テレビ

日本は、昭和40年を底として、再び景気は上昇期に入り、昭和45年夏までのいわゆる「いざなぎ景気」を謳歌した。昭和41年度から45年度までの経済成長の実質成長率は年平均11.6%に達しました。GNPが世界第二位になったこのころから日本のことを「経済大国」「エコノミックアニマル」と言われるようになりました。そして、団塊の世代の台頭で、昭和40年代は、文化的にも多様化の時代になりました。このような成長に伴って、テレビも成長してきます。
 昨日のブログで書きましたが、私が「七色仮面」を見たことがないのはテレビが6チャンネルまでしか見ることが出来なかったからと書きましたが、どうしてかというと、今の人にはわかりにくい大きな二つの理由があります。ひとつは、その頃のテレビは、チャンネルを変えるのは、テレビの前面にあるダイヤル式のつまみを回して変えていたのです。ですから、その一周には1から6までしかないと、それ以上のチャンネルは見ることが出来ないからです。もうひとつの理由は、東京では、テレビ局が6チャンネル(TBS系列)まで開局してないころの早い時期にテレビを購入したからです。
昭和28年2月1日午後2時「NHK」がテレビジョン放送を開始しました。この初日の受信契約数866件で、受信料月額200円でした。この年の8月28日午前11時20分民間放送初のテレビ本放送が「JOAX-TV、こちらは日本テレビでございます」の第一声とともにかいしされます。この言葉は、その後も何度も聞くようになり、子どもたちもその真似をしました。
プロ野球、プロボクシング、大相撲など、特に話題のスポーツ中継がある日には、都心で都電が止まり、窓ガラスが割れ、百貨店の床が抜けるほどの大混乱を引き起こしたほどです。まず、開局の翌日には、早くも後楽園球場から「巨人×阪神」のナイターを生中継しています。そして、秋には、大相撲秋場所を初中継が行われます。また、日本ボクシング界では、初めて世界チャンピオンとなった白井義男が開局の年にテリー・アレンと、翌年にエスピノザと、タイトル防衛戦が中継されました。また、日本初のプロレス公開試合では、力道山とシャープ兄弟の対戦が3日間にわたって中継され、それ以後力道山の人気はうなぎのぼりとなり、全国的なプロレス旋風が巻き起こります。もちろん、その頃は各家庭にテレビがあったわけではなく、テレビ屋さんの店先とか、多くは、関東一円に設置された街頭テレビで見ることが多く、これが爆発的な人気を呼び、この成功で開局7ヶ月にして黒字達成します。
その頃から我が家にはテレビがあったので、プロレス中継の日には、夕方から部屋に布団を敷き詰め、近所の人たちが集まってみんなで観戦しました。しかし、私の子どものころのプロレスについての思い出は、日本テレビで放送開始と同時に金曜日の8時から放送されていた「三菱ダイヤモンドアワー・ディズニーランド」です。この番組は、ウォルト・ディズニー自らが出演し、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」の4つの国のひとつが週によって放送されます。しかし、この番組は、「プロレス中継」と週ごとの入れ替わりで放送されていました。大人たちは、プロレスでの力道山が楽しみだったようですが、私は、プロレスの週はがっかりしたものです。
テレビの歴史は、番組が少なく、放送時間も短かったために、誰とも共有できる子ども時代の思い出と重なるものでした。しかし、まだまだ8チャンネル、10チャンネルの開始の時代にはたどり着けません。(続く)

テレビ” への4件のコメント

  1. 東京オリンピックの頃に、我が家にもやっとテレビがやってきました。四本足のテレビ台に鎮座して、ご丁寧に舞台の緞帳のようなカーテンがかかっていたのを覚えています。プロレスは好きでしたねぇ。御存じ力道山をはじめ、火の玉小僧こと吉村道明に頭突きの大木金太郎、豊登は両腕を交差してパコンパコン鳴らすのが得意でした。レフェリーは当初は沖識名でのちにユセフ・トルコに変わりました。この頃は、脇役にも個性的なレスラーが多かったですね。ジャイアント馬場やアントニオ猪木が活躍する以前の話です。

  2.  映画「三丁目の夕日」を見たときに、テレビが来た家に近所の人が集まり大勢で見ているシーンがあった気がします。今の時代では考えられない風景です。今ではテレビを見ることは普通の時代ですが、初めてテレビを見た人たちはどう思って見てたのでしょうか?今では家電をはじめ、便利なもの全てが当たり前の時代になってきています。それは先人の努力の賜物だ、というのを今の若い人たちや子ども達に感じさせる必要があると思いました。

  3. テレビの初期の話題はほとんど知らないため、こうした話は新鮮です。野球中継やプロレス中継で盛り上がっていた時代から考えると、テレビのあり方もずいぶん変わりましたね。チャンネル数で言えば、都市部と田舎では今もかなり違います。選択肢に違いがあります。インターネットのおかげで以前ほどテレビの重要性を感じなくなりましたが、テレビの限界については考えるようになりました。

  4. 物心ついた頃にはテレビがいつもついていました。チャンネルはNHKの総合と教育テレビ、そしてTBS系列のローカル局の3つでした。小学校の高学年頃、UHFというアンテナによって日本テレビ系列のローカル局の放送が受信できるようになりました。私が保育園の年長から小学4年生頃まで父が関東に出稼ぎをしていました。小学校に入って夏休みになるとお盆前の急ぎ仕事のために父が帰省し、職人さんを募って再び関東方面へ。その時私も一緒について行きました。父たちが仕事に出かけた後私は飯場の部屋で朝からテレビを観ていました。チャンネル数が多く、しかもマンガ番組や特撮番組を午前中やっていたので飽きることなくテレビの前で見入っていました。最近はそうでもないのですが、子どもの頃は「テレビっこ」のひとりでした。

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