どこに寄付?

  先日のブログで、「寄付」について日本人と外国人との考え方の違いについて書きましたが、どこに寄付をするかについて、最近、新幹線に乗っているときにテロップに流れてびっくりしたことがありました。
それは、米マイクロソフト社の共同創業者で慈善家であるビル・ゲイツ氏と、大富豪でニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグ氏が、米国時間7月23日、発展途上国における禁煙推進のために5億ドル(約536億円)を寄付することを発表したというニュースです。なお、ゲイツ氏は、中国やインド、アフリカなどの国々におけるたばこに関連する問題に取り組むプロジェクトに対し、今後5年間で1億2500万ドルを寄付する予定であるということも表明しています。
  総資産160億ドル(1.7兆円)を所有するブルームバーグ市長は、ゲイツ氏との共同記者会見で「たばこの無い世界では皆が長生きし、幸福に暮らすことができる」と語りました。ゲイツ氏は、妻メリンダ・ゲイツさんと創設した世界最大の慈善基金団体「ビル&メリンダ・ゲイツ財団」が掲げる主要分野は、Global Health(世界の健康)であり、その名で1億2500万ドル(約134億円)を寄付します。ブルームバーグ氏は既に寄付している1億2500万ドル(約134億円)に加え、さらに2億5000万ドル(約266億円)を寄付するといいます。そして、両氏が提供する寄付金は世界保健機関(WHO)・疾病予防管理センター(CDC)などでたばこの消費を減らす運動に使われる予定です。
今、世界のたばこの売上げは2012年までに4640億ドル(約49兆円)に達すると予想されています。そして、米国のたばこ企業は、国内で嫌煙運動が広がりたばこの売上げ・消費量が減少する中、発展途上国など国外市場開発に目を向け始めていることに危機感を持ち、ゲイツ氏は「特に人口の多いインドと中国で禁煙運動を広める必要がある」と語っているのです。そのために、貧しい人々がたばこを簡単に購入できないようにたばこ税を引き上げること、たばこに関する広告を禁止すること、未成年者への影響を考慮して映画の主役がたばこを吸うシーンをなくことの3点を主張しました。一方、ブルームバーグ氏は「中国には国営のたばこ企業があるため、禁煙運動を広めるのはインドよりも難しいだろう」と語り、「現代の(映画の)ヒーローにはたばこを吸って欲しくない」とアピールしました。
 こんなニュースを聞くと、発展途上国が先進国の儲けのために、真実を知らされずに犠牲になっているので、それを救おうということは、先進国の国民がタバコを吸うことは考えられないようです。
 英国在住の山田直氏が、イギリスの寄付事情を調査研究しています。2005・06年度調査によると、英国の成人一人当たりの平均寄付金額は、183ポンド(約46,000円*3)で、全寄付金額は89億ポンド(2兆2,250億円)と推定されるそうです。これは、英国の成人の約58%(女性は61%、男性は53%)にあたる約2,800万人が、最低月1回の寄付をしていることになるそうです。そして、その寄付の目的に関しては、医学研究が昨年に続き最も高い比率を占めており、昨年の34%から40%に躍進しています。また、全寄付金額に対する医学研究向け寄付金額の比率も昨年の13%から19%に増加しています。宗教関連団体が二番目に高い寄付金額を受けており、昨年比3%増の16%です。高額寄付者は他の寄付者に比べて、宗教関係には3倍近く、又海外向けには2倍近い寄付を行っています。
 どこの寄付をするのか、何に使うために寄付をするのかを見ると、国民性が分かりますね。

