唐傘

ここ数日、日本列島をゲリラ雨が襲っています。東京でも、ものすごい雷の稲妻と音とともに激しい雨が降り、傘を差していても足元はずぶぬれです。また、傘からも水滴が落ちるほど滝のように降り注ぎます。こんな雨ではなく、しとしとと降る雨ですが、そんな雨に傘を差す歌があります。今の人が思い出すのは、「雨降りくまの子」です。なかなか雨がやみそうにないので、くまの子は、傘でもかぶっていようと、頭に葉っぱを乗せるのです。
最近の子どもたちは歌うのか分かりませんが、私たちがよく歌った歌は、大正14年に北原白秋作詞、中山晋平作曲の「あめふり」です。「あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」迎えに来てくれた母親が持ってきた傘は、「蛇の目傘」です。同年、野口雨情作詞、中山晋平作曲の「雨降りお月さん」では、「雨降りお月さん 雲の蔭(かげ) お嫁にゆくときゃ 誰とゆく 一人で傘(からかさ) さしてゆく 傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた お馬にゆられて ぬれてゆく」一人で、唐傘を差して行きます。この頃は、傘と書いて「からかさ」と読んだように、傘といえば、蛇の目傘とか、唐傘のことを言いました。
この唐傘というのは、その字のとおり、古代に大陸から伝来したためだという説が一般的でしたが、最近の説では、て、日本で開閉式に改良したことで、開け閉めが自由にできるカラクリ細工の傘、唐繰傘(唐繰は絡繰と同義語)の略語だといわれています。東洋では、傘はまず、魔除などの目的で、貴人に差しかける天蓋(開閉できない傘)として古代中国で発明され、その後、飛鳥時代の552年に仏教の儀式用の道具として朝鮮半島(百済王)から貢物として日本に献上され、「きぬがさ」(絹笠、衣笠)と呼ばれました。平安絵巻に見られる傘は貴人に差しかける、開いたままの傘で閉じることが出来ないものです。それを改良して、現在の複雑な構造にしていったので、往時の人々が「からくり」と思ったのでしょう。
この和傘には番傘と蛇の目傘があります。蛇の目傘は、傘の中央部と縁に青い紙、その中間に白い紙を張って、開いた傘を上から見た際に蛇の目模様となるようにした物で、外側の輪を黒く塗ったり、渋を塗るなどします。一方、番傘は江戸時代から広く民衆の間で使われるようになり、昭和に入ってからも終戦前後まで日常生活で使われていました。
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蛇の目傘が細身で美しい女性的な和傘であるのに対して、番傘はがっしりと丈夫にできており、素朴で独特の渋さがある男性的な和傘です。余計な装飾を施さず、素材の竹と和紙の良さが光り、質素な中にも粋な雰囲気を感じさせ、骨組みだけでなく、柄にも素材の竹をそのまま使っています。そして、傘布に柿渋、亜麻仁油、桐油等を塗って防水加工した油紙を使用しています。
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 昨日訪れた熊本県山鹿は、菊池川のほとりにあり、豊前街道沿いで、熊本県では熊本市についで二番目に栄えた町です。ここからは菊池川を使って米や和紙の傘などは運ばれていきました。この町で、番傘と蛇の目傘を園へのお土産として購入しました。

