数値2

  各国が教育に投資するのは、なぜでしょうか。義務教育という言いかたがあるように、子どもにとっては権利であり、大人は子どもに教育をする機会を与えなければなりません。ですから、ある意味で、教育は、社会保障的な側面がありました。それが、最近は、社会あるいは個人の投資としての側面が重視されてきたと文科省では分析しています。ですから、教育費の高さが、各国の教育に対する熱心さ(重視度)、あるいは教育投資の程度をあらわしているといえるとしても、教育投資の効率が分からないので、実質的な教育投資の程度を必ずしも反映しているとは限らないとしています。
  しかし、昨年末、来年度の国の予算を見て「少子化なのに、なぜ教育予算が増えるのか」という疑問がぶつけられました。確かに、数字的に見ると、公立小中学校の児童生徒数は1989年度の1488万人から2005年度には1043万人まで30%も減っているのに引き換え、小中学校にかかる費用は8兆6299億円から9兆977億円となり、5%増になっています。これが、教育投資の増加と見るか難しいところですが、この教育費増加の最大の原因は、教員の給料のベースアップや平均年齢の上昇によるようです。少子化でおのずと教員の定数も減りますが、給料の自然増で1兆円規模の引き上げ要因になっているといいます。
  しかし、少子化で子どもが半分になったからといって、かかる費用が半分になるのかというとそうではありません。一クラスの子どもが半分になったから、教師も半分になるわけでも、給料を半分にするわけにもいかないのです。また、電気を半日つければ言い訳ではないのです。逆に、教育費の公的負担が、年金、福祉など高齢者対策に比して高い国ほど出生率が高く、逆に高齢者対策のみが大きくなると子育てを逃れる者(フリーライダー)が増えて出生率が低くなるという点もデータで示されています。このように、とくに教育や福祉などでは単純にある箇所だけの数字に表せるものでもない部分が多くあります。
 また、平成16年度版「教育指標の国際比較」によると、我が国の進学率は高い水準を示しています。義務教育後中等教育への進学率は、日本が全日制進学者で94.3パーセント、定時制・通信制(本科)及び専修学校(高等課程)への進学者を含めると97.6パーセント(2003年)にもなります。アメリカ合衆国88.6パーセント、イギリス71.4パーセント、フランス87.6パーセント、ドイツ83.8パーセントと比べると確かに我が国は高い水準を示しています。しかし、この数字が果たして高い教育水準になるのかというと首を傾げたくなります。こんな数字を上げるのは簡単です。フランスでは約41パーセントである大学進学率を上げるために、1980年代半ばから,バカロレア(大学入学資格)水準に到達する生徒を80パーセントにするという目標を掲げ,後期中等教育以降の拡大政策をとった結果,1990年代に入ってバカロレアの取得率が大幅に上昇し,現在,同一年齢人口の約6割になっています。それは、バカロレア取得者は,原則として無選抜で大学に入学できるとしたためです。
 しかし、みんな大学までいけてよかったよかったということではないでしょう。どの世界でも量と質のバランスが大切です。

