から吸収されると酸素欠乏を察知し、もっと酸素を運んでくるようにと毛細血管を広げることによって、血液の循環をスムーズにしてくれるので、その結果冷え性の改善や疲労回復などに繋がるのです。お肌にも吹き出物にもいいといわれているのです。
また、炭酸ガスは酸素に比べて25倍の透過性を持っています。それに加え、炭酸ガスは水に溶けやすく、油にも溶けやすい性質を持っているので、水と油が混ざった状態の皮膚に効率よく浸透します。ですから、炭酸水は温泉として浸かるだけでなく、肌につけると、血管を拡張し、血流を促進させ肌のすみずみまで酸素や栄養を運んでくれたり、老廃物の排出を促してくれます。血流がよくなると新陳代謝も向上します。
だからと言って、私はどうも炭酸水は苦手で飲む気にはなりません。ごくごくと一気に飲める日本の水は美味しいですから。
投稿者 fujimori : 21:50 | コメント (4)
2008年08月29日 [あいさつ]
満三歳
どうも、私は強くシンクロニティーを感じるタイプのようです。日本語で言うと「共時性」です。(心に思い浮かぶ事象と現実の出来事が一致すること。ユングの用語)このブログを始めるにあたって、「私は何がしたいのだろうか。」という問いを自分にしてみました。するとそのときに読んでいた本(司馬遼太郎著「峠」)の中の文が答えを代わりに言ってくれている気がしました。
「心を常に曇らさずに保っておくと、物事がよく見える。学問とは何か。心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である。」
心を澄ませ、感応力を鋭敏にするための「ブログ」かもしれません。
心は万人共同であり、万人一つである。しかし、人間には、心のほかに気質というものがある。その気質によって、賢愚がある。気質には、不正なる気質と正しき気質とがある。気質が正しからざれば物事にとらわれ、たとえば俗欲、物欲にとらわれ、心が曇り、心の感応力が弱まり、物事がよく見えなくなる。つまり愚者の心になる。学問の道はその気質の陶治にあり、知識の収集にあるのではない。気質がつねにみがかれておけば心はつねに明鏡のごとく曇らず、物事がありありとみえる。その明鏡の状態が良知ということである。」
そして、よく知ることは知るだけでとどめず実行がともなわないといけないと思っています。今、子どもの身に起きている危機は、学んでいるだけでも、知識を蓄えるだけでも、憂いているだけでも、人に伝えるだけでもなく、何かの行動に移さないといけないという思いの一つが「ブログ」かもしれません。
「学問はその知識や解釈を披露したりするものではなく、行動すべきものである。その人間の行動をもってその人間の学問のを見る以外に見てもらう方法がない。」
「人の世は、自分を表現する場なのだ。」
「人の人生はみじかいのだ。己を好まざることを我慢して下手に地を這いずりまわるよりも、おのれの好むところを磨き、のばす、そのことのほうがはるかに大事だ。」
ということで、この「ブログ」を始めることにしました。
これは、2005年8月29日の第1回のブログです。自分では気がつかなかったのですが、職員に言われてみれば、ちょうど今日がブログ3歳の誕生日です。今日から4年目に入ります。ちょっと初めのころは字数が少ないですが、基本的には内容や書きぶりは変わっていません。また、写真だけを掲載して時があり、そのときは1日に2回アップしたので日数とは合わないのですが、昨日で1111回書いています。今は、1日にだいたい1400字から1500字書いていますので、今までに400字詰め原稿用紙に4000枚くらい書いたことになります。それよりも自分で感心するのは、丸3年間1日も休まなかったことです。それは、まず、常に健康であること。次に、毎日書く時間を確保したこと、また、その日過ごすであろう地域のネット環境を事前に予想し、対応を考えておくことなどです。特に、私はかなり色々な地方に行くことが多いので、ヒヤヒヤもんです。ただ、気持ち的には、毎日必ず書こうとは思っていません。そんなに頑張っていないつもりです。しかし、こうなると、書かない日があると、何人かは、私の健康を心配するでしょうね。
ありがたい話しです。
投稿者 fujimori : 23:27 | コメント (7)
2008年08月28日 [近頃思うこと]
白その2
昨日のブログでも書きましたが、ドイツでは、ビールは「国民の飲み物」です。ですから、16歳から誰でも飲むことができますし、保護者同伴であれば14歳から飲んでもいいそうです。また、価格も誰もがいつでも買えるように低価格です。銘柄により値段は若干異なりますが、ほぼ0.5リットルの瓶ビールは一本65セント(約97円)前後で、ビール税も、0.5リットルあたり4.3セント(約6.5円)で、日本の0.5リットルあたり約111円は、ドイツの約17倍の税金が課されています。
こんな国民の飲み物ですから、世界第3位の消費量といっても、ドイツ国民一人当たりのビールの年間消費量は115.8リットルも飲みます。水の年間消費量は134.8リットルですから、水よりビールのほうが飲まれているかもしれませんね。しかも、量が多いのは、ドイツ人女性の67%、男性では91%が、最低月1回はビールを飲むそうで、一人の人が多く飲むのではなく、多くの人が飲んでいるようです。国民全体の約8割がビールを習慣的に飲むというのも凄いですね。
ミュンヘンでは、この白ビールのほか、よく飲まれているのが「ヘレス」です。麦芽の風味が効いていて、ほんのり甘みがある力強い味わいのビールで、「hell(ヘル)」とは「色が薄い、淡い」という意味で、その名のとおり、このビールの色は淡い黄色い色をしています。
ミュンヘンで白ビールと一緒に食べると通といわれているのが「白ソーセージ」という仔牛肉を使ったソーセージです。その名の通り、白い色をしています。とてもやわらかく、普通のソーセージのように肉々した感じがありません。このソーセージに「甘いマスタード」を付けて食べます。やはり、先日食事をしたドイツ料理店に白ソーセージがあったので頼んでみました。すると、白い色はしていたのですが、調理方法は全く違っていました。普通、ドイツのレストランで白ソーセージを頼むと、お湯に入った状態で出てきます。白ソーセージは焼くのでもなく、茹でるのでもなく、お湯で温めて食べるものです。それなのに、日本では焼いた白ソーセージが出てきたのです。
この白ソーセージには誕生秘話があります。旧市庁舎があるマリエン広場にあったレストランに、カーニバル真っ只中ということもあり、たくさんのお客が来て、いつものように焼きソーセージを注文しました。ところが店主は、ソーセージの肉を詰めるための羊の腸を、すでに使い切ってしまったことに気づきます。そこで、彼はとっさに羊ではなく豚の腸に肉を詰めてしまいます。そして、これを普通に焼いたら皮がはちきれてしまうのではないかと恐れ、ソーセージを熱湯の中で温めてお客に出したところ、これが大好評。それ以来、白ソーセージはミュンヘンの人々に親しまれ、次第に世界中に知られる名物となったということです。ですから、白ソーセージを焼くのは邪道です。
この白ソーセージを少し遅めの朝食として食べることが多いようですが、それは、冷蔵庫のなかった時代、日持ちしない白ソーセージはその日の朝に作り、できるだけ新鮮なうちに食べなければならなかったというのが、風習として残っているようです。ですから、午前中、見学に訪れた幼稚園で、白ビールと白ソーセージ、そして定番のプリッテェルの接待を受けたときにはびっくりしました。

しかも、園児の遊んでいる園庭のテラスに広げられたパラソルの下でした。
日本で味わう白ビールと白ソーセージは、ドイツで寿司を食べた時の違和感と同じなのでしょうね。
投稿者 fujimori : 23:35 | コメント (3)
2008年08月27日 [近頃思うこと]
白その1
東京の今日は、少し暑さが戻ってきた観がありますが、それでも夕方にはビールが欲しくなるほどは暑くありません。先日、ドイツ料理店に行きましたが、そこでまず飲んだのがビールです。ドイツ人は、とにかくビールをよく飲みます。一人当たりのビールの年間消費量は、チェコ、アイルランドに次いで世界第3位(2004年現在。日本は32位)だそうです。昼間からみんな普通にビールを飲んでいます。しかも、私が毎年訪れるミュンヘン市のある南部のバイエルン地方は、ドイツの中でも特にビールをよく飲む地方です。ビアグラスの標準サイズは0.5リットルで、ビアホールやビアガーデンでは1リットルのジョッキで飲んでいる人もたくさんいます。一緒に行ったメンバーの中にも、1リットルに挑戦していました。
そんなバイエルンでの飲む場所は、昔から市民の憩いの場であるビアガーデンです。今年は6月に訪問したので、ほとんど毎日昼食はビアガーデンでしたが、夜にもたくさんの人が集っています。しかし、この伝統ある場所を楽しむために、バイエルン州には、「ビアガーデンのあり方」をきちんと定めたビアガーデン条例があります。そこには、騒音に関する規則の他、「ビアガーデンの定義」が定められています。その定義のポイントの一つは、「緑に囲まれた「庭」のような雰囲気であること」で、「大きな木々が茂り、木陰に座ることができるビアガーデンが理想的。住宅が密集する地域に住む人々にとっては庭の代わりとなり、緑の中で過ごせる場所を提供できる」、と説明されています。二つ目は、「食べ物の持ち込みが許可されていること」で、「ビアガーデンは社会の様々な階層の人々が共に集うことのできる大切な場。食べ物の持ち込みを許可することにより、収入の少ない人もお金をかけず、気軽に足を運ぶことができるようになる」、との理由付けがされています。なんだか、サラリーマンが会社帰りに、ストレスを発散させるかのように寄る居酒屋とは違って、家族とか、夫婦とか、近所同士とかいう仲間と飲むことが多いような気がします。
そんなときによく飲むビールが、「ヴァイスビア」というバイエルン特産の白ビールです。

先日行ったドイツ風料理店でもこの白ビールがメニューにあったので頼んでみましたが、ジョッキではなく、瓶ビールでした。本当は、ヴァイスビアには、下の方が細くなっている専用のグラス(容量0.5リットル)があり、レストランなどでは必ずこのグラスで出されるのです。そして、乾杯は、そのグラスの厚くなっている底をぶつけ合います。とてもきれいな音がします。今年、ミュンヘンに行ったとき、日本のようにふちをぶつかあった人のグラスがきれいに上のほうだけ割れてしまいました。確かにふちのほうが薄くなっているし、そこに口をつけるので、そこをぶつけ合ったほうがいいかもしれませんね。
このビールは、白ビールというだけあって、少し白く濁った感じの色が特徴で、原料の最低50%が小麦であることが条件です。味はまろやかで甘みがあり、とってもフルーティーです。「weiß(ヴァイス)」は「白」、「Weizen(ヴァイツェン)」は「小麦」という意味で、「バイエルンビールの代名詞」とも言えるヴァイスビアを、私はミュンヘンに行くと必ず飲んでいます。
先日、日本でこの白ビールを飲んで、少しドイツを思い出しました。
投稿者 fujimori : 23:32 | コメント (4)
2008年08月26日 [近頃思うこと]
夏の終わり
園でも、夕方「ヒグラシ」の鳴き声が聞こえてきます。こんな都会でもという思いがあると同時に、なんだか夏の終わりが近づいてきたという、ある寂しさを感じます。しかし、ヒグラシ歯、特に晩夏に鳴くというわけではなさそうですが、朝夕の薄暗い時間帯に「カナカナカナ…」という甲高い声で鳴くその悲しげな鳴き声から晩夏のセミというイメージがあります。
ここ数日間は、東京では小雨の天気が多いのですが、ちょっとした晴れ間には、まだまだその名の通り「ミーンミンミンミンミー…」と鳴く「ミンミンゼミ」や、都市部の公園等に多く、午後の日が傾きかけた時間帯に「ジジジジジ…」とよく鳴く「アブラゼミ」の鳴き声も聞かれますが、その声も次第に弱くなってきている気がします。こんなに、私たちには身近で、夏の代表のようなセミですが、実はその生態はよくわかっていないようです。
というのも、セミの幼虫は地中生活で人目に触れず、成虫は飼育が難しいので、その生態の本当のところを調べられないからです。たとえば、「セミの一生ははかない」とか「セミはほとんど地中で過ごし、地上に出てくると1日で死んでしまう」などということが言われてきました。しかし、地中で過ごす年数は種類によって違うようで、7年くらいが多いようで、それに比べて地上に出てから生きている日数のほうが短いのは事実で、日本では古来、無常観を呼び起こさせたようです。そして、蝉の抜け殻を空蝉(うつせみ)と呼んで、現世(うつしみ)とかけて「もののあはれ」を表したりしていました。
また、セミの生態で、幼虫は地中に居るのは知っているのですが、では、セミは地中に卵を産み付けるのかというと、よくわからない人が多いようです。実は、交尾が終わったメスは枯れ木や樹皮を移動しながら次から次へと産卵管をさし込んで産卵します。産み付けられた卵はその年の秋、または年を越して翌年の初夏に孵化します。孵化した幼虫は地上に降り、すぐさま地中に潜って木の根にとりつき、そこに針のような口を差し込んで樹液を吸い、数年を過ごすのです。数年後の夏の晴れた日の夕方、幼虫は地上に出てきて周囲の樹などに登っていきます。このときは無防備ですので、スズメバチやアリなどに襲われる可能性が強いために、個体もいるため、周囲が明るいうちは羽化を始めない。このため室内でセミの羽化を観察する場合は電気を消して暗くしなくてはならない。夕方地上に現れて日没後、少し暗くなってから羽化を始めます。