炭酸水

 園で、ドイツからのお客さんを迎えて、職員室で「ガス入りの水」が話題になりました。ドイツでは、レストランで食事をするときに、日本では当たり前のように出てくる「水」がなく、ミネラルウォーターを注文します。そのときに「ノンガス」と言わなければ、普通は炭酸入りの水が出てきます。園を訪問したときの接待でも、飲み物はコーヒーか炭酸入りの水です。(たまにビールか、ハーブティーか、紅茶が出ることはありますが)炭酸入りの水というと、なんだかサイダーやラムネを思い浮かべますが、それらのように砂糖が入っていないので、私からするととてもまずい飲み物の気がします。どうしてそんなものを好んで飲むのかということが園での話題でした。
 ドイツでは水道の水は他国と比べて大変よく、そのままでも飲むことができます。しかし、園にいくと、子どもたちは水道から汲んだ水に日本でも買うことができるソーダサイホンをという器具を使って水に炭酸を入れて飲んでいるのを見かけました。ヨーロッパ各国や日本で、発泡性ミネラルウォーター(スパークリングウォーター)と無発泡ミネラルウォーター(スティルウォーター)がどのような比率で飲まれているのかというと、1994年の統計で比較すると、日本では、発泡性の消費比率が0.2%ですが、ドイツでは、発泡性の消費比率が89.5%にもなります。
 では、何でそんなに飲むのかというと、もちろん健康のためというよりもその味が好きだからでしょう。基本的には、二酸化炭素は、胃の中に入っても、消化されずに温度が上がったらげっぷになって出て行くだけですから特に害にも、益にもならない気がします。しかし、そのげっぷが出るというのは、満腹感も出るので、食べすぎが気になる人は食前に炭酸飲料を飲むとダイエットになります。また、胃や腸の粘膜を炭酸成分が刺激し、胃腸の煽動を促進するので食欲増進効果があり、体に溜まった疲労物質である乳酸の排泄を促す作用があるので、疲労回復にも効果があるといわれています。また、炭酸が水に溶けていると、水が酸性になるのでカルシウム、マグネシウム、鉄などのミネラルが溶けやすくなり、この状態のミネラルは比較的体に吸収されやすいので、体にいいそうです。
この炭酸水は、飲むのに良いだけではなく、肌にも良いといわれています。少し前に名古屋でスパに行ったときに、ある湯船が炭酸水でした。中に入ると体中に気泡が着きます。なんだかそれだけでも皮膚によい気がしました。実は、炭酸の含まれている温泉(炭酸泉)は、水中の炭酸ガスが皮膚から吸収されると酸素欠乏を察知し、もっと酸素を運んでくるようにと毛細血管を広げることによって、血液の循環をスムーズにしてくれるので、その結果冷え性の改善や疲労回復などに繋がるのです。お肌にも吹き出物にもいいといわれているのです。
また、炭酸ガスは酸素に比べて25倍の透過性を持っています。それに加え、炭酸ガスは水に溶けやすく、油にも溶けやすい性質を持っているので、水と油が混ざった状態の皮膚に効率よく浸透します。ですから、炭酸水は温泉として浸かるだけでなく、肌につけると、血管を拡張し、血流を促進させ肌のすみずみまで酸素や栄養を運んでくれたり、老廃物の排出を促してくれます。血流がよくなると新陳代謝も向上します。
 だからと言って、私はどうも炭酸水は苦手で飲む気にはなりません。ごくごくと一気に飲める日本の水は美味しいですから。

満三歳

どうも、私は強くシンクロニティーを感じるタイプのようです。日本語で言うと「共時性」です。(心に思い浮かぶ事象と現実の出来事が一致すること。ユングの用語)このブログを始めるにあたって、「私は何がしたいのだろうか。」という問いを自分にしてみました。するとそのときに読んでいた本(司馬遼太郎著「峠」)の中の文が答えを代わりに言ってくれている気がしました。
「心を常に曇らさずに保っておくと、物事がよく見える。学問とは何か。心を澄ませ感応力を鋭敏にする道である。」
心を澄ませ、感応力を鋭敏にするための「ブログ」かもしれません。
心は万人共同であり、万人一つである。しかし、人間には、心のほかに気質というものがある。その気質によって、賢愚がある。気質には、不正なる気質と正しき気質とがある。気質が正しからざれば物事にとらわれ、たとえば俗欲、物欲にとらわれ、心が曇り、心の感応力が弱まり、物事がよく見えなくなる。つまり愚者の心になる。学問の道はその気質の陶治にあり、知識の収集にあるのではない。気質がつねにみがかれておけば心はつねに明鏡のごとく曇らず、物事がありありとみえる。その明鏡の状態が良知ということである。」
そして、よく知ることは知るだけでとどめず実行がともなわないといけないと思っています。今、子どもの身に起きている危機は、学んでいるだけでも、知識を蓄えるだけでも、憂いているだけでも、人に伝えるだけでもなく、何かの行動に移さないといけないという思いの一つが「ブログ」かもしれません。
「学問はその知識や解釈を披露したりするものではなく、行動すべきものである。その人間の行動をもってその人間の学問のを見る以外に見てもらう方法がない。」
「人の世は、自分を表現する場なのだ。」
「人の人生はみじかいのだ。己を好まざることを我慢して下手に地を這いずりまわるよりも、おのれの好むところを磨き、のばす、そのことのほうがはるかに大事だ。」
ということで、この「ブログ」を始めることにしました。
これは、2005年8月29日の第1回のブログです。自分では気がつかなかったのですが、職員に言われてみれば、ちょうど今日がブログ3歳の誕生日です。今日から4年目に入ります。ちょっと初めのころは字数が少ないですが、基本的には内容や書きぶりは変わっていません。また、写真だけを掲載して時があり、そのときは1日に2回アップしたので日数とは合わないのですが、昨日で1111回書いています。今は、1日にだいたい1400字から1500字書いていますので、今までに400字詰め原稿用紙に4000枚くらい書いたことになります。それよりも自分で感心するのは、丸3年間1日も休まなかったことです。それは、まず、常に健康であること。次に、毎日書く時間を確保したこと、また、その日過ごすであろう地域のネット環境を事前に予想し、対応を考えておくことなどです。特に、私はかなり色々な地方に行くことが多いので、ヒヤヒヤもんです。ただ、気持ち的には、毎日必ず書こうとは思っていません。そんなに頑張っていないつもりです。しかし、こうなると、書かない日があると、何人かは、私の健康を心配するでしょうね。
ありがたい話しです。