数値

 物事を決めたり、判断するときにはきちんとしたデータや資料が必要です。印象や刷り込みで判断すべきではありません。しかし、その数字や資料がどのような意味を持つか、その読み取り方が大切です。
 今日の新聞に、「文部科学省は19日、財務省が12日に発表した、国の教育支出の大幅増額は必要ないとする「反論」に対する「再反論」の文書をまとめた。」という記事が掲載されています。これは、文科省が、今年度から5年間の教育政策の財政目標を定める「教育振興基本計画」を提出した中に「教育投資の数値目標を対国内総生産(GDP)比で「5%」と明記するように」ということを求めています。その根拠として、現在の教育投資のGDP比が、経済協力開発機構(OECD)諸国の中で2番目に低いというデータからの提案です。
 しかし、それに対して財務省は、生徒1人あたりなら、米英独仏の平均とほぼ同水準であるというデータを示し、数値目標の明記についても、「教育投資や教職員定数の『投入量』でなく、どのような子供に育って欲しいかという『成果』で設定すべきだ」と否定的な見解を示したのです。それに対して、また文科省から「成果の実現には一定の条件整備が必要で、そのための投入量目標も重要だ」と反論が出されたのです。
 どちらのデータも正しいものでしょう。このようなデータの提出に際し、平成17年に文部科学省生涯学習政策局からこんなことが付け加えられています。「社会事象を数量的にとらえ,客観的なデータにより科学的に分析する指標を提供する統計調査は,教育面においても益々重要になっております」
このデータの中でこんな結果が分析されています。学校教育費の対GDP比を公的負担と私的負担の内訳で表したものの結果です。(ただし、塾、家庭教師などの学校教育以外の費用は含まれていない)
「韓国は私的負担の高さが2.8%と目立っており、これが合計の学校教育費での第3位に結びついている。韓国の場合、学校教育費の他に、塾や家庭教師の私的負担もこれに加えて大きいといわれる。米国は第2位であるが、韓国と同様、私的負担の割合が高い。米国、韓国と並んで、アイスランド、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンといった北欧諸国の学校教育費比率の高さが目立っている。これらの諸国の場合は公的負担がほとんどである。日本は第25位(調査対象国29カ国)と学校教育費の対GDP比の水準は低い。ただし、私的負担の比率は対GDP比で1.2%となっており、低くはない。逆に公的負担の比率は3.5%と低く、ギリシャを除いてOECD最下位となっている。最近では格差社会論などとの関連で、教育費の社会保障的な側面、すなわち貧乏人でも良い学校へ行けるという機会の平等が日本では失われてしまっている証左として、こうした学校教育費の公的負担割合の小ささがあげられることが多い」
このデータを見ると、確かに日本は先進国といいながら教育貧困と思わざるを得ません。また、先週号の週刊東洋経済の「子ども格差」の特集ではありませんが、公的負担の大きさは、教育格差を生んでいるように思いますし、それが社会に様々な問題を引き起こしている気がします。
もっと、違うデータで見てみようと思います。(つづく)

花の美

 花には、けなげに道端で咲く花や、色や形は地味ではありますが、野に咲く花に美しさを感じます。しかし、花はそれだけのことを人に与えるだけでなく、華やかさや、香りの強さ、色の鮮やかさからも美を感じていたのです。それは、多分にその花の咲く地域性があるかもしれません。日本のように湿気が多く、温帯でなければ、「わび・さび」は生まれなかったかもしれません。それに比べて、熱帯地方では情熱的で、開放的な花が咲くのです。
 それは、その花への命名の由来からもわかります。ギリシア語の睾丸を意味する「ορχις (orchis)」を語源として、英語で「Orchid(オーキッド)」(医学用語で「精巣」「睾丸」)と名づけられた花が「蘭(ラン)」です。ランは、クルミヤシャクヤクとともに今日の5月19日の誕生花です。ランというのは、ラン科の種の総称です。こんな語源を持っていながら、花言葉は「美人」「気品・清純」です。
 最初に蘭のブームが起こったのは、イギリスだといわれています。なんと、最初はその花の美しさからではなく、コケや地衣類などの植物を送る際に、厚手のしっかりとした葉を持つ植物をパッキング材料として使用したのが蘭だったのです。それを送られたイギリスの園芸家、ウィリアム・カトレイはその植物を育てたところ、それが非常に美しい大輪の花をつけ、当時のイギリス人たちをビックリさせたのです。その後、この花をこのカトレイにちなんでカトレアと命名されたのです。そして、その花の美しさや華やかさから貴族の間で蘭がブームとなったのです。
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ランというのはラン科の総称ですので、当然日本にランの花はあります。そのランは、西洋ランに対して東洋蘭、日本の蘭と呼ばれました。そのランは、日本独特の観賞の仕方や価値観があり、日本独特の園芸文化として発展しました。江戸幕府を開いた徳川家康や11代家斉は、ランと深い関わりがあったと言われ、武家や公家など、特殊な層の人達に愛され、現在も古典園芸として受け継がれています。特に「駿河蘭」と呼ばれるものは、建蘭の別名で中国は福建省より、家康に献上されて、駿府に広がりました。また、富貴蘭は姿かたちだけでなく、芳香もあるので、多趣味の11代家斉は、趣味の1つとして楽しんでいて、大名や武家の間でも流行っていました。手の油が付かないように、「ホヤ」(貴金属の金網)をかぶせ、刀剣の作法のように口には懐紙をくわえて観賞したとされています。江戸時代から蘭展や品評会も催され、大関とか前頭など格付けして楽しんでいました。
また、東洋欄も既に江戸時代には分類されていて、当時「葉蘭」と呼ばれていました。我が国では、30年位前までは「蘭」と言えば東洋蘭や日本の蘭を思い浮かべる人が多かったのです。
 それが蘭といえば洋ランの女王「カトレア」を思い浮かべます。もともとは、中南米原産で、コスタリカの国花です。また、フラワーギフトの王様といわれているのが、「胡蝶蘭(コチョウラン)」です。学名のファレノプシスは、花が蝶の舞っている姿に似ているところからつけられています。そういえば、日本では、サギの飛んでいる姿から付けられているサギソウも、ラン科の仲間です。
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 華やかさは、それ自体は決して評価の基準ではなく、懸命に遺伝子を残そうと咲いている姿なのです。