夏休みが終わり、その初日に夏休みの宿題をいっぱい抱えて登校します。その中に、昔の定番だった「昆虫採集」した子が今でもいるのでしょうか。よく、自然保護といいますが、子どもたちの採集でそこいらのセミは絶滅しません。木を一本切り倒すことの方がはるかに多くのセミを殺しているのです。セミ採りは日本の文化です。木で鳴いているセミを見つけたとき、思わず、それを採ってみたくなります。そして、採ったセミを実際に手に取り、目の前で鳴く姿を観察し、それによってセミの理解が深まることが、自然保護につながっていくのです。
捕虫網を持って、麦藁帽子をかぶって虫を追い掛け回している子どもたちの姿が見られた夏はもうすぐ終わりになります。
投稿者 fujimori : 23:20 | コメント (4)
2008年08月25日 [近頃思うこと]
印象
昨日、一昨日とドイツの男子高校生といっしょに過ごしたので、どこに行こうかと迷ってしまいました。妻によると、「ドイツの高校生は日本のアニメ好きだそう。特にワンピースとか、ナルトとか。」ONE PIECE(ワンピース)といっても、女性の服装ではなく、週刊少年ジャンプ(集英社)に連載中の、尾田栄一郎作の少年漫画です。NARUTO -ナルトといっても、ラーメンにはいている具ではなく、やはり週刊少年ジャンプに連載中の岸本斉史による少年漫画作品です。その話しをしたら、「それは、偏見だ!」と怒られてしまいました。
彼は、とても日本が好きなようです。ですから、ドイツの青年たちが日本についてほとんど知識がなく、興味も余りないことを憂いています。そんな青年たちの中で、日本に興味を持ち、関心をも持っている人たちは、日本のアニメ好きな人たちぐらいだそうです。ですから、日本でも、知っているドイツ人は、一部の日本のアニメ好きな青少年だということになるようです。お互いに相手の国のことをどのくらい知っているかというと、知っている人、知っている場所、知っている出来事からすべてを知ったかの錯覚をしてしまうことがあるようで、なかなか真実を見るのは難しいですね。
今、NHK大河ドラマで、「篤姫」を放送していますが、彼女の夫である徳川家定の時代の1853年にペリーが浦賀に来航します。そのときに、その黒船を見た日本人は外国に対してある印象を持ったでしょうし、ペリーのほうも日本に対してある印象を持ったでしょう。その印象について、とても興味がありますね。
日本では、ペリーの来航によってまず感じたのは、「脅威」でしょうね。ずっと、日本だけで平和に、外国から侵されることもなく、自分たちだけの文化を築いていたのに、幕府に開国要求を迫るわけですから。ですから、その脅威に備えるべく、幕府は、江戸の直接防衛のために伊豆代官の江川太郎左衛門に命じて、洋式の海上砲台を建設させます。工事は急ピッチで進められ、翌年、ペリーが2度目の来航をするまでに砲台の一部を完成させます。これが、品川台場(品海砲台)と呼ばれ、この台場に敬意を払って御をつけ、御台場と言ったのが、いまの「お台場」です。
黒船で2度の来航で、下田、函館の開港をとりつけ、帰路両港を訪問します。そのときにペリーは日本をつぶさに観察し、その遠征航海の公式報告書を編纂し、「日本遠征記」を書いています。その中の教育についての感想は以前のブログでも書きましたが、女性についてこんな印象を持ったようです。「日本の社会には、他の東洋諸国民にまさる日本人民の美点を明らかにしている1特質がある。それは女性が伴侶と認められていて、単なる奴隷として待遇されていないことである。日本の母、妻、および娘は、中国の女のように家畜でもなく。一夫多妻制が存在しないという事実は、日本人があらゆる東洋諸国民のうちで最も道徳的であり、洗練されている国民であるという優れた特性をあらわす著しい特徴である。この恥ずべき習慣のないことは、単に婦人の優れた性質のうちに現れているばかりでなく、家庭の道徳がおおいに一般化しているという当然の結果のなかにも現れている。日本婦人の容姿は悪くない。若い娘はよい姿をして、どちらかといえば美しく、立ち居振舞いはおおいに活発であり、自主的である。それは彼女らが比較的高い尊敬を受けているために生ずる品位の自覚から来るものである。日常相互の友人同士、家族同士の交際には、女も加わるのであって、互いの訪問、茶の会は、合衆国におけると同じように日本でも盛んに行われている」
戦後の男女同権は、本当に同権なのでしょうか。男女同質を求めての運動だったのかもしれません。
投稿者 fujimori : 23:03 | コメント (4)
2008年08月24日 [近頃思うこと]
オリンピックと風水
今日、北京オリンピックが閉会式を迎えました。今回は成功だったのでしょうか。たぶん、成功だったのでしょう。それは、北京オリンピックの開会式や閉会式が行われたメインスタジアムは、「四神相応」の考え方に基づいて作られていますから。
今年の4月のブログで、私の園が四神が守ってくれているかもしれないような内容を書いたのですが、実は、私はこの四神についてあまりよく知りませんが、建物について風水の世界ではこの四神が昔からいわれることがあります。四神相応の地形とは「東に川、南に海や湖または広い低地、西に大路、そして北に山や丘」の地理環境を備えた土地のことです。このように建物を作るとき、都を作るときにその場所を四神に相応させることがありました。昔から、町や城などがこれに相応しているといわれることがありますが、本当のことはよくわかりませんので、無理やりのこじつけ的なところもあるような気がしますが。
現在の日本で四神を「山川道澤」に対応させる解釈が一般的となったのは、平安京における京都の位置関係で、北の丹沢山地を玄武、東の左大文字山を青龍砂、西の嵐山を白虎砂、南にあった巨椋池を朱雀とする対応付けができます。(ただ、今は、巨椋池が埋め立てられてしまっています)ここでの対応付けが比較的うまく行ったと考えられた山川道澤との対応付けは、江戸時代以降に主張されるようになったもので、それが一般的な解釈とされるようになったのはようやく明治時代になってからです。このように、四神相応は、中国・朝鮮・日本において、天の四方の方角を司る「四神」の存在に最もふさわしいと伝統的に信じられてきた地勢や地相のことをいいます。ただ最近は、四神と現実の地形との対応付けについて、中国や韓国・朝鮮と日本では大きく異なっているようです。
中国や朝鮮での風水における四神相応は、背後に山、前方に海、湖沼、河川の水が配置されている背山臨水の地を、左右から砂と呼ばれる丘陵もしくは背後の山よりも低い山で囲むことで蔵風聚水(風を蓄え水を集める)の形態となっているものをいう。この場合の四神は、背後の山が玄武、前方の水が朱雀、玄武を背にして左側の砂が青龍、右側が白虎に相応させます。
「四神=山川道澤」説の典拠となっているのは、平安時代に書かれた日本最古の庭園書であり、現在でも造園史家の中でも最もよく研究されている「作庭記」です。この本は寝殿造を念頭においての庭園作りに関することが書かれており、その内容は意匠と施工法などですが、図は全く無く、すべて文章で書き表されています。その中で、理想の庭園の姿として四神相応観が重要視されており、さらに陰陽五行説に基づく理論化がなされています。そして四神としての山川道澤がない場合に、特定の種類の樹木を特定の本数植えることで「四神=山川道澤」の代用となることを説いています。
大相撲の土俵の上には、屋根がかかっていますが、これは、神明造りといわれるもので、その屋根の四隅には4色の房がぶら下がっています。もともとは、4隅に立てられていた柱に巻きつけられていたのもですが、青い房は四神の青龍(東)、白い房は白虎(西)、赤い房は朱雀(南)、紫または黒の房は玄武(北)を表しています。
風水というと、なんだか占いの世界のような気がしますが、中国だけでなく、日本の古くから伝わっているもの中にも、それに由来するものが数多くあるのですね。また、作庭記ではありませんが、科学的根拠がある場合もあるようです。
投稿者 fujimori : 21:18 | コメント (5)
2008年08月23日 [近頃思うこと]
トレランス
ミッキーの着ぐるみへのこだわりなど、いろいろなところに気を使っているディズニーランドですが、ここでは、「割れ窓理論」を適用して成功を収めている一つの例です。日本ディズニーランドでは、従業員のマナーがとてもよいだけでなく、園内もとてもきれいで、いたずら書きや、ごみが落ちていて汚らしいという印象はありません。それは、些細な傷をおろそかにせず、ペンキの塗りなおし等の修繕を惜しみなく夜間に頻繁に行うことで、従業員や来客のマナーが向上させているのです。
この「割れ窓理論」とは、アメリカの心理学者であるジョージ・ケリング博士が提唱した、建物の窓ガラスが割れたまま放置されていると、管理人がいないと思われ、凶悪な犯罪が増えるという理論です。心理学者フィリップ・ジンバルドが1969年に行った行動特性の実験から検証した結論「人は匿名性が保証されている・責任が分散されているといった状態におかれると、自己規制意識が低下し、『没個性化』が生じる。その結果、情緒的・衝動的・非合理的行動が現われ、また周囲の人の行動に感染しやすくなる。」という理論から考えたものです。 1枚目の窓を割るのは心理的抵抗が大きいが,割れている窓が1枚あると他の窓を割る時の心理的抵抗は非常に少ない。すなわち、目に見える軽微な犯行を減少させることで他の犯行の誘発を防ぐという考え方で、ニューヨーク市では地下鉄の無賃乗車や落書きを「割れ窓」に見立て、これらを徹底的に取り締まった結果、劇的に犯罪が減ったといわれています。
この考え方をアメリカで教育方針に取り入れたのが「ゼロトレランス方式」といわれるものです。トレランス(tolerance)というのは、寛容ということなので、それがゼロということは、寛容せず、細部まで罰則を定めそれに違反した場合は厳密に処分を行うという方式で、日本語では「不寛容方式」「毅然とした対応方式」などと意訳されています。
この考え方がアメリカで起きたのは、1970年代から学級崩壊が深刻化し、学校構内での銃の持込みや発砲事件、薬物汚染、飲酒、暴力、いじめ、性行為、学力低下や教師への反抗などの諸問題を生じたて目に、その対策を考えなければならなくなったからです。そして、様々な方法を取ったところ、最も実効の上がった方法がゼロトレランス方式だったということです。細部にわたり罰則を定め、違反した場合は速やかに例外なく厳密に罰を与えることで生徒自身の持つ責任を自覚させ、改善が見られない場合は、問題児を集める教育施設への転校や退学処分にし、善良な生徒の教育環境を保護しようとするやり方です。
アメリカではどの党の大統領でも標語として打ち出し、アメリカ連邦議会が各州に同方式の法案化を義務付け、一気に広まっています。そして、この指導法を日本の教育に導入するかどうかの検討が文科省で始まったようです。
なかなか難しい問題です。悪いことをすれば罰されるのは当然ですし、その罰によって自分のしたことへの反省もするでしょう。以前のブログで書いたのですが、私が面倒を見ていた万引きを常習としていた中学生から、それまでの大人から寛容の言葉を聞いていたときには、万引きはそれ程悪くないと思っていたのが、警察に突き出されたときには、これは犯罪だと思って、二度としなくなったと聞きました。本当にやめさせたかったら、早いうちに警察に通報したほうがいいよとも言われました。しかし、本当は、子どもたちへの「正しい理解」と「温かい見守り」が必要だと思うのですが。
投稿者 fujimori : 21:42 | コメント (4)
2008年08月22日 [近頃思うこと]
着ぐるみ
北京オリンピックは、余り日本と時間差がないので、どの競技もライブで見ることが出来ます。しかし、私は、どうしても夜ハイライトで見ることが多いので、競技している最中しか見ませんので、競技の合間を見ることが余りありません。そこで、一度ライブを見ていたときの休憩時間に着ぐるみが出てきて、踊っているのを見て、そういえばそんなマスコットがいたなあと思い出しました。
このマスコットは、福娃(フーワー)です。魚、パンダ、聖火、チベットカモシカ、頭にたこを載せたツバメがモチーフになっています。それぞれには名前が付いており、「貝貝(ベイベイ)」「晶晶(ジンジン)」「歓歓(フアンフアン)」「迎迎(インイン)」「ニーニー(ニーは女へんに尼)」といい、名前を合わせると、「北京はあなたを歓迎します」という意味になるそうです。
私の子どもたちは、小さかったころは着ぐるみを怖がっていましたが、子どもには人気がある場合のほうが多いようです。ですから、何かの宣伝に登場することが多いのですが、他にもさまざまな着ぐるみがあります。一番有名なのは、ディズニーランドのミッキーマウスでしょう。広い会場の中で、何体くらいあるのか分かりませんが、どのミッキーでも同じ動き方をしますし、決して、同時に2体は出現しないように気を使っています。一人のきちんとした人格を持ったその存在を信じている子どもたちの夢を壊さないためです。
