朝からカレー

「早寝・早起き・朝ごはん」と園で保護者に言ったときに、「何時に寝れば早起きになりますか?」という質問を受けましたが、同様に「何を食べれば朝ごはんになりますか?」また、「何時に食べれば朝ごはんですか?」と聞かれそうです。
数年前の読売新聞に医学博士の米山公啓さんがこんなことを書いています。
「脳はとても食いしん坊な臓器です。体の中では、体重の2%の重さしかないのに、エネルギー消費量では18%も占めています。脳の唯一のエネルギー源はブドウ糖ですが、脳はブドウ糖をためておくことができません。常に血液中からブドウ糖を補給してもらわないと駄目なのです。脳はエネルギーとして、1日120グラムものブドウ糖を必要とします。糖にはいろいろな種類がありますが、脳のエネルギー源になるのはブドウ糖だけです。驚くことに、血液中にあるブドウ糖の何と50%が、脳によって消費されているのです。ブドウ糖は主に体の中で、ご飯やパン、めん類などのでんぷん質の食物からつくられます。ご飯やパンを食べて30分くらい経つと、血液中のブドウ糖(血糖)はピークになり、次々と脳に送り込まれていきます。脳に供給されずに余ったブドウ糖は、肝臓にグリコーゲンとして備蓄され、必要に応じてまたブドウ糖に変換されます。しかし、この蓄積も12時間が限界なので、血糖値は一日のうちで朝食前に最も低くなります。つまり、朝起きたとき、脳はすでにエネルギー不足に陥っているというわけです。何も食べないで会社へ行けば、脳が働かないのも無理はありません。」
 では、朝食に何を食べるかは国によってかなり違うようです。しかし、どの国でも、まだ消化器官が活発に活動していない時間帯ともあって、消化しやすい炭水化物であるパンとかシリアルが中心となる傾向が強いようです。
日本では、ごはん、味噌汁、納豆、生卵、焼き魚、漬物、海苔加工品など、洋風ならパン、目玉焼き、コーヒーやスープなどが多く、外食の朝食定食などはこれらが組まれています。しかし、たまに朝食メニューに「カレー」があるところがあって、「朝からカレー?」と思ってしまうのですが、そうでもないようです。
カレーを東洋医学の立場から10年ほど前から実験を重ね、体への効果を調べてきた日本薬科大教授の丁宗鉄さんはこう言います。
 「実験の結果、最も劇的な効果があったのが脳の血流量だった。脳の血流量が増えると酸素が脳に行き渡り、脳が活発に動き出す。個人差はあるが、集中力が高くなる人もいるという。交感神経と副交感神経が切り替わる朝に食べるのが効果的だ。受験生にもおすすめです」その反面、夜カレーを食べると、人によっては活性化されすぎて寝られなくなることもあるといいます。しかも、野菜がたくさん入り、ご飯も一緒に食べられるなど、栄養バランスがいい。週に1回、冷蔵庫の整理を兼ねて作れば食材の無駄が出ない、冷凍もできると、作る側にとっても、いいことだらけだそうです。そして、スパイスは熱に弱いので煮込まないこと。食べるときには、体を温める効果が台無しになるから冷たい水を飲みすぎないように。辛すぎるカレーは実は邪道で、辛さの元の唐辛子には一時的な効果しかなく、他のスパイスは、子ども向けのマイルドなカレーでも十分効くといいます。
 だからと言って、朝からカレーを食べる気はしませんが、一度食べてみようかとも思います。

