庄内藩の教育

 「たそがれ清兵衛」などの舞台である海坂藩は、原作者藤沢周平の故郷である庄内藩がモデルだといわれています。今、庄内に来ています。この庄内藩は、戊辰戦争で薩長軍と戦い、連戦連勝しながらも、会津藩の降伏などで勝ったまま降伏した話とか、その後の処置について、庄内講和を担当した西郷の計らいで、同様に降伏した会津藩や仙台藩と比べても、非常に寛大な処分で済んだことも知られています。そのときの西郷の人柄に庄内藩士らは感激して、明治になって「南洲翁遺訓」を編纂・発刊したほどです。
そんな庄内藩における教育も注目すべきことがありました。一昨年、当時の庄内藩であった山形県鶴岡市で、「第6回全国藩校サミット」が行われました。藩校サミットは、江戸時代の藩校が藩政改革や明治維新に大きく寄与したことを再認識し、今日の教育改革の糧にしようとするものです。鹿児島の郷中教育のように今の教育に参考になることが確かにたくさんあります。庄内藩の藩校「致道館」にも今に通じる考え方があります。
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「致道館」は、庄内藩の藩校として1805年に設立されていますが、当時の庄内藩は、飢饉のため農村は疲弊し、財政難のうえ武士の風紀も乱れていました。そこで、九代目藩主酒井忠徳が藩風の刷新と人材育成のために開設したのです。致道の名は、「君子は学んで以って其の道を致す」という論語の言葉から取ったものです。
藩校では、孔子を祭る聖廟を建て、学問の神として祭祀を行ってきました。ですから、名前には、このように論語から取った名前が多いようです。致道館のほか、里仁館(酒田市)、学習館(栃木県壬生町)、知新館(恵那市)、弘道館(彦根市)、伝習館(柳川市)、時習館(熊本市)などは、みんな論語から取っています。
致道館の教育の特色は、荻生徂徠の学を取り入れたことです。当時の学界は江戸の昌平坂学問所の影響で朱子学一辺倒だったのを、異学といわれる徂徠学を中心におきました。「学問の目的は世を治め民生を豊にするもの」と説く徂徠学は古文辞学ともいわれ、古典の注釈でなく原典そのものに帰り、孔子の教えを直接研究しようとする学問でした。詰め込み教育ではなく個人の天性と長所を伸ばす教育方針を主眼として自学自習して自得する、という自由で実践的な学風は、「沈潜の風」(副島種臣)といわれる藩風をつくりだしました。
 庄内藩の教育について、先日亡くなられた河合隼雄氏はこう書いています。
「その趣意書(被仰出書)を見ると、人間には「天性、得手不得手」がある。そして「天性の大なる者は大成し、小なるものは小成」するので、個々人の天性を見抜いて指導することが大切だと書いてある。これは「個性の尊重」ということです。入学したての少年たちの指導者に対する注意として、「学校の儀は、少年輩の遊び所」だから、「何事も寛大に取り扱い」、子どもたちが退屈しないように「面白く存じ業を教え遊ばせる」ように努力するべきである、というのである。これは個性を伸ばそうとする初等教育の方法として最高のことではないだろうか。上級者はどうなるのだろう。学風は荻生徂徠の教えによっているのだが、その教えに従って、指導者はあくまでも学生の自発性を尊び、自説を押し付けることのないように注意した。」
 学ぶべきことは、新しい理論からだけでなく、古い実践からも学ぶべきことは多いですね。

庄内藩の教育” への4件のコメント

  1. 買い物ついでに本屋に寄って今日のコメントのネタを探していたら、横にいた家内が聞いてきます。「なんの本、探しとん?」「藩校」「契約書に押すやつかいな」「それはハンコ」「あんたがたまに私にするやつやな」「それは反抗」どうも最近二人の会話はかみ合いません(笑)。藤森先生、一度夫婦円満の秘訣を教えてください。それはともかく、河合先生の庄内藩の教育についてのお話は示唆的ですね。藤森先生の「自立」と「自律」を大切にする教育論に近いところがありますね。藤森先生が目指している幼児教育の改革が教育全体の改革の第一歩になればいいですね。もし、藤森先生が小学校を作ったとしたら、どんな学校になるんでしょうか。

  2.  致道館の教育の「詰め込み教育ではなく個人の天性と長所を伸ばす教育方針を主眼として自学自習して自得する」と庄内藩の教育の「個々人の天性を見抜いて指導することが大切」の二つは本当にこれからの理想な教育方法のような気がします。二つの教育方法は藤森先生が目指されている教育と同じに聞こえます。それぞれの子どもの個性、長所を見抜いてそれを存分に伸ばしてあげる。少子化が進んでいる時代にしっかりと一人ひとりを見てあげる教育、保育というのが大切だと改めて思いました。

  3. 山形県鶴岡市には家内と二人で行ったことがあります。目的は日本海の夕日を見る、ということでした。秋田の象潟そして山形の酒田と南下してきたのですが、日頃の行いが悪かったせいか、雨降りというあいにくの天候で「日本海の夕日」は次回にお預けとなりました。鶴岡で一泊して翌朝今日のブログで写真掲載されていた藩校「致道館」のまさに「門」を拝見しました。もう7年も前のことであまり覚えていなかったことが悔やまれます。ところが同地で頂いた「佐藤錦」の美味はいまだに鮮明に覚えています。ところで藤沢周平氏のことですが、私たち夫婦の仲人さんが大のファンで作品を是非読むように、と勧めて下さいました。まだ読んではいないのですが、東京在住中に必ず読んで、できればその場をトレースしてみたいものだ、と思った次第です。

  4. 「学校の儀は、少年輩の遊び所」だから、「何事も寛大に取り扱い」、子どもたちが退屈しないように「面白く存じ業を教え遊ばせる」ように努力するべきである。この精神で教育が行われるとしたら、のびのびと個性を育んでいける子が多くなるように思います。ここからスタートし、遊びの中から主体的に学びを進めていき、そして自分で考え行動することを身につけていくことが教育であるというスタンスは、もっと必要とされてもいいのではと思います。自分の人生を自分で決められず人任せにしたり人のせいにしたりという話を聞くと、何とかできないものかと考えてしまいます。

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