物事を決めたり、判断するときにはきちんとしたデータや資料が必要です。印象や刷り込みで判断すべきではありません。しかし、その数字や資料がどのような意味を持つか、その読み取り方が大切です。
今日の新聞に、「文部科学省は19日、財務省が12日に発表した、国の教育支出の大幅増額は必要ないとする「反論」に対する「再反論」の文書をまとめた。」という記事が掲載されています。これは、文科省が、今年度から5年間の教育政策の財政目標を定める「教育振興基本計画」を提出した中に「教育投資の数値目標を対国内総生産(GDP)比で「5%」と明記するように」ということを求めています。その根拠として、現在の教育投資のGDP比が、経済協力開発機構(OECD)諸国の中で2番目に低いというデータからの提案です。
しかし、それに対して財務省は、生徒1人あたりなら、米英独仏の平均とほぼ同水準であるというデータを示し、数値目標の明記についても、「教育投資や教職員定数の『投入量』でなく、どのような子供に育って欲しいかという『成果』で設定すべきだ」と否定的な見解を示したのです。それに対して、また文科省から「成果の実現には一定の条件整備が必要で、そのための投入量目標も重要だ」と反論が出されたのです。
どちらのデータも正しいものでしょう。このようなデータの提出に際し、平成17年に文部科学省生涯学習政策局からこんなことが付け加えられています。「社会事象を数量的にとらえ,客観的なデータにより科学的に分析する指標を提供する統計調査は,教育面においても益々重要になっております」
このデータの中でこんな結果が分析されています。学校教育費の対GDP比を公的負担と私的負担の内訳で表したものの結果です。(ただし、塾、家庭教師などの学校教育以外の費用は含まれていない)
「韓国は私的負担の高さが2.8%と目立っており、これが合計の学校教育費での第3位に結びついている。韓国の場合、学校教育費の他に、塾や家庭教師の私的負担もこれに加えて大きいといわれる。米国は第2位であるが、韓国と同様、私的負担の割合が高い。米国、韓国と並んで、アイスランド、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンといった北欧諸国の学校教育費比率の高さが目立っている。これらの諸国の場合は公的負担がほとんどである。日本は第25位(調査対象国29カ国)と学校教育費の対GDP比の水準は低い。ただし、私的負担の比率は対GDP比で1.2%となっており、低くはない。逆に公的負担の比率は3.5%と低く、ギリシャを除いてOECD最下位となっている。最近では格差社会論などとの関連で、教育費の社会保障的な側面、すなわち貧乏人でも良い学校へ行けるという機会の平等が日本では失われてしまっている証左として、こうした学校教育費の公的負担割合の小ささがあげられることが多い」
このデータを見ると、確かに日本は先進国といいながら教育貧困と思わざるを得ません。また、先週号の週刊東洋経済の「子ども格差」の特集ではありませんが、公的負担の大きさは、教育格差を生んでいるように思いますし、それが社会に様々な問題を引き起こしている気がします。
もっと、違うデータで見てみようと思います。(つづく)
どのような調査を行ってどのようなまとめ方をするかによって、出てくる数値は変わってきます。また、それらをどのように取り上げるかによっても変わってきます。商品を販売するための調査結果などは少し疑ってかかるようにしていますが、数値の捉え方というのは本当に難しいと感じています。
教育に対しての公的負担と私的負担の比較は、まさに日本の現状をあらわしていますね。格差の大きい現状だからこそ公的な施設の役割は大きいと思いますし、私たちの立場から訴えていかなければいけないことも多いように思います。国の問題が絡むと事が大きくなりますが、すべきことは常に足元の一つ一つだという自覚も忘れないようにします。
教育効果に対する「数値」的判断を困難にしているのが教育「聖域論」でしょう。昭和20年以前は「教育は国家百年の計」として、いわゆる「富国強兵」に資するものでなければならなかったようです。それ故、個々人の問題は省みられることがなかったようです。一方、昭和20年以降今日に至るまで、戦前の中央集権的教育への反省か、平等や権利、個人主義、といった価値意識のもとに教育が子どもたちに対して施されてきました。以上はすべて「聖域」の中です。戦前も戦後もこの「聖域」に抵触すると「非国民」扱いされる傾向がありましたし、現在なおあります。この戦後教育も結局のところ「個」というものを本来的な意味で重視せず、よってその個によって作られるところの「集団」とその持つ意味が検討されず、結果として個及び集団による「社会貢献」という意識が広がりかつ深まることのない社会を創出してきたのではないか、と考えます。そして昨今は週刊東洋経済が特集として紹介している通りです。わが国が確実に米国の後を追っているようで将来が懸念されます。
文科省と財務省が、それぞれデータを駆使して日本の教育予算が諸外国の中で多いか少ないかを議論しているようですが興味深いですね。省益を守るためでしょうが、どちらの意見にも一理あります。文科省は、大事な子どものためだ、ともかく予算をよこせと言いたいのでしょう。財務省は、予算も大事だが、その中身も大事だ、効果的で質の高い教育をしろと言いたいのでしょうか。卵が先かにわとりが先かの論争のようですが、両者の意見に何か重大なものが欠けているような気がします。それがなんだかはっきり見えてきませんが、海外との比較の中で日本の教育が抱えている問題点が浮き彫りになってくると思います。
確かにデーターや資料を読み取る場合に印象や刷り込みで判断してしまうと、本来の大切な部分が見えなくなってしまう恐れがあり、間違った判断をしてしまいますね。教育に投資するお金が低いから学力低下につながるという考え方をする前に、今の教育方法を見直すという考え方をしないのかな?と思います。本当にデーターや資料の数値に振り回されている文科省は先生が言われる刷り込みや印象で判断していると思いました。