これらの着ぐるみは、中に人が入っているのですが、やはり気を使っているのは、なかに人が入っていないかのように見せるために、できるだけ中から外を見る穴を小さく、網などを張ってわからないようにしてあることと、着ぐるみへの出入りを決して人には見せないことです。
ある雑誌の企画で、私の園にウルトラシリーズで有名な円谷プロの怪獣が来たことがありました。そのときに聞いたのですが、怪獣でもそれぞれ性格があり、独特な動きをするので、中に入る人は決まっているそうで、けっして着ぐるみだけを貸し出すことはないそうです。また、園で脱ぎ着をするときには、個室の中で、入り口と反対側に向けた大きなダンボールの中でしていました。それ程気を使っているのですが、私は幸運にも脱ぎ着を見ることが出来ました。それは、電車区の電車の中での撮影に私も出演したからです。電車の中という狭い空間の中ですので、仕方なくみんなの中で脱ぎ着をしました。撮影中は、いちいち脱ぎ着をするのは大変なので、上半身だけ後ろのチャックのところから出して、付き添いの人に中に空気を送り込んでもらっていました。地獄のような暑さと、空気が薄くなる中で、よくあんな軽快な動きができるなあと感心したものです。
いくら着ぐるみといってもプロの自覚があるのですが、どうも、北京でのマスコットは、その辺は無神経のようです。新聞にこんな記事が掲載されていました。「丸っこい着ぐるみは会場入り口付近で踊ったり、親子連れの求めに応じて写真に収まったりしている。ところが、この着ぐるみたち、平気で「中の人」が出てきたり、抜け殻が人目に触れるところに積み上げられたり、子どもたちの夢を壊すことに無頓着だ。」どうも、競技のあとは、無造作に道ばたに積み上げられ、その後、残っている観客の間を通ってカートで運ばれていったそうです。
見えるところだけでなく、見えないところにも気を使ってもらいたいものです。
投稿者 fujimori : 22:27 | コメント (4)
2008年08月21日 [近頃思うこと]
商品開発
米アップルの新型携帯電話「iPhone(アイフォーン)3G」が発売されてほぼ一ヶ月経ちましたが、今でも売れているのでしょうか。本当に活用する人にとっては必要でしょうが、多くの人はどうでしょうか。新しいものが出ると、みんな群がって手に入れようとしますが、よく吟味しないと無駄になってしまう商品が過去にも多くありました。良く、例に出される「ぶら下がり棒」がありましたが、今は、どんな商品が家で眠っているのでしょう。
しかし、日々色々な商品が開発されています。先週号のR25に、そんな商品が紹介されていました。
夏の日差しが強いときに、紫外線対策で子どもたちや女性は帽子をかぶりますが、男性はオフのとき以外は余り帽子をかぶる習慣がありません。また、女性にはもうひとつ便利な物があります。それは、日傘です。日傘は、頭の上だけでなく、顔全体や首筋、体も覆ってくれます。そんな日傘の男性用が出来て、売れ始めているそうです。台東区にある洋傘専門店『ワカオ』では、昨年1200本製造した紳士用日傘が完売したので、今年は製造数を5000本まで増やしているそうです。太陽光に含まれている「紫外線」による皮膚への影響は周知されていますが、その防御となるとなかなか行いません。もともとは、皮膚には紫外線から身を守るための仕組みが備わっています。それは、日焼けすると肌細胞の遺伝子が紫外線で傷を負わないようにメラニン色素が作られ肌が黒くなるのです。しかし、紫外線を過剰に浴びて肌のダメージが重なると、肌細胞の突然変異が起こり、将来、皮膚がんになる可能性もあるそうです。そのためにも、日傘は効果的かもしれません。
小学校時代、自分の足の遅さに、悔しい思いをしないような靴が売れ始めています。これは、ブログでも取り上げたことがある商品ですが、昨年度だけで450万足を売り上げたそうです。この走りの速くなる靴「瞬足」は、「児童が運動会でより速く走れるように、と開発しました。スピードが落ちやすいコーナーでも強く踏み込んで駆け抜けられるように、トラック競技で力の掛かる足の左側に重点的にスパイクをつけた左右非対称の靴底が特徴です」と開発の経緯が語られます。この商品が売れた理由に、「少子化にともない、“わが子に運動会でよい記録を”とか“目立ってほしい”と、子供に対する親の見る目や意識がより高まり、お金をかけたがるようになった時代背景や、そのような親同士の口コミ効果も売り上げの追い風となり、大ヒットへとつながった」とアキレス広報部の話です。
夏の暑い日、汗をかき、汗臭い匂いが気になります。そんな悩める男性のために、AOKIが開発したのが、デオドラントスーツをはじめとする消臭衣類の「デオドラントシリーズ」です。この商品は、男性特有のすっぱいニオイであるアンドロステノンの発生を抑える素材を繊維に付着させているそうです。スーツだけでなく、ワイシャツなどにも使われています。「実験では、男子大学生に1週間着続けてもらったワイシャツのニオイを20代~50代の女性に嗅いでもらいました。しかし、7割の人がニオイを感じなかったという結果が出ています。とはいえ、スーツはともかく、シャツは毎日着替えることをおススメしますね」と話しています。
どんな商品が根付いていくのでしょうか。
投稿者 fujimori : 23:24 | コメント (4)
2008年08月20日 [記念日]
信号
今日の8月20日は、交通信号の日だそうです。1931(昭和6)年のこの日、銀座の尾張町交差点(銀座4丁目交差点)や京橋交差点などをはじめ、34カ所の市電交差点に、日本初の三色灯の自動信号機が設置されました。
世界初のガス灯火式信号機は、1868年(明治元年)に、道路交通を整備するため,イギリスのロンドンに設置されました。この装置は,緑色・赤色の2色の灯器を手動で表示し,光源としてはガスを使用していました。当時は、車などなかったので、この信号は馬車の交通整理のために置かれたのですが、起動後まもなく爆発事故を起こしています。
そして、世界初の電気を利用した電気式信号機は、1918年(大正7年)にアメリカのニューヨーク市5番街に設置されました。この時,黄色は「進め」,赤が「止まれ」,緑が「右左折可」だったそうです。
その信号が、日本の銀座に付けられたときは、今と同じ、向かって右から赤・黄・青です。赤色が止まれという意味を表すように感じるのは生物学的見地から以下のような理由があるようです。光の原色の中でも赤は光の波長が長く、粒子的にも周囲の影響を受けづらい色です。逆に、波長が短いのは紫(青系)で影響を受けてすぐに散らばる性質があり、空が青いのは、波長が短い青色が大気で散らばる為です。そして、夕焼けが赤いのは、傾いた太陽から出る光が大気を通る距離が長くなる事で、直進性が高く影響を受けづらい赤色の光だけが届くからです。ですから、赤色の光は物質的にも神経伝達系にも強く届く色なのです。また、雨天・吹雪・スモッグの中でも青よりも赤がより遠くまで届く色なので、止まれには見えづらい青よりも赤が使われているようです。
当時、青信号は、法令的には緑色信号と呼んでいました。しかし,一般の人々の間では,色の三原色(赤・青・黄)のひとつである青色が誰にでも理解されやすく,また,日本語で表す青の範囲はたいへん広く(たとえば,植物の緑のものを青葉,青物などと呼ぶ場合)、漢字でも「緑」と「青」を厳密に区別しないため、かつての日本人は「緑色」のものを「青色」と表現することがあるという点などから,しだいに緑色の信号も青信号と呼ばれていきました。それが定着してきたので、昭和22年には法令でも青信号と呼ぶようになりました。呼び方だけではなく、私の子どものころは、青信号と呼ぶのをためらうほど緑色をしていましたが、今では、信号の色も改良が進められ,昭和48年以降に作られた信号の灯器は呼び名のとおり青に改められています。
現在では、道路上において交通整理を行う色は世界共通で、対面する信号機の青は「進むことができる」(注意通行)であり、よく「青は進め」といいますが、「進め」ではなく、「進んでいい」ということです。別に進まなくてもいいのです。黄色も、「注意」ではなく、「停止位置で止まれ、ただし停止位置で停止できない時はそのまま進むことができる」(停止)ということです。しかし、赤は「止まってもいい」ではなく、「止まれ」(停止保持)です。また、信号機には歩行者用と車用の2種類があり、車用は青・黄・赤で、歩行者用は青と赤です。この場合は、黄信号は、青の点滅で表します。にこれらは、国際的な取り決めですが、行政上の運用取り決めは国によって少し違うようです。
「青は進め、黄は注意、赤は止まれ」ではないのです。世界共通なのに、ずいぶんいい加減に、アバウトに伝えられていますね。
投稿者 fujimori : 23:24 | コメント (5)
2008年08月19日 [近頃思うこと]
失敗と成功
オリンピック競技を見ていると、勝負というのは、本当にきわどい差で勝ち負けが決まります。少しの失敗も許されません。しかし、人というものは、緊張もしますし、失敗もしますし、あの時こうすればよかったという悔いを残すものです。今日の読売新聞の編集手帳に面白いことが書かれてありました。
「西条八十に会食の席での失敗談がある。パリを旅し、「商船テナシティ」の原作者で詩人のシャルル・ビルドラックから晩餐に招かれた時である。料理を皿に取ったつもりが、皿と見えたのはレースの敷物だった。うろたえる客人にビルドラックはひと言、「Jeunesse」(青春)と告げたという。日本の詩人は当時30代、年齢の青春ではあるまい。若い日々が記憶のなかで輝くように、この失敗もやがては思い出という宝物になりますよ…と」
人が失敗をしたときに励ます言葉として、「それが青春だ」というのは面白いですね。私たちは、よく子どものころに失敗すると、「失敗は、成功のもと(母)」ということを言います。しかし、失敗をすることが成功することにつながるというのは、単に慰めでしかありません。失敗は繰り返すということもあるのですから。ですから、このことわざの意味は、「失敗してもあきらめずに、失敗を繰り返してもどこが悪かったのかを考えるうちに、どのようにしたら良いかわかって来て少しずつ成功に近づいて行く。つまり、失敗は決して無駄ではないと言うこと」なのです。
ですから、孔子が「過而不改、是謂過矣(過ちてこれを改めざる、これ過ちという)」と言うように、失敗すること自体がいけないのではなく、それを改めないのがいけないのです。また、こうも言っています。「小人之過也必文(小人の過ちは、必ず文る)」失敗したり間違いをするたびに、言い訳をくどくどと繰り返す人がいますが、失敗を取り繕ってばかりいると、失敗した本当の原因がつかめず、同じ失敗を二度三度繰り返す恐れがあるといいます。間違いに気付いたら即座に改め、常に反省を怠らなければ、同じ失敗は繰り返さないし、失敗を糧として人間的に進歩向上できるということです。
とはいっても、失敗をするということはとても痛手をこうむります。「失」という字は、「うしなう」という字であり「手足を舞わせて自失の状にあること」を示しています。しかし、オリンピックのような競技でははっきりわかりますが、人生においてでは、何が失敗で、何が成功かということはわかりにくい場合が多くあります。渋沢栄一は、「眼前に現われた事柄のみを根拠として、成功とか失敗とかを論ずれば 真実を逃すことがある」と言っています。家庭を犠牲にして仕事で成功しても、家族関係では失敗したことになりますし、他人を引きずり落として地位が上がっても、人生の成功者とはいえない気がします。また、このようなことも言っています。「会社事業その他一般営利事業のごとき、物質上の効果を挙げるのを目的とするものにあっては、もし失敗すると、出資者その他の多くの人も迷惑を及ぼし多大の損害を掛ける事があるから、何が何でも成功するように努めねばならぬものである。が、精神上の事業においては、成功を眼前に収めようとするごとき浅慮をもってすれば、世の糟(かす)を喫するがごとき弊に陥って、永遠の失敗に終わるものである。」
また、失敗かどうかという判断も、短期的に見てはとても危険です。栄一はこうも言っています。「たとえ一時は失敗のごとくに見えても、長い時間のうちには努力の功空しからず。社会はこれによって益せられ、結局その人は必ずしも千載の後を待たずとも十年二十年あるいは数十年を経過すれば、必ずその功を認められることになる」
本当の意味で、成功者になりたいですね。
投稿者 fujimori : 23:03 | コメント (4)
2008年08月18日 [近頃思うこと]
ヒト
今、オリンピックが開催されている北京について、私はあまりよく知らないことに気がつきます。あの広大な領土を持つ中国の歴史も壮大であり、民族も多様であり、ただでさえ複雑でありながら、報道規制も多く、ますます実態は分かりません。私は、中国へは2度行ったことがあり、一度目は広州あたりの教育事情視察ということで、二度目は南京あたりの自然教育視察でした。北京には行ったことがありませんが、もっと現在の中国の首都である北京について知るべきかもしれません。