体操着

 最近、どの水着を着装するかで色々と論議を呼んでいます。水の中で速く泳ぐためには、なるべく水の抵抗をなくせばいいということは昔からわかっていました。しかし、水の抵抗をなくすというのは、なるべく水着は小さく、水着は抵抗を生むものだと思ってきました。しかし、最近はそうではなく、肉体そのものは、水の抵抗を生み、人工的に作ったものの方が水の中では抵抗がないようです。それは、もちろん人間は水の中で生活する生き物ではなく、その体は陸上での生活に向いているわけですから。ですから、今回話題の水着を見ると、水の中を自由に、速く泳ぐことが出来るイルカの肌の表面のような気がします。
 それと同様に陸上で体操をしたり、運動するときにはどのような服装が一番記録を出せるかということで各スポーツによって様々なユニフォームがあります。しかし、オリンピックの創世記は、運動するのに一番いいのは肉体そのものだという考えから全裸で競技をしていました。もちろん、そのような効率からだけ考えるのでなく、古代ギリシャのスポーツの習慣であったということや、すばらしい肉体を披露することは名誉と考えられたためで、不正を防止する意図もあったとされています。
学校の体操着もずいぶんと変化してきました。私が小学生の頃は、上は男女とも、白綿のブロード地の開襟シャツで、下は、男子は白のブロード地の短パン、女子は紺サージのちょうちんブルマーでした。それが、中学校に入ると、下は白のトレーニングパンツという長ズボンになりました。私の頃のイメージは、小学生は短パン、中学生以上は長ズボンというイメージです。それが、3歳年下の弟の頃は、中学生は、男子は白のメリヤス地のトレーニングシャツに白サージの短パン、女子は白のメリヤス地のトレーニンクシャツに紺サージの半ズボン型ショートパンツとなりました。
体操着は、各学校単位で決められており、その移行期は、採択の仕方でずいぶんと学校によって違っていました。1970年代初めには、多くは、男女とも白のメリヤス地に青や紺のラインの入ったトレーニングシャツ、当時「サッカーパンツ」「カラーパンツ」と呼ばれていた紺や青のナイロン製のトランクスタイプの短パン、そして女子用として紺ニット生地ショーツ型ブルマーが一般的になりました。そして、1980年代末になると、当時「バレーパンツ」と呼ばれた紺のコットン合繊の短パンになり、1990年代に入ると多くの学校では、女子もブルマーから「バレーパンツ」へと移行します。そして1990年代中ごろにニット生地の「ジャージ」や「ハーフパンツ」が考案され、全国に普及しました。
ハーフパンツは、もともとは、ヨーロッパのアルプス地方、ドイツのバイエルン州南部からオーストリアのチロル地方で、Lederhoseという名で成人男性の伝統衣装として着用されていた皮製のパンツです。それが、ドイツ文化圏の中での民族性を象徴するものとしてのハーフパンツ、特にカーキー色のそれは、ズボン吊りと鍵十字の腕章と共に、第二次世界大戦中、ドイツ国内の青少年組織、ヒトラーユーゲントのユニフォームとしても知られるようになります。「独裁者」という映画の中でもヒトラーもどき人物を演じたチャップリンがはいていました。それを、1980年代末に、アメリカ黒人の若者が遊び着として考案したものが、ハーフパンツの呼び名で若者文化の中に普及したのです。
そのパンツをNBAがユニフォームとして採用したことから世界中の主要なスポーツのユニフォームとしてはかれるようになり、日本では体操着として決められています。欧米では体育の授業の際は各自で運動しやすい服装や靴を自由に着用するのがほとんどであり、日本のような体操着の着用強制はないようです。