父親

家ではテレビを見るか、寝るか、ご飯を食べるか、パソコンするしかない。共働きだから親とは話さない。いつも何話してるんだろ。うーん……。話すのでなく、言われる。「宿題したか」「風呂入ったか」「テレビ近すぎ」「パソコンいじるな」。(小6女子)
 自分のことを思ってくれるが、重い。思ってくれるのはわかるけど、勉強とか学校のこととか、いちいち言われるのがうれしくない。(中1男子)
 親はいなくてもいい。いや、どうしてもいなきゃいけないかな。なぜなら、僕が生活するため。お金を稼いでくれるから。(中1男子)
 厳しい。意味わかんないとき怒られる。(小5男子)
 29日の朝日新聞に掲載されていた「親ってなんだろう」という特集記事です。
今週号のAERAに「父原病が子を壊す」という特集が組まれています。
父親を刺殺した少女は、「お父さんむかつく、うざい」が口癖で、「両親から勉強しろと言われて、うっとうしかった」。バスジャック事件を起こした少年の父親は、子ども部屋に「成績が落ちたら違う人生を考える」という張り紙をさせ、携帯電話を取り上げて勉強させていた。自宅に放火して母、弟、妹を殺害した少年の父親は、勉強部屋を「ICU(集中治療室)」と呼んで、つきっきりで勉強を教えていた。
このように、過干渉の父親が増殖しているといます。また、こんな例もあります。
子どもが小さい頃、仕事が忙しく、家に帰らず2?3日徹夜することもあり、子どもがどう成長してきたか分からない父親。その埋め合わせに、数年前から土、日のたびに、博物館、キャッチボール、手料理と自分では距離を縮めているつもりの父親。しかし、子どもからすると、「父親のいやなところ―休みになると強引に外に連れて行こうとするところ」これを振り返って、父親は、「一番大事な幼少期に関わっていないと、急に無理をしてもダメだったのでしょうか」このように、一方的にフレンドリーになろうとする父親も子どもにとっては負担のようです。
私が、何年か前に書いた本「やってあげる育児から見守る育児へ」(学研)の中で、親の心得「見守ること」について、14か条を書いたことがあります。その心得とは全く逆な態度をする親が多くなり、その親の子が最近事件を起こす傾向が多いような気がします。14か条のなかからいくつかを紹介します。
「子どもが何か問題を抱えているときに、それを除いてあげようとするのではなく、自分でそれを解決できるように援助してあげます」「子どもが何を考えているかを、いつも先回りして考えるのではなく、子どもの考えを聞いてあげます」「子どもは、何かものを与えれば喜ぶのではなく、気持ちをわかってもらうことを望んでいます」「子どもは、自分のために親が犠牲になることを望むのではなく、子どもから望んだときに、自分が優先順位の高いことを望みます」「子どもが自分でできることや、自分でやろうとすることを手伝うことは、子どもにとっては迷惑です」「子どもを甘やかすことと、子どもの甘えを受容することは違います」「子どもが次第に自立していき、親が必要でなくなってくることは、うれしいことであり、さびしいことではありません」