中国4000年の歴史の中で、北京市が首都となったのは、それほど古いことではないようです。私たちが様々な小説などで知っている時代では、ほとんど国都は北京ではなかったようです。B.C.222年に中国初の全土統一を成し遂げた秦はもちろん、その後の漢や隋・唐の時代にも国都ではなく、北京が国都となったのは、今から八百数十年前、モンゴルの元王朝三代目皇帝フビライが1267年に大都と名づけたのが最初です。それにしても、他の国に比べれば古いかもしれませんが。
しかし、そう聞くと不思議な気がします。私が小学生の頃、初めて「北京」という言葉を聞いたのは、「北京原人」でした。北京原人とは、中国北京の北東、房山県周口店竜骨山の森林で発見された化石人類です。現在は、この化石が発見された周口店の北京原人遺跡はユネスコの世界遺産として登録されています。
この発見にはとても劇的なドラマがあります。
最初に人類のものと思われる歯の化石を発見したのは、スウェーデンの地質学者 ヨハン・アンダーソンでした。それは、1926年のことでした。翌年には新たな歯の化石が見つかり、カナダの人類学者ブラックが研究し、「シナントロプス・ペキネンシス」と命名されました。この名前は、なぜかその発音が興味をそそったのか、子どものころに覚えた記憶があります。その命名を機に新生代研究所が設置され、1929年には、その所員であった中国の考古学者 裴文中が完全な頭蓋骨を発見しました。結果的に男女、子どもから大人までの頭蓋、下顎骨、歯、四肢骨など合計十数人分の原人の骨が発掘されました。
しかし、日中戦争の激化により、化石は調査のためにアメリカへ輸送することにしたのですが、途中に紛失し、いまだにその行方は分かっていません。しかも、命名したブラックが発掘調査中に急死してしまったのです。しかし、幸いなことに、紛失の前に協和医学院の客員解剖学教授であったドイツ出身の学者F・ワイデンライヒにすでの詳細な記録や研究を残しており、研究は引き継がれていきました。
もちろん、今では人間の祖先はサルであるとか、人間は、サルから進化したということを言う人はいないでしょうが、最近まで北京原人を現生人類(アジア人)の祖先とする考えがありました。また、この北京原人の化石が発見されるだいぶ前の1891年にインドネシアジャワ島で発見されたジャワ原人のことをピテカントロプス・エレクトスと覚えましたが、現在では、北京原人同様、アフリカ大陸に起源を持つ原人のひとつで、現生人類の祖先ではなく、何らかの理由で絶滅したと考えられており、ホモ・エレクトスといわれます。ホモとは人類のことであり、エレクトスとは「直立(2本足歩行)する」という意味であり、現生人の祖先のホモ・サピエンスは、「考えるヒト」という意味です。
現在の私たちは、二本足で歩く人ではなく、考える人なのです。
投稿者 fujimori : 23:23 | コメント (4)
2008年08月17日 [地域を知る]
江戸の舞台
連日熱戦が行われているオリンピック会場は、開会式が行われた別名「鳥の巣」とも呼ばれている鉄骨構造で出来た北京国家体育場は、とても印象に残る建物ですが、他の会場は余り特別な印象はありません。その点、1964年に日本の東京で開かれた第18回夏季オリンピックの会場は、どれも当時話題を呼びました。昨日、テレビで建築家丹下健三のことを放送していましたが、彼が東京オリンピックのために設計した建物が、「代々木国立屋内総合競技場」です。第一体育館(当時は本館)が水泳競技、第二体育館(当時は別館)ではバスケットボール競技が行われました。
この建物は、オリンピックの組織委員長のブランテージ会長も「あの競技場は本当に素晴らしい。スポーツをやる人を非常に鼓舞しました。また美を愛する人びとの記憶の中にはっきりと刻み込まれるでしょう」と言ったそうですが、また、この建物で都市という概念に目を向けたこの時代を表現しました。当時の丹下はこの周辺が拡張されたときにもこの道が延びることによって、さらに増やすことができるようにと設計したのです。そして、この道が「開かれた空間」と言われているのですが、考え方が、やはり都市的なものであったのです。その時代の精神を象徴することで建築は人間性を得ることができ、象徴という問題は構造主義をさらに発展させ、人間性というものを一層深めることになるのです。
一方、チャスラフスカなどの演技が話題になった体操競技のために造られたのが千駄ヶ谷にある「東京体育館」です。この建物は、1981年に老朽化のため一時閉鎖されていましたが、1990年に、幕張メッセの設計で知られる槇文彦の設計でリニューアルオープンされています。

この建物は、蝶が羽を広げているような屋根の形をしていますが、今は、ロボット系のアニメの主人公のようなイメージを持っています。この建物は、2016年夏季オリンピックを東京都に招致する構想の中で、新体操と卓球の会場予定になっています。
この建物に意外な顔があります。今、高視聴率をあげているNHKの大河ドラマ「篤姫」ですが、篤姫が大奥にいた頃は、今の皇居のある江戸城の中にいました。大奥のあった場所は、現在、無料公開されている皇居東御苑のなかの天守台跡付近にありました。
大奥の女性たちは、この天守台跡の後ろのほうで、大手門の反対側にある平川門から出入りしていました。
幕末、江戸城が薩摩藩に攻め込まれたとき、彼女が、勝海舟と西郷隆盛の無血開城の話し合いに一役買ったといわれています。その江戸城明け渡し後、篤姫(天璋院)は本寿院(家定の母)とともにまず御三卿である一橋家に転居します。徳川家最後の将軍である一橋慶喜の一橋徳川家は、現在竹橋の辺りの一橋という地名の、丸紅の社屋から気象庁のある場所までの広大な敷地のなかに屋敷がありました。
慶喜の正室の省子はもともと大奥には居住していなかったために天璋院と同居するのですが、亀之助が宗家家督を継ぎ、徳川家達となり、徳川宗家の駿府(静岡)転封が決まると、新政府から徳川宗家に対して、千駄ヶ谷に屋敷地が与えられ、天璋院は千駄ヶ谷の屋敷に転居することになり、ここで一生を終えるのです。その場所が、今の東京体育館一帯といわれています。この東京体育館から鳩森神社あたりまですべて徳川屋敷だったようです。
毎年、NHK大河ドラマの舞台を訪れるのですが、今年はほとんど江戸が舞台なので、東京のあちらこちらにその名残があり、今後東京を歩くときの楽しみが増えそうです。
投稿者 fujimori : 22:36 | コメント (4)
2008年08月16日 [近頃思うこと]
体操
オリンピックで、体操の選手が活躍していますが、夏休みに体操というと、ラジオ体操を思い浮かべますね。一昨年の8月の終わりのブログで、夏のラジオ体操の思い出を書きましたが、NHKラジオ体操第1の音楽を手がけた作曲家の服部正さんが2日、100歳で老衰のため死去されました。
このラジオ体操は、夏休み中のものだけではなく、学校の体育の授業が始まって、まず、はじめに行うのが、このラジオ体操第1による準備体操でした。今でも、学校ではこの体操を行っているのでしょうか。私の高校は、1時限が100分授業でした。体育の授業では、まず、みっちりとこの準備体操を行い、そのあと何をするかは、私たちの自由で、先生は教員室に戻ってしまいます。それは、体育の教師がかなり高齢であったために、準備体操で疲れてしまったからのような気がします。それだけではなく、全体的に私たちの高校はかなり自由で、私たちの自主的な活動に任されていました。
体育の授業で、準備体操の後の自由な時間はかなりあるので、その時間の使い方によって大きく三つのグループに分かれました。私たちのグループは、自分たちでネットを張り、バレーボールをやりました。(たまに、グラウンドでソフトボールをやることもありましたが)毎時間やっていたので、自分で言うのも変ですが、クラブに入っていたわけではなかったのですが、バレーボールは仕事についてからも代表選手になったくらい得意でした。あるグループは、雀荘にマージャンをやりに行きました。その頃、学生やサラリーマンの間ではマージャンがかなり流行っていました。最近は、あまり聞きませんね。もうひとつのグループは、図書室で勉強をしていました。これらは、それぞれ自分のやりたいことをやっていたので、私の高校では、図書室にいった子がまじめだとか、がり勉だとか誰も思わず、マージャンに行った子が不良だとか、不真面目だとも誰も思いませんでした。
準備体操というものは、その後行うスポーツによって、体の使うところが違うために、当然体操の種類も変わってくるはずです。今の時期、よく行われるのが、プールに入る前の準備体操です。園では、曲を流して、その曲の振り付けに合わせて体操をする場合が多いようです。今、私の園では、プールの前は、「かえるの体操」をしています。その曲を子どもが大好きということと、昨年、たまたまこの曲を作った谷口國博さんが来園し、本人が生のうたごえで、生の踊りを子ども達と一緒に踊ってくれたからです。
最近、まだこの体操をしている園があるのかは分かりませんが、私が保育園、幼稚園というと思い出す体操が「はとぽっぽ体操」です。この曲の歴史は古く、昭和30年代初め頃に、お茶大の戸倉ハル先生の作品に、先日亡くなった服部正さんが幼児向けに曲をつけたものです。しかし、その歌詞は今考えると、とても不思議なものです。
「ぽっぽっぽっぽっ はとぽっぽ 羽を広げて降りて来い あっち向き こっち向き 首振り人形 お空を見上げる可愛い人形 キューピーさん(ちゃん) キューピーさん(ちゃん) バンザイ手をふれ 胸を張れ パッと見て パッと見て 後ろはどなた? パッと見て パッと見て 後ろはどなた?」とまだまだ続きます。これは、きちんと体のあちらこちらをきちんと動かすために、歌詞だけを読むと奇妙なものになるのでしょう。
NHKの「おかあさんといっしょ」のなかでも体操がありますが、この体操も子どもには馴染みがあるようです。たまたま、体操のお兄さんだった佐藤弘道さんと先日一緒に写真を撮る機会がありました。
投稿者 fujimori : 19:33 | コメント (4)
2008年08月15日 [近頃思うこと]
本質2
保育関係、教育関係者たちにとっては、当然のようなことでも、それを人に伝えることはとても難しいことです。形は伝えられても、その本質は伝えるためには、その歴史や風土、その地域性などの背景に関係することが多いために、容易ではありません。そのひとつが、○○保育とか、△△教育といわれるものです。
このレッジョ教育といわれるものも同様に本質を理解するのは容易ではありません。そこには、方法ではなく、ひとつの哲学があるからです。また、簡単に説明しようとすると、解説する人によって、何をポイントとするかが分かれるために、聞いた人の印象が変わってくるかです。
産経新聞には、目を引くためにこう書かれてあります。
「イタリア北部のレッジョエミリア市で行われている、0歳から6歳までの子供が集う幼児施設の美術を主体に想像力と創造力を養う教育が、世界の教育関係者やデザイナーらから注目されている」
もちろん、この記事は、刊行された書籍の紹介であるために美術を強調しています。しかし、その記事を読み進めていくと、それだけではなさそうです。「レッジョエミリア市では、子供が持つ可能性を引き出すことができる空間とは何かを、行政、教育者、デザイナーだけではなく、保護者も含め、みんなで考えています」とあります。この教育方法のひとつの特徴は、デューイ、ピアジェ、ヴィゴツキー、ブルーナーといった有名な教育学者の影響を受けて街のコミュニティー、教育者、父兄達が協力しあって子どもたちの教育に力を入れ、街の支出の12%を学費資金に充てられ「最高の教育」を目指しているという点です。ある意味では、街おこしのひとつでもあるのです。
教育内容は、確かに美術教育かもしれませんが、アトリエという作業空間は、「石や葉っぱなどさまざまな物が置かれていて、そこにあるもので自発的に何かを作り始めます。親や大人に強要されず、何をやってもいい。イマジネーションを見いだす空間です」と説明されています。それは、美術を教えるのではなく、「日本の教育では早く答えを出すことや多くのことを覚えることが評価につながります。しかし、レッジョエミリア市では、感じることや自分で考えることを重んじています。だから創作を楽しむことを幼いころから教えています」ということなのです。
ここでの「制作」は、何かを作ることが目的ではなく、制作を通して、子ども達は算数、言葉、サイエンスなどの学習もやることになり、しかも、あくまでも制作の内容や目的などは子ども達の発想によるもので、「子ども主体」であることです。そして、教師はこういった制作における過程で子ども達を観察し、よきアドバイサーとなります。決して答えを教えず、子ども達が答えに持ってけるよう言葉かけをしてゆくのです。
また、ここでアドバイスするのは教師だけではありません。このレッジョでは、混合クラスが主流で、年齢の上の子ども達は、下の子どもの世話をしてあげたり、アドバイスをします。また、年齢が違うため、「出来ない子」を仲間ハズレにすることもありませんし、「出来ない子」も劣等感を感じることもありません。
よ く知ってくると、はじめの印象と変わってきます。このようなことは、他の場合でも同じことが言えるでしょう。
投稿者 fujimori : 23:14 | コメント (5)
2008年08月14日 [近頃思うこと]
本質1
こんな話を聞いたことがあります。