バミューダ

  バミューダパンツの発祥の地のバミューダ諸島には、とても面白い話がいくつもあります。この諸島の面積は世界224位で、総面積は53.3 km²です。人口は、2007年推計で、66,163人で、人口密度は1,239人で、世界8位ですので、かなりの密度ですね。しかし、このバミューダが世界一のものがあります。それは、ここは、北大西洋にあるイギリスの海外領土ですが、イギリスの海外領土の中でも金融部門と観光産業に支えられているために政治的・経済的な自立度が非常に高く、2005年一人当たりのGDPが世界で最も高い数値を記録しました。
 イギリス女王を国家元首とする独立国に近く、単にバミューダとも呼ばれ、1995年、イギリスからの独立の賛否を問う住民投票が行われましたが、独立は否決されています。どの国でも独特の文化を持っていて、経済的にも自立をしていると独立したがるのに、珍しいですね。
  この諸島が有名なのは、「バミューダ・トライアングル」といわれている、フロリダ半島の先端と、大西洋にあるプエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ三角形の海域です。
 「のび太の海底鬼岩城」というドラえもんの長編アニメ映画がありました。この映画は、伝説として有名なムー大陸、アトランティス大陸の両者を冷戦時の2大大国に見立てた重厚感ある物語に、ミステリー地帯として有名なバミューダ・トライアングルの要素や日本海溝、マリアナ海溝など海底に関する情報がたくさん盛り込まれた作品です。この映画で設定されている「バミューダ三角海域」をこのように描いています。
  「かつてムーと敵対していた海底人の国であるアトランティス連邦が存在した海域として描かれています。強力なバリアーで囲まれており、放射能やテキオー灯の光も及ばないため、永遠の闇が支配する世界としてムーの人々に恐れられています。中には鬼岩城と鬼角弾(核ミサイル)が未だに存在しています。昔核実験に失敗し、国中に放射能が広がり、滅びてしまって、現在、この海域を通過しようとした艦船や航空機はそのバリアーに触れるがために行方不明となるケースが少なくないと言われる。」
 どうして、このような設定になったかというと、この海域は、昔から船や飛行機、もしくは、その乗務員のみが消えてしまうという伝説があることで有名だからです。ここで、100年以上前から100を超える船や飛行機、1000以上の人が消息不明となっているとされています。この伝説に基づいて、このドラえもんだけでなく、多くのフィクション小説、映画、漫画、また、超常現象を取り扱う書物やテレビ番組の報道が何度となく取り上げています。シンセサイザー音楽家として有名な冨田勲は、「バミューダ・トライアングル」という6作目のアルバムを作曲しています。
  実際は、「魔の三角海域」というようなミステリアスなものではなく、多くの場合はハリケーンなどの悪天候時に起こったものや操縦ミス、計器の確認ミスであり、特にこの海域が船や飛行機などの遭難件数が他の一般的な海域よりも多いということではないようです。
 しかし、「トライアングル」ということで、「三角形の内部に入ると三位一体を犯すので不幸が起こる」とする、キリスト教文化圏に普及している迷信に関係があるのかもしれません。
 バミューダパンツというファッションからでも、ずいぶんと新しいことがわかっていきます。

パンツの長さ

 今日は、私が評議員をやっている「才能開発教育財団」の評議会でした。その会の理事、評議員の方々は、教育界での重鎮揃いで、みんな80歳を超えているようです。ですから、私はいつもの癖で気楽に出かけたのですが、事務局、事業責任者等を含めて35名余りの参加者の中で、ノーネクタイは私一人でした。クールビズということもあり、最近はノーネクタイの人は増えたといえ、年配の方々はやはりきちんとするときはネクタイをするようです。
 どんな服装がきちんとした服装なのかということはもちろんその国の文化があるので若干違うようです。1930~40年代にかけて、代表的リゾート地だったアメリカのノースカロライナ州東方の大西洋上にある英国植民地であるバミューダ諸島では、女性が脚をあらわにすることが禁じられていたため、膝丈でやや細めのズボンをインド駐留のイギリス軍が発明し、着用しました。ここで以後リゾートウェアとして定着し、男女ともに着用されるようになりました。そして、このバミューダ諸島においては公式の場(仕事やパーティなど)においても着用が許され、正装と同じ扱いになります。(ただし、正装においてはふくらはぎが隠れるような長い丈の靴下と合わせることになっている)これが、「バミューダパンツ」といわれるもので、英語では、バミューダショーツといいます。
 このバミューダショーツは、1960年代に米国で流行し、これは日本などにも波及し、1970年代後半頃に流行がありました。ですから、私は膝までのパンツを見ると、バミューダと言ってしまいますが、どうも若い人にはわからないらしく、日本では最近は死語になっているようですが、外国人は、年配の男性がよくはいていますし、正式な場でもはいているのを見かけることがあります。
ファッション用語は、日本では使われ方が変化するので、年を取ってきたことを感じます。ボトムというのは、下半身に付ける服一般のことを言い、スカートとパンツのことです。もともとはフランス語の「パンタロン」から生まれた英語で、アメリカでズボン類のことの総称として用いられていました。しかし、日本では、もともとは下着の意味で使われていましたが、その後はカジュアルなズボンの意味として使われだしました。そのパンツにも様々な種類があります。
イージーパンツとは、楽にはけるパンツということで、だいたいウェストにゴムがはいっていて、紐で結んでしめるパンツを指します。ゆっくりとくつろいだ感じのパンツなので、主として室内用や普段着として履くことが多いようです。
サブリナパンツとは、長めのパンツで、7~8分丈のものをいいます。カプリパンツとは、短めのパンツで、バミューダより長くサブリナより短いものを指し、膝上ギリギリくらいの長さから8分丈程度のものをいいます。この語源は、ラテン音楽の「カリプソ」から来たという説と、バミューダ同様「カプリ島」で流行ったからという説があります。ショートパンツは、非常に短い丈のパンツです。一般には股下が10センチ以内程度のものをいいます。それよりもっと短いものはホットパンツといいます。ピチっとしたスポーティーなものから、たっぷりフレアした一見スカートに見えるようなものまであります。
パンツを丈で区分すれば短い方からホット、ショート、バミューダ、カプリ、サブリナ、ということになります。ただ、ハーフパンツというパンツはそれと違った特別ないきさつをたどります。スカートだけでなく、パンツもその長さによる歴史とファッションがあるのですね。

