徂徠豆腐

 庄内藩の藩校教育に影響を与えた荻生徂徠といえば、徂徠の逸話から採った落語、講談、浪曲でのネタとして「徂徠豆腐」というのがあります。その中の名せりふを小泉さんがたとえとして使ったことでも有名になりました。
 「江戸にいたんじゃ、「まさかこんなことはできねえ、まさかあんなことはできねえ」って、「まさか」って坂を心にこしらえてしまう」というもので、人生には「まさか」というようなことが起きます。しかし、その「まさか」といった事態を越せなければ、江戸では生きていけないのです。「まさか」を越すぐらいなら、田舎へ流れていった方がいいのではないかと女房に言いつつ、自分にも言い聞かせるのです。このまさかという逸話がこれです。
 豆腐屋が街を流して売っていると、ある長屋で貧乏学者風の男に呼び止められます。すると豆腐を一丁だけ売ってくれと言うのです。豆腐を渡すと男はその場で豆腐をたいらげ、細かい金はないから、あとでまとめて払うと言います。そんなことが5日ほどつづき、豆腐屋が今日こそ払ってくれと言うと、男は金がないというのです。そこで豆腐屋は問いただすと、「今は学者の勉強をして、世の中を良くしたい。いずれ世に出る日がくるから、そのとき払う」と言うのです。それなら出世払いで良いからと、翌日から差入れが始まります。そんな行動をおかみさんが不審に思い、咎めるのですが、理由がわかるとおにぎりを持ってお行きと言うのです。あるとき豆腐屋は風邪で2週間ほど寝込んでしまいます。しかし、その男のことは気になっていたので、病み上がりの体で長屋を訪ねたのですが、もぬけの殻で、行き先も分かりません。長屋で名前を聞くと「確か、お灸がツライ、とかなんとか言っていたよ」と言うだけです。その後何回か足を運んだのですが、わからずじまいで、次第に夫婦の頭から消えていきました。
ある夜、豆腐屋の隣から火が出て、豆腐屋も全焼してしまいます。もらい火で、一夜にして店も家も財産も失った豆腐屋の上総屋七兵衛が、うちひしがれている女房に向かって「こうなればどこか田舎へ流れていくしかない、江戸にはいられない」と言う時のせりふが最初に書いたせりふなのです。そうしていると、そこへ立派な身なりの男が現れ、ぜひ援助したいと言います。最初は誰だかわからなかったのですが、以前、豆腐を食わせていた男だと気が付きます。名前を聞くと、「お灸がつらい」ではなく、「荻生徂徠」だと言います。「おきゅうつらい」ではなく「おぎゅうそらい」だったのです。徂徠の援助で豆腐屋はまた店を再建するのです。その豆腐は「徂徠豆腐」と名づけられました。
このような世に出る前に一日一丁の豆腐で飢えをしのいで勉学に励む荻生徂徠と、その清廉、真摯な姿勢にうたれた豆腐屋との温かい交流を描いたものです。この話は、事実と、落語で話される内容を私なりに少し混ぜて変えてしまっている部分もありますが、大筋このような話です。
 この豆腐屋の行為を、落語では徂徠にこのように説明させています。「十年前、私は銭を払うような素振りで、都合、三丁の豆腐を食しました。無銭飲食です。法に触れた行いです。しかし、あなたはそのことには 触れず、『出世払いでいい』と情けをくださったではありませんか。あなたは天下の法に許す限りの情けを注いでくださったのです」
 ちょうど先日、私が、園の方針がぐらつくのではないかというある保護者にこんな話をしました。「園は夜8時半に門を閉めます。しかし、その時刻にきちんと門を閉めるのは機械でもできますが、遅れた事情を聞いて、それを許すことができるのは人間だけです。それは、子どもにとって最善の利益を求めるという理念がぐらつかないからです。」と答えたのです。