智者が空に輝く美しい月を指した時、愚者は月を見ないで智者の指ばかりをしげしげと見つめました。そこで智者に「君、指を見るのではなく、指のさし示す方を見るのだ。ほら、あんなに美しい月が見えるじゃないか」と言われ、愚者はやっと気がついて、その月を見ることができたというはなしです。
私たちは、先を見ないで、目の前のものを見ようとします。しかし、見なければいけないのは、その先にあるものです。教育、保育は、今、目の前にいる子どもに対して、将来のあるべき姿を見通して、現在をより生きるために援助しなければなりません。また、その先にあるものを見るだけでなく、本質を見抜く力が必要になってきます。以前のブログで、「群盲、象を語る」ということを書きましたが、人によって、見る角度、見える部分によって判断が違ってしまいます。この逸話は、色々なときに例えられますが、そのあとのコメントにこんなのがあります。
今から100年以上前に、ラーマクリシュナという師によって語られたあとのコメントです。
「象とはどんな動物か話してあげよう。みんなが言ったことは正しくもあり、また間違ってもいる。君たちのそれぞれが触れたのは、象という動物の一部分だ。そこから象の全体像を描こうとしても、それは正確なものではない。象はうちわのようでもあり、柱のようでもあり、またこん棒のようでもあり、壷のようなものでもある。そして、これらすべてをあわせたより以上のなにかだ。それは全体を見ることによってはじめてわかるのだ」
それぞれは真実であるけれど、物の本質はそれぞれの部分をあわせて分かるものではなく、全体を見て初めて分かるのだといいます。
同じような逸話は、釈迦が弟子の一人が托鉢に出ようとした時に「町に行って何か尋ねられても、教えのことだけ話してきなさい」と言い、そのときに「盲目の人たちは、象の一部分を知って全体を知らなかったために、言い争いをすることになった。これと同じで、少しの知識だけで何でも知っていると思い込んだ者が、世の中には大勢いる。そういう者たちと言い争ってはならないよ」と諭したことにもあります。この教えには、論語の三省の中にも「伝不習乎」(良く知りもしないくせに、知ったかぶりしていい加減なことを人に伝えなかっただろうか)と同じようなことを言っています。
先日の8月12日の産経新聞に、イタリア北部のレッジョエミリア市で行われている保育が「美術を主体、想像力育てる」として、紹介されていました。以前のブログで書いた『子ども、空間、関係性 幼児期のための環境のメタプロジェクト』(学習研究社)の本の紹介ですが、この記事を読むと、一部を知って、本質が見えにくくなってしまうような気がします。「教育内容は、計算や読み書きよりも、美術に重点を置いている。その象徴的なものが「アトリエ」と呼ばれる作業空間で、広さの違いはあるものの、市内に33施設ある保育園、幼稚園のすべてに備えられている」という紹介文だけを読むと、レッジオの保育は、美術教室かと思ってしまいかねません。それを通して、その先に、子どもたちに育っていって欲しいものがあるのです。
投稿者 fujimori : 23:51 | コメント (3)
2008年08月13日 [新聞記事より]
指標生物
北京からは、連日オリンピックのニュースが流れてきますが、今日の新聞には、同じ北京からこんなニュースが流れてきました。
「メダカを使って水質を監視する「生物センサー」を福岡市の企業が開発し、この夏、中国・北京市のダムに設置された」というのです。なぜ、今監視するのかというと、現在開催されているオリンピック開催のために集まっている、世界中のアスリートたちが飲む北京の水の安全を守るためです。
福岡市の配電盤メーカー、正興電機製作所が開発した「フィッシュトキシメーター」という全体は冷蔵庫ほどの大きさの機器で、中に小さな水槽が二つあり、1匹ずつ入れたメダカの様子がモニターに映し出されるようになっています。有害物質に反応して激しく動き回るなど、メダカが特定の動きを見せた場合に警報を出す仕組みで、ダムの取水口や浄水場などに取り付けられ、水質の監視に使われています。
一時期、サリン監視のためにカナリアをかごに入れて入り口にぶら下げていたことがありましたね。 それと同じ考え方でしょうが、テロから防ぐ手段というのは悲しいですね。しかし、この機器は、広島県の浄水場をはじめ福岡市や長崎県諫早市、秋田市、沖縄県東村などですでに使われているのですが、本来は、工場排水や環境汚染のチェックのためです。
一般に自然環境の状態やあるいは環境汚染の程度などを調べる際には、その場における様々な条件、たとえば、温度や湿度、化学成分やその組成、特定成分の濃度、酸素濃度、あるいは明るさなどから必要と思われるものを取り上げ、数値として記録します。このように測定機器による数値的な調査が正確かもしれませんが、そこに生息する生物のうち、ある条件に敏感な生物を用いて調べることがありますが、この生物を「指標生物」といいます。それは、厳密さを欠いたり、季節によって影響を受けたりという欠点はありますが、どうして環境を調べる必要があるかというと、多くは生物や人間への影響を考えるためですので、直接に生物にどんな影響が出たのかを見ることが行われます。
ずいぶん前のブログでも書きましたが、大まかに判断する方法もあります。
まず、河川や湖沼で生息するものが「赤くなったら気をつけろ!」です。その水が汚染によって栄養過多になると、水中での微生物の分解を引き起こし、結果的には酸素が不足してきます。これに対して、動物の適応として、赤い血を持って体内に酸素を抱え込むことが広くみられます。たとえばユスリカ類では、流水の種は半透明であるのに対して、不栄養の条件で生息する種はアカムシと呼ばれるように赤く、同様の条件では、イトミミズやヒルなど、海ではゴカイやアカガイ等、やはり赤い動物が生息するようになります。
河川の汚濁は、見た目が「白い鳥と黄色い花には気をつけろ!」です。シラサギとカモメなどの鳥や、セイタカアワダチソウとセイヨウカラシナなどの花が河川に増えたら環境汚染が始まっているといわれます。そのほか、大気汚染の指標として、感受性の高い地衣類の有無や種子植物の葉の変化(斑紋の有無、白化等)が用いられ、土壌汚染の判定には、シダ植物の仲間が用いられるほか、農業上の利用として土地の肥沃度の判定などに用いられるようです。
人間は、指標生物になるのでしょうか。汚染されても生きていられる生き物なのでしょうか。
投稿者 fujimori : 23:41 | コメント (3)
2008年08月12日 [近頃思うこと]
体のような建物
今日は、東京都から保育計画係の方が緑環境課の方と一緒に調査にみえました。それは、「東京都認可保育所屋外遊技場芝生化実証実験事業補助金交付」についての調査です。この事業は、東京都が推進する緑化対策の一環で、保育所屋外遊技場の芝生化事業の実証実験を行うためのものです。
建築家の伊藤豊雄さんは、Casaという雑誌の中で、こんな話を展開しています。
建物を建てると、その分だけ、大切な地球の土地が減ってしまう、そんな考え方が今は普通です。突き詰めると、建物を建てること自体が、よくないことだと考えられています。しかし、本当にそうなのかを問いかけています。
もし、建物の壁や屋根を地球の表面みたいに作ったらどうだろうかという提案をしています。地球の表面というのは、平らではありません。また、地球環境に影響する土地の広さは投影をした広さではなく、表面積です。ですから、表面積をふやすことが地球環境に関係してくるので、建物を作るというのは、地球の表面積が増えるという考え方です。それを、伊藤さんはこう例えています。「建物の壁や屋根を地球の表面みたいに作ったら、地球の表面が伸びたり曲がったり、ひだが増えることになる。表面積は増える。」それを人間に例えています。「人間の皮膚も、これに似ている。胃や腸はからだの中にあるけれど、口やお知りを通して表の皮膚とつながっている。そしてとても細やかなひだを作って、効率的に栄養を吸収しています。つまり、皮膚の表面積を増やしている」
ですから、人間の体と建築は似ていると思えてくるといいます。人も建物も、きれいな空気や水を取り入れて、汚れた空気や水を外に出す。それから人は食べ物から、建物は石油やガスなどから得るエネルギーを使って、部屋の内部を温めたり冷やしたりと、いろいろに調節する。人の体も建築も、地球との関わりの中で存在しているのだから、この二つが似ているのは当然だといいます。
それが、今は、街が作られ、技術が進歩するのに伴って、いつの間にか建物は、地球と切り離されたものになってしまったというのです。私は、地球の共生していた建物のような人間の生産物が、いつの間にか地球に立ちはだかる存在、対立するような存在になってしまっている気がします。そのために、課題は、常に自然をどのように克服するか、自然の影響をどれだけ受けないようにするかでした。そのうちに、自然を破壊し、自然を捻じ曲げてきてしまい、結局は、人間の生活をも破壊し、捻じ曲げてしまっているのです。
今、求められてきているのは、どのように自然と共生していくかということだけではなく、どれだけ自然に貢献していけるかということを考えなければいけないのです。ですから、伊藤さんが言うように、これからは、建物によって地球の環境を豊かにするということを考えていかなければならないのです。
伊藤さんは、そんな人の体のような建築が課題です。私が、グッドデザイン賞を受賞した2001年に、授賞式に行った会場で公開審査をし、大賞を受賞したのが、彼の作品、公共施設「せんだいメディアテーク」でした。そのときのコメントで、「せんだいメディアテークにおいては、いつもの建築よりはるかにたくさんの人たちとコラボレーションを行なった。子供たちの遊び場だったり、カップルのデートスポットにもなっている。さまざまな年代の人たちに自由に使ってもらえてうれしい。建築をやっていて良かったと思う」と言っています。彼は、この作品を転換期として、建物自体が息づく作品を生み出しています。
投稿者 fujimori : 23:17 | コメント (3)
2008年08月11日 [近頃思うこと]
競争
毎日テレビではオリンピックの特集が多いので、あまり興味のない人にとっては、最近のテレビはつまらないかもしれませんね。
オリンピックといえば、友好といえども、やはり各国の競争でしょうね。特にメダルを何個取ったかが、国の評価になるのでしょう。その中で、たぶん、中国はたくさん取るでしょう。国を挙げて、一致団結し、この日を目指してきたようなところがありますから。経済が低下してきている日本に比べて、今や中国や韓国はアジアの中では、とても元気があり、経済だけでなく、今後、教育界でもリードして行くかもしれません。それには、こんな教育をしているからということもあると思います。
中国深セン市に暮らしている武田千夏さんが、このように書いています。
「中国の夏休みを利用して、我が子を日本の学校に体験入学させたいと、一時帰国した。指定された日時に職員室を訪れると、きちんと話が通っていたので安心した。「分からないことがあるかもしれないから、みんな教えてあげてね。みんなも、中国のことを聞いてみたら、おもしろいかもしれないね」と、わが子の肩に手を置いて、先生は大きな声で、ゆっくり、はっきりと話をする。
「いつ来るの?って、子どもたちもずーっと待ってたんですよ」という先生に恐縮しながら案内されると、我が子の靴をしまう場所や傘を置くスペースが、クラスのみんなと同じ場所にきちんとつくってあり、ていねいな文字でわが子の名前が貼られている。中国の先生から、あれができない、これがだめだと厳しく批判され続けて、親の私も相当めいっていたらしい、思わず涙がこぼれてしまった。子どもの心を中心に考えてくれる、こうしたきめ細かな心遣いが、本当にうれしかった。」
また、中国に帰る日も、いろいろな子どもから激励や別れのメッセージをもらいます。そんな体験から、日本と中国の小学校との違いについて、こう書かれています。
「決定的な違いは、中国の小学校に比べて、日本の学校は、子ども同士が助け合いながら作業をする時間が多いことだ。給食の配膳や掃除を、中国では、それ担当に雇われた大人がやる。「みんな仲良く助け合おう」などという目標は見当たらず、その代わり、「成功には努力あるのみ」などという文字が張られている。
また、中国では、早く書き終わって先生に報告ができた順番、発言の回数、ボールを落とさずキャッチできた数など、学校生活のすべてが点数となって教室の後ろに張り出されるので、子ども同士の競争心が激しい。大人にならって、成績の良くない子や、先生の言う通りにできない子どもに対してさげすむような発言をする子どもも少なくない。
先生を管理する学校側の評価は、成績平均点や服装の乱れなど、クラスがきちんと統一化されているか否かが点数となって加算される。「子どもは元来なまけものだから、厳格に矯正していかねばならない」という考えなので、子ども本来の素直さや無邪気さなどは早くから摘み取られ、知識が強制的に注入されて、良い・美しいとされる「技術」が上塗りされていく。実際、この方法で伸びていく子どもも多く、理想や感想を述べさせれば、背筋をピンと伸ばし、的確な言葉で堂々と語る。その姿は感心するほど完璧に仕上がっている」
他との競争に打ち勝って立派になった子が、他に貢献するようになるのでしょうか?
