ごみについて、今考えるととてもおかしいことをしていたなあと思うことがあります。マクドナルドが日本にも広がってきたとき、食べ終わって、トレイに乗っているすべてのものをそのままゴミ箱に捨てるシステムに少し抵抗がありました。今は分別するようになりましたが、当時は、すべてを一緒にすることのほうが時代の先端のような気がしていました。しかし、日本は戦後アメリカを見習い、あんなモダンな文化にあこがれました。しかし、国土は日本の25倍もあり、それなのに人口はほぼ半分のアメリカにまねての消費の仕方、廃棄の仕方をするのは、本当におかしいことでした。
日本では2000年に循環型社会形成推進基本法において3Rの考え方が導入されています。3Rとは Reduce(リデュース:減らす)、 Reuse(リユース:再び使う)、 Recycle(リサイクル:再資源化)の頭文字をとった言葉です。そして、この三つの中で1.リデュース(ごみの発生抑制)、 2.リユース(再使用)、 3.リサイクル(ごみの再生利用)の優先順位で廃棄物の削減に努めるのがよいとされています。
昔のゴミ捨て場といえば、貝塚があります。かつては、貝塚は貝の自然堆積で出来たものと思われていましたが、貝塚は縄文人の「台所のゴミ」の堆積物です。ですから、この貝塚から当時の生活、環境を知ることができるのです。しかし、最近は、またごみの捨て場ではないのではないかと言われています。現代の考古学において最も有力な説は「貝のお墓」です。それは、貝塚の貝は、きちんと並べて積み重ねてあり、貝殻を丁寧に洗った跡も残っているそうです。
貝殻の主成分は分解しにくい炭酸カルシウムですが、有機物と一緒に埋めたり、多量の土に混ぜて埋めると比較的短期間(数十年から数百年)で跡形もなく分解してしまいます。しかし、貝殻を洗ったり並べて積み重ねたりして築いた貝塚だから分解せずに現代まで残ったのです。しかも、貝塚の研究は19世紀後半にデンマークで始められように、貝塚は日本だけでなく、カナダのブリティシュコロンビアを中心とした北西海岸、アメリカメイン州を中心とした大西洋岸、デンマークを中心としたヨーロッパ地域のほぼ同緯度で氷河期が終わった以降に貝塚が出現しています。
貝塚が縄文時代のゴミ捨て場ではないとしたら、当時のごみはどうしていたのでしょうか。縄文時代といえば、青森の三内丸山遺跡があります。この三内丸山遺跡は、まだまだ発掘され、わかっていない部分も多いのですが、今までの調査の結果、5500年ほど前から約1500年間、少なくとも5~600人近い人たちが、共同生活をしていたということが分かっています。ここの遺跡から、ゴミ捨て場が見つかっており、その跡が盛土状に残っており,シェルターの中で断面を見ることができるようになっています。そこに捨てられているものを見ると、縄文人は燃えるゴミと燃えないゴミを完全に分別し,1000年にわたって同じ場所に捨て続けていたようです。また、土器などは、敷き詰めています。
当時は、貝塚同様、ごみを捨てるという意識はなかったと言われていて、ごみに何か意味を持ち、それを埋葬するような意味もあったかもしれません。それだけ、ごみであろうが、自分たちを生かしてくれているものに感謝する気持ちがあったように思います。ごみは、いらないものではなく、世話になったものの残骸です。ですから、簡単に捨てるというよりも、なるべく捨てない、もう一度何かに活用する、違う方法で再度活用するといった3Rの原点を見ます。
ただのゴミ捨て場と思われていた貝塚には、実は縄文人たちの使ったものへの感謝の気持ちが表れていたんですね。とても考えさせられます。貝の残骸で思い出しましたが、月刊潮3月号に「ホタテが汚染された地球を救う」というタイトルで横浜のベンチャー企業が、廃棄されたホタテの貝殻を原料にした製品を開発したルポが紹介されています。『ホタテの貝殻を粉砕して、高温で熱成するとホタテ貝殻セラミックが生まれ、抗菌、消臭などの多機能な素材に変身する』といいます。特にこの素材を使った壁材がシックハウス対策に有効で、各地の保育園や幼稚園でも採用されはじめているようです。もともとほたて貝は海に溶けた二酸化炭素でできているので、とても地球環境にやさしい生物ですが、その貝殻がエコ商品に生まれ変わるというのですからすごいですね。ひょっとしたら、縄文人もこんな貝殻の秘められた力に気づいていたのかもしれません。
最近のCMでも3Rを推進するものをよく見かけます。マクドナルドでもつい最近まではゴミを分別せずに捨てていましたが、自然と分別するようになっていました。マクドナルドだけでなく、家庭ゴミも分別せずに捨てていたと考えると信じられません。今になって分別をしてリサイクルをしていますが、縄文時代の人たちはそれを平気で行っていたとなると、本当に驚きです。今の時代、昔を見直す必要があると言いますが、縄文時代までさかのぼるとなると、少々情けない気がします。
最近は石油資源を始めとした天然資源の枯渇問題がクローズアップされてきています。そうしたこともあるためでしょうか、一昔前に比べてゴミに対する意識化が浸透してきているように思います。現代は縄文時代とは異なって半永久的に残存する核廃棄物や石油製品廃棄物など人類が誕生して以来おそらく初めてのゴミ経験をしていると言えるでしょう。その意味でゴミの意味合いが少なくとも100年ほど前とは違ってきていることをあらためて認識する必要があると思います。今日のブログでは「世話になったものの残骸」とゴミの再定義が行われています。私たちは普段「世話になった」と意識するものに対してどのようなことをしているでしょうか。このことを考えると、ゴミに対する意識、そしてひいてはモノに対する考え、が大きく変って行くような気がします。
貝塚がゴミ箱ではないかもしれないという説は初めて聞きました。調べるとそんなことまで分かるんですね。昔の人がゴミに対してどのように考えていたか、それが分かってきたのであれば、そこから学び行動を変えていかなければもったいないです。今まであまりにも簡単に捨てていた自分を反省します。3Rの最初、まず減らすから取り組みます。忘れてしまうかもしれませんが、またこのブログで思い出させてもらえるような気がしています。