微生物

 昨年5月に、NASAは、火星探査機フェニックスをその年の8月に打ち上げることを発表しました。このフェニックスは火星の北極に着陸し、探査機としては初めて北極の気象を調査すると同時に、特徴的な長い腕を使って表面の地層を掘り、その下にある水の氷を直接調べることに挑戦します。2002年にNASAの火星の上空から観測する探査機マーズ・オデッセイが、腕の深さほどのところに氷が眠っている証拠を見つけたので、「着陸して直接氷を調べたい」という機運が再び高まっていたからです。
1999年火星の南極を目指した探査機「マーズ・ポーラー・ランダー」は、着陸に失敗して、灰じんと帰してしまいました。ですから、今回の探査機は、「灰の中からよみがえった不死鳥」ということで、「フェニックス」と命名されました。
このフェニックスの打ち上げは、昨年8月4日に見事成功しました。そして、先日、米国東部時間25日午後7時53分(日本時間26日午前8時53分ごろ)に火星に無事着陸したというニュースが流れてきました。そして、着陸後に届いた初画像から、探査機は良好な状態にあることが確認されました。その周りは岩石の少ない地点であり、地表に氷は見られないようですが、今後地面を掘削する探査で、どんな映像が送られてくるか楽しみです。
私たちは、宇宙人というと、「火星人」を思い浮かべます。それは、火星が太陽系の8つの惑星のうちで太陽との距離、公転周期などで地球と最も似ているということと、火星上の多くの場所に、 大洪水や小さな河谷系を含む侵食作用の非常に明らかな証拠が存在しているからです。しかし、過去のある時期には、確かに水が地表面に存在していましたし、大きな湖や海洋さえあったかもしれないといわれています。しかし、地球と同様に、ほとんどすべての二酸化炭素は使い尽くされ、炭酸塩岩を形成しました。しかし、地球のようなプレートテクトニクスが存在しないので、火星はこの二酸化炭素を大気中へ戻すことができず、その結果、十分な温室効果を維持することができずに、現在では、気候があまりにも過酷で、地表面付近の平均気温は地球の13度に比べて大幅に低い氷点下53度ということもあって、科学者たちは、人類のような知的生命体が存在するとは考えてはいません。しかし、火星には、微生物のようなものかもしれませんが、水が凍りついた大型湖が存在し、生命体が存在する可能性がある、と判断しています。今回、それが少しわかるようになるかもしれません。
火星人といえば、イギリスの作家H・G・ウェルズが1898年に発表したSF小説「宇宙戦争(原題The War of the Worlds)」が思い出されます。20世紀の初めに火星人が地球に到来し、武力で侵略していきます。そして、地球は征服されますが、最後は、こんな終わり方をします。
いよいよ、人類は滅亡すると思われたとき、主人公は、火星人がみんな死んでいるのを見つけます。その火星人をやっつけたのは、人間の武器や策略ではなく、太古に造物主が創造した微生物だったのです。微生物に対する免疫がない火星人は、地球に襲来し、地球で呼吸し、飲食することによって、微生物によって死に至らしめられたのです。
火星人ではありませんが、微生物に対する免疫がなくなってきている最近の子どもたちは、大丈夫でしょうか。