投稿者 fujimori : 22:41 | コメント (4)
2008年08月10日 [近頃思うこと]
眠れない夜
最近は、寝苦しい夜が続きます。眠れない日が続くと、体力的にも疲れてしまいます。しかし、私は意外とそんな寝苦しい夜はものともしません。なぜかというと、年齢のせいか、普段から、そんなに熟睡できないからです。とても不思議なことですが、2~3日のうち一日は、どんな時間に寝ても、必ず明け方4時30分頃に目が覚めるのです。しかも、その誤差は5分とないくらい正確に目覚めたときに時計を見ると、その時間なのです。それは、トイレに行きたいからでも、暑いからでもなく突然目覚めるのです。ですから、「眠れない!眠れない!」と嘆くのはよして、気にしないことにしています。
「日経WagaMaga」という中に、こんな記事を見つけました。
「人間の生活のなかで「眠り」は、一日の疲れを解消し、翌日の活動のエネルギーを蓄える大切な時間。高齢者の三人に一人が不眠で悩んでいるといわれている。シニア世代の眠りとはどんなものなのか? また、上質な眠りを得るために必要な生活の工夫とは?」ということで、シニアライフのコンサルティングを行う一方、セミナー講師としても活躍し、ニッポン放送「ラジオ ケア・ノート」で介護相談を担当している川上由里子さんが書いています。
快眠の条件は「すぐに眠れる」「ぐっすり眠れる」「すっきり目覚める」、この三つが満たされることですが、シニアは、この三つが得られなくなるようです。それをこのように解説しています。
「睡眠の質は40代後半から変化し、高齢期になると、若いころと同じように眠ろうと思ってもそれほどは眠れません。これはノンレム睡眠の時間が減少し始めるため、深い眠りを得られなくなるためです。高齢者が「朝早く目覚めてしまう」「夜中に何度も目が覚める」というのは、徐々に体内時計のリズムが前にずれてくるため。また、加齢とともに基礎代謝量が減るうえ、退職に代表される社会活動の減少など、環境やライフスタイルの変化も影響していると考えられます」
では、どうすればよいかということで、いくつかヒントを提案しています。
「質のよい眠りを得るためには、積極的に社会と関わり、生活にメリハリをつけることが重要です。それには、一日三食食べることと体を動かす軽い運動が効果的。きちんと三食食べることは生活リズムの基本となります」まずは、散歩や買い物など外出をして日中に活動するリズムを作ることが大切なようです。
次に、朝の日光を浴びることも大切ですが、寝る前の軽い運動も良いそうです。軽い運動は、体温を上げ入眠しやすい体のサイクルを作り、これは筋力向上や、転倒防止にも有効なので一石二鳥です。就寝前の入浴も副交感神経が働くので、リラックス効果があります。他には、睡眠前の水分補給、さらに、香りや音楽を効果的に使うこともすすめています。ラベンダーやサンダルウッド、カモミールなどの香りは、沈静作用もあり快眠を誘います。五感に柔らかな刺激を与える、ゆったりとした音楽など、それぞれの人に合ったリラックスできる環境を整えることが大切なようです。
眠れないと嘆くより、工夫をしてみることです。
投稿者 fujimori : 22:54 | コメント (4)
2008年08月09日 [近頃思うこと]
オリンピックと論語
昨日は、遅くまでオリンピックの開会式を見てしまいました。さすが中国という感じで、ダイナミックで、中国の長い歴史と、現在の息吹を感じる素晴らしい企画でした。しかし、それが立派であればあるほど、もう二度と日本ではオリンピックはやるべきではないという気がしました。オリンピックの招致をキャンペーンしている東京都の住人としては、こんなことを言うのは不謹慎かもしれませんが、こんなオリンピックはもう、時代遅れかもしれないということを思ってしまったのは、私だけだったでしょうか。
開会式では、「有朋自遠方來,不亦樂乎」から始まり、ずっと論語をBGMとして読んでいました。中国では、数年前から「論語」がブームのようです。それに呼応するかのように、日本でも論語を様々な観点から読み解いた書物が出版され、一昨年の 読売新聞でそのうち何冊か紹介されていました。論語というと、漢文の授業というイメージでしたが、紹介されていた本は、発想を変えて見直したものです。
神戸大学名誉教授の一海知義さんの「論語語論」(藤原書店)では、論語の内容を、言葉を分解し、それを分析することから論語を読み解いていこうとするものです。例えば、まず、「論語」という題名もそういう意味であるかということから解説します。当然のように私たちは「論語」という題名を言っていますが、改めてその意味を考えると、中を読み進めていくことで深まっていきます。
論語は、字からそのまま意味を考えると「語を論ず」ということですが、実際は、論語は言語論ではなく、孔子の言行録なのです。それなのに、なぜ論語というかということや、原本に「女」という字が19回も出てくるのはなぜかということを、一語一語の意味を吟味しつつ、教えをたどっています。しかも、私からすると一海さんは関西人だけあって、なんだかおちょくっているようにも聞こえます。
孔子を「おもろいオッサン」だと評し、「教え魔で、たくさんいた弟子には、相手によっていろいろな説明のしかたをする。思想家であり、教育者だった」といいます。
述而篇に「子不語怪,力,亂,神。」(子は怪・力・乱・神を語らず)と、霊魂を語らないと言っていながら、別の篇で「神」を論じています。それを「一般的な話としては霊魂を論じるが、若い時代には神に混じらん方がいい、と思っていた。だから、若い弟子に神を語らなかったのだ」と書いています。そして、「孔子はプラグマチックで、人間中心主義。霊魂の世界を否定はしないけど、人生にとってあまり大切ではない。人間がどう生きるかが大切なのだと説いて、大変な共感を得たんです」と結んでいます。このような解説を読むと、孔子が身近に感じられますね。
大阪大学名誉教授の加地伸行さんは、「すらすら読める論語」(講談社)の中で、絶海の孤島に1冊だけ本を持っていくなら、必ず論語を選ぶと言っています。それは、「論語を読むことで得られる知恵は〈人生の用心棒〉となる」からだそうです。
なぜ今、論語かということを、広島大学助教授の加藤徹さんは「漢文力」(中央公論新社)の中で、「論語は“東洋のバイブル”と言われる一方、庶民にとって身近な存在。敷居が低く、間口が広いので、時代を超えていろいろな人が語りたくなる格別な本なのでしょう」と語り、「楽天的でおもしろく、処世訓も詰まっている。右肩上がりではなく、階段の踊り場のような時代にあって、しみじみと人生を考えるのに役立つからではないか」と論じています。なんだか、あの派手な開会式とは不釣合いの気がします。
投稿者 fujimori : 20:33 | コメント (4)
2008年08月08日 [近頃思うこと]
キャプテン
今、甲子園で夏の高校野球の熱戦が繰り広げられています。最近、どうもプロ野球の人気がなくなってきていますが、高校野球は郷土愛と相まって、夏の人気のあるイベントです。今年も、甲子園のグランドでは、様々なドラマが繰り広げられていることでしょうし、新しいスターも生まれることでしょう。
そんな姿を描いた漫画やドラマが昔から色々とあります。それは、野球は日本人が好きなチームプレーのゲームであるので、その集団の人間関係があるドラマを生むからです。また、主人公の成長を描き、そのために特訓といわれる練習にもドラマがあります。また、チームプレーでありながら、ピッチャーとバッターという1対1での対決場面が緊張を生み、それがライバルとして切磋琢磨がまたドラマを生んでいきます。また、ピッチャーが投げる球は、バッターを討ち取るために様々な魔球を生み出していきます。
私は、今は余り漫画を読まないのですが、子どものころは、野球漫画に夢中になりました。その思い出の中で一番古いものは、「スポーツマン金太郎」という漫画です。作者は寺田ヒロオですが、最近亡くなられた赤塚不二夫などと同様、伝説的な「手塚治虫チルドレン」の漫画家たちの梁山泊「トキワ荘」での住人でした。昭和35年ごろ、創刊まもなくの週刊少年漫画雑誌「週刊少年サンデー」に連載された作品で、ほのぼのしたストーリーでスポーツ少年達の生活や友情を描いています。ライバルは、なんと「桃太郎」という少年でした。
その翌年からは、後の野球漫画に大きな影響を及ぼす「ちかいの魔球」が「週間少年マガジン」に連載されます。作者は、ちばてつやですが、様々な魔球を生み出します。特に消える魔球が有名です。その連載が終わると、同じマガジンに「黒い秘密兵器」が始まります。原作は福本和也で一峰大二の野球漫画で、やはり様々な魔球が生み出されます。この2作品はとても人気があったのですが、魔球はアニメになりにくく、テレビ化はされませんでした。初めてテレビアニメ化されたのは、これらに影響され、アニメ界で伝説的なほど国民を熱狂させたのが、「巨人の星」(1966年、梶原一騎・川崎のぼる)です。これは、いわゆる「スポ根(スポーツ根性)」ものとして、様々なスポーツ漫画に影響を与えていきます。最近、CMにも「大リーグボール養成ギプス」のパロディのようなものが流れています。また、「父親の卓袱台ひっくり返し」、「木の陰から見守る姉」など古い日本の姿を描いています。原作の梶原一騎は、格闘技が好きなだけあって、人間の成長、勝負と友情と愛情、師弟の絆を描いており、それが余りに強いために、水島新司は「巨人の星」を痛烈に批判し、「ドカベン」「野球狂の詩」「男どアホウ甲子園」「一球さん」「球道くん」「ダントツ」「あぶさん」などを描いていきます。
そして、私がコミック本として全巻持っているものに「キャプテン」(1972年)と「プレイボール」(1973年)があります。ともに、「ちかいの魔球」の作者ちばてつやの弟のちばあきおの作品です。これらの作品は、それまでの昭和の高度経済成長と共に歩んできたヒーローものと違って、現実的で、欠点を持ちあわせ、魔球も無ければ、恋愛の要素を微塵も感じさせない、極めて等身大の中学生を主人公に描いた飾り気のない野球まんがです。「キャプテン」は、コミック累計発行部数は1,900万部で、その続編ともいえる主人公谷口タカオの高校進学後を描いた「プレイボール」の1,300万部をあわせると、実に3,200万部にもなります。1977年には、第22回小学館漫画賞を受賞しました。
高校野球には、プロ野球と違って、等身大の、ひたむきな青春ドラマがあるので、人気があるのでしょうね。
投稿者 fujimori : 23:53 | コメント (4)
2008年08月07日 [近頃思うこと]
トップ
今月のWEDGEのトップ特集は、「伊勢丹流・トヨタ式 マネしても会社は甦らない」です。
伊勢丹は、小売業界の商品改革をしました。それは、「顧客起点に立ったものの考え方とその行動のことです。言葉では簡単ですが、社員一人ひとりの実際の行動に現れている企業は少ないでしょう」と、JR京都伊勢丹の運営会社社長として開業に関わった川中さんの言葉です。その基本にあるのは、「マーチャンダイジング・ノート」です。マーチャンダイジングとは、卸売業者や小売業者のような流通業者が、そのマーケティング目標を達成するために行う商品構成、仕入れ、販売方法、価格設定、陳列、販売促進等を計画・実行・管理することです。日本語では、商品化計画といいます。