那古野(なごや)

 私の園は、新宿という新しい宿場の中で、川が落ち合う場所の川下のほうにあるという落合という所にあります。その場所の地名というのは、自然であったり、その地形であったり、人々の生活であったり、そんなものからつけられていることがあります。
 それよりも意外と多いのは、その地方を治めていた豪族なり、大名なりの姓からとった場合があります。都内は、様々な藩主の江戸屋敷があったことから、その藩の名前や大名の名前を付けました。紀尾井町は、千代田区の西部に位置し、港区(赤坂・元赤坂)・新宿区(四谷)との区境にあたる町名ですが、昔も三つの境にありました。ここにはかつて、紀州徳川家上屋敷、尾張徳川家中屋敷、彦根井伊家中屋敷があり、それぞれの家の文字を1文字ずつとって町名としています。
新潮社編「江戸東京物語」には東京の地名の由来が書かれています。大名から取ったものとして、例えば、「神田錦町」は、一色家のお屋敷が2つあったから、「有楽町」は、そこに織田信長の弟で、高名な茶人の織田有楽斎の屋敷があったからで、「一石橋」は、橋の両岸にそれぞれ後藤家があったからです。
また、「水道橋」は、神田上水の掛け樋を渡す橋がかかっていたからであり、「お茶の水」は、高林寺の境内の井戸から湧き出る水が、将軍のお茶の用水とされたからです。「八重洲」は、日本に漂着したオランダ船員ヤン・ヨーステンの屋敷があったのが、かつてのヤヨス(八重洲)河岸でした。「数奇屋橋」は、江戸城で茶礼、茶器をつかさどり、数奇屋坊主を総括する数奇屋役人の公宅があったからです。
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昨日から保育学会参加のために来ている名古屋も、もともとは駿河の今川氏が一時尾張守護を兼ねていた時期に庶流の那古野氏が領有していたので「那古野」といわれていました。斯波氏が尾張を領有した後、今川氏親が拠点としたあと、織田信秀は今川氏豊を滅ぼして城を奪い、拠点を置いたのが「那古野城」といわれた城名です。しかし、信秀の後を継いでいた織田信長は、一族の織田信友を滅ぼして清須城に移ったため、那古野城は廃城となっていったのです。
その50年後、徳川家康がこの城の故地に目をつけ、名古屋城を築城するのです。この築城にあたっては、加藤清正を総指揮官とし、20名の諸大名が動員され、諸国から職人や土工たちが結集して作られていきます。
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このときは、城下は空前の人出で埋め尽くされ、清洲城下の武士、町人たちも一挙に移住し、神社・仏閣までもが移築されます。これが世に有名な「清洲越し」です。
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 それに比べて、北海道の地名には面白いいわれがあります。今年の3月に発売された新書「アイヌ語地名で旅する北海道」北道邦彦著には、なかなか興味深いことが書かれています。北海道の地名の約8割がアイヌ語に由来するというので。それは、彼らの自然と調和した暮らしの知恵を学び、「環境とともに生きる」というエコライフを先取りした知恵がその地名から見えてくるといいます。たとえば、町名などにある留辺蘂(るべしべ)。「る」は道で、「べし」(ぺシ)は「~に沿って下のほうへ下る」、べ(ぺ)は「もの=川」という意味で、アイヌの交通路を示しているのだそうです。ほかにも、アイヌ語で、「魚のいっぱいいる川」とか、「底つるつるすべる川」とか、そういった生活に密着した地名がいまも生きているのです。
以前にも書きましたが、簡単に町名変更をしないでもらいたいものです。