教師の質

 先週の土曜日に園で「夕涼み会」が開催されました。テーマは、昨年に続いて「自然」です。全体構成として、三階は銀河系、二階は太陽系、一階は地球をテーマに、カイを降りるに下がて次第に自分たちの住む地球に戻ってくるという仕掛けです。その地球には、青い空があり、水があり、植物が生え、動物が息づいており、その掛け替えの無い地球を大切にしなければということをなんとなく感じて欲しいという企画でした。
 銀河系の部屋では、先日、小さい頃からの夢である宇宙飛行士になって、米スペースシャトル「エンデバー」に乗って宇宙に行った星出さんをテーマに、彼の同級生たちが作った応援歌「ロボットアームで抱きしめて」(仮題)が流されました。
夕涼み会が開催されていた当日、新聞に、がんで余命数カ月と告知されながらも、講義で自分の夢を語った米国の大学教授が25日、息を引き取ったという記事が掲載されていました。その講義は「最後の授業」の題名でインターネットに流れ、世界の600万人以上が受講したといわれ、その本が国際的なベストセラーになっていました。
 その教授はカーネギーメロン大学のランディ・パウシュ教授で、47歳だったそうです。彼は、がんを宣告され、余命3?6カ月と告知された数週間後に「子どもの頃の夢を実現すること」と題して特別講義をし、壇上で腕立て伏せもする快活さを見せながら人生の意味を語りました。無重力を体験したい、ディズニーの技術者になりたい――などの夢を振り返り、「かなえられなかった夢から、より多くを学んだ」と回顧し、「(夢を阻む)れんがの壁がそこにあるのは、自分がどれほどそれを望んでいるかを試すチャンスを与えてくれるためだ」とか、「私は物事を楽しまない道を知らない。やがて死ぬけれども、残る日々も楽しむつもりだ」と語りかけたのです。この授業は同時に自分の3人の子どもへの遺訓だったとしつつ、「多くの人が価値を見いだしてくれたなら素晴らしい」と自身のウェブサイトに記しています。
 このような授業を見ると、授業内容の質とは何か、教師の質とは何かを考えてしまいます。それは、決して知識の豊富さでもなければ、教える技術でもなく、その人の生き様であり、その教師の「人」そのものです。
「教師の資質とは何でしょうか」という問いに対して、武庫川女子大「中谷彪」氏は、「最小限、『子供が好き、教えることが好き』『勉強が好き』の2点。後者は絶えず努力し自主研修ができる人、という意味。前者はたくさんいるが後者はなかなかいない。教員を志望する若者は『子供が好きだ。子供のために何かしたい』と熱意はあるが、教師とは何か、教育の社会的機能は何か、などについて考えることは後回しにする傾向だ」といい、「教師は絶えず向上しないといけない」と提案しています。
教師は、まさに「今の子ども」と接している身であるために、子どもの姿をよく見ることによって、常に時代の先端にいて、新しい時代を提案しなければいけない立場にあります。しかし、現実は、小・中学校長に聞いた2006年東京大学教育学研究科COEプロジェクト調査によると、「改革が早すぎて現場がついて行けない」という問いについて、強くそう思う19.5%、そう思う55.4%、そう思わない14.7%とあり、8割の学校で「改革が早すぎて現場は着いて行けないと答えています。
 夢は、先のことです。夢を語ることの出来る教師は、時代についていくだけでなく、先を見ることの出来る人かもしれません。

先生

 朝日のアンケートの中で、教師について、「学校の先生は信頼できる」(「とても」「やや」の計)と感じる保護者は56.8%で9ポイント上がり、「先生たちの教育熱心さ」に満足しているのは64.0%と3ポイント増という結果が出ています。その反面、教員免許制度更新制についての評価は高くなっています。
 また、「教科の学習指導」への満足度も72.6%と3ポイント増え、「学校は一人ひとりに応じた教育を行っていない」という答えは54.4%と8ポイント減っています。「先生の教える力が低下している」と感じる人も49.4%と4ポイント低くなっています。ずいぶんと、学校の先生は努力しているようです。
 昨年、日経新聞のコラムで、教育行政学専攻で元大阪教育大学長の武庫川女子大「中谷彪」氏が、インタビューにこんなコメントを言っています。
「小学校や中学校で若手教師が退職するケースが増えているとききましたが」という質問に対して、「ある自治体では夏までに新任教員の一割が辞めた。校長らはその穴埋めに走り回ることになる。教員採用数が増え、企業への就職率も改善しているので、昔のように『待機者』が少ない。教委にも『ストック』はほとんどない。そんな中で集める急場しのぎの講師には、訓練を受けていない人が含まれている。指導力低下など現職教員の問題が指摘されている上に、実際には多様な人々が現場に入っている」
今回改定された保育所保育指針にも「保育士の質の向上」が新たに章立てされました。教員の質については、長い間の課題です。ひとつには、なにが質の高さかです。その前に、教員の質とは何かです。教える技術とか、子どもをコントロールする技なのか、それは時代によって、望ましい子ども像によってずいぶんと違ってきます。
中谷さんは、こう言っています。
「教員の年齢構成は、近年は都市部で50代と2―3年までの若手だけが多い『ワイングラス型』。だが、細いところ(採用倍率が高かったころ)の教員が目立って優秀かというとそうでもない。受験エリートたちは、子供がなぜ分からないのかが分からなかったり、人間関係が苦手だったりする。この層は大量採用のベテランを見下し、ベテランは『学歴ばかりが立派でも』と対抗する。どの層でもあつれきが生じている」
かつて優秀だと評価され、高学歴な人材と、現代において優秀な人材といわれる力とは違ってきているので厄介です。また、本人が優秀なのと、優秀な人材を育てる能力は別ということもあります。
そして、教員の質は、教員採用に時期と、社会的状況が密接に関係あるといわれています。それは、教員採用試験の倍率に左右されます。しかし、教員採用試験の倍率低下が、教師の「質」の低下につながるのかということに対して中谷さんはこう言っています。「今の40代後半―50代は大量採用世代で、かつて『でもしか先生』と言われた。実際に十年ほど前、その層で学級崩壊が問題化。学校不信、塾への逃避など学校を巡る社会の流れをみても、背景に彼らの力量の問題があったといわざるをえない。この層の退職時に大量採用が繰り返されることは予測できたはずだ。私の試算ではそれは18年周期。長期的に考えた採用形態を考えるべきなのに、採用側は予算上、定員分を採ることになる」
教育再生は時間がかかることです。一度道を間違えると、その修正にはかなりの時間を要します。慎重に行うとともに、長期見通しをきちんと立てなければならないでしょう。