そのようなマーチャンダイジングの項目を細かく書いたノートを常に持ち歩き、それは常に確認するのです。例えば、「完全な品揃え」のために考えるべき項目は何かということで、商品(色、素材、…)、想定顧客(性別、年齢、ライフスタイル、…)、実施手法(仕入れ、原価、展開方法、…)などと細分化された多彩な項目が書かれています。そして、伊勢丹社員は、売る商品一つひとつについてそのすべてを定義付けられるように叩き込まれます。こうして、新宿駅から遠いハンデを乗り越え、顧客獲得に成功したのです。
一方トヨタは、「トヨタ式の本質は、かんばん方式やカイゼン運動といった技法にあるだけでなく、個々の人材が、何が必要であるかというものの見方、考え方を身につけ、厳しい仕事をやり切る姿勢とそれを定着させる組織の強さ、風土にある」と、PEC産業教育センター所長の山田さんは語っています。
このように、小売り業界の商品政策を改革する「伊勢丹流」と、生産、物流現場などの改善のために導入される「トヨタ式」を取り入れようと、両社のOBやコンサルタントを招いているようです。しかし、現実はそんなに甘いものではないようです。
伊勢丹から人材輩出した企業は、京急百貨店、小田急百貨店、松坂屋、イトーヨーカドー堂などであり、業身提携した企業も、名鉄百貨店、東急百貨店などがあります。また、郵便事業会社は、トヨタ方式に基づくシステムを導入しました。これらの企業は、受け入れての改革は成功しているのでしょうか。そこには、また違った視点が出てきたようです。それは、「改革に必要なものは手法ではなく、受け入れ側の覚悟」であるといいます。どうも、新しい方式を自分のものにできていな企業を見ると、この問題の本質は、受け入れ側の風土とトップの意識にあることがわかります。流儀だけをマネても、会社は甦らないようです。
その理由を、このように書かれています。「どの組織も「自己流の仕事の仕方」に固執してしまうもの。自己流こそが最善と信じてきた現場、自己流を変えるだけの危機感のない現場が、伊勢丹流やトヨタ式による改革で抵抗勢力と化すのは、当たり前といえる。それを打ち破ることができるのは、受け入れ企業のトップだけだ」さらに、こういいます。「改革によってどの高みを目指すのか、トップが覚悟を持ち、新しい仕事の仕方を組織に注入するパートナーに任せることが大事だ。任せるといっても、アウトソーシングのように考えてはいけない。現場の抵抗や反発の矢面に立ち、危機感を植えつけ、時間とパワーを注ぎ込んで社員の意識を変え、新しいやり方を定着させる―すべてトップの役割なのだ。」
今日と明日は、私が主宰する研修会があり、その中で「リーダーシップ論」の話をします。
投稿者 fujimori : 22:51 | コメント (4)
2008年08月06日 [新聞記事より]
羽生
将棋界を20年近く引っ張ってきた羽生善治さんが、ついに名人通算5期で得られる「永世名人」の有資格者となったというニュースが今年の6月に流れました。江戸時代以来、将棋の名人は世襲制でしたが、日本将棋連盟が1935年に「300年続いた一世名人を廃する」と発表しました。今この資格は、通算5期名人位を獲得しなければなれないのですが、印象としてはずいぶん遅いという感じがします。彼が初の名人獲得から14年もかかっているからです。私は素人なので、将棋界のさまざまなタイトルがどのような意味を持っているのはよくわかりませんが、羽生が何度もいろいろなタイトルを取っているというイメージがあります。
今年の7月、NHKテレビのプロフェッショナルという番組で、「将棋界で最も伝統のあるタイトル・名人戦。今年の対局は、4期連続で名人の座を守る森内俊之と挑戦者・羽生善治。二人は、「宿命のライバル」、同期で同い年、小学4年生以来、27年に渡ってしのぎを削ってきた」という内容で放送されていました。この森内の方は、1年前、羽生に先立って「永世名人」の資格を獲得していますので、羽生はさぞかし悔しかっただろうと思います。しかし、羽生は、「ここ10年は今までの将棋の歴史のなかで一番変化が大きい時代。そのなかで、謙遜ではなく、自分自身は決してトップランナーではなかった。いかにして追いつき、新しい感覚を身につけるかに忙しかった」
同じプロフェッショナルという番組で、羽生個人が2月に取り上げられたことがありました。その中で「才能とは、一瞬のひらめきやきらめきではなく、情熱や努力を継続できる力だ」。また、「守りに入り、リスクを取らなければ、そこからは何も生まれない」と、リスクがあっても、常に新しいものに挑戦することで成長があると言っています。このように、若い頃から天才といわれながらも、戦うたびに、悩んだり、苦しんだりしながら学究的な志や、相手に勝ちたい闘争心や名誉欲、金銭欲などを超えて、ただ「将棋の鉱脈の深さには本当に驚きました」と楽しそうに話しています。本当に将棋が好きなんだなあという感じがします。
彼は、私の住んでいる東京西部、JR八王子駅近くにある八王子将棋クラブに小学生時代通っていました。その頃の話を母親のハツさんが新聞紙上(先週土曜日の朝日新聞夕刊)で語っています。
「将棋はいい加減にして、もっと勉強をしなさいとは言わなかったのですか?」「そんなことは言いませんでした。それほど、不思議なことでしょうか。善治が楽しそうに将棋をしている姿を見るのが、私はとても好きでした」と答えています。
「小学校の高学年のころでしょうか、善治の友達のお母さんに言われたことがあるんです。そんなに頭がいいんだったら、勉強をさせて東大に行かせなさいよって。でもね、善治が好きだったのは、勉強ではなく、将棋だったんですよ」
羽生の母親も父親も将棋のルールさえ知らなかったそうです。ですから、将棋の世界にプロがあり、将棋を指して生活していけるとは思ってもいなかったようです。八王子の将棋道場に通わせていたのも、親が買い物をするとき、託児所的に利用したということもあるそうです。そんな母親の子どもに対する態度を、記者はこう結んでいます。
「ただただ、子どもを見守っている」ということも、覚悟のいる「教育」だったに違いない。
投稿者 fujimori : 23:40 | コメント (4)
2008年08月05日 [近頃思うこと]
雷
今日の東京は、午後激しい雷雨に見舞われました。すざましい稲光と轟音がしてしばらくすると、園の横を数台の消防自動車が通っていきました。あとのニュースで知ったのですが、このゲリラ豪雨のため下水道内が急に増水し、下水道内にいた作業員5人が増水で流されてしまったのです。
また、どうしても外に出る用があったので、小降りになったときに急いで出かけたのですが、電車が止まって、駅は大騒ぎでした。今日の雷雨は、さまざまな被害をもたらしたようです。床上・床下浸水、地中のガス管が折れ、ガス漏れ、停電、電話が不通、電力メーターなどが焼ける、飛行機の遅れなどです。本当にいろいろなところに影響を及ぼしています。
昔から「地震、雷、火事、親父」といわれてように雷は恐れられていましたが、そんなにさまざまな被害はなかったと思います。多くは、直接的落雷による被害か、それによって火事が起きての被害がほとんどでした。しかし、今は、色々な警戒をしなければなりません。地震が起きたときに、「すぐ机の下にもぐりこむ」「すぐ火を止める」「非難口を確保するために窓や戸を開ける」などの対応が言われています。では、家の中にいるときに、近くで落雷があって、こちらに近づいてきたときにすぐしなければいけない対応はなんでしょうか。
それは、使用しない時や雷が来そうな時は、電源を切ってパソコンやケーブルモデムの電源プラグを コンセントから抜いておくことが必要です。コンピュータ機器だけではなく、一般の家電製品も、網のように張り巡らされた電線によって雷の被害にさらされる危険があるのです。それは、どこかに落雷した電気が、電線や電話線を通じて流れてくることによって、「過剰電流」が流れて、電気機器が壊れてしまうことがあるからです。そうでなければ、避雷器(アレスター)内蔵のテーブルタップ(延長コード)を使ってパソコンやケーブルモデムの電源プラグを接続しておけば防ぐことは出来ます。
次の雷対策は、通信機器の回線への対処です。パソコンや家電製品などは、大抵ブレーカなどの保安器が作動して防ぐことができますが、電話回線には保安器が取り付けられていない場合が多いので、雷による被害を防ぐ必要があります。そのためにも、専用の保護機器があるようです。このような通信回路は、今は電話だけではありません。インターネット接続回線にADSL/CATV回線を利用しているユーザーが増えていますが、その回線にも保護機器は必要です。
「雷」という文字は、「カミナリ」とか「イカヅチ」とも読みます。男の怒りを雷鳴(鳴神)に例えたり、単に「神」とも言ったことから、雷の名称が怒りに出ているといわれています。怒声の雷鳴と、蛇形の雷光が合ってできた名称が、イカヅチであったと言えるようです。
最近の異常気象は人間が今まで自然に対してしてきたことでの怒りであるのでしょう。その怒りに対して、ただへそを押さえればよいという時代から、様々な対策をしなければならなくなってきています。
投稿者 fujimori : 22:08 | コメント (4)
2008年08月04日 [講演先にて]
奄美の自然2
保育園児は、夕方親が必ず迎えに来ることを信じて待っています。子どもたちは、親が自分を必ず守ってくれることを信じています。
アマミノクロウサギは、親の巣と別に穴を掘って、そこに子ウサギを産み、ほぼ二日に一度授乳にやってきます。それ以外は入口を土で閉じてしまいます。その生態は、昔から言い伝えられてきました。しかし、それを実証し、カメラに収めたのが、奄美に住むカメラマンの浜田さんでした。母親ウサギは、子どもは1匹しか産まないようです。その子ウサギは、安全のために親と違う巣の中で眠ります。そのなかには、葉っぱを敷きつめてあります。母親は、子ウサギのいる穴の入り口に来ると、慎重にその穴の入り口を掘り、開けます。すると、入り口まで子ウサギが出てきて、母親は子ウサギに授乳をします。その時間、5分足らずで、それが終わると、母親は急いで巣穴を閉じ始めます。前脚で土をかき集め、穴の中に押し込み、30分以上もかけて巣穴の入り口を、何度も何度も土をぺたぺた、とんとん、まるで壁でもぬりかためるようにふさいでいくのだといいます。そして、真っ暗になった穴の中で、子ウサギは、またきっと母親が来てくれることを信じてじっと待っているのです。
浜田さんが撮った観察ビデオをいもとさんが見て、トントンと穴をふさぐ作業は、もしかしたら、穴の中の子どもが眠るまで、よく親が寝付くまでやってあげるトントンではないかをいうことで、絵本の構想は生まれました。それが、講談社発行「とんとんとんのこもりうた」(著:いもとようこ)です。この絵本は、第34回造本装幀コンクールで文部大臣賞を受賞しています。
また、奄美にはほかにも珍しい植物も生息しています。その代表的な物のひとつのガジュマルは、その樹形から幸福をもたらす精霊が宿っている木とも言われています。
ちなみに、「ガジュマル」とは沖縄地方の呼び名です。たしかに、その異様な姿形は、精霊とか妖精のように見えます。それは、幹がいろいろな方向に分かれているからです。また、幹から気根といわれる根が垂れ下がり、自分の幹に絡みつき、また、太くなり幹のように樹皮が発達していきます。そして、その気根は、地面にまで達し、幹と同じようになり、何本も幹があるような樹形になります。そんな姿からか、そこには、奄美ではケンムンとよばれる妖怪が棲んでいると恐れられていました。