他人のブログ

 私のメールにいくつかの他の人からのメルマガが送られてきます。そのひとつに「日本財団会長笹川陽平ブログ」があります。今日、送られてきた記事は、6月13日に発足した「たばこと健康を考える議員連盟」の設立総会に先立ち、笹川さんが国会議員有志による勉強会に呼ばれて、日本とは異なる世界のたばこ文化も紹介しながら「たばこ1箱1000円」について講演した内容です。
 笹川さんが講演したのは、産経新聞の2008年3月4日付けコラム「正論」で、たばこ「1箱千円」への値上げをということを書いたからです。その後、それは議論を呼び起こしています。しかし、喫煙している議員を含めてタバコについて考えるきっかけになったようです。「正論」で論じられたことを要約すると以下のようなことです。
 「ロンドンの街角で世界的に人気のある銘柄のたばこ1箱(20本入り)の値段は、5ポンド(1045円)、ニューヨークでは、8ドル(最近まで960円、円高の現在は約850円)に対して、日本は同じたばこが320円です。そこで、日本も1箱1000円とするよう提案します。また、日本では、62.3%が税金であるのに対して、英国の税率が82.4%、仏80.9%、毒80.4%、伊74.9%(05年実績)で、税率でも日本の低さが目立っています。一方、07年の国内消費量は国産、外国産を合わせ年間約2700億本で、これに伴う税収は約2兆2000億円。1箱1000円に値上げした場合、これに伴う税収増は9兆5000億円になり、仮に喫煙率、消費量が3分の1に落ち込んだ場合も3兆円を超す税収増が見込める計算になります。また、1箱1000円になると、たばこは「高級な嗜好品」となり、ほぼ間違いなく未成年者の喫煙は抑制できます。」
笹川さんは、講演会で、自分は決して禁煙論者ではないということを前置きして、世界保健機関(WHO)のハンセン病制圧特別大使として世界を回っていて、世界と比べ日本のたばこ文化は、大変遅れていることを実感したといいます。例えば、外国のたばこのパッケージには「たばこは人を殺します」と書かれていますし、WHOの事務局長を務めたグロ・ハーレム・ブルントラント氏は「たばこは殺人の道具だ」と公式に発言しています。それにもかかわらず、日本のメディアは両論併記でたばこを吸う庶民をいじめるなという論調にもなっていると指摘しています。
それは、たばこを吸う人たちを一方的に悪と考える嫌煙家になれということではなく、喫煙が本人の健康に良くないことと、それ以上に多くの受動喫煙者に迷惑をかけているということ、それから青少年の不良化や喫煙による害の大きさ、そして火災の問題等を喫煙者が十分に理解をした上でたばこを吸うことが、これからの新しいたばこ文化として日本に定着することを望んでの提案であるといいます。
タバコを吸う人には、こんな喫煙のスタイルを提案しています。1000円が高すぎるというなら、本数を三分の一に減らし、今までのような無秩序にたばこを吸う習慣を改め、例えば朝食後に一服、10時に一服、昼食後に一服、3時に一服、夕食後に一服、そしてカラオケに行って2本というように節度を持ち、計画的な喫煙に改めてはどうかといいます。
そして、日本のたばこが外国で売られると健康被害者の写真等がパッケージに貼られている写真を提示しています。日本で売られる日本製のたばこのパッケージはスマートですが、タイで売られている日本製のマイルドセブンは酸素吸入器が着けられた患者の写真が貼られています。
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成人識別たばこ自動販売機のためのICカード「taspo(タスポ)」も導入され、今後、タバコ文化についてさまざまな論議がされることを望みます。