敬語と漢字

今朝早く、NHKテレビで、この人に会いたいという番組で新村出さんが出ていました。彼は、広辞苑の編纂者として知られています。その編集の際、新仮名遣いに反対し、「広辞苑」の前文を新仮名遣いでも旧仮名遣いでも同じになるように書いたことはよく知られています。
 今回、どうして「敬語に関する具体的な指針の作成」及び「情報化時代に対応する漢字政策の在り方」について検討することになったかというと、敬語に関してはわかる気がします。最近学力として必要な力の第一に挙げられているのは、「コミュニケーション能力」であることは何度もブログでも書きました。また、少子社会での人との「関係性」が構築しにくくなっています。その中で、敬語は,日本の大切な文化として受け継がれてきたものであるとともに,社会生活における人々のコミュニケーションを円滑にし,人間関係を構築していく上で欠くことのできないものであるという認識に立って見直そうというものです。
確かにそうかもしれませんが、最近の若者の会話を見ていると、必ずしも敬語が円滑にしているのではなく、ため口のほうが円滑にしている感もあります。話し相手を敬う気持ちは大切ですし、自分をへりくだる気持ちも大切でしょう。しかし、乱暴な言葉や人を傷つけるような言葉はいやですが、尊敬されるような言葉はかえって馬鹿にされているような気がすることもありますし、あまり自分のへりくだるのも自尊感情が育っていないかと思ってしまうこともあります。敬語は大切な日本の文化かもしれませんが、昔のように「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」の区別のようなことをただ暗記するようなことはやめて欲しいと思います。他人を大切に思う気持ちのほうをつけて欲しいと思います。
次に,情報化時代に対応する漢字政策の在り方について検討する趣旨は、「パソコンや携帯電話等の情報機器の急速な普及によって,人々の文字環境は大きく変化してきています。これらの情報機器には驚くほどの数の漢字が搭載されており,その結果,社会生活で目にする漢字の数も確実に増えているように感じられます。このような変化に伴って,人々の漢字使用にかかわる意識もどちらかと言えば,より多くの漢字を使いたいという方向に動きつつあるように見受けられます。」
これもそうかもしれません。確かに、自分で字を書くとなると、使う漢字は限界があります。それが、パソコンで打つとなると、変換する漢字はそのまま使いますので、自分が知っている漢字を使うというより、変換する漢字を使うというようになります。そういう意味では、パソコンや携帯電話で変換する漢字を見直す必要があるでしょう。そこで使われている漢字がどんどん増えていく反面、手書きをすることが少なくなると、書くことができる漢字の量はどんどん減ってきます。このままいくと、ますますこの格差は広がっていくでしょう。すると、学校で子どもたちが習う漢字をどれにするかなどの問題が出てきます。
 国際化・情報化の進展、価値観の多様化、科学技術の進歩等の社会変化は,人々の言語生活や言葉遣いにも様々な影響を与えています。ぜひ、漢字だけの世界の狭い範囲で考えずに、社会全体としての答申を出して欲しいと思います。

