最近、どの水着を着装するかで色々と論議を呼んでいます。水の中で速く泳ぐためには、なるべく水の抵抗をなくせばいいということは昔からわかっていました。しかし、水の抵抗をなくすというのは、なるべく水着は小さく、水着は抵抗を生むものだと思ってきました。しかし、最近はそうではなく、肉体そのものは、水の抵抗を生み、人工的に作ったものの方が水の中では抵抗がないようです。それは、もちろん人間は水の中で生活する生き物ではなく、その体は陸上での生活に向いているわけですから。ですから、今回話題の水着を見ると、水の中を自由に、速く泳ぐことが出来るイルカの肌の表面のような気がします。
それと同様に陸上で体操をしたり、運動するときにはどのような服装が一番記録を出せるかということで各スポーツによって様々なユニフォームがあります。しかし、オリンピックの創世記は、運動するのに一番いいのは肉体そのものだという考えから全裸で競技をしていました。もちろん、そのような効率からだけ考えるのでなく、古代ギリシャのスポーツの習慣であったということや、すばらしい肉体を披露することは名誉と考えられたためで、不正を防止する意図もあったとされています。
学校の体操着もずいぶんと変化してきました。私が小学生の頃は、上は男女とも、白綿のブロード地の開襟シャツで、下は、男子は白のブロード地の短パン、女子は紺サージのちょうちんブルマーでした。それが、中学校に入ると、下は白のトレーニングパンツという長ズボンになりました。私の頃のイメージは、小学生は短パン、中学生以上は長ズボンというイメージです。それが、3歳年下の弟の頃は、中学生は、男子は白のメリヤス地のトレーニングシャツに白サージの短パン、女子は白のメリヤス地のトレーニンクシャツに紺サージの半ズボン型ショートパンツとなりました。
体操着は、各学校単位で決められており、その移行期は、採択の仕方でずいぶんと学校によって違っていました。1970年代初めには、多くは、男女とも白のメリヤス地に青や紺のラインの入ったトレーニングシャツ、当時「サッカーパンツ」「カラーパンツ」と呼ばれていた紺や青のナイロン製のトランクスタイプの短パン、そして女子用として紺ニット生地ショーツ型ブルマーが一般的になりました。そして、1980年代末になると、当時「バレーパンツ」と呼ばれた紺のコットン合繊の短パンになり、1990年代に入ると多くの学校では、女子もブルマーから「バレーパンツ」へと移行します。そして1990年代中ごろにニット生地の「ジャージ」や「ハーフパンツ」が考案され、全国に普及しました。
ハーフパンツは、もともとは、ヨーロッパのアルプス地方、ドイツのバイエルン州南部からオーストリアのチロル地方で、Lederhoseという名で成人男性の伝統衣装として着用されていた皮製のパンツです。それが、ドイツ文化圏の中での民族性を象徴するものとしてのハーフパンツ、特にカーキー色のそれは、ズボン吊りと鍵十字の腕章と共に、第二次世界大戦中、ドイツ国内の青少年組織、ヒトラーユーゲントのユニフォームとしても知られるようになります。「独裁者」という映画の中でもヒトラーもどき人物を演じたチャップリンがはいていました。それを、1980年代末に、アメリカ黒人の若者が遊び着として考案したものが、ハーフパンツの呼び名で若者文化の中に普及したのです。
そのパンツをNBAがユニフォームとして採用したことから世界中の主要なスポーツのユニフォームとしてはかれるようになり、日本では体操着として決められています。欧米では体育の授業の際は各自で運動しやすい服装や靴を自由に着用するのがほとんどであり、日本のような体操着の着用強制はないようです。
体操着もそうですが、日本の学校はみんなで一緒にということが多いですね。どうしてもそうでなければいけないという理由があまりないように思っています。ここから抜け出すのには時間がかかるんでしょうね。もし体操着をやめて各自で運動しやすい服装や靴を選ぶようにしたとき、困ることになるのは一体誰なんでしょうか。
学校で使用する体操着も時代によって変わってきていますね。私が約6年前に卒業した高校も、去年高校の部活に顔を出した時に体操着を着ていた後輩がいましたが、全く違っていました。とくに、男子の場合は短パンからハーフパンツに変わっていました。それよりも、個人的に許せないのが有名なスポーツブランドを使用していたということです(笑)
欧米のように日本も学校で運動をする時には服装を自由にしてみてはどうかな?と思いました。そもそも、昔から日本はなぜ体操着を統一しているのか、気になりました。
古代のオリンピックは、今とはずいぶん様子が違うようですね。当時の彫刻や絵を見ると、全裸で筋骨隆々とした男たちの力と力のガチンコ勝負だったことがうかがえます。この時代の人々は、肉体をさらけ出すことを恥じるのは野蛮人だけだと考えていたそうです。どの水着を着るかで右往左往している現代人は、裸一貫で真剣勝負した彼らの目にはどう映るでしょうね。あの古橋広之進さんは、この水着騒動についてのコメントを求められて、「私たちの若い頃は、ふんどしいっちょで川や海で練習したもんだが…」と言ったそうですが、選手の力よりも、水着の性能で記録が左右されるのは、なんかおかしいですね。裸で泳がないと不公平になりそうですね。テレビでは放映できませんが・・・。
昨今の競泳水着のことについては門外漢の私には何のことがわかりませんでしたが、先日放映されていたNHK総合の「週刊こどもニュース」の解説でよくわかりました。男子競泳というと小さめの水着が相場でしたが、近年は全身を覆うかまたはローライズの眺めのパンツになり、何だか時代が逆戻りしたような気がしていました。しかし、水に対する人間の肉体の抵抗を考えると、全身水着を覆って泳いで記録を出すことの合理性がよくわかります。時代の変遷とはかくも興味深いものであることがいまさらながらに理解でき、新鮮な気持ちが持てます。「体操着」の変遷も本日のブログの通りで、私自身小中高とその変遷ぶりに驚いていました。もっとも「体育会系」ではなかったので「驚き」どまりでそれ以上のことはありませんでした。