白その2

昨日のブログでも書きましたが、ドイツでは、ビールは「国民の飲み物」です。ですから、16歳から誰でも飲むことができますし、保護者同伴であれば14歳から飲んでもいいそうです。また、価格も誰もがいつでも買えるように低価格です。銘柄により値段は若干異なりますが、ほぼ0.5リットルの瓶ビールは一本65セント(約97円)前後で、ビール税も、0.5リットルあたり4.3セント(約6.5円)で、日本の0.5リットルあたり約111円は、ドイツの約17倍の税金が課されています。
こんな国民の飲み物ですから、世界第3位の消費量といっても、ドイツ国民一人当たりのビールの年間消費量は115.8リットルも飲みます。水の年間消費量は134.8リットルですから、水よりビールのほうが飲まれているかもしれませんね。しかも、量が多いのは、ドイツ人女性の67%、男性では91%が、最低月1回はビールを飲むそうで、一人の人が多く飲むのではなく、多くの人が飲んでいるようです。国民全体の約8割がビールを習慣的に飲むというのも凄いですね。
ミュンヘンでは、この白ビールのほか、よく飲まれているのが「ヘレス」です。麦芽の風味が効いていて、ほんのり甘みがある力強い味わいのビールで、「hell(ヘル)」とは「色が薄い、淡い」という意味で、その名のとおり、このビールの色は淡い黄色い色をしています。
ミュンヘンで白ビールと一緒に食べると通といわれているのが「白ソーセージ」という仔牛肉を使ったソーセージです。その名の通り、白い色をしています。とてもやわらかく、普通のソーセージのように肉々した感じがありません。このソーセージに「甘いマスタード」を付けて食べます。やはり、先日食事をしたドイツ料理店に白ソーセージがあったので頼んでみました。すると、白い色はしていたのですが、調理方法は全く違っていました。普通、ドイツのレストランで白ソーセージを頼むと、お湯に入った状態で出てきます。白ソーセージは焼くのでもなく、茹でるのでもなく、お湯で温めて食べるものです。それなのに、日本では焼いた白ソーセージが出てきたのです。
この白ソーセージには誕生秘話があります。旧市庁舎があるマリエン広場にあったレストランに、カーニバル真っ只中ということもあり、たくさんのお客が来て、いつものように焼きソーセージを注文しました。ところが店主は、ソーセージの肉を詰めるための羊の腸を、すでに使い切ってしまったことに気づきます。そこで、彼はとっさに羊ではなく豚の腸に肉を詰めてしまいます。そして、これを普通に焼いたら皮がはちきれてしまうのではないかと恐れ、ソーセージを熱湯の中で温めてお客に出したところ、これが大好評。それ以来、白ソーセージはミュンヘンの人々に親しまれ、次第に世界中に知られる名物となったということです。ですから、白ソーセージを焼くのは邪道です。
この白ソーセージを少し遅めの朝食として食べることが多いようですが、それは、冷蔵庫のなかった時代、日持ちしない白ソーセージはその日の朝に作り、できるだけ新鮮なうちに食べなければならなかったというのが、風習として残っているようです。ですから、午前中、見学に訪れた幼稚園で、白ビールと白ソーセージ、そして定番のプリッテェルの接待を受けたときにはびっくりしました。
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しかも、園児の遊んでいる園庭のテラスに広げられたパラソルの下でした。
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 日本で味わう白ビールと白ソーセージは、ドイツで寿司を食べた時の違和感と同じなのでしょうね。