漢字

 最近、文字などをパソコンに打ち込むときに、その読み方から打ち込んでいきます。ですから、漢字などの読み方はずいぶんとできるようになっていく反面、書くとなるとその漢字を思い出せなくなってしまっていることが多くあります。講演などでホワイトボードに書いて説明しようとするときに、簡単な漢字が思い出せず困ってしまうこともたびたびあります。また、相手の名前を書くときに、どんな漢字か説明を受けてもその漢字が思い出せなくて恥ずかしい思いをしたこともあります。私の名前の「司」を説明するときにも、「つかさどるという字です」と言っても相手はわかりにくいので、最近は「司会の司です」と言うことにしています。
 文章をパソコンで打ち込むときに、その漢字の読み方がわからない場合は困ります。あれこれ思いつくままに打っても、その漢字が出てこないことがあります。そんなときには皆さんはどうしているのでしょうか。普通はそんなときには漢字辞書を使います。漢字を引くときには普通は読みかたから見つけるのですが、それがわからないときには、画数か、部首から引きます。パソコンでも、同様の手続きを踏みます。
 下のほうにある「言語バー」の中の「IMEパッド」のボタンをクリックすると、メニューが表示されます。その表示されるメニューは、「手書き」「文字一覧」「ソフトキーボード」「総画数」「部首」があります。この総画数と部首から見つけたい漢字を探すのは漢字辞書と同じです。しかし、パソコンならではのもので、私がよく使うのは「手書き」です。白い面にマウスを使ってその文字を書くと、それらしい文字が表示されますので、その漢字を選んでクリックして表示をします。しかし、その場合は、文章をそのまま写すときで、詠み方はわかりません。
また、記号を入力するときは、「文字一覧」を選びます。その一覧から選ぶのですが、あまりに多くて大変なときには、画面上部のメニューにある「記号」「単位記号」「省略文字」を選んで探している記号を絞ります。
 平成17年2月,文化審議会国語分科会から「国語分科会で今後取り組むべき課題について」の報告が出されました。その中で、問題の緊急性,重要性から見て,「敬語に関する具体的な指針の作成について」及び「情報化時代に対応する漢字政策の在り方について」の二つの課題を今後取り組むべき大事な課題であると指摘されました。そこで、3月30日に文部科学大臣からこの二つの課題について諮問し、平成19年2月2日に「敬語の指針」が文化審議会から答申されました。
 そのあと、もうひとつの課題である「漢字政策」に取り組み始めています。その手始めとして13日付朝刊に掲載されていましたが、「常用漢字表見直し候補案」を文化審議会が公表しました。現在、常用漢字は、1945字あるそうですが、2006年までの3年間の出版物を調べて漢字の使われ方を分析した結果、使われる頻度が多く、「基本的に(新漢字表に)加える方向」の42字(「藤」「岡」「誰」「阪」「奈」「鹿」「熊」「韓」「脇」「鶴」など)や「基本的に加えるが、不要なものは落とす」150字(「鷹」「鍵」「翔」「鍋」「梨」など)など220字を常用漢字表に加える候補に挙げています。
 情報化時代に対応するということで、常用漢字が増えるということは、漢字というものを考えるうえでとても興味深いと思います。