テレビ2

昭和28年に開局したテレビ放送も、昭和30年になると民放第2局目(ラジオ東京テレビジョン→TBS)が開局します。そして、翌年には、CBCテレビ、大阪テレビ放送(現・朝日放送)開局し、名古屋・大阪でも民放テレビがスタートしました。そして、34年1月に、NHK東京教育テレビジョン放送開始、2月に、初の民間教育専門局、日本教育テレビ(NETテレビ、現・テレビ朝日)開局、3月に、フジテレビジョン開局します。このあたりは、ものすごい勢いで次々に新しいテレビ局が開局して行きます。
テレビ時代が始まったときに、人々はどのくらいテレビ視聴に時間をかけていたのでしょうか。また、その中で、子どもたちはどのくらいテレビを見ていたのでしょうか。アメリカのある州では、2歳までの子どもにテレビを禁止しているところもあるようですし、日本でも、日本小児科学会がこんな提言をしています。1.2歳以下の子どもには、テレビ・ビデオを長時間見せないようにしましょう。内容や見方によらず、長時間視聴児は言語発達が遅れる危険性が高まります。2.テレビはつけっぱなしにせず。見たら消しましょう。3.乳幼児にテレビ・ビデオを一人で見せないようにしましょう。見せるときは親も一緒に歌ったり、子どもの問いかけに応えることが大切です。4.授乳中や食事中はテレビをつけないようにしましょう。5.乳幼児にもテレビの適切な使い方を身につけさせましょう。見おわったら消すこと.ビデオは続けて反復視聴しないこと。6.子ども部屋にはテレビ・ビデオを置かないようにしましょう。
そんな話の中で、私はよくこんなことを言います。「私は、テレビを見ることがとても大好きです。しかし、2歳過ぎるまでは、決してテレビを見ることはしませんでした」この話しをすると、若い人は感心してくれますが、同じ世代ではすぐにわかってしまいます。私が乳幼児の頃は、テレビは開局していなかったからです。日本テレビの開局の日のテレビ番組が掲載されていました。
 この日は開局初日のため、挨拶実況と祝賀番組があるので11時20分に放送を開始していますが、次の日からは、0時に放送開始で、午後1時過ぎに放送終了し、次に夕方の5時に始まり夜9時代のニュースで番組が終わります。また、子ども用の番組も1日にせいぜい一つか二つです。昭和28年開局の年に「ジェスチャー」「私は誰でしょう」、29年に「こんにゃく問答」、30年に「日真名氏飛び出す」「私の秘密」、31年に「ハイウェー・パトロール」「名犬リンチンチン」「スーパーマン」「チロリン村とくるみの木」「お笑い三人組」と、子どもにも大人気になる番組が始まります。
 その後、34年の皇太子結婚パレード実況中継によって、テレビ普及200万台を突破することになり、テレビ視聴時間が世界一長くなっていくのです。
それが最近、テレビ離れが、若者のあいだで起きているようです。2005年度のNHKの「国民生活時間調査」によれば、日曜日にテレビを見る時間は10代男性が1995年の3時間34分から2005年に2時間52分、20代男性は3時間48分から2時間45分に減少していますし、行為率(テレビを観る人の割合)も同様に10代が94%から84%へ、20代は85%から74%に減少しています。
これは良い傾向と思いきや、そうではなくて、テレビからインターネットをやる時間が増えてきているからです。また、イギリスの高級紙タイムズの取材によると、ゴールデンタイムにテレビを見る代わりにWiiで遊んで過ごす家族が増えつつあり、日本のテレビ局でも視聴率が減少する最も大きな要因がWiiによるものではないかと述べています。どちらにしても、子どもたちには、もっと実体験を多くしてもらいたいものです。