白その1

 東京の今日は、少し暑さが戻ってきた観がありますが、それでも夕方にはビールが欲しくなるほどは暑くありません。先日、ドイツ料理店に行きましたが、そこでまず飲んだのがビールです。ドイツ人は、とにかくビールをよく飲みます。一人当たりのビールの年間消費量は、チェコ、アイルランドに次いで世界第3位(2004年現在。日本は32位)だそうです。昼間からみんな普通にビールを飲んでいます。しかも、私が毎年訪れるミュンヘン市のある南部のバイエルン地方は、ドイツの中でも特にビールをよく飲む地方です。ビアグラスの標準サイズは0.5リットルで、ビアホールやビアガーデンでは1リットルのジョッキで飲んでいる人もたくさんいます。一緒に行ったメンバーの中にも、1リットルに挑戦していました。
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 そんなバイエルンでの飲む場所は、昔から市民の憩いの場であるビアガーデンです。今年は6月に訪問したので、ほとんど毎日昼食はビアガーデンでしたが、夜にもたくさんの人が集っています。しかし、この伝統ある場所を楽しむために、バイエルン州には、「ビアガーデンのあり方」をきちんと定めたビアガーデン条例があります。そこには、騒音に関する規則の他、「ビアガーデンの定義」が定められています。その定義のポイントの一つは、「緑に囲まれた「庭」のような雰囲気であること」で、「大きな木々が茂り、木陰に座ることができるビアガーデンが理想的。住宅が密集する地域に住む人々にとっては庭の代わりとなり、緑の中で過ごせる場所を提供できる」、と説明されています。二つ目は、「食べ物の持ち込みが許可されていること」で、「ビアガーデンは社会の様々な階層の人々が共に集うことのできる大切な場。食べ物の持ち込みを許可することにより、収入の少ない人もお金をかけず、気軽に足を運ぶことができるようになる」、との理由付けがされています。なんだか、サラリーマンが会社帰りに、ストレスを発散させるかのように寄る居酒屋とは違って、家族とか、夫婦とか、近所同士とかいう仲間と飲むことが多いような気がします。
そんなときによく飲むビールが、「ヴァイスビア」というバイエルン特産の白ビールです。
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先日行ったドイツ風料理店でもこの白ビールがメニューにあったので頼んでみましたが、ジョッキではなく、瓶ビールでした。本当は、ヴァイスビアには、下の方が細くなっている専用のグラス(容量0.5リットル)があり、レストランなどでは必ずこのグラスで出されるのです。そして、乾杯は、そのグラスの厚くなっている底をぶつけ合います。とてもきれいな音がします。今年、ミュンヘンに行ったとき、日本のようにふちをぶつかあった人のグラスがきれいに上のほうだけ割れてしまいました。確かにふちのほうが薄くなっているし、そこに口をつけるので、そこをぶつけ合ったほうがいいかもしれませんね。
このビールは、白ビールというだけあって、少し白く濁った感じの色が特徴で、原料の最低50%が小麦であることが条件です。味はまろやかで甘みがあり、とってもフルーティーです。「wei〓(ヴァイス)」は「白」、「Weizen(ヴァイツェン)」は「小麦」という意味で、「バイエルンビールの代名詞」とも言えるヴァイスビアを、私はミュンヘンに行くと必ず飲んでいます。
先日、日本でこの白ビールを飲んで、少しドイツを思い出しました。

