敬語と漢字

今朝早く、NHKテレビで、この人に会いたいという番組で新村出さんが出ていました。彼は、広辞苑の編纂者として知られています。その編集の際、新仮名遣いに反対し、「広辞苑」の前文を新仮名遣いでも旧仮名遣いでも同じになるように書いたことはよく知られています。
 今回、どうして「敬語に関する具体的な指針の作成」及び「情報化時代に対応する漢字政策の在り方」について検討することになったかというと、敬語に関してはわかる気がします。最近学力として必要な力の第一に挙げられているのは、「コミュニケーション能力」であることは何度もブログでも書きました。また、少子社会での人との「関係性」が構築しにくくなっています。その中で、敬語は,日本の大切な文化として受け継がれてきたものであるとともに,社会生活における人々のコミュニケーションを円滑にし,人間関係を構築していく上で欠くことのできないものであるという認識に立って見直そうというものです。
確かにそうかもしれませんが、最近の若者の会話を見ていると、必ずしも敬語が円滑にしているのではなく、ため口のほうが円滑にしている感もあります。話し相手を敬う気持ちは大切ですし、自分をへりくだる気持ちも大切でしょう。しかし、乱暴な言葉や人を傷つけるような言葉はいやですが、尊敬されるような言葉はかえって馬鹿にされているような気がすることもありますし、あまり自分のへりくだるのも自尊感情が育っていないかと思ってしまうこともあります。敬語は大切な日本の文化かもしれませんが、昔のように「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の区別のようなことをただ暗記するようなことはやめて欲しいと思います。他人を大切に思う気持ちのほうをつけて欲しいと思います。
次に,情報化時代に対応する漢字政策の在り方について検討する趣旨は、「パソコンや携帯電話等の情報機器の急速な普及によって,人々の文字環境は大きく変化してきています。これらの情報機器には驚くほどの数の漢字が搭載されており,その結果,社会生活で目にする漢字の数も確実に増えているように感じられます。このような変化に伴って,人々の漢字使用にかかわる意識もどちらかと言えば,より多くの漢字を使いたいという方向に動きつつあるように見受けられます。」
これもそうかもしれません。確かに、自分で字を書くとなると、使う漢字は限界があります。それが、パソコンで打つとなると、変換する漢字はそのまま使いますので、自分が知っている漢字を使うというより、変換する漢字を使うというようになります。そういう意味では、パソコンや携帯電話で変換する漢字を見直す必要があるでしょう。そこで使われている漢字がどんどん増えていく反面、手書きをすることが少なくなると、書くことができる漢字の量はどんどん減ってきます。このままいくと、ますますこの格差は広がっていくでしょう。すると、学校で子どもたちが習う漢字をどれにするかなどの問題が出てきます。
 国際化・情報化の進展、価値観の多様化、科学技術の進歩等の社会変化は,人々の言語生活や言葉遣いにも様々な影響を与えています。ぜひ、漢字だけの世界の狭い範囲で考えずに、社会全体としての答申を出して欲しいと思います。

敬語と漢字” への4件のコメント

  1. 考え方の問題として、部分のあり方にとらわれすぎて全体が見えていないということにならないように気をつけなければいけません。何の為の敬語なのか、何の為の漢字なのか。社会の変化に対応していくことを考えるとき、このことはしっかり考えなければいけないですね。形だけ整えて中身が伴っていないということにならないように、自分の行動も意識して見直してみます。

  2. 「ため口」のほうが人間関係を円滑にする場面もあるという話はおもしろいですね。ネットをあれこれ探索していましたら、ある大学教授の話が紹介されていました。この方によると、大学の教員集団ではお互い敬語で呼び合うことが常で、呼び捨てにすることはまずない。ところが、外国の大学に行くと、「Hey,bob!Hey john!」お互いにニックネームで呼び合い、フランクにつきあって、友情を深めていくというのです。中根千枝先生の学説ではありませんが、やっぱり日本はつくづく「たて社会」で外国は「よこ社会」ですね。藤森先生のお話のように、「他人を大切に思う気持ち」を養うことが大切であって、言葉はそれを表現するためのツールと考えるのがいいかもしれません。

  3.  テレビでインタビューを受けている若い人たちをたまに見ますが、どうしてそんな言葉遣いをするのか?と思ってしかたがありません。相手が丁寧な言葉遣いで聞いているのだから、自然と丁寧な言葉遣いで返答すると思うのですが・・・。
     確かに携帯電話やパソコンを使うようになってから、自分が書けない漢字を簡単に変換してくれます。そのせいか、読める漢字は増えても、書ける漢字は本当に減っていくと思います。私自身そうなっていているので気をつけたいのですが、なかなか難しいです。今後、どんどん時代が変わってくると思いますが、本当にどうなるか心配です。

  4. 「敬語」とはまさに読んで字の如く「(相手を)敬う言葉」に他なりません。日本語の敬語が他の日本文化伝統と同様、子々孫々に伝えられるべきものであれば、生きている「敬語」が社会の最小単位である「家庭」で適宜適切に使われるべきでしょう。「敬語」と言われると、真っ先に学校の国語の授業を思い出します。あるいは、「社会人としての常識」として強制されたマナーの方向に意識が向かいます。極めて残念なことは「他人を大切に思う気持ち」がすぐに出てこないことです。他人との「共生」や他人への「貢献」が定着するなら「敬語」はその本来的意義を確実に後世へ伝えるはずです。自己顕示欲や自己権利意識が強ければ強いほど「敬語」は衰退するかまたは別の機能を持ち始めると思います。相手に「敬語」を要求するのであれば、まず自らしっかりとした「敬語」を使用する必要があるでしょう。そして実践の場を裏づけ、そしてさらに深めていくために求められるのが「敬語」の授業であると今日のブログを読みながら思ったしだいです。

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