公立校

 昨日の朝日新聞の1面の記事には少しびっくりしました。
「公立の小中学校に満足している保護者は8割近くに達し、先生への評価も上昇――。」という結果が、朝日新聞社とベネッセ教育研究開発センターが共同実施した5千人を超える保護者への意識調査でこのような結果が出たという記事です。しかも、4年前の前回、満足度の低かった都市部や高学歴の親で伸びが目立ち、公立学校への信頼回復の兆しがうかがえるということには申し訳ありませんが、「ほんとう?」と思いました。
 まあ、この結果についてうそとも思いませんし、確かに教員たちは一生懸命に努力をしているでしょうし、制度的にも色々と改革しようとしています。しかし、現場から見ると、どうしてそのような結果になったのかが実感として湧きませんし、逆に「それでいいの?」と思ってしまいます。この調査は、「5千人を超える規模で、学歴や経済的なゆとりにまで踏み込んで尋ね、学校や教育政策への意見の変化を継続的に調査・分析したものはない」と自負していますが、どうでしょうか。
今回、子どもの通う学校に、「満足している」(「とても」「まあ」の計)と答えたのは77.2%。前回から継続して参加した計31校の小中学校で変化を見ると、満足度は72.8%から76.4%に上がったということで、特に、前回満足していなかった層で上昇が目立っているそうです。それは、前回、最も満足度の低かった「東京23区と県庁所在地」が75.2%で、12ポイントアップ。学校別では中学生の子をもつ家庭で9ポイント高まり、70.1%になったそうです。この結果についての分析で、「不満層の子どもの一部が私立や国立の中学に進学して調査対象から抜けた」というのは、特に都区内で満足度が増したということに対しては納得できるかもしれません。
もし、そうであれば、この結果についてはとても危険をはらんでいます。教育についての格差が広がっているということだからです。この格差については、以前から指摘されていることですが、今後、社会に対しての不安や、ますます青少年による犯罪が増えることになる可能性が高いからです。10年位前に、アメリカの高校生が我が家に一ヶ月くらいホームステイをしたときに、その頃のわが子二人が、公立の小、中学校に通学していたことにびっくりしていました。それは、必ずしも進学だけのためではなく、その高校生からすると、環境として公立小、中学校は下層階級の人たちが通うところだと思っていたようです。
次のような結果も、それを裏付けるようで、なんだか心配です。保護者の学歴についても、「父母とも非大卒」が2ポイント増えたといいます。また、母親の就労別だと、最も低かった「専業主婦」が77.0%に増え、「パートやフリー」「常勤」と並んだという結果が出ています。全体の社会的傾向からすると、なんだか逆行しているようです。この結果も、公立校に通学している子の保護者対象の調査だとすれば、社会全体の家庭から、そのような家庭の子が公立校に通学するような状況になってきたという、「公」という考え方が、「パブリック」ではなくなってきたということになりかねません。
アンケート結果で喜んでいる場合ではなさそうです。