夏の終わり

園でも、夕方「ヒグラシ」の鳴き声が聞こえてきます。こんな都会でもという思いがあると同時に、なんだか夏の終わりが近づいてきたという、ある寂しさを感じます。しかし、ヒグラシ歯、特に晩夏に鳴くというわけではなさそうですが、朝夕の薄暗い時間帯に「カナカナカナ…」という甲高い声で鳴くその悲しげな鳴き声から晩夏のセミというイメージがあります。
 ここ数日間は、東京では小雨の天気が多いのですが、ちょっとした晴れ間には、まだまだその名の通り「ミーンミンミンミンミー…」と鳴く「ミンミンゼミ」や、都市部の公園等に多く、午後の日が傾きかけた時間帯に「ジジジジジ…」とよく鳴く「アブラゼミ」の鳴き声も聞かれますが、その声も次第に弱くなってきている気がします。こんなに、私たちには身近で、夏の代表のようなセミですが、実はその生態はよくわかっていないようです。
 というのも、セミの幼虫は地中生活で人目に触れず、成虫は飼育が難しいので、その生態の本当のところを調べられないからです。たとえば、「セミの一生ははかない」とか「セミはほとんど地中で過ごし、地上に出てくると1日で死んでしまう」などということが言われてきました。しかし、地中で過ごす年数は種類によって違うようで、7年くらいが多いようで、それに比べて地上に出てから生きている日数のほうが短いのは事実で、日本では古来、無常観を呼び起こさせたようです。そして、蝉の抜け殻を空蝉(うつせみ)と呼んで、現世(うつしみ)とかけて「もののあはれ」を表したりしていました。
 また、セミの生態で、幼虫は地中に居るのは知っているのですが、では、セミは地中に卵を産み付けるのかというと、よくわからない人が多いようです。実は、交尾が終わったメスは枯れ木や樹皮を移動しながら次から次へと産卵管をさし込んで産卵します。産み付けられた卵はその年の秋、または年を越して翌年の初夏に孵化します。孵化した幼虫は地上に降り、すぐさま地中に潜って木の根にとりつき、そこに針のような口を差し込んで樹液を吸い、数年を過ごすのです。数年後の夏の晴れた日の夕方、幼虫は地上に出てきて周囲の樹などに登っていきます。このときは無防備ですので、スズメバチやアリなどに襲われる可能性が強いために、個体もいるため、周囲が明るいうちは羽化を始めない。このため室内でセミの羽化を観察する場合は電気を消して暗くしなくてはならない。夕方地上に現れて日没後、少し暗くなってから羽化を始めます。
 夏休みが終わり、その初日に夏休みの宿題をいっぱい抱えて登校します。その中に、昔の定番だった「昆虫採集」した子が今でもいるのでしょうか。よく、自然保護といいますが、子どもたちの採集でそこいらのセミは絶滅しません。木を一本切り倒すことの方がはるかに多くのセミを殺しているのです。セミ採りは日本の文化です。木で鳴いているセミを見つけたとき、思わず、それを採ってみたくなります。そして、採ったセミを実際に手に取り、目の前で鳴く姿を観察し、それによってセミの理解が深まることが、自然保護につながっていくのです。
 捕虫網を持って、麦藁帽子をかぶって虫を追い掛け回している子どもたちの姿が見られた夏はもうすぐ終わりになります。