テレビ

日本は、昭和40年を底として、再び景気は上昇期に入り、昭和45年夏までのいわゆる「いざなぎ景気」を謳歌した。昭和41年度から45年度までの経済成長の実質成長率は年平均11.6%に達しました。GNPが世界第二位になったこのころから日本のことを「経済大国」「エコノミックアニマル」と言われるようになりました。そして、団塊の世代の台頭で、昭和40年代は、文化的にも多様化の時代になりました。このような成長に伴って、テレビも成長してきます。
 昨日のブログで書きましたが、私が「七色仮面」を見たことがないのはテレビが6チャンネルまでしか見ることが出来なかったからと書きましたが、どうしてかというと、今の人にはわかりにくい大きな二つの理由があります。ひとつは、その頃のテレビは、チャンネルを変えるのは、テレビの前面にあるダイヤル式のつまみを回して変えていたのです。ですから、その一周には1から6までしかないと、それ以上のチャンネルは見ることが出来ないからです。もうひとつの理由は、東京では、テレビ局が6チャンネル(TBS系列)まで開局してないころの早い時期にテレビを購入したからです。
昭和28年2月1日午後2時「NHK」がテレビジョン放送を開始しました。この初日の受信契約数866件で、受信料月額200円でした。この年の8月28日午前11時20分民間放送初のテレビ本放送が「JOAX-TV、こちらは日本テレビでございます」の第一声とともにかいしされます。この言葉は、その後も何度も聞くようになり、子どもたちもその真似をしました。
プロ野球、プロボクシング、大相撲など、特に話題のスポーツ中継がある日には、都心で都電が止まり、窓ガラスが割れ、百貨店の床が抜けるほどの大混乱を引き起こしたほどです。まず、開局の翌日には、早くも後楽園球場から「巨人×阪神」のナイターを生中継しています。そして、秋には、大相撲秋場所を初中継が行われます。また、日本ボクシング界では、初めて世界チャンピオンとなった白井義男が開局の年にテリー・アレンと、翌年にエスピノザと、タイトル防衛戦が中継されました。また、日本初のプロレス公開試合では、力道山とシャープ兄弟の対戦が3日間にわたって中継され、それ以後力道山の人気はうなぎのぼりとなり、全国的なプロレス旋風が巻き起こります。もちろん、その頃は各家庭にテレビがあったわけではなく、テレビ屋さんの店先とか、多くは、関東一円に設置された街頭テレビで見ることが多く、これが爆発的な人気を呼び、この成功で開局7ヶ月にして黒字達成します。
その頃から我が家にはテレビがあったので、プロレス中継の日には、夕方から部屋に布団を敷き詰め、近所の人たちが集まってみんなで観戦しました。しかし、私の子どものころのプロレスについての思い出は、日本テレビで放送開始と同時に金曜日の8時から放送されていた「三菱ダイヤモンドアワー・ディズニーランド」です。この番組は、ウォルト・ディズニー自らが出演し、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」の4つの国のひとつが週によって放送されます。しかし、この番組は、「プロレス中継」と週ごとの入れ替わりで放送されていました。大人たちは、プロレスでの力道山が楽しみだったようですが、私は、プロレスの週はがっかりしたものです。
テレビの歴史は、番組が少なく、放送時間も短かったために、誰とも共有できる子ども時代の思い出と重なるものでした。しかし、まだまだ8チャンネル、10チャンネルの開始の時代にはたどり着けません。(続く)