庭園様式3

  昨日のブログでも書いたように、日本庭園には、「寝殿造り庭園」から発展していった「築山泉水様式」とか、禅宗寺などで見る「枯山水」のほかにもうひとつ、「茶庭」といわれる様式があります。安土・桃山時代になると、日本の美に大きな影響を与える「茶の湯」が流行します。その流行とともに茶室や茶道具、そして、庭が整備されていきます。石灯籠、つくばい手水鉢、飛び石、延段、竹垣などが茶の流儀に則って配置されていきます。この様式は、「露地」とも呼ばれ、作庭の三つの流れ式が出来ていきます。そして、江戸時代は、この築山泉水(山水式)様式、枯山水、露地という日本庭園の三大様式をすべてあわせ池庭と石庭が渾然一体となった庭が作られ、それが大名の間で流行したために「大名庭園」とも呼ばれるようになります。庭には、見て味わうほか、散策するために庭もあり、この大名庭園は、広大な大名の庭を散策できるように露地、橋などが造られ、庭の中を散策して楽しむのが特徴です。
 これらの庭は、当然「庭師」と呼ばれる人たちが、伝統を取り入れ、新たの様式を生み出し、伝承によって受け継がれていきます。伝説によると、聖徳太子の遺墨とか、印度伝来ともいわれるようなある基準があるようで、築山泉水を造るに、その築庭規矩に基本をおいて、種々の石や、樹木を配し、様々の景を描出していたもので、昔から日本庭園設計の虎の巻とされているそうです。その庭の作り手は「山水河原者、即ち阿弥達であり、江戸時代に入ってからは庭師と呼ばれる職人たちであった」と「日本の庭」には書かれています。
 WEDGEの今月号に紹介されているのは、飯田十基に師事して石正園を設立した平井孝幸さんとその弟子の庭師の話です。石正園のHPには、平井さんの言葉が掲載されています。「庭づくりの最高のお手本は自然。自然の美しさにかなうものはない。誰も手をつけず林の中にひっそりとたたずむような庭。それは人の記憶の深いところに潜む、誰もが想像するだろう風景を持った庭である。私の庭であり、あなたの庭でもある。そんな庭を作りたいと、常々思っている。」
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  彼の師匠であった飯田十基は、昭和を代表する庭師で、等々力渓谷公園などを設計しており、「雑木の庭」という昭和時代の庭園様式を完成させ、それまでになかった庭の美を作り出した人です。
 飛鳥時代から受け継がれてきた日本の美は脈々と受け継がれ、現在にもそれは生きているようです。その担い手の一人である平井さんの美意識の根底にあるものについてこう記事の中に書かれています。ライターの人が平井さんを訪れたとき「十基の博覧強記振りはつとに有名だが、さすが門下の平井さんだけあって知識の豊富さは、事務所に通されたとき、書棚の古書、書籍の多さで見て取れた。美意識は感性だけで磨けないということだ。京都修学院離宮の庭の人工と自然の調和美は、施主である後水尾帝の人物を知ることで凄さが加わる。」
 彼の弟子になりたい若者は五万といるそうです。岩手出身の彼の弟子の小原さんに「岩手には岩手に適した木、そうだな、ナラ、サルスベリあたりをうまくつかうといい。庭木は育つ、育ちを抑える剪定はおぼえたろ?」などと語る平井さんの言葉から身についた自然観と技量、美しいものを見分ける力が、いずれ岩手の若き庭師として造るであろう日本の庭に生かされるのである。と、ライターの林さんは結んでいます。