もうひとつは、マングローブです。今回は、マングローブ体験のカヌーには乗ることができませんでしたが、展望台からマングローブ原生林を見ることが出来ました。
このマングローブとは、木の名前だったり植物の名前ではありません。熱帯や亜熱帯地域の河口など、満潮になると海水が満ちてくるところに生えている植物をまとめてマングローブと呼んでいます。このマングローブには、様々なカニ、魚、貝、エビなどのほか、森にはサルなど様々な動物も住んでいますし、水鳥たちの餌場であったり、休息の場所です。しかし、世界のマングローブ林は切られてしまったり、エビの養殖池になってしまったりとだんだん減ってきて、このような動物たちの住む場所がなくなってきています。また、日本以外の国では、マングローブの森に住んでいる人たちがたくさんいますが、マングローブ林が減ってきて、このような人たちの家を作る木材や、料理を作る時の燃料としてのまきや炭も少なくなってしまっています。
大切にしなければならないものは、たくさんありますね。
投稿者 fujimori : 21:20 | コメント (4)
2008年08月03日 [講演先にて]
奄美の自然
水俣から移動した奄美大島では、カメラマンの浜田太さんの話を聞く機会がありました。彼は、NHKのBSハイビジョン特集で、それぞれの角度やスタンスで日本の野生に挑んでいる3人を紹介する番組「日本人カメラマン野生に挑むシリーズ」に登場した一人です。浜田さんは奄美大島生まれで、最初、講談社写真部に入社しますが、奄美大島に戻り、写真事務所を設立しました。ここで、奄美の自然と文化をテーマに撮影を始め、特にアマミクロウサギの撮影活動で有名です。
今回は、このハイビジョンで放送されたダイジェストと、奄美大島の魅力と警戒心が強く、撮影が困難とされる特別天然記念物のアマミクロウサギを撮影するまでの苦労話や、自然に対する思いをお聞きしました。
奄美に戻ったとき、自分が育ったふるさとでありながら、「こんな素晴らしいところがたくさんありますよ」と言えなかったことに恥ずかしくなり、以来、テーマ探しは故郷を知ることから始まったそうです。それまでの奄美に対するイメージは、エメラルドブルーと青い空、そして白い砂浜と、南の島を形容する「海」だったのです。それに反して、奄美の森にはケンムン(キジムナー)が棲んでいると言われ、「森には入るな!」という価値観でしか見ていませんでした。そんな夜の山奥の林道へ「アマミノクロウサギに会いたい」ということで車を走らせたのです。そこで、その後何年かのテーマとなる「アマミノクロウサギ」に出会うのです。
奄美大島は今から150万年頃までアジア大陸と繋がっていました。ですから、島の森には、1千万年という太古から受け継いだ生命が脈々と生きています。数年前に奄美を訪れたときに、この浜田さんの案内で、金作原国有林を案内していただいたことがありました。ここは、奄美大島の山々の中でも、天然の亜熱帯広葉樹が多数残っている原生林です。樹齢130年といわれるイタジイ、イジュ、タブの木が主で、これらの老齢の樹林内には、まるで恐竜時代さながらの世界最大の木生シダであるヒカゲヘゴ、妖怪のように木々に着生するオオタニワタリ、ひげ状の気根がやがて根となり巨木となるガジュマル等、奄美固有の植物なども見られ、霧が立ち込めたこの苔むした森の美しさと神秘さは、まさに、ジェラシックパークの映画さながら、今にも恐竜が出てきそうな古代の様相を呈しています。

鹿児島県観光交流局観光課HPより
ここには、とても貴重な国指定天然記念物のルリカケス、アカヒゲ、オオストンオオアカゲラなど固有種の鳥や動物が生息しています。なかでも、アマミノクロウサギは、謎の生き物としてこの島の森に生き続けているのです。それは、毒蛇と恐れられ、しかし「森の守り神」といわれるハブの住処があるために人の出入りがあまりなく、人間に荒らされずに、森の中はエネルギーに満ち溢れ究極の共存関係を結んでいるのです。
浜田さんは、こう言っています。「いつの時代にも新たな文化を携えた人々がやってきてその文化を取り入れ気の遠くなるような時間をかけて積み重ねて来たのではないか。そこには、厳しい風土と様々な歴史に翻弄されながら生きつづけてきた私たち祖先の姿があるような気がした。最近奄美の自然と文化が世界的な評価を受けている。それも全て祖先が守り育んできた私たちのアイデンティティ―なのだと思うと今私たちが何をすべきか問われているような気がする」
投稿者 fujimori : 22:25 | コメント (4)
2008年08月02日 [近頃思うこと]
林業
棚田同様、森林には、木材等の林産物を供給するという役割だけでなく、さまざまな公益的機能が備わっており、これらの公益的機能は人々の生活と深くかかわっています。
この森林に入り、主として樹木を伐採することによって、木材を生産する産業を第1次産業と学生のころ習いました。しかし、この林業は、付随して、森林資源を育成したり、森林の持つ公益的機能を保持する役割も担っているのです。熊本県水俣は、林業の盛んな地域でした。それが、最近、跡継ぎがいないなどの理由で、どんどん衰退しています。また、日本の林業は国際競争の激化による木材価格の低下から競争力を失い、森林の手入れも充分ではなくなってきています。このような人工林の荒廃は、水源涵養機能や表面侵食防止機能などの公益的機能を低下させ、その損害は周辺の住民全体が被っています。
この何次産業というわけ方は、コーリン・グラント・クラークというイギリス人の経済学者が分類したもので、同時に彼は、民経済を考察するに際して、GNP概念を先駆的に用いたことでも有名です。しかし、最近はそのわけ方は古典的なものになっています。
そのときに分けた第一次産業は、自然界に働きかけて直接に富を取得する産業が分類され、第二次産業は、第一次産業が採取・生産した原材料を加工して富を作り出す産業が分類され、第三次産業には、第一次産業にも第二次産業にも分類されない産業が分類されました。しかし、最近は、農業の経営形態の新しい形として提唱された第6次産業のように、それぞれが複合的に結び合い、包括しあう色々な産業が見直されていますが、これからの時代は、この第1次産業を見直すことが大切なような気がします。
特に、日本は、国土の3分の2を森林が占める世界有数の森林国であり、森林がもつ多様な公益機能が期待されています。森林は地表の落葉や地中の根っこ等の活動により、雨水の貯留能力を増大させ、雨水等の河川への流出を平準化させています。また、その流出の過程で水質を浄化しています。そして、地中に根を張り巡らすことなどにより、土砂の崩壊や流出を防止しています。また、騒音を吸収したり風害を防いだり生活環境を守っています。また、最近人気があるのが、森林浴・ハイキング・キャンプ等のレクリエーションの場としての活用です。森林は、人に安らぎを与え、心の緊張を和らげます。
それらの中で最近特に注目を浴びているのが、地球温暖化の原因となる大気中の二酸化炭素を光合成により吸収し、幹や根などに有機物として貯蔵することにより、地球温暖化の防止に重要な役割を果たしていることです。そこで、京都議定書に基づく温室効果ガスの6%削減約束を達成していくためには、間伐等の森林整備・保全を一層加速化していくことが必要となっているのです。
先日、石油の高騰による前面漁の中止をしましたが、漁業を新たに考え直す必要があると同時に、農業とともに林業も今後考えていかなければならない問題なのでしょう。クラークは、経済発展につれて第一次産業から第二次産業、第三次産業へと産業がシフトしていくことを提示しましたが、確かに今までは、そのようにシフトしてきた観があります。しかし、自然界に働きかける第1次産業は、狭い地球の中で様々な生き物が共生していく上で、第1に考えなければいけない、とても大切な産業です。人間の一方的な利益のためだけの産業は、結局は人間にそのつけは回ってくるでしょう。
投稿者 fujimori : 22:41 | コメント (4)
2008年08月01日 [講演先にて]
寒川
7月29日と30日の二日続けて、朝日新聞の社説は、「水」を取り上げていました。
29日は、「らちの明かない議論を「水掛け論」と言うが、水争いから生まれた言葉ともされる。農家にとって水は命である。かんがい施設の整う以前は、日照りが続くと、水をめぐるいさかいが頻発した」という書き出しから、きびしい「水争い」がいま、アジア各地で起きている事情について書かれています。そして、地球は水の惑星であるが、ほとんどは海水で、淡水は2.5%にすぎず、水を安定的に得るのが困難な人たちは、いま世界で約25億人にのぼっていると書かれています。それが、今世紀半ばには約40億人に増えるそうです。現在の石油高騰による困難さは、将来、食糧輸入の多い日本は、農畜産物を育てるための膨大な水を、実は外国に頼っているということから、わが食卓が世界の水につながっていることを、忘れまいと警告しています。
30日の社説では、水のありがたさから、一転して、神戸市の都賀川での水難自己の恐ろしさを取り上げています。「明治の初めに来日したオランダの治水技師ヨハネス・デレーケは、富山県の常願寺川を見て「これは川ではない。滝だ」と驚いたそうだ。高い山から海へと急ぐ姿に、欧州の平野をゆったり流れる川とは違う厳しさを見たのだろう」そうした河川が、山がちな日本には多いということから、「自然に親しむ機会の多い夏休みである。大いに楽しみながらも、秘めたる「牙」への用心はゆめゆめ忘れぬよう」と警告を発しています。
講演で訪れている水俣で、少しの時間の合間を見つけて、久木野地区寒川集落に連れて行ってもらいました。この集落は、水俣市の東部の山村で、水俣川の源流部に位置する集落です。この集落内においしい水が1日に3000トン湧く「寒川水源」があります。
標高約900メートルの大関山に降った雨が幾層もの地下水で浄化され、標高約310メートルの寒川地区にわき出るもので、水温は、四季を通じて14℃を保ち、夏場も水が冷たいことが地名の由来となりました。「熊本名水百選」にも選ばれ、夏の避暑地として県内外に知られており、そうめん流しの場としても有名です。
ここから下流に3km続く日本でも有数の地元から出た石を積んだ見事な棚田があります。
この久木野地区の棚田は約100ha、その中で寒川の棚田には30haの広さに700枚ほどの田が広がって、これだけの面積の棚田は日本でも有数のものだそうです。ここは、夏の昼間は平地よりわずかに涼しい程度ですが、夜の気温がぐんと下がり、昼夜の寒暖差が大きいため、おいしい米が取れることで評判です。この寒川の棚田は「日本の棚田100選」や「くまもと景観賞」に選ばれていて、今は、稲が青々と育っていますが、田植えの前後は、水面にまわりの景色が映ってきれいに見えるそうです。梅雨時は、菖蒲や紫陽花の花が咲き、お盆のころには、稲に花が咲きます。9月下旬は、稲が黄色くなって、畦には彼岸花が咲き、冬の間は、稲刈りを終えた後の棚田の石垣をじっくり見ることができるそうで、四季折々美しい姿を見せてくれるようです。
しかし、棚田は、降った雨を一時的にためる働き、生き物を育てる働き、周囲の空気を冷やす働きなど「農地の公益的な機能」を持っています。農地が減ってきたということは、自給率の低下というだけでなく、二日にわたる社説の問題にも関係してくるのです。