印象

 昨日、一昨日とドイツの男子高校生といっしょに過ごしたので、どこに行こうかと迷ってしまいました。妻によると、「ドイツの高校生は日本のアニメ好きだそう。特にワンピースとか、ナルトとか。」ONE PIECE(ワンピース)といっても、女性の服装ではなく、週刊少年ジャンプ(集英社)に連載中の、尾田栄一郎作の少年漫画です。NARUTO -ナルトといっても、ラーメンにはいている具ではなく、やはり週刊少年ジャンプに連載中の岸本斉史による少年漫画作品です。その話しをしたら、「それは、偏見だ!」と怒られてしまいました。
 彼は、とても日本が好きなようです。ですから、ドイツの青年たちが日本についてほとんど知識がなく、興味も余りないことを憂いています。そんな青年たちの中で、日本に興味を持ち、関心をも持っている人たちは、日本のアニメ好きな人たちぐらいだそうです。ですから、日本でも、知っているドイツ人は、一部の日本のアニメ好きな青少年だということになるようです。お互いに相手の国のことをどのくらい知っているかというと、知っている人、知っている場所、知っている出来事からすべてを知ったかの錯覚をしてしまうことがあるようで、なかなか真実を見るのは難しいですね。
 今、NHK大河ドラマで、「篤姫」を放送していますが、彼女の夫である徳川家定の時代の1853年にペリーが浦賀に来航します。そのときに、その黒船を見た日本人は外国に対してある印象を持ったでしょうし、ペリーのほうも日本に対してある印象を持ったでしょう。その印象について、とても興味がありますね。
 日本では、ペリーの来航によってまず感じたのは、「脅威」でしょうね。ずっと、日本だけで平和に、外国から侵されることもなく、自分たちだけの文化を築いていたのに、幕府に開国要求を迫るわけですから。ですから、その脅威に備えるべく、幕府は、江戸の直接防衛のために伊豆代官の江川太郎左衛門に命じて、洋式の海上砲台を建設させます。工事は急ピッチで進められ、翌年、ペリーが2度目の来航をするまでに砲台の一部を完成させます。これが、品川台場(品海砲台)と呼ばれ、この台場に敬意を払って御をつけ、御台場と言ったのが、いまの「お台場」です。
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黒船で2度の来航で、下田、函館の開港をとりつけ、帰路両港を訪問します。そのときにペリーは日本をつぶさに観察し、その遠征航海の公式報告書を編纂し、「日本遠征記」を書いています。その中の教育についての感想は以前のブログでも書きましたが、女性についてこんな印象を持ったようです。「日本の社会には、他の東洋諸国民にまさる日本人民の美点を明らかにしている1特質がある。それは女性が伴侶と認められていて、単なる奴隷として待遇されていないことである。日本の母、妻、および娘は、中国の女のように家畜でもなく。一夫多妻制が存在しないという事実は、日本人があらゆる東洋諸国民のうちで最も道徳的であり、洗練されている国民であるという優れた特性をあらわす著しい特徴である。この恥ずべき習慣のないことは、単に婦人の優れた性質のうちに現れているばかりでなく、家庭の道徳がおおいに一般化しているという当然の結果のなかにも現れている。日本婦人の容姿は悪くない。若い娘はよい姿をして、どちらかといえば美しく、立ち居振舞いはおおいに活発であり、自主的である。それは彼女らが比較的高い尊敬を受けているために生ずる品位の自覚から来るものである。日常相互の友人同士、家族同士の交際には、女も加わるのであって、互いの訪問、茶の会は、合衆国におけると同じように日本でも盛んに行われている」
戦後の男女同権は、本当に同権なのでしょうか。男女同質を求めての運動だったのかもしれません。

オリンピックと風水

今日、北京オリンピックが閉会式を迎えました。今回は成功だったのでしょうか。たぶん、成功だったのでしょう。それは、北京オリンピックの開会式や閉会式が行われたメインスタジアムは、「四神相応」の考え方に基づいて作られていますから。
 今年の4月のブログで、私の園が四神が守ってくれているかもしれないような内容を書いたのですが、実は、私はこの四神についてあまりよく知りませんが、建物について風水の世界ではこの四神が昔からいわれることがあります。四神相応の地形とは「東に川、南に海や湖または広い低地、西に大路、そして北に山や丘」の地理環境を備えた土地のことです。このように建物を作るとき、都を作るときにその場所を四神に相応させることがありました。昔から、町や城などがこれに相応しているといわれることがありますが、本当のことはよくわかりませんので、無理やりのこじつけ的なところもあるような気がしますが。
現在の日本で四神を「山川道澤」に対応させる解釈が一般的となったのは、平安京における京都の位置関係で、北の丹沢山地を玄武、東の左大文字山を青龍砂、西の嵐山を白虎砂、南にあった巨椋池を朱雀とする対応付けができます。(ただ、今は、巨椋池が埋め立てられてしまっています)ここでの対応付けが比較的うまく行ったと考えられた山川道澤との対応付けは、江戸時代以降に主張されるようになったもので、それが一般的な解釈とされるようになったのはようやく明治時代になってからです。このように、四神相応は、中国・朝鮮・日本において、天の四方の方角を司る「四神」の存在に最もふさわしいと伝統的に信じられてきた地勢や地相のことをいいます。ただ最近は、四神と現実の地形との対応付けについて、中国や韓国・朝鮮と日本では大きく異なっているようです。
中国や朝鮮での風水における四神相応は、背後に山、前方に海、湖沼、河川の水が配置されている背山臨水の地を、左右から砂と呼ばれる丘陵もしくは背後の山よりも低い山で囲むことで蔵風聚水(風を蓄え水を集める)の形態となっているものをいう。この場合の四神は、背後の山が玄武、前方の水が朱雀、玄武を背にして左側の砂が青龍、右側が白虎に相応させます。
「四神=山川道澤」説の典拠となっているのは、平安時代に書かれた日本最古の庭園書であり、現在でも造園史家の中でも最もよく研究されている「作庭記」です。この本は寝殿造を念頭においての庭園作りに関することが書かれており、その内容は意匠と施工法などですが、図は全く無く、すべて文章で書き表されています。その中で、理想の庭園の姿として四神相応観が重要視されており、さらに陰陽五行説に基づく理論化がなされています。そして四神としての山川道澤がない場合に、特定の種類の樹木を特定の本数植えることで「四神=山川道澤」の代用となることを説いています。
大相撲の土俵の上には、屋根がかかっていますが、これは、神明造りといわれるもので、その屋根の四隅には4色の房がぶら下がっています。もともとは、4隅に立てられていた柱に巻きつけられていたのもですが、青い房は四神の青龍(東)、白い房は白虎(西)、赤い房は朱雀(南)、紫または黒の房は玄武(北)を表しています。
 風水というと、なんだか占いの世界のような気がしますが、中国だけでなく、日本の古くから伝わっているもの中にも、それに由来するものが数多くあるのですね。また、作庭記ではありませんが、科学的根拠がある場合もあるようです。