庭園様式2

 世界には素晴らしい庭園がいくつもあります。しかし、なんと言ってもすばらしいのは、日本庭園の気がします。自然の取り入れ方や、エコの考え方などは世界でも類にないほど高度な考え方をしています。それを感じるような記事が、今月号のWEDGEに掲載されています。
 外国の庭園との違いについて、まず、「日本の庭」(立原正秋著 新潮社)から引用しています。「路地の石敷はそれぞれ形が違う石を敷きつめ、不完全ななかに美をもとめている。こうした美意識はどこからきているのだろう。ヨーロッパの石敷を知的構成によるものとすればこちらは感情的構成である」と書かれています。その文章に対して、WEDGEの林さんは、「ヨーロッパの装飾的な整然とした庭造りとは全く違う発想の庭がここにある。英国ガーディニング風のしつらえでもない。日本の里山を散策しているとふいに出会う雑木林、それを写し取ったような庭である。ナラやカツラ、モミジやヒメシャラといった落葉樹、それも森の木々のように幹や枝が曲がって幾重にも重なり、伸びた枝を風がやさしげに羽音とともに渡る。木立の下は大きな自然石によるせせらぎ。庭の奥を見やると築山、そこから水がさらさら流れてくる。水辺のシダやセキショウが濡れそぼち、もしや、ザリガニでもいるんじゃないかと、小石の水溜りを覗き込んだのである。こんな庭は、世界ひろしと言えども日本でしか見られず、日本人しか創り出せないだろう。まさしく日本の庭である。」
 日本庭園には、平安時代にその様式が作られたという「寝殿造り庭園」というものがありますが、この庭園様式は、庭にいるだけで、山、川、海、など自然を目の当たりできるという庭です。その庭には、船を浮かべられるほどの大きな池、池を間近に眺める泉殿、釣殿といった建物が付属しています。そして、湧水とか、外部から水を取り込んだ遣水が特徴です。そして、狭い庭をひろく、雄大に見せるために、周囲の山々を借景として取り込み、後には庭に築山や石などを置くようにしていきます。この様式は、その後、築山泉水様式とか借景庭園となっていきます。
このような自然そのものを使うところから、庭の景色は、精神的なところへと昇華していきます。その究極の様式が、室町・戦国時代に多く作られていった「枯山水」です。この様式では、水を用いることなく、白砂や石、植栽で山や水を表現する庭園様式で、ごく限られた狭い寺院の中で、幽玄の世界と大自然を表す庭として造られました。狭いゆえに、白砂に熊手で描いた線を海や川に見立てたり、置かれた石を島に見立てたりと、日本庭園の技術の最高峰ともいわれ、この庭と対峙するときには、心を落ち着かせ、感性を研ぎ澄ます必要があります。
そのために日本では庭師になるために必要なことは、「庭師に必要なのは、茶道や華道だけでなく、歴史文学哲学の教養」と、WEDGEに紹介されている言葉は、とても深みがあります。「白砂の中に海を見る」という感性は、稟とした静けさの中に自分自身を見つめることができないとできませんし、また、その庭を感じることで、自分自身を見つめることが出来るのです。こんなに心に問いかける庭は日本独特なものかもしれません。

庭園様式1

 私はブログで一時期、庭について何回か書いたことがありました。庭という空間に植物を植え、石を配し、水をめぐらせ、ひとつの小宇宙をつくり出す美しさに感動するからです。その庭の造形美は、各国でも同様にあります。しかし、その空間占めるさまざまなものは、国によって違うようです。
少し前に訪れたザルツブルグには、ミラベル庭園があります。この庭園は、ザルツァッハ川の右岸にあり、ホーエンザルツブルク城をバックに旧市街を見渡せる絶好の場所にあるミラベル宮殿にあります。
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この庭園が有名になったのは、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の中で、子どもたちと一緒に「ドレミの歌」を歌うときの背景として使われているからです。この宮殿は、1606年に大司教ヴォルフ・ディートリヒが愛人と子供たちのために建てたもので、最初は愛人サロメ・アルトの名前をとって「アルトナウ宮殿」と呼ばれていましたが、後継者の大司教シティカスが「美しい眺め」という意味の「ミラベル宮殿」という名前に改名したものです。このミラベル庭園は、著名なバロック建築家フィッシャー・フォン・エアララッハの設計で、庭園の中央には「ペガサスの泉」があり、空気・大地・火・水を表す4つの像が囲んでいます。北側の門の両側にはユニコーンの像が座っているほか、庭園内にはギリシアとローマの神々の像が並んでいます。そして、その周りを壇、噴水、庭木が美しく配置されています。
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この庭園を訪れるのは何回目ですが、6月という花の季節に訪れたのは初めてで、それまでは一面の雪景色しか知りませんでした。
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 庭園には、日本での寝殿造り庭園のように、ある様式があります。この様式は、国によって美しさの価値観の違いや、その土地の自然を取り入れたり、歴史を取り入れることによって出来てきたので、国の間苗がついていることが多いようです。
たとえば、「フランス式庭園」と呼ばれる平坦で広大な敷地に軸線(ビスタ)を設定しての左右対称性、幾何学的な池の配置や植栽の人工的整形などを特徴とした西洋風庭園があります。この庭園は、主に17?18世紀にフランスで発達し、人工的に、幾何学的に配置されますので、「平面幾何学式庭園」とも呼ばれています。また、同じ幾何学的庭園に「イタリア式庭園」というテラス式、あるいは露段式庭園とも呼ばれるものがあります。14世紀から16世紀にかけて主にイタリア郊外の別荘で発達しました。
しかし、18世紀になると、人間の力で自然を征服しことを誇示するような人工美の整形式庭園にたいして、イギリスで、そんな人工美よりも庭園の中に自然風景の美しさを入れ、大自然の優美さを褒め称えようという動きが盛んになってきました。そして、フランス式庭園が持つ拘束性を、自由と思想性と自然賛美を結びつけて攻撃しました。それが「イギリス式庭園」と呼ばれている西洋風の庭園の様式です。自然の景観美を追求した、広大な苑池から構成される風景式庭園を指します。しかし、最近は、流行っているガーデニングと呼ばれる家庭園芸を指す言葉として、イングリッシュガーデンということがあるようです。
それに引き換え、日本では、もともと自然を取り入れた庭園を作っています。というよりは、庭園で自然を表現しようとしたのです。そして、それが今にどのように伝えられているでしょうか。