高校生

 毎朝、駅ではティッシュを配っています。そのほとんどは、サラ金のものが多いのですが、今日は、いつもと違っていました。
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明日は世界禁煙デーです。毎年、世界禁煙デーのイベントは盛んになります。そんなイベントの中で、世界保健機関(WHO)主催のたばこ対策に貢献した個人や団体を毎年表彰するというイベントがあります。その世界禁煙デー賞の特別賞を静岡市の高校1年大石悠太君が受賞し、今夜、マニラで授賞式が行われることになっています。
 彼は、小学4年の時、周囲のたばこの煙でぜんそくになったことを契機に、たばこの害の自由研究を開始し、2005年11月には「歩きたばこは危険」「一番の問題は受動喫煙」として「歩きたばこ禁止条例」の制定を求め、集めた24000人近くの署名を静岡市議会に提出しました。それらの活動が認められたのです。
 「最近の若者は、」という言葉をよく効きますが、ずいぶん高校生が活躍をしています。
 今月15日、「Intel ISEF 2008」で日本代表が特別賞を受賞したというニュースが流れました。このイベントISEFは、1950年アメリカではじまり、1997年からはインテル社がスポンサーとなっている国際学生科学フェアです。米国ジョージア州アトランタで開催されているそのフェアで、日本代表の高校生が特別賞を受賞しました。牧野さんは、「アスピレーターによる簡易放電管の製作」という研究でプラズマ科学連合賞(1等賞)を、三浦君、井上さん、鈴木さんは、「実用的な自動合成写真作成アルゴリズムの設計と実装」という研究で、人工知能振興協会賞(2等賞)と国際計算機学会賞(4等賞)を受賞しました。
 続いて16日の優秀賞表彰式では、日本代表の坂口さんは、「ショウジョウバエの幼虫は餌によって唾液分泌量を調節する」という研究で、動物科学部門で2位を受賞、吉村君、谷口君、清本君は、「微風時における高効率縦型風力発電用風車の研究―風向きに対応した縦型回転翼可変迎角制御の開発―」という研究で、共同研究/エネルギー・輸送部門で、2位を受賞しました。そして、三浦君、井上さん、鈴木さんは、「実用的な自動合成写真作成アルゴリズムの設計と実装」という研究で、共同研究/コンピューターサイエンス部門で4位を受賞しました。
日本では教育力が低下しているといわれていますが、日本人の受賞ラッシュを見ると、日本の高校生は世界でトップクラスの頭脳を有しているとも言えるようです。
環境に関することでも高校生が活躍しています。環境省が主催する「ストップ温暖化『一村一品』大作戦全国大会」が今年の2月初めに開かれました。その大会で、各都道府県から地域の特色を生かした地球温暖化防止の活動について、自治体や企業、学校、NPOなど様々な団体から発表されました。ストップ温暖化「一村一品」大作戦は、日本各地から地球温暖化防止の取り組みを集め、全国的な盛り上がりを作るためのプロジェクトです。この中で、今年、最優秀賞を受賞したのは、高校生でした。輸入木材でなく地元産材を使うことが木材の輸送距離(ウッドマイレージ)を短くし、CO2排出量を削減することに着目し、地元の木材を利用した家具や山小屋作りなどの『地産地消』活動が評価されての受賞でした。私が先日ブログで書いた、価格に輸送距離を勘案するようにということを木材に適応したものです。
どの年齢にも、立派な人もいますし、ひどい人もいるものです。年齢では人は判断できませんね。

