昨日、ある保育業者の展示会に行きました。そこで質問されたのは、「最近、園では折り紙を使っているのですか?どのように使っているのですか?」という質問でした。その業者は、もともと和紙などの紙の販売が特徴的でしたので、私の園では、以前は色紙といえば、その色彩などからその業者から購入していました。それが、最近園では使わなくなってきているそうです。ある園で折り紙を折らせている場面を見ていた人がびっくりしたそうです。それは、全員に折り紙を渡して、前で先生が折りかたの指導をします。まず、二つに折って、はい、いち!」「折りましたか?次にここを折って!はい、に!」と号令をかけながら折らせていたそうです。
昨日の質問に対して、私が答えたのは、「私の園では、折り紙指導は特にしません」「やはり、そうですか。どおりで、使わなくなってきているのですね」と言われたので、「いや、折り紙を棚にしまってあって、子どもたちはいつでもそこから出して使えるようにしてあるのですよ。折り紙は、とても子どもには人気がある教材です」と答えると、「では、どんどん無駄に使ってしまうでしょうね」「いや、人気があるということは、それを大切にするということです」と答えました。
先日、新聞に昨夏ニューヨークで教室を開いた小宮さんを訪ねました報告が掲載されていました。小宮さんは、35年のキャリアが支える熟達の技を更に広めるために海外で教室を開いています。
「折り紙との出合いは、保育園時代にまでさかのぼるんですよ」と言います。さらに、「折り紙で小さい頃から当たり前に鶴ややっこさんを折る日本人にとっては、折り紙は特に目新しいものではありません。しかし、考えてもみてください。平面が立体に仕上がるというのは、劇的な変化です。海外ではORIGAMIというローマ字で知られるようになりましたが、それでもまわりで見ている多くの人たちが、目の前で折る僕の様子を見ながら『魔法のようだ』と驚嘆します。折り紙って、本当にすばらしいコミュニケーションの道具なんですよ」「折り紙は『幾何学』です。とても面白い。大人の方にこそ、ユニークで、深遠な折り紙の世界を味わってほしいと強く思いますね」
私も、若い頃にカナダに行った時に、宿泊先の近くの小学校に一人で行って、中学年の子どもたちと触れ合うときに全員に折鶴の折り方を指導したことがありました。まず、対角線で二つに折ります。そこまでだけでも、なかなか上手に折りたためません。全員のところを回って何とか折らせたところ、子どもたちはその折ったところを手に持って、ヒラヒラさせながら、「鶴だ!鶴だ!」と喜んでいるのです。そのあと折っていくなど夢の夢とあきらめて、自分だけで折って仕上がりを見せたところ、みんなびっくりして感動していました。そのときに、カナダの子どもたちはなんて不器用なのだと思ったものでした。
だからと言って、必ずしも折り紙は日本のものとは限りません。例えば、ヨーロッパでは、スペイン語でパハリータ、フランス語でココットと呼ばれる折り紙が代表的ですし、また、洋食のときに折られているナプキンも、広い意味で言うと折り紙の一種です。それに似たようなものとして日本では、熨斗などの儀礼折り紙(または礼法折り紙)というのがあります。
ヨーロッパの折り紙は、フリードリヒ・フレーベルの幼児教育法に取り入れられ、日本の開国にともない日本に伝わりました。それが、日本の古典折り紙とどのように融合していったのでしょうか。
折り紙は一般的には、「子どもの遊び」かせいぜい「紙の芸術」ぐらいの認識しかありませんが、数学の世界では、折り紙(origami)に数学(mathematics)を合わせてオリガミクス(origamics)という名前が提唱され、さまざまな幾何学的な作図問題が折り紙を折ることで解けるという言われています。たとえば、角の三等分や立方体倍積などは、定規やコンパスでは作図できませんが、折り紙なら何回か折ることで可能です。以前、このブログでも紹介された人工衛星のパネルに使われている「ミウラ折り」も折り紙の技法ですね。日本の伝統的な遊びであった折り紙が、実はユークリッド幾何学を凌駕する可能性を秘めているという話は私たちの想像を超えています。ちなみに、8日に亡くなった世界的な物理学者の伏見康治先生は日本折紙学会の顧問をされていたそうです。合掌。
「人気があるということは、それを大切にするということ」という藤森先生の言葉、こういう言葉はとても勉強になります。こういう捉え方をしないといけないですね。それと折り紙は「幾何学」だということも自分にとっては新たな発見です。子どもの遊びの世界には大事な要素がたくさんあります。それらを理解しておかなければ見逃してしまうことが多いと思います。子どもの遊びは奥が深いです。
私も小さい頃に折り紙に没頭して遊んでいたのを覚えています。鶴にしても、クチバシや尻尾の部分がなかなか綺麗に折る事が出来ず祖母や母に手伝ってもらっていました。今となれば折り紙で鶴等を作ったりするのは普通ですが、平面の紙が立体に出来上がるという事は確かに凄い変化です。以前何かの番組で折り紙を特集していました。2、3メートルもある大きな折り紙で見事に立派な竜を作り上げていました。髭や目、そして鱗の一つ一つまで精密に折ってあり、それを見た瞬間折り紙の奥深さ、無限の可能性を感じました。一枚の紙が色々な物に変化する不思議さを一人でも多くの子ども達に伝えていきたいと思いました。
折り紙をうまく折れない私はカナダの子どもたち同様「不器用」ですね。どうやら「折る」という作業がどうもうまくいかない。従って、折って合わせる、こともやはり上手ではない。これまでで「折鶴」を折ったことが一度あったかないか。挑戦したはいいが、おそらく「不器用さ」ゆえに中途で放り投げてしまったのでしょう。もっともそのぶん、もしかすると別の能力が開花しているのかもしれません。ところで、先日現代アート展を観に行きました。英国のターナー賞を受賞した作品群です。その中の一つの作品に「ORIGAMI」とありました。私は、「ほぅーっ、折り紙も英語になっているんだ」と発見した思いでした。とにかく、鶴は折れるようになりたい、と思う今日この頃です。