トレランス

 ミッキーの着ぐるみへのこだわりなど、いろいろなところに気を使っているディズニーランドですが、ここでは、「割れ窓理論」を適用して成功を収めている一つの例です。日本ディズニーランドでは、従業員のマナーがとてもよいだけでなく、園内もとてもきれいで、いたずら書きや、ごみが落ちていて汚らしいという印象はありません。それは、些細な傷をおろそかにせず、ペンキの塗りなおし等の修繕を惜しみなく夜間に頻繁に行うことで、従業員や来客のマナーが向上させているのです。
この「割れ窓理論」とは、アメリカの心理学者であるジョージ・ケリング博士が提唱した、建物の窓ガラスが割れたまま放置されていると、管理人がいないと思われ、凶悪な犯罪が増えるという理論です。心理学者フィリップ・ジンバルドが1969年に行った行動特性の実験から検証した結論「人は匿名性が保証されている・責任が分散されているといった状態におかれると、自己規制意識が低下し、『没個性化』が生じる。その結果、情緒的・衝動的・非合理的行動が現われ、また周囲の人の行動に感染しやすくなる。」という理論から考えたものです。 1枚目の窓を割るのは心理的抵抗が大きいが,割れている窓が1枚あると他の窓を割る時の心理的抵抗は非常に少ない。すなわち、目に見える軽微な犯行を減少させることで他の犯行の誘発を防ぐという考え方で、ニューヨーク市では地下鉄の無賃乗車や落書きを「割れ窓」に見立て、これらを徹底的に取り締まった結果、劇的に犯罪が減ったといわれています。
 この考え方をアメリカで教育方針に取り入れたのが「ゼロトレランス方式」といわれるものです。トレランス(tolerance)というのは、寛容ということなので、それがゼロということは、寛容せず、細部まで罰則を定めそれに違反した場合は厳密に処分を行うという方式で、日本語では「不寛容方式」「毅然とした対応方式」などと意訳されています。
 この考え方がアメリカで起きたのは、1970年代から学級崩壊が深刻化し、学校構内での銃の持込みや発砲事件、薬物汚染、飲酒、暴力、いじめ、性行為、学力低下や教師への反抗などの諸問題を生じたて目に、その対策を考えなければならなくなったからです。そして、様々な方法を取ったところ、最も実効の上がった方法がゼロトレランス方式だったということです。細部にわたり罰則を定め、違反した場合は速やかに例外なく厳密に罰を与えることで生徒自身の持つ責任を自覚させ、改善が見られない場合は、問題児を集める教育施設への転校や退学処分にし、善良な生徒の教育環境を保護しようとするやり方です。
アメリカではどの党の大統領でも標語として打ち出し、アメリカ連邦議会が各州に同方式の法案化を義務付け、一気に広まっています。そして、この指導法を日本の教育に導入するかどうかの検討が文科省で始まったようです。
なかなか難しい問題です。悪いことをすれば罰されるのは当然ですし、その罰によって自分のしたことへの反省もするでしょう。以前のブログで書いたのですが、私が面倒を見ていた万引きを常習としていた中学生から、それまでの大人から寛容の言葉を聞いていたときには、万引きはそれ程悪くないと思っていたのが、警察に突き出されたときには、これは犯罪だと思って、二度としなくなったと聞きました。本当にやめさせたかったら、早いうちに警察に通報したほうがいいよとも言われました。しかし、本当は、子どもたちへの「正しい理解」と「温かい見守り」が必要だと思うのですが。