水争い

 先日、東京では大雨が降りました。水が地面に吸い込めず園内にも流れ込んでしまいました。これから梅雨の季節になります。今年の梅雨は、どのくらい雨が降るのでしょうか。大雨になるか、空梅雨になるかで今年の夏の水不足かどうかが関係してきます。水不足になると、生活がかかっている人々がいるので、こんな贅沢なことは言えませんが、園では子どもたちのプールでの水遊びが制限されることもあるので、暑い夏だと気の毒になります。
昨年11月に、アメリカ南東部で、長引く干ばつの影響で深刻な水不足に見舞われたというニュースが流れました。住民たちはペットボトルの水を買いだめしたり、朝のシャワーに使った水を植物にやったりして節約していましたが、フロリダ、アラバマ、ジョージア州3州では、水争いがおき、死者まで出るような事態にまでなりました。
このような水争いは、どこの国でも昔からよくありました。今日、訪れていた岩手県でもあったようです。岩手県中南部に位置する胆江地方は、北上川が中央を流れ、西の奥羽山脈、東の北上高地にはさまれ、胆沢川流域の胆沢扇状地と北上川流域の沖積平野を中心に拓けました。北上川西岸の胆沢地方、東岸の江刺地方の頭文字を音読みして「胆江地方」と呼ばれ、今は合併して奥州市となっていますが、昔から肥沃な大地に支えられ、稲作が盛んでした。
 しかし、胆沢平野はよく水不足に悩まされていたので、1570年、平野の北側に北郷茂井羅という人が私財をなげうって「茂井羅堰」を開削しました。一方、1631年に後藤寿庵とその弟子・千田左馬、遠藤大学が「寿庵堰」を完成させました。ともに水不足の住民のために胆沢川から水を引くという先人たちの努力によって生まれた利水事業でしたが、胆沢川の水の量が足りなかったことと、水を流すためにつくられたこの大きな二つの堰の水の取り入れ口が、それぞれ上、下流にあり、その場所が2キロメートルに満たない距離で隣りあっているため、受益農民はこの400年間、血を流すほどの水争いを繰り返してきました。
 その争いを解決する方法として採用されたのが、「円筒分水工」です。
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この円筒分水工は、施設を人の手で動かすことなく、上流から取り入れた用水を、円の角度の大きさによって、寿安堰・茂井羅堰の水の道(水路)に配分する理想的な分水方法です。この分水工は、国家事業を導入して、昭和34年に完成し、夢にまで見た取入口の一本化が実現したのです。その後、これが使われるようになってからは、用水の配分についての争いは全くなくなりました。
 もちろん、人々は大変喜んで、この地を聖地と定めて、当時の総代、役員、職印らが樹木や岩石を献じ労力を奉仕して、後藤寿庵、北郷茂井羅、千田左馬、遠藤大学の碑を並べて合祀したのです。そして、その場所を徳水園という名の公園として、先人の遺徳を永遠にしのぶために、水に関する他の仕掛けも展示されています。
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 水争いは、もちろん生活がかかっており、命にまで関わってきます。しかし、農民たちは好きこのんで争いをしたのではありません。ただ争うだけでなく、双方がともに益を得るような方法を知恵によって見出した良い例です。

座る

最近、畳の使用が減ってきたというのは、仕事や生活における姿勢が変わってきたということにもなります。それは、椅子に座っての仕事や生活が増えたということにもなります。子どもたちも、勉強するときに、寺子屋とか藩校など江戸時代までは、畳や板の間に正座をして座卓といわれる低い机で勉強をしていました。それが、明治維新後、外国の教育制度を取り入れて、兵隊の宿舎をモデルとして学校建築が建てられ、教室内は、椅子に座って、先生の話を聞く形態になっていったのです。それ以後、現在に至るまで、その形態は変わりません。
家庭でも、私が小さかった頃は、茶の間で、裁縫やアイロンがけなどをしている母親の傍で、ちゃぶ台の前に正座して本を読んだり、勉強をしたものでした。それが、中学校になることには、子ども部屋に、いわゆる勉強机の前に椅子に座って勉強をするようになりました。何年か前にザルツブルグにあるシュタイナー学校に行って授業参観したときにびっくりしましたが、小学1年生は、座卓を机として、床に座って授業していたのです。もちろん、日本のような正座ではありませんが、尻の下に布団ようような物を入れて、ちょっと立てひざのような格好でしたが、この方が勉強に集中できるようですし、立ち歩くようなことをしないようですので、日本でも見直してもいいかもしれませんね。
しかし、このような椅子に座る生活は大人の社会でも同じです。厚生労働省の「健康づくりのための年齢別・対象別身 体活動指針」の中では、労働も含めた生活のなかで身体を動かすことの全てを「身体活動」と捉え、座る時間と立つ時間は、五分五分であることを望ましいと しています。約8万時間と言われるオフィスワーカーの生涯労働時間の中でどのように行動するかによって、オフィスにおける作業能率もワーカーの健康も多大に影響 されるようです。
とくに、オフィスの仕事では限られた感覚のみを使用して作業を進めがちであり、これが精神的疲労を招きやすいといわれています。オフィスとは働くための場であり、そのた め、リラックスするための空間は軽視されやすいのですが、実は、仕事によってストレスを感じている人が、自らの能力を十分に発揮できるようになるためには、オフィスに もストレスを軽減させるような環境作りが求められるのです。そのような環境は、人間の五感の活性化やストレスの軽減は知的生産活動に大きな効果を与えるのです。
 学校でも、最近姿勢のわるい子、上半身を背もたれにぐったりとあずけて座る「安楽姿勢」の子が増えているようです。このような姿勢では、背骨に沿っている大動脈が圧迫され、勉強の能率は上がりません。この安楽姿勢やその言葉の通り、脳からは「安楽しなさい」という指令が出るので、当然、勉強するときには不向きです。それだけでなく、姿勢が悪いと骨格・筋肉・内臓に、余計な負担がかかります。ですから、腰痛・肩こりなど、身体に悪影響が出てきます。正しい姿勢は、身体にかかる負担が少なく、内臓の働きもスムーズになります。また、背すじを伸ばすことで、全身に適度な緊張感がいきわたり、ゆるんだ筋肉を引き締めることができます。
椅子に座る生活が基本となっている現代社会では、椅座以外の姿勢と感覚刺激を加えることによって、ストレス軽減効果や作業効率も上がり、身体的にも負担が軽くなるようですので、たまには、床に座ったり、立ち歩いたり、様々な五感を刺激することを取り入れていけるような環境が必要なようです。