夏風邪

 昨日、今日、発熱で休む職員が多くいます。しかも、高熱なので、本人は辛そうです。これは、どうも「夏風邪」のようです。風邪というと冬の風物詩のような気がします。当然、「風邪」というと冬の季語です。これに類する言葉として、感冒、流行風邪、流感、風邪声、鼻風邪、風邪心地、風邪薬、風邪の神などの冬の季語になります。しかし、風邪は冬だけではありません。「春の風邪」という余寒や寒気のぶり返しから、春になるとひいてしまう風邪があります。この言葉は、春の季語で、冬の風邪に対して風流に読まれることが多いそうです。
その風邪に夏にもかかる人が多くなりました。その原因は、余りにも寒いくらいどこでもかけているクーラーがあります。もちろん、風邪は寒いだけではかかりません。ウイルスの進入が原因だからです。しかし、まず、人間の体はその侵入を防ごうとします。そのためにのどや鼻の粘膜を免疫によって守っているのです。しかし、エアコンや扇風機などはその粘液を乾燥させてしまい、局所的な免疫力低下を引き起こしてしまいます。また、涼しい室内から暑い屋外に出ることによる急激な温度変化は、体温を一定に保とうと機能している自律神経のバランスまでも崩してしまいます。まだまだ自己免疫力を低下させるのもが夏にはあります。それは、ここの所、毎晩続く熱帯夜による寝不足や、夏バテによる食欲不振があります。冬に風邪をひく場合は、風邪が流行することによって広がっていくのと違って、夏風邪は、個 人の生活習慣によってかかることが多いのです。
ですから、夏風邪の予防は冬の場合と少し違うことがあります。もちろん、ウイルスの仕業であることは同じですので、人ごみを避けるとか、手洗い、うがいをきちんとするということは予防に効果はありますし、普段からビタミンを積極的に摂って、栄養バランスのとれた食事を心がけ、体調を整えることは、免疫力の低下を予防する効果があります。特に、夏の場合は、暑さによって食欲がなくなりやすくなり、また、発汗によって体力を消耗しがちですので、高カロリー、高タンパク、低脂肪の食事を摂ることは必要です。
もうひとつ、風邪の予防にクーラーの使い方を考えます。汗をかくという機能は脳の温度、皮膚の温度によって神経で制御されています。このうち皮膚温は33℃以下であれば汗をかきにくくなるのですが、この温度になるときは、環境温度が約28℃だといわれています。
しかし、環境温が28℃だと暑く感じます。それは湿度が高い場合です。ですから、温度だけではなく、湿度の調節も考える必要があります。また、木陰で爽やかな風に当たるとき、涼しく感じますし、風鈴の音を聞くとか、氷を入れた麦茶を口に含んだだけでも涼しく感じます。それは、脳で感じる温度というものがあるからです。ただし、実際の脳の温度は34?35℃前後にほぼ一定に保たれており、本当に脳の温度が変化するわけではありませんので、あくまでも涼しく感じるという「気の持ちよう」という方法を見つけることです。「保冷剤をタオルに包み、首の両側にあてる」とか、「靴・靴下を脱いで裸足になる」とか「氷片を口に含む」などは効果があるようです。職場や外出先でクーラーが利いているときは、長袖のカーディガン、ひざかけ、靴下などで体を冷やし過ぎないように気をつけることも必要です。
まあ、ひいてしまったら、ゆっくりと休養するしかありませんね。

