3月、年度末の恒例行事ではないかと思うほど、いろいろなところで道路補修をしていました。確かに1年経って、でこぼこになったり、つぎはぎだらけになった道路もありますが、なぜ、ここを補修する必要があるのだろうと思う道路も少なくありません。
園の近くを流れる神田川は、川幅を広く取ってあり、また深く掘ってあるので、普段は下のほうを川底が見えるくらいに少ない水が流れています。それが、昨日今日の雨で、かなり増水しています。神田川は、住宅地を流れているため、土壌に雨が吸い込まずに川に流れ込んで、一気に水かさが増してしまうからです。ですから、よく中野あたりでは浸水被害が出ます。こういった被害を避けるため、神田川には、途中の環状7号線の地下に約50メートルに掘られた巨大トンネルである「神田川取水施設」があります。その長さは約4.5キロ。総工費1,000億円というすごい建造物です。
こんな施設が必要なのも、道路が雨水を吸い込まず、すべて川に流れ込むからです。ですから、道路は、まるで川のように排水溝に向かって水が流れていきます。かつて都内でも一面を覆っていた田んぼや畑や野原の土は、水を染み込ませ、地下水となったり、一度に流れない保水作用もありました。それが、「舗装」という名の下に水の染み込まない「アスファルト」や「コンクリート」で覆ってしまったのです。
アスファルトの歴史は古く、古代から天然のアスファルトは主に接着剤として使われ、旧約聖書の「創世記」ではバベルの塔の建設にも使われていました。日本で初めてアスファルト舗装が施されたのは長崎県長崎市のグラバー園内の歩道であるといわれています。現在の日本では、敷設が比較的容易であり、舗装作業開始から交通開放までの時間が短くてすむため、主流となっている舗装です。
また、コンクリート舗装 は、施工期間が長く、養生などに手間がかかるなどの敷設の難しさはあるものの、アスファルト舗装に比べてたわみに強く耐摩耗性に優れており、重車両が頻繁に通行する場所、トンネル内、急傾斜の坂道などといった舗装補修を頻繁に行うことが困難な場所に多く用いられています。
都市化が進みアスファルト舗装面積が拡大するほど、雨水は地中への浸透を阻止されてきました。それは、都市型洪水、地下水の枯渇、地球温暖化の元凶とされ、最近では雨水の地中還元を叫ぶ声が大きくなっています。そこで、最近注目されているのが、透水性舗装という、路面に降った雨水を舗装内の隙間から地中へ還元する機能を持った舗装です。そうすることにより、歩行者への水跳ねが減り、路面に雨水が滞留せず、地下水として直下の地中に浸透させることで、排水路などでの負担を軽減することができます。さらに、空隙が大きく蓄熱性が小さいため、都心部のヒートアイランド現象の緩和に効果があり、空隙により走行音が分散されるため、騒音の軽減にもつながります。しかし、空隙内に砂、泥が詰まることから数年で機能低下が起きたり、大型車が走行することにより空隙がつぶれてしまったりのデメリットがあります。
昔に戻ることはできませんが、昔の知恵を学ぶことはできます。ぜひ、無駄に道路を補修するよりも、自然と共生するような道路を作ってもらいたいものです。
最近のニュースでも高速道路や国道の開発、舗装について多く流れていますが、アスファルトやコンクリートというのは道路を平らにして綺麗にできるので便利な物だと思っていました。なので地球温暖化の原因に繋がるとは思ってもいませんでした。そう考えると、世の中にとても便利なものというのは必ずデメリットというのが付いてきます。とくに、時代のせいか、最近のデメリットは環境破壊に繋がっていく気がします。人間にとって便利なものが出てくるのは決して悪い事ではありませんが、先生が言われるように道路に限らず「自然と共生」できる物を作ってもらいたいです。
知らず知らず歩いてきた 細く長いこの道
振りかえれば遥か遠く 故郷が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
山を単独で登っている時に、なぜか自然と口ずさんでしまう歌っていうのがあります。私の場合は、美空ひばりの「川の流れのように」をよく歌いますね。歌のテンポが歩く速さにあうのと、詩の内容がほんと山歩きにぴったりなんですね。山道なら、一日5時間歩いても平気ですが、舗装された道路ではこうはいかないでしょうね。舗装は車には快適ですが、地球や人間にとっては決してやさしいものではないと思います。
よく考えると当たり前のことですが、アスファルトやコンクリートで覆ってしまうと保水ができなくなってしまうんですね。都会の雨の様子をテレビで見ることがありますが、道路をかなりの量の水が流れているのはそういうことが影響していたと考えると、そのために起こる影響はかなりのものだろうと想像できます。人間にだけ都合のいいように考えて行動し、そのために失ってきたものを思いをやることまでできなくなってしまうとしたら、文化はなくなっていくんじゃないかと思います。生活のために道路が必要かどうかだけでなく、もっと広く考えることが、今こそ大事なんだと思います。
昨日一昨日の雨はひどかったですね。アスファルト舗装の道路くぼみに自動車の車輪が入るたびに傘を傾けて「撥ね」を警戒しました。今日のブログで紹介されていた「透水性舗装」、これは良い!、と快哉を叫びましたが、やはりモノゴトには両面があります。メリットもあればデメリットもあるのですね。新しいことを始める際には兎角デメリットの方が強調されて結局普及しないということがあります。空隙の持つ脆弱性がクローズアップされるとこの透水性舗装の先行きも暗いのか、と思ってしまいます。「舗装」ということで言えばオランダ・アムステルダムの道路の石畳のことを思い出します。国土を作ったオランダ人がわざわざ遠くから運んで一石一石敷きつめて道路を舗装した、という話しです。いつか実物を観てみたいものです。