5月病ではありませんが、この時期に「メランコリー」になりそうなときに、喜多条忠作詞、吉田拓郎作曲で、梓みちよさんが歌った歌「メランコリー」にあるように「男はどこかへ 旅立てば それでなんとか 絵になるけれど」という歌詞があります。この時期には、旅に出たくなるのでしょうか。明日の5月16日は「旅の日」です。これは1988年に日本旅のペンクラブが制定したもので、松尾芭蕉の「奥の細道」への旅立ちを記念するものです。
 出羽三山のブログで何回か松尾芭蕉を取り上げましたが、彼が「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」と言って江戸を出発したのは元禄2年(1689)の3月27日でした。この日を新暦に換算すると、この年は閏1月があったために2ヶ月もずれこんで5月16日になります。ですから、明日5月16日が出発した日になるのです。
 奥の細道の出だしは有名ですが、出発のあたりの文章は知られていません。彼は、どんな気持ちで旅立って行ったのでしょうか。旅立った朝、こんなことを書いています。
「弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の嶺幽にみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。行春や鳥啼魚の目は泪 是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと見送なるべし。」
 まだ空がほんのりと明るくなった朝早く、まだ空にある月がうっすらと富士を照らしているようです。まだ、この頃は江戸から富士が見えたようですが、同じように深川から見渡せる上野や谷中の桜は、もう二度と見ることはできないだろうかと心細くなっているようです。前の日から自分のことを思ってくれている弟子たちが集まり、一緒に千住までの船に乗り込んでくれたようですが、そこで船を下りた瞬間からどうも胸がいっぱいになったようです。そのときに気持ちを「幻のちまたに離別の泪をそゝぐ」と言っていますが、どうも夢心地でありながら、涙が止め処もなく流れ落ちてくるようです。
そして、どうも5月病と同じように、華やかに花が咲き誇り、暖かく希望に満ちた春が去っていくような気がするこの季節に、自分の気持ちを映すかのように、鳥までもわびしさで泣いているように聞こえ、魚も目に涙を光らせているように思われるもののようです。「行春や鳥啼魚の目は泪」と言う句を旅の初めとして足を踏み出したようですが、名残が尽きず、どうもなかなか踏ん切りがつかないようです。その頃の旅に出るというのは、終の別れをするようなものだったのでしょう。自分が旅立つのを、道に立ち並んで見送ってくれるだろうか、姿が見えなくなるまで見送ってくれるだろうかと心配をしています。ずいぶんと正直な人ですね。
 江東区芭蕉記念館で9日、松尾芭蕉の生涯を描いた伝記紙芝居を、高木孝さんが上演したことが新聞に掲載されていました。高木さんは、芭蕉が病に苦しみながらも、俳諧の道を究めようと旅を続ける姿に感動して、「死を覚悟してまで俳句の道に身をささげた芭蕉のすごさを、若い世代に伝えたい」と子どもたちに上演を続けているようです。そして、その生き方から、「芭蕉は2400キロにも及ぶ道中を地道に歩いて大作を完成させた。子供たちにも、行動力や努力の大切さを学んでほしい」と言っています。
 そんな芭蕉でも、奥の細道の旅立ちのあたりを読んでみると、かなり不安や名残惜しさがあったようで、その人間味になんだかホッとします。

毒の花

 町や野山の木々は、初夏に向けて華やかな花から、目にも鮮やかな新緑に覆われています。そんな草花の中には、その美しさだけではなく、食べられるものもあります。しかし、毒成分を持つ植物も多くあります。これを食べると、薬になることもありますが、死に至るような毒性の強いものもあります。今日の新聞にこんなニュースが流れていました。
「ポピーの花畑をつくろうと種をまき育ててみたら、ケシだった」というもので、茨城県下妻市で行われる「フラワーフェスティバル」会場に、法律で栽培が禁じられているアツミゲシがあることが13日分かり、市職員とボランティアら約100人があわてて手で抜き、焼却処分にしたということです。今の時期は、色々な公園でポピーが咲き乱れる花畑を見かけます。私の園でも、季節ごとにその季節の植物をモチーフにした手ぬぐいを玄関に飾っていますが、今の時期はポピーの花の絵が飾られています。
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このポピーは、ケシ科の一年草で、ヒナゲシとか虞美人草とかシャーレイポピーとも呼ばれているものですが、ケシ科ケシ属に属する一年草の植物であるケシは、日本ではあへん法で栽培が原則禁止されている種に指定されており、厚生労働大臣の許可を得ないと栽培してはいけないことになっています。
 他にもよく見かけるものでもかなり毒性のあるものがあります。トリカブトは有名ですが、他にも有毒植物が身近なもので200種類くらいあるといわれています。先日のブログで取り上げたミズバショウも、葉などの汁が肌に付くとかゆみや水ぶくれを起こすことがあり、根茎を服用すると吐き気や脈拍の低下、ひどい時には呼吸困難や心臓麻痺を引き起こす危険があります。これからの時期、可愛い花を付けるスズランもどの部分を食べても、嘔吐、頭痛、眩暈、心不全、血圧低下、心臓麻痺などの中毒症状を起こし、重症の場合は死に至ります。スズランを活けた水を飲んでも中毒を起こすことがあり、これらを誤飲して死亡した例もあるほどです。
 今の時期盛んに花を付けているレンゲツツジも全木に痙攣毒があり、花や葉は呼吸停止を引き起こすこともあります。ですから、牛や馬にとっても有毒なため食べ残すので、よく牧場ではレンゲツツジの群生地になっていることも多いくらいです。よく花には蜜があるので、子どもが吸う場合がありますが、それは危険なようです。
 夏に小学生がみんな育てるアサガオにも毒があるようです。朝顔の種を下剤や利尿剤として利用していたことが5世紀にまとめられた中国の本草書「神農本草経集註」に書かれていますし、漢方薬として奈良時代に日本に伝えられたと推定されています。
アサガオと同様、かんぴょうの材料として知られるユウガオの成長した実は、苦味が強いものがあり、食べて中毒となった事例があります。
そろそろ花が終わり実をつけ始めた梅の未熟な果実や種の中心の部分には毒成分があります。これからの時期、生の梅を買ってきて梅酒や梅干しを作りますが、子どもが食べないように十分注意する必要があります。
普通にあるものでもよく知られているものにジャガイモの芽がありますね。この部分をきちんと取り除かないと、中毒を起こします。また、市販されているものからは検出されていないようですが、モロヘイヤの種子にも強い毒成分が含まれていることがわかっています。
 美しいもの、薬になるもの、毒になるもの、それぞれを見分けるにはきちんとした知識と、深く見る目が必要です。

