先日、You Tubeで、懐かしいテレビ主題歌を聞き始めて、どんどん深入りしてしまいました。その中で、「七色仮面」の主題歌にぶち当たりました。「とけない謎を さらりとといて この世に仇なす者達を でんでんどろりこ やっけろ でんでんどろりこ やっけろ ななつの顔の おじさんの 本当の顔は どれでしょう」
「七色仮面」は、1959年に製作された特撮テレビ番組で、月光仮面の川内康範が、七つの顔を持つ男・多羅尾伴内をモチーフにして作り上げた番組です。1960年の第5部からは、「新七色仮面」として新人の千葉真一が演じています。この頃流行のヒーロー物で、この主題歌は、子ども達の間でよく歌われ、私も一緒にそのまねをしたり、その主題歌を歌ったものでした。しかし、実は、私はこのテレビ番組は見ていなかったのです。というのは、この番組は、NET(現:テレビ朝日10ch)系で放映されたもので、我が家のテレビは、6チャンネルまでしか映らなかったので、見ることが出来なかったのです。
昭和28年は、「家電元年」といわれ、テレビ放送が開始されました。その頃、ちょうど朝鮮動乱の特需で好景気が続く中でのテレビ放送の開始は、それに続く昭和30年代前半の「三種の神器」といわれた「白黒テレビ/電気冷蔵庫/電気洗濯機」の爆発的ヒットになっていくのです。この「家電元年」といわれる昭和28年と前年度との家電出荷台数を比較すると、ラジオは、108万台から140万台(29%増)、扇風機は、29万台から43万台(48%増)に、冷蔵庫は、3600台から7500台(108%増)に、洗濯機は、1万5100台から10万4700台(593%増)に、アイロンは、77万台から91万台(18%増)への急激な伸びをしています。
また、昭和26年ころまでは、ラジオのほか、レコードプレーヤー、電気スタンド、アイロン、扇風機、電気ストーブくらいしか家電がなかったのですが、テレビ放送開始と同時に早川電気(現在のシャープ)が14型の白黒テレビを175,000円で販売して、この年に14,384台販売しています。また、28年には、三洋電機が、角型噴流式洗濯機を28,500円で販売し、大ヒットします。
先日、凄惨な事件をおこした「秋葉原」は、戦前、戦後の混乱期にはラジオ部品の販売をしていましたが、この家電元年を境にテレビ・洗濯機の販売を飛躍の時期を迎え、卸商の小売併売、店舗の大型化が進んでいきます。その後、東京オリンピックの準備の特需と、30年代の高度成長、そして、テレビ購入のピークが昭和39年の東京オリンピックの開催でしょう。その後も、家電業界は「カラーテレビ」という大黒柱が急成長し、団塊世代の消費需要もあり、好調な成長を続けていきます。テレビの世帯普及率は、昭和40年に8.3%であったものが、昭和45年には91.7%、カラーテレビの普及率は、昭和45年7.1%から、昭和50年73.1%と大幅に伸びて行きます。そして、昭和40年代後半には、テレビ以外にも、ステレオ、カセット式レコーダー、冷凍庫付冷蔵庫、クーラーも出回るようになり、家電メーカーが量産体制を整えることで価格も低下し、その結果また需要が拡大するという「大量生産・大量消費」の好循環を生み出していきます。そして、三種の神器もカラーテレビとクーラーに、自動車(CAR)を加え、「新三種の神器」「3C」という言い方をし、その購入が庶民のあこがれになって行きます。
秋葉原という町は、その時代を反映してきました。今回の事件も、時代を反映しているのかもしれません。
戦後すぐの子どもたちの娯楽と言えば、飴をなめながら熱中した紙芝居でしょうか。これはたぶん藤森先生の世代ですね。私はポスト団塊の世代ですので、たぶん高度経済成長と共に育った最初のテレビ世代だと思います。と言ってもうちの田舎にテレビが普及しだしたのは昭和30年の後半ですから、仲間と徒党を組んで野山を駆け回ることが遊びの中心だったように思います。本当にのどかないい時代でした。少子化の時代にテレビやゲームで育った男が、家電の聖地であんな事件を起こすなんてなんとも皮肉でやりきれないですね。家庭での子育てや幼児教育の在り方を今こそ見直していかないと、これからも同じような事件が繰り返される気がしてなりません。
私が生まれた頃にはテレビもカラーですし、冷蔵庫も冷凍庫付です。洗濯機はもちろん電気です。時代が進むにつれて、家電も便利なものがたくさん増えてきていると同時に、東京の「秋葉原」も、その時代の流れに乗ってきたせいか、秋葉原は電気街になったのですね。また、癒し系やメイド喫茶も秋葉原から発信しています。そうやって秋葉原を見ると時代や流行をそのまま反映しているのは確かかもしれません。先日の事件も、秋葉原で起きましたが、これからの時代の犯罪行為を反映している気がします。そんな犯罪を起きてから防ぐのではなく、犯罪をしない人を育てていく必要があるのではないかな?と思います。
人それぞれ価値観が違い、幸せ観も違うのに、それを豊かにする教育や社会にはまだまだ遠いように思います。自分を大切にし、それが他人を大切にすることにもつながっていくような、そんなことを子どもたちに伝えていきたいと思います。
私は東京とは異なる地方の小さな町で子どもの頃を過ごしました。周りの環境に対してものごころつき始めた頃、まず目についたのが電話でした。横のレバーをぐるぐる回して通信するシステムでした。それからテレビ。白黒でしたが、昭和48年頃からカラーテレビを楽しむことができました。父の趣味でステレオもありました。テレビ主題曲が収められたレコードを買ってもらってよく聞いていました。確か冷蔵庫もありました。洗濯機の脱水はローラーにはさんで水を切るものでした。これも横にあるレバーをぐるぐる。父が新し物好きだったのでしょう。昭和40年代小学生の頃、すでに「新三種の神器」が我が家にはありました。「家電」なくして生活が成り立たない世代がわれわれの世代と言えましょう。電気とまったらどうしよう?