四神

昨日、姪から今テレビで「太王四神記」というペ・ヨンジュンが主役を演じているドラマが放映されていることを聞きました。このドラマは、広開土大王のタムドクが王となり、広大な満州大陸を支配する内容を描くもので、その神話に登場する四神(玄武・朱雀・青龍・白虎)をファンタジーに表現しているそうです。
 昨年のゴールデンウィークに明日香村を訪れましたが、そのときに高松塚古墳に行きました。この高松塚古墳から南へ約1.2kmの大字阿部山には、終末期古墳である「キトラ古墳」があります。この古墳は、直径13.8m、高さ3.3mの小さな円墳で、高松塚古墳とほぼ同大同型の石室で、北の壁に玄武、東に青龍、西に白虎の壁画が描かれ、天井には天文図の壁画が確認されており、現存するものでは東アジア最古の天文図であるといわれています。
キトラ古墳石室内の彩色壁画の玄武壁画は、1983年に発見され、世間や学会から注目を集めました。キトラという名前は、「北浦」が「きとら」となまったものといわれています。2000年7月31日には、国指定史跡に指定され、同年11月24日には特別史跡に指定されました。円墳という古墳の形体や四方に四神が描かれた壁画が残されているという類似点から、高松塚古墳とは兄弟と呼称され、天武天皇の皇子、もしくは側近の高官が埋葬されている可能性が高いと見られています。また、キトラ古墳では金象眼が出土したことから、銀装の金具が出土した高松塚古墳の埋葬者よりも身分や地位の低い人物が埋葬されていると推測されていますが、誰が埋葬されているかはハッキリとは解明されていません。
 その時代の中国や朝鮮半島では獣頭人身を象った浮き彫りや土人形が埋葬された墓が発見されていますが、このキトラ古墳も四方の四神が描かれた壁の下にそれぞれ三体ずつ十二支の獣面(獣頭)人身像が描かれているとされていますので、高句麗や新羅などの文化的影響を受けていたと考えられています。
キトラ古墳の内部は漆が塗られ、東西南北の四壁の中央に、テレビで放映している四神である青龍、白虎、朱雀、玄武が描かれています。北壁に描かれている「玄武」は、亀に蛇が楕円状にまとい付き、2匹が相争っている形です。玄武は周天を天の赤道帯に沿って4分割した四象の一つで、北方七宿の総称で、北方七宿の形をつなげて蛇のからみついた亀の姿になっています。
 南壁に描かれている「朱雀」は、南方を守護しています。翼を広げた鳳凰状の鳥形で表され、朱は赤であり、五行説では南方の色とされています。東壁に描かれている「青竜」は、東方を守護します。長い舌を出した竜の形とされています。青は五行説では東方の色とされ、季節は春とされています。西壁の「白虎」は、西方を守護し、細長い体をした白い虎の形をしています。また、四神の中では最も若い存在であるとも言われており、白は、五行説では西方の色とされています。
 たまたま、私の園では、地下を守っているのは「白虎」(白虎の絵を描いた衝立がおいてあります)で、最上階を守っているのは「青竜」(臥竜塾の原画)で、玄関を守っているのは「玄武」(実際はただの亀ですが)ですので、あとは、裏階段に「朱雀」でも描こうかなと思っています。

四神” への6件のコメント

  1. 園の環境について保護者や遊びに来られた方に説明する機会が増えてきましたが、説明し終えた後に「今回も薄っぺらい説明しかできなかった」といつも反省します。もっと幅広い経験や知識は必要なんだろうと思います。新宿せいが保育園の三神とまではいかなくても、子どもを含めて関わる人たちの生活の潤いにもつながるような、そんな奥の深い話や説明ができるようになりたいといつも思っています。

  2. 四神とか言われても私たちの世代には何となくピンと来ないのですが、やっぱり風水などにこだわる人にとっては大事なことなんですね。wikipediaを見てみましたら、人生を四季に例えて若年期を「青春」、壮年期を「朱夏」、熟年期を「白秋」、老年期を「玄冬」とする。北原白秋の名前もここに由来するとあります。戊辰戦争の時に、悲劇的な最期を迎えた会津の白虎隊もここからきているとか。これを読むと四神が少し身近になってきました。それにしても、新宿せいがにはもう四神のうち三神が・・・。この次お邪魔する時には藤森先生の描かれた「朱雀」の絵にお目にかかれるのでしょうか。

  3. どれか趣味をひとつでもふたつでも辞めないと、と思いながら辞めずじまいで、文字通り「細々」と継続しています。いろいろある趣味のうちでも切手収集は殊に辞められません。今日のブログの話題となった「キトラ古墳」も切手になっています。2003年に「寄付金付」で発行されています。取り上げられている絵はキトラ古墳石室内西面壁画「白虎」と同南面壁画「朱雀」です。手元にある「日本切手カタログ2009年」で見てみると「白虎」の首が長くて顔面虎の竜か蛇、といった印象を受けます。朱雀は朱色が背中部分に塗られています。羽根を広げて飛び立とうとする姿は確かに「鳳凰」を彷彿とさます。壁画の損傷問題・劣化問題は残念です。何とか末永く保存して欲しいと思います。

  4.  四神で思い出すのは中学の運動会です。赤白青黄の四色に分かれて各団の守護神が四神でした。残念ながら玄武は無かったのですが、赤が朱雀、白が白虎、青が青龍、黄が麒麟でした。ちなみに私は赤でしたので、先生が描かれた朱雀を見てみたいです。それにしても、先生の保育園にはその四神のうちの三神がいるとは驚きです。それが、たまたま保育園にいるというのが、また凄いと思いました。先生の周りに四神のうちの三神が自然と形となって現れるのは、先生にはシンクロニシティというが本当にあるのですね。

  5. 四方を守るとされる四神の存在を知ると、なんだか妙に心強い気がしてきます。かつての人々も先の分からない不安などをそのような存在に思いを託すことで安心して生活を送ることができていたのかもしれませんね。目には見えない存在に守られているという感覚は理屈や理論ではなくとても大切なことであると思います。そういった力を否定するのではなく、感じれるような生き方、考え方をしたいなと思いました。四神についてちょっと調べてみると『人生を四季に例え、若年期を「青春」、壮年期を「朱夏(しゅか)」、熟年期を「白秋(はくしゅう)」、老年期を「玄冬(げんとう)」と表現することがある』というものがありました。このような考え方もあるのですね。私はまだまだ青春なんだと思いますが、どのタイミングで朱夏に変わるのか楽しみでもあり、まだまだ青春でもいたいなと思ったりもします。

  6. 高松塚古墳は、極彩色の壁画があるということで注目をあびたようですね。画像検索をして見てみると、その色鮮やかさに驚きます。藤原京期という時代において、そのような色鮮やかさをすでに取得していたのですね。また、高松塚古墳同様、キトラ古墳も“埋葬者”が未だ不明ということで、謎が謎を呼びます。そして、“飛鳥美人”という愛称の“西壁の女子群像”は、教科書等のどこかでみたことがあるような…といった親しみのある壁画です。そこに「四神」という壁画もあるということで、その時代の背景がそこから少し感じられたりもしますね。その神々に守ってもらうようにと願いを込めた権力者とは、いったい誰であったのでしょうかね。

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