最近のニュースで、「小麦や牛乳などの価格上昇は、家計だけでなく、学校給食も直撃している」というのが流れてきます。そのために、各自治体ではコストを抑えようと様々な工夫をこらしているようです。給食費を値上げるところ、デザートを減らしたり、地産地消の考え方を推進したり、素材の内容を見直すところなど様々です。
週末訪れた庄内藩の山形県鶴岡市の大督寺は「学校給食発祥の地」です。
明治22年(1889年)学費が払えないため学校に通えない子ども達のために鶴岡市の各宗寺院住職ら相図り、大督寺境内に「忠愛学校」という学校を立て貧しい子ども達に学問を教えていました。ある日から数日続けて数人分のお弁当が盗まれる事件が発生しました。誰が盗んだか調べてみると犯人は子どもでした。しかも、その子は、昼はおろか朝晩もまともな食事をとることの出来ない家庭の子どもであることがわかりました。そのことを知って心を痛め、「なんとかしてあげたい」と思って知恵を出し合いました。そして、経をとなえ一軒一軒家を托鉢してまわり、お米や浄財を資金に弁当を持ってくることが出ない子どもたちのために昼食を作りました。最初のメニューは、おにぎり・煮びたし・塩引きだったそうです。
鶴岡市では、「学校給食発祥の地」を記念して、小中学校では毎年12月1日にケーキなどがつく特別給食と、12月中旬に、明治時代の献立を再現した「おにぎり給食」が行われているそうです。この給食メニューは具の入っていない塩おにぎり1個と塩引きのマスと大豆とコンニャク煮となめこのみそ汁と牛乳だそうです。
その後、昭和19年、6大都市の小学生児童約200万人に対し、米・みそ等を特別配給して学校給食を実施するに至ります。そして、昭和21年には、戦時中中断されていた学校給食が東京、神奈川、千葉で試験的に再開されます。その翌年、主要都市の約300万人の児童にララ物資を利用した学校給食が開始されるのです。
ところが、団塊の世代にとっては給食といえばあまりよいイメージを持たなくなる原因の「脱脂粉乳」が、昭和24年にユニセフ(国連児童基金)から贈られ、ユニセフ給食がおこなわれはじめるのです。そして、その翌年の昭和25年には、アメリカ合衆国が大量に残っていた小麦粉を日本に安く売り、それをパンにして提供し、都市で完全給食がおこなわれるとともに、給食はパン食が中心となり、国民全体の食生活にも影響を与えるようになっていくのです。
昭和29年、学校給食は教育の一環として学校給食法施行、昭和31年、「学校給食法」が一部改正され、中学校にも適用されるようになります。そして、昭和33年に悪評だった脱脂粉乳が牛乳へ、昭和51年には、今度は日本人の食事の洋食化に伴い、米の生産量の増大と反比例して消費量が減ってきたので、余った古米、古古米を処理するために給食ではパンは週1回程度になり、米飯給食が主食となっていくのです。
最初は、子どもたちの救済のために始まった給食も、時代によって、政策や国際間取引のかけひきに使われてきたのです。まずい脱脂粉乳を我慢して飲み、パン食のほうが体によいと教えられ、残すと居残りさせられたり、怒られた背景にこんな政治的なことがあったと思うと、なんだか切なくなりますね。
学校給食発祥の地があり、それがどのようにして始まっていったかというのは知りませんでした。勉強になります。おにぎり・煮びたし・塩引きというメニュー、質素と思う人もいるかもしれませんが、私は十分なメニューだと思います。学校給食法が施行され国の意向が反映させれるようになると、給食に限ったことではありませんが、おかしなことがいろいろと起きてきますね。学校給食が教育の一環であるなら、子どもたちのためにアメリカの事情を汲むことは必要なことだったんでしょうか。そのときは仕方が無いとしても、今もそれを変えない理由はあるんでしょうか。学校給食値上げの話題を聞くたびに、「小麦」の値段が上がることで給食費を上げる必要があるんだと当然のことのように語られる不思議な図式に対しては???となってしまいます。
今日は給食の事始めを教えていただきました。「給食」というのは「食を給う」と意味だということを、以前講演の中でお話しされていましたね。もともとは大人が子供に栄養摂取を考えて食べさせてやることなんですね。私自身、幼稚園の頃、牛乳(脱脂粉乳だったかも?)が飲めなくて、登園拒否したことを思い出しました。祖母に手をひかれて、泣く泣く園に連れて行かれた辛い思い出があります。そういえばあの頃、嫌いな食べ物でも無理やり子供の口に入れていた教育熱心な(?)先生もいましたっけ。あれって、今考えれば虐待ですよね。友達といろんな話をしながら、食事を心から楽しめる保育が大事ですね。
山形県鶴岡市は「給食の発祥の地」だったのですね。7年前にせっかく訪れた所なのですが、関心の矛先が違っていると見るべきものも見ずじまいになり、また知るべきことも知らずじまいに終わってしまいます。さて、「給食」のことです。この話題が出るたびに繰り返すことになり恐縮するのですが、私は「学校給食」というものを経験したことがありません。就学前は保育園に通っていたのでご飯を持参しおかずとお味噌汁か何かを「給食」として頂いてはいたようです。あまりよく覚えていないのですが、ご飯を食べた後弁当入れにお湯を注いでもらってすすっていたような・・・そんな記憶があります。最初は純粋良心から始まった「給食」もやがては「政策や国際間取引のかけひきに使われてきた」とは残念であり、また有象無象の圧力の下に置かれるのだ、と嘆かわしく思われました。
私の給食の思い出はとても良い思い出ばかりです。幼稚園に通っていたので給食は小学校からですが、友達と隣同士に座って、友達と同じものを美味しく楽しく食べていた思い出があります。それが今では毎日保育園で食べることができ本当に嬉しい限りです。そう考えると昔は給食も無く、美味しくない脱脂粉乳を無理やり飲んでいた時代に比べて本当に豊かになり、そんな時代に生まれてきて正直な気持ち安心しています。給食は食べれて当たり前と思っている人が多いと思います。私もその中の一人です。今回のブログを読んで、そんな時代もあったとしっかりと見つめる必要があると思いました。
僕も幼稚園に通った思い出があります。お盆でちょっと寄って見ましたがとても懐かしく思っています。