5月24日の新聞に、需要が落ち込む畳の人気を盛り返そうと、全国畳産業振興会が畳の良さをアピールする「畳ビズのうた」を作成したというニュースが掲載されていました。今、秋葉原などで人気のあるメードが、イグサが部屋の空気をきれいにし、地球環境にやさしいと強調した歌にあわせて踊りながら畳をPRしています。なんでメードなのかわかりませんが、畳には癒し効果があるといいたいのか、畳のエプロンと畳のネコ耳姿の「畳メード」が、畳を作るしぐさで歌にあわせて踊る趣向です。しかし、メードを使ったのは、どうも「畳の世界へお帰りなさいませ」と呼びかけたいようです。企画した振興会によると、畳表の需要はフローリングに押され、93年に4500万畳だったのが昨年は1900万畳と半分以下に激減し、熊本が中心のイグサ生産農家も10分の1近くまで落ち込んでいるといいます。
 私は、園に「障子」「すだれ」「あかり」など色々な日本文化の見直しを訴えていますが、「たたみ」も見直されていいかもしれません。
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たたみの材料は、乾燥させた稲藁を強く圧縮して縫い止め、板状に加工するのが最も伝統的な製法で、これが藁床とか畳床呼ばれます。稲作の副産物として生じる稲藁を有効に活用したもので、適度な弾力性、高い保温性、この歌にあるように、室内の調湿作用や空気浄化作用など高い機能をもちます。
そして、この芯材になる板状の畳床の表面を畳表でくるみます。この畳表は、い草または七島いの茎を乾燥させて織ったござで、様々な織り方で織ったものが使われます。しかし、畳表は、年月が経つと擦り切れるため、定期的に畳からはがしてひっくり返したり(畳返し)、新たな物に張り替える(表替え)ことをしなければなりません。最近、畳床の材料の入手が困難であること、製造が難しいこと、重くて取り扱いが面倒であること、ダニ等の害虫が繁殖しやすいこと、カビが生えやすいこと、などの理由から新素材が利用される場合が多くなりました。よく使われているものでは、木材のチップを圧縮成形したインシュレーションボードや発泡ポリスチレンを単板あるいは積層させたもので、建材畳床、または化学床と呼ばれているものです。これは安く、軽く、階下への防音性能に優れていますが、踏み心地や通気性では藁床に及ばないと言われています。その点、畳表は畳床と異なり現在でも天然素材が一般的です。
 畳は、畳床、畳表のほかにもうひとつ重要な部分があります。それは、畳表をくるむときに、畳表を止める為と装飾を兼ねて縁につけるのが、畳縁と呼ばれる帯状の布です。この畳縁は目立ちますので、色や柄で部屋の雰囲気が大きく変わります。延喜式では、階級により大きさや縁の色が定められていましたし、身分等によって利用できる畳縁に制限があったくらいです。
 今週の日曜日に目白界隈を歩いているときに、畳屋を見つけました。その店内には、様々な畳縁が棚にびっしりと積まれていました。
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そして、その畳縁で作った小銭入れと、畳表で作ったコースターとランチョンマットを、来月訪れるドイツへのお土産として購入しました。そして、自分用として、小さな畳の敷物と、それと同じ畳縁で作った小銭入れを買いました。
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畳は、中国から伝播したものではなく、日本で発展してきた敷物で、既に古事記の中に「皮畳」、「絹畳」、「菅畳」の記述が見られるほか、正倉院には聖武天皇と皇后が使用した畳(薄い筵にい草の表が張られ、縁かがりがされているもの)が残されています。もっと、大切にしたいですね。

