日本庭園を形作っている大きな要素は、ブログで書いた「石」であり、「水」であり、もうひとつが「植物」です。その中心になるのが樹木です。庭の風致を描出するには、樹木の種類とその植え方に考慮しなければなりません。たとえぱ、遠い山や遠景の樹は、そこに林があるように見える木を踈密のバランスを考えながら植えます。また、近景としての木も重要です。その木は、余り多くは植えず、目の前でよく見えるために樹形や枝ぶりの良いものを選ぶ必要があります。まさに、それぞれ植える位置により、お互いの木の関係性を考えていくことが必要になるのです。
木の種類も、背の高くなる木は、もの静かで奥深い雰囲気になりますが、前方はるかに低い樹を点々と植えると、広々とした眺望の庭になります。また、常緑樹を多く植えると堅実な感じの庭園となりますが、落葉樹の多い庭は、淡泊な俗気のない気風となります。狭い庭を広く見せるためにも木を効果的に配置します。池の広さを感じさせないためにその端が見えないように、岩や植込みで隠したりします。またはその池の向こうに山を築いて、樹木をこんもりと茂らせたりします。ほかにも広く見せるために、庭に芝生や苔を敷き詰めたりすることも効果的です。このように日本庭園では、その庭を構成するさまざまなものの関係性で、その味わいを演出しているのです。
「庭と日本人」(新潮社)という書籍の中で、著者の上田篤さんは、最初のほうでこんなことを言っています。要約すると、「日本の庭は「文化的遺伝子」のダイナミックな発現である日本文化である。この世界は西洋の神のように絶対的な存在ではなく、見えないものでもない。それはしばしば見え、しかも変化する。といっても、それは物ではなく、“物と物との関係性”である。」そして、この関係を「時と場所と場合」の三者関係であり、日本の庭におけるこの関係が、見る人をしびれさせるのだと言います。確かに、時が関係します。季節の移り変わりによって、1日の日の動きによって、時間による影の動きによって庭の景色が変わってくことも楽しみの一つです。また、いわゆる「わび」「さび」の世界における味わいは、もっと長い時間の経過がもたらす味わいかもしれません。
そして、その庭のある場所も大きく関係します。日本の庭造りの手法に「借景」という方法があるように、その場所を上手に庭に取り入れます。「景色を借りる」とはまさに言いえていますね。私は、三者関係の中の「場合」というのはよくわかりませんが、私は、日本の庭における三者関係は、「場所、もの、時」だと思います。その庭がどの場所にあって、そこに何が配置されていて、それをどのくらいの時間の経過の中で見ていくか、それぞれの関係を見ていくことが庭の鑑賞だろうと思います。また、その庭に置かれているものにもそれぞれ関係性があります。その関係が、緩やかな空間を作ったり、時には緊張した関係を作ったり、相手の存在を際立たせる役目をしたりしています。また、だからといって物が多すぎると、騒雑に陥り、かえって不快に感じます。なるべくむだを省き、背景の景色を利用したりして、それ自体の存在を主張するようではいけないのです。それは、お互いのものの関係だけではなく、庭というものはもともと家屋を主とし、その家屋に一層の雅趣を添えることが目的だからです。
確かに、日本庭園は、文化的遺伝子の発現であるというのはわかりますね。
日本庭園も「石」「水」ときたら「植物」がきますね。とくに植物は適当に植えてしまっては肝心な「石」「水」を隠してしまったり、植物を逆に植えなさ過ぎてしまっては寂しくなってしまいますね。三つの関係というのはとても大事な関係であり、その関係を上手に作り上げるプロの職人の人たちや考え出す人は凄い感性の持ち主だと思います。また「場所、もの、時」の三つの関係も納得しました。どの場所に何を植えて、時間が経過した時にはどのように変化するのか…とても重要だと思いました。保育園でも植物を置く場合も「場所、もの、時」の三つの関係を考えて置く必要があると思いました。
一昨日の「庭園と水」のブログを読んでから、藤森先生が、これほどまでに日本庭園を園の保育環境に取り入れていこうとしている本当の意味を考えています。『日本庭園は文化的遺伝子の発現』だから、保育園に導入することで子供たちに日本人としてのアイデンティティーを身につけてもらおうということでしょうか。いや、でも子供の発達に基づいたもっと深い意味があるのかもしれませんね。いずれにしても、ビオトープすら一般的でない今の保育の世界に、日本庭園の良さを提案することはとても画期的ですね。
ブログで日本庭園のことが取り上げられるようになってから、気がつくと人の家の庭を意識してみるようになりました。どんな思いが込められているかを考えながら見るのですが、残念ながら日本庭園のような庭にはなかなか出会えません。洋風のガーデニングといったものが主流のようです。日本庭園はお金がかかるんでしょうか。日本庭園は、その表現が難しく感じられるところもありますが、そこに込められている思いを感じることは日本人として大切にしなければいけないと思います。
引用されているように「“物と物との関係性”」が日本の「庭園」を造っている、ということには首肯できます。20代の頃は「寺まわり」が好きで禅宗の寺に行ってはその庭園美に何ものかを感じていました。「心字池」を訪れては池の様相が「心」という字に見えず、う~ん、悟りはまだまだ、と何だかその気になっていた頃もありました。京都の竜安寺の石の庭園を訪れた時もさっぱりわかりませんでした。おそらくその頃は「関係性」ということが実態として認識できていなかったからでしょう。もっとも卒業論文については「関係性」が一つのテーマでしたが・・・。「関係性」というと私たちは人間関係に特化する傾向があります。今日のブログで指摘されていたように「場所、もの、時」という「三者関係」をもっと適切に認識し現場に反映させていれば「環境」が大事なことがもっともっと理解されると思います。