樟と楠

熊野三山のひとつである熊野那智大社の境内の一角に、天然記念物 那智の樟(くす)の大木が茂っています。樹齢約800年、樹高27m、幹廻り8.3m、枝張り約25メートルの巨木で、熊野三山造営の勅使として参った平重盛お手植えによるものと伝えられています。根元に人がくぐれる程の空洞があり、無病息災を願って胎内くぐりをすることができます。
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 クスノキは、暖地に野生し、しばしば公園や、社寺林に栽培される常緑高木で、大きく生長するために神社などで神木として崇められている巨樹も多くあり、「那智の樟」もそのうちのひとつです。クスノキという音は、全体に特異な芳香を持ち「臭し(くすし)」からきています。漢字に当てる場合は、「楠」という字を書くことがありますが、それは、「南から来た木」という意味で、「樟」と書く場合は、「薬(樟脳)の木」からきています。クスノキは、古くから葉や煙は防虫剤、鎮痛剤として用いられ、作業の際にクスノキを携帯していたという記録もあります。また、その防虫効能から家具や仏像などにも広く使われ、古代の丸木船の材料にも使われました。また、材や根を水蒸気蒸留して取り出したものが、よくタンスや引き出しに虫除けとして入れる樟脳です。
 この「楠」という字を神社から名前につけてもらった人に「南方熊楠」(みなかたくまぐす)という人がいます。彼は、私と同じ誕生日だということと、出身が和歌山県で、熊野古道のひとつの登り口である田辺に晩年住んでいたこともあり、白浜に「南方熊楠記念館」があるので、訪ねてみました。
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 彼は反骨の世界的博物学者として、生涯、博物学や民俗学などを中心として研究に没頭し、英国の科学雑誌「ネイチャ-」などに数多くの論文を投稿し、また、国内では神社合祀反対運動や自然保護運動などにも論理と精力的な実践活動で尽力しました。
 彼を評して、記念館には、前進座創作劇場「およどん盛衰記」より転記された次の一文が掲載されていました。「一切のアカデミズムに背をむけての独創的な学問と天衣無縫で豪放轟落な言動は奇人呼ばわりされたが実はやさしい含羞の人であり、自然保護運動に命をかけて闘いぬいた巨人であった。」
 彼が、「日本最初のエコロジスト」と呼ばれるのは、当時は誰も「生態系」という概念すら持っていない時代に、こんな運動を展開したからです。第一次西園寺内閣は神社合祀を全国に励行しました。各集落にある神社を1村1社にまとめ、日本書紀など古文書に記載された神だけを残そうというものです。そのひとつの理由に、ビジネスの側面がありました。神社の森は樹齢千年という巨木もあり、これが高値で売れたからです。廃却された境内の森は容赦なく伐採され、ことごとく金に換えられました。これに対して、熊楠は激怒します。それは、何も宗教上の理由だけでなく、樹齢を重ねた古木の森にはまだ未解明の苔・粘菌が多く棲み、伐採されると絶滅する恐れがあったからです。「植物の全滅というのは、ちょっとした範囲の変更から、たちまち一斉に起こり、その時いかに慌てるも、容易に回復し得ぬを小生は目の当たりに見て証拠に申すなり」と言っています。熊楠は“エコロジー(生態学)”という言葉を日本で初めて使い、生物は互いに繋がっており、目に見えない部分で全生命が結ばれていると訴え、生態系を守るという立場から、政府のやり方に反対したのです。
そんなわけで、彼は国内の環境保護活動の祖となったのですが、いつの時代でも同じようなことを繰り返し、なかなか過去から学ぶことをしませんね。

樟と楠” への4件のコメント

  1. 目に見えない部分で全生命が結ばれているという考え、これは大切な考えですね。生命に限らず、目に見えない部分のつながりが実は大切なんだとよく言われていました。潜在の部分にどれだけ思いをやることができ、その部分が全てに関係していることをどれだけ意識して行動できるか。これが生きていくうえで大切なことだと教わりました。環境に関してだけでなく、全てにおいてこうした視点がなければ同じことが繰り返されるんでしょうね。自分自身の行動もあらためて見直してみます。

  2. 南方熊楠のことは、以前から気になっていました。ブログでご紹介いただいたので、あれこれ調べてみたのですが、「こんな日本人があの時代にいたのか!」というのが実感ですね。『生態系』という概念を発見できたのは、彼が学究の徒ではなく、野山に分け入って、植物採集などのフィールドワークに汗したからでしょうね。何事も「現場」でよく物事を観察することが、学問の進歩につながるのですね。保育の世界での改革も、子どもたちの「いま」を見ることから始まるような気がします。

  3.  「南方熊楠」という人物は初めて知りました。日本で最初のエコロジストとは今のエコの時代からしてみると彼はとても偉大な人物ですね。そして研究家だけでなく実践家としても尽力を尽くしていたのが素敵な人物だと思いました。保育でもただ研究するだけでなく、目の前の子どもを見て、その実践を踏まえてから研究するなどすればいいと思うのですが、難しいのでしょうか?
    「南方熊楠」と藤森先生が誕生日が一緒のせいか、どこか似ている気がしました。

  4. 「樟脳」の臭い、懐かしいですね。祖父母の部屋のにおいです。箪笥に樟脳があったのでしょう。楠木は「南の木」だけに北国育ちの私にはとても珍しい木です。それでも祖父母の「樟脳」のおかげで親近感は感じます。さて、南方熊楠、です。今思えば、熊楠についてしっかりとした勉強ができたはずなのに、その機会を逸していました。私がよく遊びに行っていた学部の先生の中に「南方熊楠」研究の第一人者がおりました。女性の先生で常に和服姿でいらっしゃいました。いわゆる大学の学部時代「環境問題」や「人権問題」や「第三世界問題」に首を突っ込んでいました。その関係で少し近しくさせてもらったのですが、「熊楠」研究にまで行かなかったことの我が不明さにいまさらながら残念な気持ちになります。

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