広告2

 土曜日に、成田で講演がありました。迎えに来た車を駐車した場所が成田山表参道の一番奥でしたので、そこに行くまでずっと参道を歩いて行きました。その参道に軒を連ねる飲食店のほとんどが「うなぎ」を出しています。そして、うなぎを店頭でさばいている老舗らしい店も何軒かあります。ですから、午後からの講演の前に昼食にうなぎを食べることにしました。こんなに成田にうなぎ屋があるのは、この地が利根川と印旗沼に挟まれていて、最近は取れないようですが、昭和初期の漁業暦には、一年を通して「うなぎ」が獲れたと記してあるように、昔はずいぶんとうなぎが取れたようです。
また、平成20年は、成田山開基1070年の勝縁の年に当たるということで、そののぼりがあちこちに立っていましたが、この成田山新勝寺への参詣客が増えていった元禄年間と、ちょうどうなぎを食べる習慣が広まったのと相まって、成田といえばうなぎということになっていったようです。
うなぎといえば、「土用の丑の日」を思い浮かべますが、その日は、土用の間で日の十二支が丑である日のことをさし、今年は7月24日と8月5日です。この日のことに関して、天野祐吉氏は、広告批評についてこんな例を出しています。
「放っておくと暴力になりかねないような広告が、消費者に役立つ面白いものであってほしい。そういうことを見張るジャーナリズムとして広告批評を創刊したわけです。当時はやはり『広告の批評なんて成り立たないだろう』『金をとってスポンサーがやっている仕事を批評するなんて意味がないんじゃないか』と言われました。でも、表現という部分をとれば、批評は成り立つわけです。例えば、うなぎをもっと売るために、平賀源内さんが『土用丑の日にうなぎを食べると夏バテしない』というアイデアを考えた。それはすごいクリエイティブでしょう。うなぎ屋さんの存在とは関係なく、それ自体がすばらしい表現なのかつまらないのかというのは批評の対象になり得るはず。そういうふうに僕は思っていたし、曲がりなりにも広告の批評が成立するんだなということを分かってもらえたことで、この雑誌の役割がかなり果たせたと思っているんです」
 ここに出されている広告の例は、200年以上経った今でも、土用丑の日にうなぎを食べる習慣が継承されているということで、日本の広告史上に残る成功例としてよく取り上げられます。
江戸時代、商売がうまく行かない鰻屋が平賀源内の所に相談に行ったところ、源内は、「丑の日に『う』の字が附く物を食べると夏負けしない」という民間伝承からヒントを得て、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めました。すると、物知りとして有名な源内の言うことなら本当だろうということで、その鰻屋は大変繁盛したので、その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したというものです。このように、平賀源内は「名コピーライター」としても才能を発揮したようです。他にも、歯磨きや餅菓子の宣伝文を書いた「引札」(チラシ広告の原形)が残っているそうです。
バレンタインの日にチョコを送る習慣にしても、丑の日にうなぎを食べる習慣も、広告のおかげというか、広告による大衆操作がうまくいった例かもしれません。それらの広告をきちんと批評できるようになりたいものです。

