上野3

 最近、上野に行きました。そのひとつの目的は、国立科学博物館に“「進化」発見の旅へ!”ということで開催されているダーウィン展を見に行きました。この展覧会は、2005年から06年にかけて、アメリカ自然史博物館(ニューヨーク)で開催され、好評を博しましたもので、その後ブラジル・サンパウロ、ニュージーランドを経て、今年5月の連休まで東京で開催されています。そのあと夏休みには、大阪での開催になります。
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 チャールズ・ダーウィン(1809〜1882)は、進化論の創始者として、その代表的著書「種の起源」(1859年出版)とともに世界中で広く知られています。日本では江戸時代の頃のことです。ダーウィンの「進化」の考え方は、その後の世界を大きく変えました。子どものころにはよく偉人伝などを読む機会があり、その偉業や生涯、エピソードなどを知ることができたのですが、大人になってはなかなか知る機会がありませんので、人物像を描くような展覧会は新しい発見があります。
 今回の展覧会は、ダーウィンの人生をたどりながら、彼が生み出した偉大な業績に迫るもので、会場では、ダーウィンの進化論の着想のもとになったガラパゴス諸島の生物のはく製から、航海に使った「ビーグル号」の模型、航海日誌、身の回りの品々など、様々な資料が展示されています。その中で、印象に残ったエピソードだけを拾ってみます。
 ダーウィンは、当時の紳士階級の子どもたちと同じようにパブリックスクールに通いましたが、勉強が嫌いで決して優秀な生徒ではありませんでした。それよりも祖父の影響を受けて、博物学に興味を持ち自然観察や化学実験に熱中していたのです。パブリックスクールでの勉強に身の入らないダーウィンに対し、父は早いうちから医師として後を継がせるために、エディンバラ大学に通わせることにしました。しかし、ここでもダーウィンはあまり熱心には勉強しませんでした。この大学もやめて今度は牧師になるために、ケンブリッジ大学で神学を学ぶことにしました。そこでもあまり勉強せず、博物学をはじめ、乗馬と狩猟、昆虫採集に没頭します。しかし、ここでダーウィンの博物学嗜好に火が付き、後に偉業を果たすことになるのです。
人によって熱中するものが違います。それが何なのか、それを見つけるために人生があるのかもしれません。それが見つかり、それに取り組むことができたときには、「貢献」できる偉業を成し遂げるのかもしれません。その偉業は、本人のためではなく、人類、地球のためになります。しかし、その偉業は、考え方に変化をもたらしますし、今までの考え方を否定することになるかもしれません。
ダーウィンの進化論は、自然環境による「自然選択」と特徴的な形質が次の世代に引き継がれる「性選択」によるものでした。当時の英国での主流の考え方は、「神がすべての生物を作り出して以来、それらの生物はずっと不変である」というものでした。ですから、当然、ダーウィンの進化論は、宗教的価値観では、危険な思想だったのです。ですから、発表後に起きるであろう多くの反論と戦うため、できるだけ多くの研究を重ねていきました。発表当初、予想通り、激しい論戦が繰り広げられましたが、進化論の正しさはやがて広く認められていきます。
実践からの研究を積み重ね、過去からの刷り込みをなくし、時代の変化をよく見つめ、それに対して柔軟な対応をしていかなければ、その時代に貢献することはできないでしょう。
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