黒石

 私は、最近いろいろなもので「黒い」色のものを見ると反応してしまいます。先日訪れた那智では、いたるところの看板に「那智黒」と書かれているのを見かけます。この黒いものはなんだろうかと思っていると、それは碁石をかたどった「黒あめ」でした。
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この那智黒は、100年の伝統を受け継ぐ独自の製法で、昔ながらの味です。奄美群島徳之島で栽培された良質のサトウキビの絞り汁を直火で炊き上げているそうです。
 では、この地でどうして「碁石」をかたどった黒いあめなのかというと、この地方で「那智黒石」という多量の炭素を含んだ黒色硅質頁岩が取れるからです。この石は、わが国でも屈指の銘石のひとつに数えられています。よく「試金石」という言葉が使われますが、この意味は、「金の品位、真贋を試すために用いた条痕板。俗に那智黒と呼ばれる黒く硬い石が使われ、これにすりつけて条痕を調べる。」ということで、現在では、人物や物事の真価を問うことになるような試練をさすようになっています。このように那智黒石は古くから、この試金石として最良のものだったのです。
熊野三山は、平安の末期、仏法が衰えて社会は乱れ、世は末世と考えられ、人々は争って西方浄土に往生することを願った末法思想が起こります。そして熊野詣が盛んになるのですが、そこに行ったという証として、その黒石をもって帰ったり、山脈に露出した熊野の山岳に似た黒石を掘り出し、持ち帰った石に往生の念仏を念じ、手ですりあわせ磨いているうちに光沢が出てくるので、そこに「極楽世界」を思い描いたようで、その石のことが人々の口から口へと伝言でつたわり、いつのまにか那智黒石と言われるようになったそうです。いま、那智黒石は碁石の黒石、硯、床置石、装飾品、那智黒成型品などに加工され、伝統的な工芸品として販売されています。
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 石というと宝石を思い浮かべますので、色や形がきれいなものが大切にされがちですが、もともと大切な石は黒い色をしていました。鉄鉱石と石炭を混ぜて加熱すると、鉄ができます。この鉄は、鉄器として古代から利用されていましたし、機械や建築を支えたのも鉄でしたし、現代においても、鉄やその化合物は、いまだに大量に使われています。
また、近代産業革命は、黒光りする鉄で作られた蒸気機関車と、その燃料であるやはり黒光りする石炭が主役でした。私が小学生のころ、教室のストーブのために石炭係が石炭を教室まで運んだのですが、そのときの黒光りは忘れられません。今でも石炭は産業上でも重要な位置を占め、エネルギー源としてだけでなく、化学原料としても使われています。このように鉄にしても石炭にしても黒い石は、ずっと昔から現代に至るまで、人間の文明を支えてきた存在といえます。
 そのほかにも、魅力的な黒い石があります。それは、オブシディアン(黒曜石)です。この石は、火山の回りにある、天然ガラスでできた岩石で、色々な成分が混在しているため、黒色ないし灰黒色です。そして割ると鋭利な割れ目を得やすいので、先史時代から世界各地でナイフや矢じり、槍の穂先などの石器として長く使用され、日本でも後期旧石器時代から使われていました。そして、黒曜石は特定の産地からしか取れず、その成分的な特徴から古代の交易ルートが推測できます。
 宝石は、綺麗な色だけではないのですね。