広告

 価格を、地球への負荷の度合いも考慮して決めるべきだと私は思いますが、もちろん、一番負荷をかけないのは、余りものを買わないことかもしれません。
先日、あるインタビューの中で、来年4月の30周年記念号を最後に休刊する広告ジャーナリズムの雑誌「広告批評」(マドラ出版)の主宰者である天野祐吉氏がこんなことを言っています。
「今は物を買い揃えることが豊かな時代じゃなくて、物を買わないことが豊かさへの道だという逆説が出てくるような時代ですからね。広告批評は20世紀という時代に対する批評行為をしていたメディア。21世紀になってちょうど変わり目を迎えたという感じがあります」
広告は、ある商品を買ってもらおうとしたり、ある施設を利用してもらおうとするための宣伝活動のひとつです。それは、様々な媒体を利用して行われます。いわゆる「マスメディア」といわれるものは、放送、新聞、雑誌などで、特に一番目にするのはテレビコマーシャルでしょう。そのほかにも、鉄道駅、鉄道、バス車両などいわゆる中吊り広告などや、町のたて看板とか、電柱などに貼られるポスターとか、直接送りつけるダイレクトメールなどがあります。高田馬場駅前では、よくチンドン屋がいますが、これもそうです。
最近、そのほかにも様々な方法が行われてきています。例えば、今までのメディアは、基本的には視覚やラジオなどの聴覚にに訴えるものですが、アメリカで面白い試みがありました。
今年の春から米オムニホテルは、スターバックス、米紙USA Todayと共同で嗅覚広告キャンペーンを始めています。このキャンペーンは米紙USA Todayの特別版で行なわれたのですが、この紙面に「一日の始まりを淹れたてのスターバックスコーヒーと…」というメッセージが印刷された特製ステッカーが貼ってあり、その紙をはがすと「オムニホテルの新鮮なマフィンで」という二番目のメッセージとともにブラックベリージャムの香りが流れる仕組みになっているそうです。
 このように時代で広告業界はどんどん進化しています。という時代の中で、テレビCMを中心に急拡大したマスメディア広告を大衆文化として取り上げてきた「広告批評」が、テレビに代わり、ウェブ広告が広がる今、「このへんでひとつの区切りをつけたい」ということで休刊に踏み切ったのです。
最近急激に増えたウェブ広告とは、Webサイトに掲載される広告のことです。パソコンを開く人は、必ずなんどかは目にすると思いますが、横長の画像をページ上下などに掲載するバナー広告や、1行から数行の文を掲載するテキスト広告、広告ページが別のウインドウで自動的に開くポップアップ広告や、最近でFlashアニメーションや動画を掲載する広告も出てきました。また、その効果を高めるために、検索エンジンの検索語に関連した広告を選択して掲載する検索広告や、その応用で一般のWebページの内容に連動して広告が選択して掲載されるコンテンツ連動広告なども開発されています。バナー広告のように、そこから広告主のWebサイトにリンクするようになっており、実際に何人くらいがクリックしたかの回数に応じて課金する方法(クリック保証型)や、実際に成約に至った件数に対して課金する方法(成果保証型)など、様々な課金方法が生まれています。
広告の方法だけでなく、価格の決め方も最近大きく変化しているようです。