寄付2

日本は、寄付金が少ないというのは、決して国民性でないことが他の事例でも分かります。江戸時代では、相互扶助という概念が強かったのですが、明治に入ると寄付は盛んになります。第二次世界大戦以前は、皇室や財閥などによる寄付が寄付総額の30%にのぼるなど、福祉のかなりの部分を寄付が担っていました。しかし、日本は民主主義国家でありながら、世界でもまれな福祉国家になって行きます。それによって、福祉は政府が責任を持つという意識が広がり、お互い様というよりも、国がやってくれるだろう、国がやるべきという考え方が広がり、寄付に対する考え方は薄れてきます。そうは言っても、何か災害が起きると、多くの人たちは義捐金というものを寄せてくれますし、若い人も率先してボランティア活動を行います。それは、日本海での重油騒動のときでも、阪神・淡路大震災のときでも多くの人が復興に協力しました。
しかし、それら寄付行為というものが日常化しないのは、寄付がどのように使われるのかが明確でないなど、本当に必要な人のところに届いているのかが見えないことにあります。もうひとつには、寄付行為に対しての税金控除が少ないことにあるような気がします。
現在、納税者が国や地方公共団体、特定公益増進法人などに対し、「特定寄附金」を支出した場合には、所得控除を受けることができます。これを寄附金控除といいます。そして、政治活動に関する寄附金のうち一定のものについては、所得控除に代えて、税額控除を受けることも出来ます。これは、ある算式で計算した金額(その年分の所得税額の25%相当額を限度とします。)について、税額控除がうけられるのです。この一定のものというのは、政治資金規正法第3条第2項に規定する政党及び政治資金規正法第5条第1項第2号に規定する政治資金団体に対する政治活動に関する寄附(同法の規定に違反することとなるもの及びその寄附をした人に特別の利益が及ぶと認められるものを除く。)で、政治資金規正法第12条又は政治資金規正法第17条による報告書により報告されたものと決められています。
 しかし、政治活動への寄付行為に対しての優遇措置に比べて、国や地方公共団体、特定公益増進法人などに対し手の寄付行為に対しては余り優遇されていない観があります。そこで、昨年、税制改正に伴い、4月1日より「所得税法等の一部を改正するの法律」が施行され、所得税に係る寄付金控除について、控除限度額が引き上げられることとなりました。この控除限度額については、これまで、寄付者のその年分の総所得金額、退職所得金額及び山林所得金額の合計額(以下「総所得金額等」という)の30%相当額とされていましたが、規定が改正され、総所得金額等の「40%相当額」に引き上げられました。これで、少しは寄付が増えるようになるでしょうが、しかしこれでは、土地や家などの寄付はしないでしょうね。また、アメリカでは、高額だけでなく、少額でも控除対象になります。
今後の問題として、私たちは、なんでもお上がやってくれるだろう、ただ、要求をするのではなく、自分たちは何が出来るだろうかと考えることが必要になってきます。また、国でも、寄付やボランティアを個人的に思いだけに頼るのではなく、きちんとそれを受けるシステムなり、透明性を確保する必要がある気がします。せっかく、人のために何かしようという気持ちがあるのですから、それを上手に生かす工夫をしてもらいたいものです。