昨日のブログでも書いたように、日本庭園には、「寝殿造り庭園」から発展していった「築山泉水様式」とか、禅宗寺などで見る「枯山水」のほかにもうひとつ、「茶庭」といわれる様式があります。安土・桃山時代になると、日本の美に大きな影響を与える「茶の湯」が流行します。その流行とともに茶室や茶道具、そして、庭が整備されていきます。石灯籠、つくばい手水鉢、飛び石、延段、竹垣などが茶の流儀に則って配置されていきます。この様式は、「露地」とも呼ばれ、作庭の三つの流れ式が出来ていきます。そして、江戸時代は、この築山泉水(山水式)様式、枯山水、露地という日本庭園の三大様式をすべてあわせ池庭と石庭が渾然一体となった庭が作られ、それが大名の間で流行したために「大名庭園」とも呼ばれるようになります。庭には、見て味わうほか、散策するために庭もあり、この大名庭園は、広大な大名の庭を散策できるように露地、橋などが造られ、庭の中を散策して楽しむのが特徴です。
これらの庭は、当然「庭師」と呼ばれる人たちが、伝統を取り入れ、新たの様式を生み出し、伝承によって受け継がれていきます。伝説によると、聖徳太子の遺墨とか、印度伝来ともいわれるようなある基準があるようで、築山泉水を造るに、その築庭規矩に基本をおいて、種々の石や、樹木を配し、様々の景を描出していたもので、昔から日本庭園設計の虎の巻とされているそうです。その庭の作り手は「山水河原者、即ち阿弥達であり、江戸時代に入ってからは庭師と呼ばれる職人たちであった」と「日本の庭」には書かれています。
WEDGEの今月号に紹介されているのは、飯田十基に師事して石正園を設立した平井孝幸さんとその弟子の庭師の話です。石正園のHPには、平井さんの言葉が掲載されています。「庭づくりの最高のお手本は自然。自然の美しさにかなうものはない。誰も手をつけず林の中にひっそりとたたずむような庭。それは人の記憶の深いところに潜む、誰もが想像するだろう風景を持った庭である。私の庭であり、あなたの庭でもある。そんな庭を作りたいと、常々思っている。」

彼の師匠であった飯田十基は、昭和を代表する庭師で、等々力渓谷公園などを設計しており、「雑木の庭」という昭和時代の庭園様式を完成させ、それまでになかった庭の美を作り出した人です。
飛鳥時代から受け継がれてきた日本の美は脈々と受け継がれ、現在にもそれは生きているようです。その担い手の一人である平井さんの美意識の根底にあるものについてこう記事の中に書かれています。ライターの人が平井さんを訪れたとき「十基の博覧強記振りはつとに有名だが、さすが門下の平井さんだけあって知識の豊富さは、事務所に通されたとき、書棚の古書、書籍の多さで見て取れた。美意識は感性だけで磨けないということだ。京都修学院離宮の庭の人工と自然の調和美は、施主である後水尾帝の人物を知ることで凄さが加わる。」
彼の弟子になりたい若者は五万といるそうです。岩手出身の彼の弟子の小原さんに「岩手には岩手に適した木、そうだな、ナラ、サルスベリあたりをうまくつかうといい。庭木は育つ、育ちを抑える剪定はおぼえたろ?」などと語る平井さんの言葉から身についた自然観と技量、美しいものを見分ける力が、いずれ岩手の若き庭師として造るであろう日本の庭に生かされるのである。と、ライターの林さんは結んでいます。
「庭造りの最高のお手本が自然」というのは、まさにその通りかもしれません。計算しつくされて作られた日本庭園も素敵ですが、自然の風景に敵うものはないのですね。確かにブログの写真もそうですし、森の中というのは不思議と心が落ち着く場所です。いつか、自分の家を建てた時は最高のお手本を探して、自慢の庭園が欲しいと思ってしまいました。
庭師平井さんを訪れたライターさんが「美意識は感性だけで磨けないということだ」との指摘はまさにその通りで、昨日のブログでも紹介されていたように歴史や哲学への精通が「庭造り」には必要不可欠との意に通じることでしょう。しかし「育ちを抑える剪定はおぼえたろ?」とお弟子さんに問いかけるその問いにこそ、庭造りの本質に迫る「技量」の奥深さを感じます。ところで、ドイツ語のキンターガルテンは「子どもの庭」という意味です。幼児教育が展開される場キンターガルテンは一昨日から紹介されている「庭園」に通じる場と言えるでしょう。子どもたちが無心に過ごす場に大人の「雑音」が入ると「庭」は台無しになってしまうような気がします。キンターガルテンは「子どもたち」が織り成す芸術作品なのです。
美意識は感性だけでは磨けないという言葉、とても深いものを感じます。ひとつの事を極めていくためには、ひとつの事を飽きずに続けていくことは当然大切ですが、それだけでもいいとは思っていません。さらに厚みを増すためには、やはり幅広い知識というものも大切なんだと思います。そういう意味で、このブログで取り上げられる様々な話題は保育をいろんな角度から見ていくことができますし、またそういった見方が普段からできるようになることも必要なんだと思わされます。