価格

 商品を買うときに、何を基準としますか?当然、欲しいものについての機能がそろっているかということが第一条件ですが、それが満たされているとしたら、その次に何を優先するかは、その人によってさまざまだと思います。好きなメーカーや、信頼できるメーカーのものを選ぶか、デザインのよいものを選ぶか、使いやすさで選ぶかさまざまでしょう。しかし、誰もが選ぶ観点として重視するものに、「価格」があります。
 では、その商品の価格はどのように決められているのでしょうか。
 まず、多くは、製造原価に対して一定水準の利益率を上乗せして販売価格を決定する方法で、「原価基準型」と言われている、最も基本的な価格設定があります。この方法はメーカー側の都合だけで価格が決定されるために、消費者側の価値観に合わない場合があります。しかし、たとえば保育用品などは、消費者が少なく、販売予定数が少ないので、割高な利益率が設定されています。
また、独自性に欠ける商品やサービスの場合には販売シェアのランクによって価格を決定しなければなりません。特に後発商品の場合は、今までのシェアに食い込まなければなりませんので、利益率というよりも、先発メーカーよりも低い価格設定をしなければなりません。最近の、携帯電話のソフトバンク参入の最初の頃は、そのような「競合意識型」という価格設定が行われていたような気がします。
  そのほかに、たとえばブランド名の知名度で価格が決められている場合があります。その場合は、周りの人への見栄や、なんとなく高いものはいいものだという錯覚を利用して価格を割高に設定する場合があります。それから、ペットボトルや缶ものの飲み物は、ほぼ値段が統一されています。ですから、最初の頃は、コーヒーとお茶が同じ値段であることに抵抗がありました。
 しかし、私が最近よく人に言うのですが、これからの価格設定の要素に、「地球への負荷」を入れて欲しい気がします。どのくらい地球に負荷をかけているかを計算して欲しいと思うのです。そのように計算すると、たとえば、労働力が安い外国からの輸入よりも、安全な国内産のほうが安い場合が多くなり、各国、自給率を高める方向を考えると思うのですが。そんな観点から、今月22日に、面白いニュースがイギリスで流れていました。
 「マッカートニー氏、ハイブリッド車で批判受ける」というものです。
元ビートルズのポール・マッカートニー氏は、動物・環境保護活動家として知られる存在ですが、彼が所有するハイブリッド車が、日本から貨物輸送機で運ばれてきたことが明らかになり、環境団体らから批判が出ているというのです。この車は、トヨタの高級車部門、レクサスのLS 600hで、ツアーのスポンサーを務めるなど、ポールと深いかかわりを持つトヨタが彼にプレゼントしたものだそうです。ハイブリッド車であるので、環境に考慮しているのでいいのではないかと思ったのですが、実は、指摘されているのは、その車種の問題ではなく、その車の輸送の問題なのです。
  自動車を空輸で日本から英国まで輸送すると、自動車で地球を6周するのと同程度の二酸化炭素を排出することになると非難されているのです。レクサスは焦らず、船を使って輸送すべきだったというのです。
  世界中が、早くそのような考え方にならないかなあと思ってしまいました。

富と地位

人の欲望は、富だけに限りません。地位や役職なども欲しがることがあります。もちろん、その人の力を発揮することによって、結果的に与えられるものであればいいのですが、名ばかりを欲するはどうかと思います。また、その地位や役職に就くことによって、より社会に貢献できるのであれば、もちろん、それは必要ですが、その地位や役職のためにかえって何もしないようであれば意味がありません。また、その地位や役職は実践した結果であるのに、他人への見栄や威圧の材料にするのはどうかと思います。
論語の里仁篇にこんなことが書かれています。
「子曰、富与貴、是人之所欲也、不以其道、得之不処也、貧与賤、是人之所悪也、不以其道、得之不去也、君子去仁、悪乎成名、君子無終食之間違仁、造次必於是、顛沛必於是。」
 孔子がこう言いました。「財産や地位は、世間の人は欲しがるものである。しかし、それは正しい方法で手に入れたものでなければ、財産と地位を得たとしても心安らかには過ごせない。もし、それなりの理由も特にないのに貧しくなったのであれば、なにもその貧しさや身分の低さから逃れようとは思わない。君子でも仁の徳から離れて名誉など得ることが出来るだろうか。君子とは、食事をしているあいだでも仁の徳から離れることはないはずである。徳を備えた立派な君子は、もし忙しく、時間的に余裕がないときでさえ、仁の徳にしたがって行動し、もし何かにつまづいて転んだとしても、仁の徳を忘れることはないのだ。」
 孔子は、ただ、富や名声がいけないといっているわけでもなく、また、貧しく身分が低いことがいけないということではなく、どちらにしても、きちんと仁の徳を積む必要があると説いています。自分できちんと働き、それに見合う報酬を得ることは悪いことではありません。また、その努力が評価されて重要な地位に就くことも悪くありません。逆に、きちんと努力をしていながら、嫉妬や妬みなどで低い地位に落とされたり、貧乏になったのであれば何も恥じる事はないのです。どちらにしても、「仁」の実践を最優先事項におき、仁の徳を踏み外さないことが必要であり、他人を陥れて富や地位を築いても長続きせず、勤勉な努力、才能や高潔な人格といった正当な手段を用いて得た富や地位でなければ「真の幸福」は実感できないのです。
「子曰く、疎食を飯い 水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。楽しみ亦た その中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲のごとし」
孔子はこう言っています。「粗末な食事をして水を飲み、ひじを曲げてそれを枕にする。そんな生活の中にも楽しみは自然にあるものだ。いくら富や高い地位を得たところで、不当にそれを得たのであれば、自分にとっては浮雲のようにはかなく、実態を伴わないものだ。」
 バブル真っ盛りの石油産油国の大金持ちにしても、中国や韓国の格差社会での勝者といわれる金持ちにしても、その富がどうということではなく、どんな徳を積んでいるか、また、学問の道の楽しさを知らなければ、毎日は満ち足りたものにはならないような気がします。そろそろ、心の富と、わが志の道の向上を求める価値観に変えていく頃かもしれません。

