一昨年、木村拓哉の主演で話題になった「武士の一分」の原作は、時代小説「盲目剣谺返し」(『隠し剣秋風抄』藤沢周平作)です。この映画は、監督の山田洋次の「時代劇三部作」と言われ、「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」についでの第3作目の完結作品です。私は、どの映画も見ていませんが、たそがれ清兵衛」は本で読みました。
この文庫版の原作は短編集ですが、とても面白い作品の集め方をしています。それは、この短編集はある人物の人となりを中心に描かれていますが、その人をあらわすタイトルが、その人のあだ名になっているのです。あだ名のつけ方はいろいろとあります。このあだ名を「愛称」という場合は、とくに親しみを込めて対象を呼ぶために用いられる本名以外の名前の一種であり、幼児などはこの呼び方をする場合が多いようです。その場合は、例えば「カッキー」とか「タッキー」のように名前の一部を伸ばしたり、「まつ」「なか」のように短縮したりします。
また、身体の特徴からつける場合もあり、この場合は可愛い場合はいいのですが、多くは馬鹿にしたり、からかったりする時に呼ばれることも多いようです。そのほかにも、性格や気質や雰囲気からつけることもあります。夏目漱石の小説「 坊っちゃん」は、その主人公のあだ名ですし、その小説の登場人物もみんなあだ名が付けられています。「赤シヤツ」、「野だいこ」、「マドンナ」、「山嵐」、「うらなり」など、その名前を聞くだけで、その人のイメージがわくようにできています。
ところで、藤沢 周平の作品に出てくるあだ名は、その主人公の特徴を名前の前につけて、それがその小説の題名になっています。映画になった「たそがれ清兵衛」は、重度の痴呆症を抱える老母と幼い二人の娘の世話、そして労咳で死んだ妻の薬代や葬儀などで嵩んだ借金を返済するために家事と内職をするために夕方に仕事を終えると真っ直ぐ自宅に帰りことから付けられてことになっていましたが、原作では違います。
「そうそう、たそがれ清兵衛という渾名で、一部にはよく知られておる男でござります」「たそがれ?何じゃ、それは?」「日暮れになると元気になるという意味でござりましょう」「わかったぞ」杉山は膝を打った。顔をしかめた。「その男、飲み助じゃな?」「いえいえ、違います。回りくどいことを申し上げて申訳ござりません」大塚は恐縮した顔になった。「井口はもっぱら家のことをいたしますので。それがし、見たわけではありませんが、城をさがると、飯の支度から掃除、洗濯と、車輪の勢いで働きますそうにござります」「その男、家の者はおらんのか?」「女房がおりますが、それが長年の患いで臥せっておりまして、しか致しておると聞いております」
2作目が、顔の特徴から付けられた「うらなり与右衛門」、3作目は、へつらい者とか、ごますり男とかいうような武士にあるまじき芳しくない評判から付けられた「ごますり甚内」、4作目は、倅の名前も出て来ない「ど忘れ万六」、5作目は、極端な無口のために少々変わり者とみられている「だんまり弥助」、わずかな苦痛を大げさに言い立てて、周囲に訴えたりすることを指す国言葉から「かが泣き半平」、「日和見与次郎」、身の穢さから物乞いという意味の「祝い人助八」の8作が集められています。
それぞれのタイプの人が身の回りにもいそうですね。
以前にもこのコメントで書きましたが、私は寅さん映画のファンですが、山田洋次監督が寅さん映画を撮り終えた後取り組んだ作品が、今日ご紹介のあった藤沢周平作品の三部作ですね。全作見ました。さすがは山田監督ですね。最近の若い監督にはない活動屋らしい丁寧な演出と人間描写の見事さは秀逸です。時代小説と言えば司馬遼太郎しか読んだことがありませんでしたが、最近は書店に行っても藤沢周平の本が気になっています。題材のスケールでは司馬遼太郎のほうが上ですが、市井の人々の日常と哀感を描くのはうまいですね。小説も読んでみたくなりました。
たそがれ清兵衛は本も映画も知りませんでした。せっかくなのでいろいろ調べてみると、思い入れを強くもった人が多いことがわかります。映画は山田洋次監督の作品であって、藤沢周平の作品を映画化したものではないという意見が多く見られました。原作ではその人物の個性が丁寧に描かれていたようですね。その時代に合わせた内容にしなければ成り立たない(かもしれない?)映画の特徴や難しさを感じました。それぞれにあだ名をつけられた短編の登場人物も派手なタイプではないかもしれませんが、個性を大切に丁寧に描いてあるんでしょうね。
「たそがれ清兵衛」や「武士の一分」はいつか見たいと思っていた映画の一つです。「武士の一分」は予告などて内容はなんとなく知っていましたが、「たそがれ清兵衛」は全く知りませんでした。これを機会に見ようと思います。
私は下の名前が呼びやすいせいか、名前を呼び捨てで呼ばれます。なのであだ名がある人がたまに羨ましくないなります。藤沢周平の作品に出てくるような主人公の特長を活かしたあだ名は実際にはあまり聞いた事がありません。どちらかと言うとブログに書いてあるように名前の一部分を取ったり、伸ばしたりした呼び方でした。なので、その人の個性をとらえた呼び方というのは本当に聞きません。あだ名を作る訳ではありませんが、その人の特長や長所を見つけてあげれるような人になりたいと思いました。とくに子ども一人一人を、ちゃんと見てあげれるようになるべきだと思います。
いや~、今日のブログの前半部分には笑ってしまいました。失礼しました。「渾名」「愛称」は確かにその人を如実に表しますが、最近耳にする「渾名」「愛称」には語尾に「ピィ」とつけて親愛の情を表す方法があるようです。例えば「よっピィ」とか「つだッピィ」とか。私自身はあまり「渾名」や「愛称」で呼ばれたことはありませんが高校2年の時になぜか「チャガポコ」との「渾名」をもらったことがあります。おそらく私の動き方を形容した愛称?かと推察するのですが、その理由はいまだにわかりません。一方、高校3年生の時は一転して「さん」づけで呼ばれるようになります。同級生のほとんどが「くん」づけ、あるいは呼び捨て、または「渾名」だったのに。それにしても「渾名」が遠い過去の物語となる年齢を迎えている事実にハッとさせられました。