先日の新聞を妻に見せてもらいました。そこには、青森で、母親に絞殺された小学4年生の男の子が2年生のときに作った「おかあさん」という詩です。この詩は、当時土井晩翠にちなんで作られた「晩翠わかば賞」を受賞していたのです。
「おかあさんは どこでもふわふわ ほっぺは ぷにょぷにょ ふくらはぎは ぽよぽよ ふとももは ぽよん うでは もちもち おなかは 小人さんが トランポリンをしたら とおくへとんでいくくらい はずんでいる おかあさんは とってもやわらかい ぼくがさわったら あたたかい 気もちがいい ベッドになってくれる」
母親というのは、どんなことをされても暖かいのですね。なんだか切ない気がします。浅香光代さんが披露してくれた科白のもうひとつの「瞼の母」も、そんな気もちを表しています。芝居や映画で「やくざもの」が全盛時代だった頃の、長谷川伸さんによって書き上げられた話です。
番場の忠太郎は幼い頃、母親と生き別れ父親の手によって育てられました。その父親も彼が十二歳の時亡くなってしまいました。天涯孤独となってしまった忠太郎は、彼が幼かった頃、家を出たという母親を探す旅に出ます。あるとき、それらしい女性を探し当て、会いに行きます。そして、彼女に「もしや女将さんは忠太郎という男の子を残して家を出たことはありませんか」と尋ねます。しかし、母親には近々大店に嫁がせる事になっている娘がいるために、確かに自分の腹を痛めた子に違いないと分かってはいたのですが、おまえさんが息子だとはついに言い出せませんでした。そして忠太郎にわざとすげなく何が欲しくて訪ねて来たのだと聞きます。ゆすりたかりで来たのではないと懐から百両もの大金を掴み出す忠太郎。もしや母親が苦労しているようなことがあればと思い、賭場でこつこつと稼いだ金でした。「金なんかが欲しくて来たのではない。一目だけおっかさんに会いたい、会って親子の名乗りがしたかっただけなのだ」と答えます。しかし、何かの事情がありそうだと悟った忠太郎は、それ以上何も言わずにそっと店を出ていきます。一部始終を物陰から見ていたの妹は、兄と悟って、母をいさめ、母と二人で荒川堤へ忠太郎を追いかけます。しかし忠太郎は物陰に隠れて二人には会わず再び股旅の路へと出て行くのです。
この芝居の中で有名な場面がいくつかあります。そのひとつが、忠太郎が自分を名乗る時の場面です。
「五つの時に縁が切れて二十年。もうちっとで満三十年だ。その間音信不通で、互いに生き死にさえ知らずにいた仲だからそんな子はねぇという気になっているのでござんすか。縁は切れても血は繋がる。切れて切れねぇ母子の間は眼に見えねぇが結びついて、互いの一生を離れやしねぇ、あっしは江州番場宿のおきなが屋の倅、忠太郎でござんす。おっかさん。」
もうひとつが、浅香さんが披露してくれた、忠太郎が立ち去るときの科白です。
「親子と思って尋ねてみたが、考えて見りゃぁ俺も馬鹿よ、骨を折って、夢を消してしまったぁ。優しい俺のおっ母さんは、瞼を合わせりゃぁ浮かんでくらぁ。逢いたくなったら、逢いたくなったら 目をつぶるんだぁ。」
母子関係は、切っても切れない関係ですね。
子どもにとっては、母親は、自分の存在そのものを左右する大きな存在なのですね。
今日お葬式がありました。お父さんに早く亡くなられ、中学生の時にお母さんに先立たれ、中学卒業と同時に一生懸命働いて、兄弟全員を育て上げられた方が62歳で亡くなれました。葬儀の喪主挨拶で弟さんがお話しされました。「兄の遺品の中から、古ぼけた母の手紙が出てきました。45年前の母の手紙を兄は大切に残しておりました。辛かった時苦しかった時、繰り返し手にとって見ていたのだと思います。母が亡くなった時、小学校前だった私は、この年になって初めて、母の字を目にしました。」と男泣きに泣かれました。
子供が安心できる母子関係を保育者の側としても見据えていかねばならないと思いました。
浅香光代さんは知っていますが、昨日のブログの「一本刀」も「瞼の母」のお話しは知りませんのでどのような内容かは初めて知りました。
ブログの「おかあさん」という詩は昔の事を思い出しました。私も小さいときに母に対しての同じようなイメージを持っていました。具合が悪い時は優しく一緒に寝てくれました、その時は暖かくて、やわらかかったのを感覚で覚えています。父には申し訳ないのですが、母子関係というのは家族とはまた別の特別な関係があるような気がします。
昨日の「一本刀」にしろ今日の「瞼の母」にしろ、ストーリを教えてもらうと、何だかジ~ンと来ますね。なんとも切ないお話しで、己が今日まで父母兄弟祖父母叔父叔母に育てられ、そして今は妻子共々幸せな日々を送っていると、茂兵衛や忠太郎が哀れに思える一方、己が身の幸いを余計に思い知らされます。そうした中で今日のブログの冒頭に紹介されていた青森での母親によるわが子の絞殺、というとても想像がつかい出来事を知らされると愕然とします。そして殺された子どもが作った詩を読むと茫然自失状態になります。全くもって異常です。「一本刀」や「瞼の母」を学校の「道徳の時間」にしっかりと学んでいたら、お母さん、わが子に手をかけなかったかもしれません。「愛国心」や「郷土愛」の前に「瞼の母」を教えるべきでしょう。
「瞼の母」は初めて聞くような、でもどこかで聞いたことがあるような不思議な感じがします。どこまでいっても切れることのない母子関係は、父子関係とは少し違っているんでしょう。それにしても「瞼の母」と「青森の母」のどちらも切ない話です。こうした話に触れるだけでも、人と人のつながりを大切にしなければと思えます。母子関係のためだけでなく、生きていくうえで、人と関わって生きていくうえで、大切にしたい話です。
最近はあまり見なくなりましたが、「生き別れた母子の涙の再会」なんていうご対面コーナーの番組が昔はありましたね。古くは「それは秘密です!」の泣きの小金治こと桂小金治さん、ちょっと前には、島田紳介さんや徳光和夫さんもこんな番組をしてました。涙線の緩い私は、最後に親子が無言で抱き合うシーンなんて見せられると全然だめです。今の私のカラオケの十八番は、すぎもとまさとさんの「吾亦紅」(われもこう)です。最初この歌を聞いた時は、鳥肌が立つような感動しました。母子の情愛というのは、いつの時代も不変だと思うのですが・・・。