人は成長しても

 人は成長しても、成熟してくることはあっても基本的な考え方はあまり変わるものではありませんね。
少し前に、保護者から店で使っていた様々な容器を園がいただいたことがありました。その容器が包まれていた新聞は、赤茶けて、かなり劣化しており、少し触っただけでもボロボロと破片になってしまうような古いものでした。それをソーッとごみ箱に捨てたのですが、その破片の中に面白い記事を見つけました。その新聞は、日付のところは昭和五十何年かしか判りませんが、当時上映されていた映画案内で見ると、たぶん1977年か1978年だと思います。そこには、数年前に賛否両論まで引き起こしたベストセラー「国家の品格」を書いた藤原正彦さんの対談が掲載されていたのです。当時は、まだ御茶ノ水大学の助教授で35歳を超えたあたりの年齢です。その前に、アメリカのコロラド大学の助教授などをしていたので、最初の記事は、アメリカと日本の違いについて述べています。
アメリカと日本の学問の仕方の一番違うところはどこかと聞かれてこう答えています。
「日本では、先生も、学生も生徒もひっくるめて、知識のある人がえらいことになっていますが、アメリカでは、新しいものを創ることに力を入れます。日本では、過度に知識が偏重されていて、世界で一番長い川は何だとか、数学なら公式をどれだけ知っているかが問題になります。知識も大切だが、アメリカでは、それよりも物事をどう考えるかに、高校までの教育の重点が置かれます。」
だからどのような教育がいいのかというところはどこかにいって読めませんが、この違いは、ずいぶんと昔から言われていることです。その二カ国の違いについて、どちらがいいかと聞かれて、藤原さんはこう答えています。
「高校までは論理的な考え方、表現のほうに力を入れるべきだと思います。というのは、そういう基本的な態度は年取ってからでは身につかないからで、知識は必要とあればすぐに身につく。しかし、日本の現実は、受験地獄に結びついているし、受験地獄は日本の人口と国土の大きさに結びついているからかなり複雑です。」
私も、おおむね同じように思います。いま、コンピューターが普及している時代に必要とされている論理的な考えや表現力、もっと基本のコミュニケーション能力や問題解決能力は乳幼児期における親子の関係から身についていくものです。しかし、少子社会で、保護者の養育力低下などから見ると、子ども集団体験からの乳幼児教育が大切になってきます。高度な知識は、高等教育から、それぞれの専門分野において身につけていけばいいものだと思います。ただ、受験地獄は国土の広さと人口の問題でもないような気がします。いま、国土の広い中国でも受験地獄のところがあります。それよりも、どんな力がこれからの子どもに必要なのかという、先を読む力が国家にあるかだと思います。
もうひとつ、対談の中で藤原さんが話している内容に、専門分野である数学についての部分がありますが、私も全く同感です。
「韓国にも4、5歳で微分積分ができる子の話がありましたが、ああいうのはテクニカルなものなんです。微分積分などはちょっとその方に向いている頭の子なら、教え込めば学校へ上がる前でもできるんですよ。それよりも、どういう考え方をしたかが問題なんです。それによって数学者になれるかどうかが決まると思う。」

人は成長しても” への4件のコメント

  1. 今回はまず、ボロボロと破片になってしまうような新聞からこのような記事を見つけ出した藤森先生に驚きました。どんなところからも考えるヒントを見つけ出してしまう姿勢は見習いたいところです。
    知識ではなく、どのような考え方をするか。本当にそうだと思います。インターネットの利用するようになって、知識では絶対にかなわないことを思い知らされています。どのような考え方をするか、目の前にある情報をどのように編集するか、ここで自分らしさを出していくしかないとつくづく思います。子ども集団での関わりの中で互いに影響しあい、人格を磨き上げていくことが、もっともっと大切にされてほしいと思います。

  2.  人は成長しても基本的な考え方というのは変わらないというのは、何となくですが分かる気がします。ですが、その考え方がもし間違った方向に向いていたら、どうやって修正すればいいのか?と疑問を持ちました。先生が見つけた新聞にも書いてありますが、日本とアメリカの学問の仕方もその時代から「知識よりも考え方を教えている」と言われているのに、未だに日本の学問の教え方の考え方が変わってきていません。この考え方はどうやって変えればいいのでしょうか…。

  3. 手元にあった『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』という本をめくってみるとこんな一節があります。(今の日本の教育の現状について)『人々は教育は知識と技能を身につけることという程度の解釈にとどまっている。…教育が自己の存在に深く結びつき、今ある自分のあり方、ひいては生き方までも変えるものという、自己変革・社会変革に行きつくものとして捉えられていない。…総体としての「人間」を日本の教育は見失っている。…「自ら学ぶ」「自分のために学ぶ」という学習を子どもたちに取り戻すこと、教師は学びの支援に徹するということ。そのような教育を大人たちが豊かに保障すること、それが学力問題、ひいては日本の教育問題を解決する道である。』せめて私たちは幼児教育の世界から、「自ら学ぶ」「自分のために学ぶ」という教育を提案できたらと思います。

  4. 今回のブログの始まりには、あいやまさん以上に驚かされました。なにせ頂戴した容器を包んでいた赤茶け、かつ触るとパリパリと焼き海苔みたいに壊れていく新聞紙をその容器から取り除く作業にこの私も携わっていたから。あの新聞紙が今日のブログの材料になっているとは・・・。私同様、その「作業」に関わった職員も、いつの間に、と驚きを隠せません。流石です、まことに脱帽!小1になる息子のノートや宿題、あるいは担任からの評価を見るにつけ知識や技能偏重の感を強くします。他のことは一生懸命話す息子も学校の事については全く口にしません。「注意」ばかり受けているからでしょう。頂いた「時刻表」で今日は我が家が盛り上がりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong> <img localsrc="" alt="">