五月の頃

 花が一斉に開き、暖かい春も次第に初夏に向かいはじめ、学生も社会人も新しい環境での生活がほぼ一月経ちました。こんな季節に新しい生活が始まるのは心がうきうきとしそうなものですが、同じ状況を反対に考えると憂鬱になることがあります。楽しみだったゴールデンウイークも終わり、このあとしばらく祝日はありません。周りは忙しそうに動き回り、なんだか自分だけ置いていかれそうな気がします。また、せっかくなれて安定していた生活から新しい環境に移り、今まではなんとなく無我夢中で動いてきたのがそろそろ落ち着いて周りを見ると、この新しい環境がなんだか不安になります。そして、最近なんだか「やる気が出ない」「食欲がわかない」「なんだかむなしく感じ」、そして実際に頭痛がしたり、不眠症になったりするときがあります。
このような症状が大学に入りたての学生に5月頃に見られるようになり「五月病」として一般に知られるようになりました。それが近年では、学生の五月病は減っているようですが、それに代わって新社会人や子どもを初めて保育園などに入園させる保護者などに同様の症状が見られることが増えてきています。新社会人の場合は、新人研修などが終わって実際の仕事をはじめた後の6月頃に症状が出ることが多いため、新五月病または「六月病」と呼ばれはじめています。しかし、この五月病と六月病、どちらも医学用語ではなく、医学的には、「適応障害」と診断されます。新しい生活に夢中でいる間はいいのですが、ひと段落する5月・6月頃に、知らず知らずに蓄積されていた心身の疲れが出てきたり、新しい環境や人間関係についていけなかったりと、大きなストレスを貯め込んでしまうことが原因で、実際は、それが現れるのは何も5月・6月だけに限るわけではなく、人によって、夏休みを終えた9月頃に出ることもありますし、さらに職場環境が変わったときに起きることも多いようです。
しかし、泉谷しげるの歌「白雪姫の毒りんご」ではありませんが、「むなしい、むなしいとつぶやいても また明日もむなしいだけ」です。これらの症状は新しい環境にきちんと向き合い、きちんと真面目に対応しようとした結果であることが多いので、何も自分を責めることはないのです。まあ、「明日があるさ」的な気持ちで自分ながらの気分転換を図ったほうがよさそうです。
そんなグッズもネットで紹介されていました。
アロマや良い音楽など、気分をゆったりさせるもののほかに面白いものがいくつかあります。例えば、「叫びの壺」というのは、このツボに口を当てて叫ぶと、特殊な内部設計により、小さな声に変えてくれるので、言いたくても言えない、人に聞かれてはいけない…そういったことを大声で叫んですべてを吐き出してしまおうというものです。また、「ムゲンプチプチ」というのは、シート状緩衝材の気泡をプチプチとつぶすと、スピーカーが内蔵されていて、つぶすときの音も再現してくれます。「パワータワー」は、本体に空気を入れ、台座に水などを注入して重しにするタイプのボクササイズ・トイで、ストレス源を思い浮かべながら連打して汗をかけば、心も体もスッキリするというものです。そのほかに高い防水性能をもつポータブルDVDプレーヤーで、風呂で映画を見るとか、お札を模した入浴剤を湯船に散らし入れれば、お札に囲まれて風呂には入れるなどさまざまです。
 人によって解消方法は違いますので、自分なりの解消方法を見つけることが大切でしょうね。