着ぐるみ

 北京オリンピックは、余り日本と時間差がないので、どの競技もライブで見ることが出来ます。しかし、私は、どうしても夜ハイライトで見ることが多いので、競技している最中しか見ませんので、競技の合間を見ることが余りありません。そこで、一度ライブを見ていたときの休憩時間に着ぐるみが出てきて、踊っているのを見て、そういえばそんなマスコットがいたなあと思い出しました。
このマスコットは、福娃(フーワー)です。魚、パンダ、聖火、チベットカモシカ、頭にたこを載せたツバメがモチーフになっています。それぞれには名前が付いており、「貝貝(ベイベイ)」「晶晶(ジンジン)」「歓歓(フアンフアン)」「迎迎(インイン)」「ニーニー(ニーは女へんに尼)」といい、名前を合わせると、「北京はあなたを歓迎します」という意味になるそうです。
 私の子どもたちは、小さかったころは着ぐるみを怖がっていましたが、子どもには人気がある場合のほうが多いようです。ですから、何かの宣伝に登場することが多いのですが、他にもさまざまな着ぐるみがあります。一番有名なのは、ディズニーランドのミッキーマウスでしょう。広い会場の中で、何体くらいあるのか分かりませんが、どのミッキーでも同じ動き方をしますし、決して、同時に2体は出現しないように気を使っています。一人のきちんとした人格を持ったその存在を信じている子どもたちの夢を壊さないためです。
これらの着ぐるみは、中に人が入っているのですが、やはり気を使っているのは、なかに人が入っていないかのように見せるために、できるだけ中から外を見る穴を小さく、網などを張ってわからないようにしてあることと、着ぐるみへの出入りを決して人には見せないことです。
ある雑誌の企画で、私の園にウルトラシリーズで有名な円谷プロの怪獣が来たことがありました。そのときに聞いたのですが、怪獣でもそれぞれ性格があり、独特な動きをするので、中に入る人は決まっているそうで、けっして着ぐるみだけを貸し出すことはないそうです。また、園で脱ぎ着をするときには、個室の中で、入り口と反対側に向けた大きなダンボールの中でしていました。それ程気を使っているのですが、私は幸運にも脱ぎ着を見ることが出来ました。それは、電車区の電車の中での撮影に私も出演したからです。電車の中という狭い空間の中ですので、仕方なくみんなの中で脱ぎ着をしました。撮影中は、いちいち脱ぎ着をするのは大変なので、上半身だけ後ろのチャックのところから出して、付き添いの人に中に空気を送り込んでもらっていました。地獄のような暑さと、空気が薄くなる中で、よくあんな軽快な動きができるなあと感心したものです。
いくら着ぐるみといってもプロの自覚があるのですが、どうも、北京でのマスコットは、その辺は無神経のようです。新聞にこんな記事が掲載されていました。「丸っこい着ぐるみは会場入り口付近で踊ったり、親子連れの求めに応じて写真に収まったりしている。ところが、この着ぐるみたち、平気で「中の人」が出てきたり、抜け殻が人目に触れるところに積み上げられたり、子どもたちの夢を壊すことに無頓着だ。」どうも、競技のあとは、無造作に道ばたに積み上げられ、その後、残っている観客の間を通ってカートで運ばれていったそうです。
 見えるところだけでなく、見えないところにも気を使ってもらいたいものです。