家電

 先日、You Tubeで、懐かしいテレビ主題歌を聞き始めて、どんどん深入りしてしまいました。その中で、「七色仮面」の主題歌にぶち当たりました。「とけない謎を さらりとといて この世に仇なす者達を でんでんどろりこ やっけろ でんでんどろりこ やっけろ ななつの顔の おじさんの 本当の顔は どれでしょう」
「七色仮面」は、1959年に製作された特撮テレビ番組で、月光仮面の川内康範が、七つの顔を持つ男・多羅尾伴内をモチーフにして作り上げた番組です。1960年の第5部からは、「新七色仮面」として新人の千葉真一が演じています。この頃流行のヒーロー物で、この主題歌は、子ども達の間でよく歌われ、私も一緒にそのまねをしたり、その主題歌を歌ったものでした。しかし、実は、私はこのテレビ番組は見ていなかったのです。というのは、この番組は、NET(現:テレビ朝日10ch)系で放映されたもので、我が家のテレビは、6チャンネルまでしか映らなかったので、見ることが出来なかったのです。
 昭和28年は、「家電元年」といわれ、テレビ放送が開始されました。その頃、ちょうど朝鮮動乱の特需で好景気が続く中でのテレビ放送の開始は、それに続く昭和30年代前半の「三種の神器」といわれた「白黒テレビ/電気冷蔵庫/電気洗濯機」の爆発的ヒットになっていくのです。この「家電元年」といわれる昭和28年と前年度との家電出荷台数を比較すると、ラジオは、108万台から140万台(29%増)、扇風機は、29万台から43万台(48%増)に、冷蔵庫は、3600台から7500台(108%増)に、洗濯機は、1万5100台から10万4700台(593%増)に、アイロンは、77万台から91万台(18%増)への急激な伸びをしています。
また、昭和26年ころまでは、ラジオのほか、レコードプレーヤー、電気スタンド、アイロン、扇風機、電気ストーブくらいしか家電がなかったのですが、テレビ放送開始と同時に早川電気(現在のシャープ)が14型の白黒テレビを175,000円で販売して、この年に14,384台販売しています。また、28年には、三洋電機が、角型噴流式洗濯機を28,500円で販売し、大ヒットします。
先日、凄惨な事件をおこした「秋葉原」は、戦前、戦後の混乱期にはラジオ部品の販売をしていましたが、この家電元年を境にテレビ・洗濯機の販売を飛躍の時期を迎え、卸商の小売併売、店舗の大型化が進んでいきます。その後、東京オリンピックの準備の特需と、30年代の高度成長、そして、テレビ購入のピークが昭和39年の東京オリンピックの開催でしょう。その後も、家電業界は「カラーテレビ」という大黒柱が急成長し、団塊世代の消費需要もあり、好調な成長を続けていきます。テレビの世帯普及率は、昭和40年に8.3%であったものが、昭和45年には91.7%、カラーテレビの普及率は、昭和45年7.1%から、昭和50年73.1%と大幅に伸びて行きます。そして、昭和40年代後半には、テレビ以外にも、ステレオ、カセット式レコーダー、冷凍庫付冷蔵庫、クーラーも出回るようになり、家電メーカーが量産体制を整えることで価格も低下し、その結果また需要が拡大するという「大量生産・大量消費」の好循環を生み出していきます。そして、三種の神器もカラーテレビとクーラーに、自動車(CAR)を加え、「新三種の神器」「3C」という言い方をし、その購入が庶民のあこがれになって行きます。
秋葉原という町は、その時代を反映してきました。今回の事件も、時代を反映しているのかもしれません。

ブロックで子どもたちは、高いもの、広いものを作ると同時に、橋を作り始めます。同じ鹿島建設のHPの建築博物誌の中の「橋」には、こんなことが書かれています。「人類が最初に手にした「橋」それは、おそらく自然界からの授かりものであったに違いありません。偶然、谷や川をまたぐように倒れた木。その木の上を渡っていく動物たちの姿から、太古の人々は橋という概念を学んだのだろうと考えられています。」
しかし、子どもたちのブロックでの活動を見ていると、人間は、高いところと高いところをつなぐように自然と橋を作ろうとする遺伝子を持っているのではないかと思うほど、自然と作り始めます。それは、作っている本人もたぶんそれを渡ろうとか、何かを通そうとかいう意識はなく、トンネルを作るようにそれをつないでいる気がします。
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HPには、橋の歴史が書かれていますが、「神話や伝説にでてくる橋は、人が橋に架ける夢を語っているように思われます。日本の神話にでてくる最初の橋は「天の浮き橋」で、日本列島を作る際に、この橋を通って、天の神々が自由に天と地の間を行き来したと伝えています(古事記)。福井県の「天橋立」の言い伝えは、日本列島をつくったとされるイザナギの尊が天に上る橋をつくったが、それが横に倒れて天橋立になったという内容です。世界の神話を見ても、たとえば、空に架ける橋が、神が天に昇る橋であるといった神話が多く、そのほとんどは、空にかかる虹を天と地を結ぶ橋としています。」
空高くにあるであろう天に少しでも近づこうと、建物を高くしようとしたように、天に橋をかけようという気持ちは持ったでしょう。虹をそれに見立てたり、遠くまで続く島々や半島をそれに見立てたりはしたでしょう。また、古事記からこんな例を出しています。
「大国主の国曳きの神話で有名な出雲には、『いなばの白兎』という伝説があり、白兎が鮫をだまして、鮫の橋をつくらせ、それを伝って向こうの島を渡ったという話が伝えられています。
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国曳き神話は、たとえば北欧のデンマークなどにも残されており、『遠くのものを引き寄せたい、歩いていけないところへ行きたい』という願いは、人類共通 の夢なのかもしません。」
 園の近くには神田川が流れているために、いくつもの橋があります。また、丘陵地帯でもあるために坂や、道に段差があるので、いくつもの有名な橋があります。そのひとつが、明治通りと目白通りが交差するところに架かる千登世橋・千登世小橋です。この千登世橋は高台を走る目白通りと明治通りの高低差を生かした優美な曲線を持った橋で、造られたのは1933(昭和八)年、その土木的価値から「東京都の著名橋」に指定されています。鋼ヒンジアーチ構造で、橋長は27.81m、幅員18.182m、総鋼重130.0トンです。橋の東側の端に、スコップとハンマーを持った二人の労働者の像が立っていて、その下に「東京府土木部長来馬良亮の記念碑、千登世橋上に建つ」「昭和九年十一月二十二日」「知人相寄りて此を建つ」とあります。
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 この橋の上で何回も追跡が繰り返されたのは、映画「少年探偵団」です。これは、原作者の江戸川乱歩が池袋に在住していたからのようです。
 橋も子どもにとっては、魅力のある建造物です。