沸騰

 教育は、どんな生き方をするのかということに関係します。先週、NHKテレビで放送されていた「沸騰都市」という番組を見て考えてしまいました。この番組では、シリーズで、グローバリズムによって国境の意味が薄れ、新たに世界の主役を担うのは、国ではなく「都市」の時代が到来したということで都市に焦点をあてています。そして、世界を主導してきた超大国のアメリカの力が揺らぎ、急成長する新興国が主役交代の鍵を握る中、世界の地殻変動の舞台となっているのが、様々なエネルギーせめぎ合いぐつぐつと煮えたぎる「沸騰都市」であるということで、欲望・混沌・競争・矛盾。激動する世界はどこへ向かうのかを問いかけています。
その第1回は、ドバイを取り上げています。「世界最大の空港、世界最大の人工島、怒涛のようにオイルマネーが降り注ぎ、それを元手にあらゆる分野で世界一を目指す中東ドバイ。極めつけは、高さ800メートル、160階建て、世界最高の高さを誇る超高層ビル・ブルジュドバイ。2009年中の完成を目指して、今建設が24時間体制で進んでいる。ドバイ政府は、ブルジュドバイをピラミッド以来のアラブ社会の権威の象徴と位置づけている。」
ここでは、石油産油国として有り余るお金にものをいわせて、世界が不況に苦しむ中、世界の建設現場からクレーンを根こそぎ奪い、バングラデシュやパキスタンから母国の数倍の給料で労働者をかき集めるドバイに群がる人々の欲望の物語が描かれています。
 「子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而愼於言、就有道而正焉、可謂好學也已矣」(論語 学而篇)
孔子はこう言っています。「君子は腹いっぱいに食べることを求めず、安楽な家に住むことを求めない。事を起こすときには敏速に、言葉は慎み深く慎重に、道理を身に付けた人に、自分の言動の善し悪しを進んで正してもらおうとするのであれば、学問を好むといえるだろうね」
人の欲望は際限がありません。しかし、余りに食に贅沢すぎることによって、かえって健康を害し、自分相応な生活をしないと、住宅ローンで苦しみ、サラリーローンの返済に負われ、決して豊かな生活を送ることにはならないのです。お金が豊富にあることが必ずしも人を幸せにすることにはならないのです。では、「貧乏で卑屈にならず、金持ちで驕慢にならないというのはどうでしょうか?」と、子貢が孔子に尋ねています。
「子貢曰、貧而無諂、富而無驕、何如、子曰、可也、未若貧時楽道、富而好礼者也、子貢曰、詩云、如切如磋、如琢如磨、其斯之謂与、子曰、賜也、始可与言詩已矣、告諸往而知来者也。」
孔子はこう答えています。「それもいいだろう。しかし、貧乏であっても学問を楽しむもののほうが優れ、金持ちでいくら慢心しなくても、礼を尊ぶものの方が優れている」それに対して、子貢はこう言いました。「詩経に『切るが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し』と[妥協せずに更に立派な価値のあるものにすること]と謳っているのは、ちょうどこのことを表しているのですね。」
この例は、四書五経の「詩経」の一句にある切磋琢磨という人格を練磨することをいっています。
ドバイのありあふれる金に群がる人々を見るにつけて、何が生きている証なのかを考えてしまいました。