江戸のリサイクル

 縄文時代のごみに対する考え方を昨日書きましたが、江戸時代はどうだったのでしょうか。この時代のリサイクル文化は、世界の中でもとても素晴らしいものです。私が縄文時代でのごみに対する考え方を推測したことがまさに実現されて行きます。「大江戸リサイクル事情」(石川英輔 著)の中では、「子孫のわれわれが見ればどう考えても役に立ちそうにないがらくたでも立派に商品価値があったから、最大の問題は、どうやってそれを効率よく集めて活用するかという点にあった。だから、処理といっても捨てるなどとんでもない話で、いかに上手に再利用するかに知恵を絞り、長い時間をかけて、びっくりするほど無駄がなく洗練されたリサイクルの方法を確立したのである。その徹底ぶりは、ほとんど芸術的といっても大げさではないほどだ。」と書かれています。
  この芸術的というところにどうも私は日本らしさがあるのではないかと思います。この書籍の中でも、その時代は、貧しかったから、貧乏で物が買えなかったからではないかと思うかもしれないが、では、貧しい国がこのようなリサイクルをしているかというと、日本ほどそれが確立している国は見当たらないと言います。
 どのようにリサイクル社会を築いていったかということを、石川さんがネット講座で話しをしています。
「江戸時代と一口にいっても250年も続いていたので、最初からリサイクル社会が成立していたわけではありません。1500年代の末期、江戸時代の初期の頃は、まだ都市としての機能が十分に作られていませんでした。ゴミなどもどう処理していいのかわからず、お堀などに捨ててしまって、船の運行にも支障があったようです。都市としての体裁がようやく整ってきたのは、1650年ごろからで、ちょうど時代は元禄年間にさしかかって、いわば高度成長期に入っていく時期でした。」
これを読んでも、どうも、貧しかったからではなく、より高度な贅沢をしようとしたからのようです。では、どうして、元禄時代という贅沢な時代にリサイクルを考えたのでしょうか。
「元禄時代には、たとえば、初物ブームが起こります。それは、「初物を食べると75日長生きをする」などといって、江戸っ子は競って初物を食べようとしたのです。これに目をつけた農家の人は、一日でも早く野菜や果物などを生産しようと、生ゴミを肥料に使うことを考え付きました。生ゴミを地面に埋め、発酵させて温度を上げ、その地面を油紙で覆って熱を逃がさないようにしました。今のハウス栽培と同じ考え方です。房総半島からは、江戸に来る時には薪を運んできて、帰りには肥料として使う生ゴミを積んで帰る船もありました。このほか、幕府は生ゴミを使って埋め立てるなど、1700年代の初めには、ゴミの循環システムも整っていったようです。江戸の都市計画の面でいうと、彼ら先人は江戸をヒートアイランド化から守ろうとする発想を持っていたように思われます。その理由は江戸には舗装道路がありません。進歩主義の人は、江戸は遅れていたから舗装道路がないのだといいますが、私はそうではないと思う。」と、石川さんは言います。
だからと言って、江戸時代の人たちは環境を考えていたわけでも、もったいない運動を展開していたわけではありません。いわゆる「生きる知恵」を持っていたのでしょう。今足りないのは、この知恵であり、知識でも運動でもないのです。

江戸のリサイクル” への6件のコメント

  1. 今の時代はあれこれと工夫が出来ないか考える前に、進んだ技術が解決策を見つけてしまっているような気がします。今あるもので無駄の出ないようにという工夫をするより、新しい技術に頼った方が早いということもあるように思います。とにかく「知恵」の出番が少ないのは確かだと思います。知恵が文化を作り出していくと考えると、知恵の足りない現状が進んでいくと、ゴミの問題だけではすまなくなりそうです。知識ではなく知恵が自分の中にどれだけあるか、他人事にせずに自分に問い続けます。

  2.  江戸時代の人々の「生きる知恵」というのは本当に素晴らしいものですね。生ゴミを肥料にするのは考えがつきますが、ハウス栽培と同じようなことをしてしまうとは驚きです。縄文時代、江戸時代の人達は明日を生きるために、知恵を振り絞り色々な工夫をして生きている結果、ゴミを分別したり、ハウス栽培のような技術が出来たりできるのですね。それに比べると今の時代は何でも簡単に解決してしまいます。それだけ技術などが進歩しているとも考えられますが、先生が言われるように「生きる知恵」というのが足りないのかもしれないのですね。

  3. 国民総強依存傾向のあるわが国では、「強依存」のゆえに自らの基本的「生き方」をも他人に頼っています。「自らの生き方」を云々する場合、往々にして主観、別な表現を用いるならば、我儘・自分本位から出てきているように思えます。それゆえ「生きる知恵」は自らの学習や経験則からは容易に出てきません。「江戸時代」という時代が近年見直されつつあります。今日のブログで紹介されていたような、現代人を唸らせるような生活習慣があったからでしょう。電気もなければガスもない暮らしを江戸時代の日本人は送っていたわけですが、それを「貧しい」と解釈することはまさに「心の貧しさ」の証左でしょう。比較において優位性を確保する現代日本人はその「比較」ゆえに主体性がなく自信も喪失して結局「強依存」を強化する「負のスパイラル」=「蟻地獄」に陥ってしまっているのかもしれません。

  4. 中1の私にはすごく難しい・・・よく分らないんですけど、江戸時代のリサイクルって興味あるけど、なかなかハッとするページがないんです。どこか中1にも、難しくないページがあったら教えてください。
    でも、いくら江戸時代でも、少しの資源は出ますよね・・それはどうしたんでしょうか??その事も教えてください。

  5. 「この芸術的というところにどうも私は日本らしさがあるのではないかと思います」という言葉が印象に残りました。芸術的とはどのようなイメージなのだろうかと考えますと、無駄がなく、理にかなっているような、バランスのとれたようなイメージを抱きます。それは自然の循環とつながっていくのかなと感じました。だからこそ日本人は芸術的なリサイクルの方法を作り出していたのかもしれませんね。『いわゆる「生きる知恵」を持っていたのでしょう』ともありましたが、自然とうまく付き合っていく術や実際の体験から感じた感覚というのが生きる知恵にも繋がっていくのかもしれません。そういった感覚は乳幼児期でもとても大切なんだろうと思います。環境全体を見る知恵が大切なのかもしれませんね。

  6. 江戸時代の「いかに上手に再利用するかに知恵を絞り」といった部分に、当時の人々の気質も感じます。再利用することが当たり前だった時代において、それらは“いかに上手に”という部分に価値を見出していたのですね。その上手さは伝承されていき、洗練されていったのでしょうね。また、江戸時代は、知識や運動でもなく「生きる知恵」を使っていたというところに感動しました。現代では、それをしなくても生きられる時代になったと考えてしまいがちですが、それは長期的に見れば、地球が廃棄物で埋め尽くされ、環境問題が悪化し、生きることが困難になるということをしっかりと理解しなくてはならないと感じました。

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