さまざまな建築

鹿島建設株式会社のHPの中に「建築博物誌」というサイトがありますが、私にはとても興味深いものがあります。その内容はいくつかに分かれていて、「超高層」「橋」「大空間」「トンネル」「ダム」です。まず、この分け方の中に「大空間」という建築カテゴリーがあるのは面白いですね。建物は、「より高く」を目指してきたことがバベルの塔でわかりますが、同様に大空間の歴史を見ると、「より広く」も目指してきたことがわかります。そう考えると、橋やトンネルは、「より長く」を目指してきたのかもしれません。
より高くを目指してきたのは、「高い建造物は、単に権力や経済力の象徴であるだけでなく、古来より続く人類のあこがれともいえます。それゆえ、「超高層」という言葉は、私達に広大なパノラマを紡ぎ出して見せてくれるのです。」と書かれてあるように、神は空の上のほうの高いところにいるというイメージなので、高いところというのは、地位が高いとか、高貴とかとダブってみてきたのかもしれません。また、日本語では超高層といいますが、英語ではスカイスクレーパーといいます。これは、「空をひっかくもの」という意味です。
それにたいして、広い空間とはどんなイメージを持ったのでしょう。「古来、大空間は神聖な場所であり、造られた時代時代の世界観が強く表れていました。そして今、コンサートやスポーツ観戦など、大空間の利用範囲は広がっています。より身近になった現代の大空間には、どんな夢や世界観が表れているのでしょうか。」大空間は、やはり神の住む場所とか、大勢の人が集うというところから、神に祈る場所としてはじまったようです。神殿とか、協会などに広い空間が作られていきました。同じように、日本では祈る場所というより、祀る場所として作られてきました。今でも、東大寺大仏殿は木造建築の中で最も広い空間を持っています。ですから次第に、当然これは富や権力の象徴にもなっていきました。
トンネルについても、とても面白い見方ができます。「古代人のすみかだった自然の洞窟。やがて人類は、自ら掘ることを覚え、トンネルが生まれました。そして、トンネルは、険しい山や崖、海峡など、大自然によって隔絶されていた地域間をつなげて、国と国、人と人を結びつけてきたのです。」トンネルというと、穴を掘るという意味であれば、最初は当然住まいや貯蔵の場所としての穴だったでしょう。先日職員と「アリババと40人の盗賊」という話をきちんと覚えているかという話をしましたが、この話に出てくる盗賊たちが奪った宝を隠している洞穴の扉を開ける呪文が「開けゴマ」という言葉で、その英語が「オープンセサミ」ということで、テレビ番組の「セサミストリート」は、魔法の扉が開いた先にある町ということではないかということになりました。
子どもたちが積み木で何かを造ろうとするとき、まず、高く積もうとします。背が届かないくらい高くなると、椅子をもってきて、それに乗って積もうとします。
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また、ブロックで広く作ろうとします。大きな空間を作り、その中に動物や人を入れます。
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そして、砂場で遊ぶときには、トンネルを作ろうとします。大きな山を作って、穴を掘っていきます。もっと高度になると、両側から掘り進めて行き、真ん中で穴を開通させます。
誰が教えたでもなく、何かを読んで学んだわけでもありませんが、子どもたちは、人間としての技術を学んでいっているのです。