中学生時代

「ど根性ガエル」に登場する蛙「ピョン吉」が生まれた町「神田」には、江戸時代からこんな早口言葉がありました。「神田鍛冶町の角の乾物屋の勝栗買ったが、固くて咬めない。返しに行ったら、勘兵衛の内儀(かみ)さんが帰ってきて、癇癪(かんしゃく)起こして、カリカリ咬んだら、カリカリ咬めた。」
私の出身中学校は、この神田鍛冶町にありました。毎日通る中学へ曲がる道の角の店には、こんな言葉が書かれていました。「神田鍛冶町 角の家具屋」ということで、乾物屋ではなく、家具屋でした。今は、この中学校は、統廃合によって廃校になってしまっています。
先日、園の保護者が、「自分の店をたたむことになったので、いらなくなったものを園で使ってください。」と持ってきてくれたものがいくつかありました。そのひとつの、よく寿司屋などで出される魚の名前を漢字で書いた湯飲み茶碗があります。
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この茶碗を見ていて中学時代が懐かしく思い出されました。
そのころの教師は、教え方がどうだったか、尊敬できたか、いい先生だったか分かりませんが、今に比べて、生徒も、親も、先生もとてもおおらかだった気がします。
保健体育の男性の先生は、授業が始まる前にまず、することがあります。それは、教卓の上においてある花瓶に挿してある花の名前を言うことです。指された子は、それが言えないと、花に向かって「あなたの名前が分からずに申し訳ありません。」と土下座して謝らないといけないのです。そこで、花係は忘れずに花を買うときに花屋にその花の名前を聞いて、後ろの黒板にその名前を書いておく事にしていました。あるとき、保健体育の授業の日に、係りが花の名前を聞くのを忘れたときありました。私は、クラス委員だったので、急いで後ろの掃除箱の中に花瓶をしまいました。先生が入ってきて、教卓を見てこう言いました。「机の上が少し水にぬれている。雑巾で拭かなければ。」と言って、後ろに行って掃除箱を開けたのです。そこで、隠してある花瓶を見つけました。「どうして、ここに花瓶がしまってあるのか?」と聞くので、私が代表して「今日は、花の名前を聞くのを忘れたので、また謝らないといけない子が出るのでしまいました。」と答えると、「そんなに花の名前を言うのがいやか?」と言うので、「いやです!」と答えると、「じゃあ、これからやめる!」と言うので、みんなは「やったー」と叫んだら、すかさず、「これからは、花の名前ではなく、魚の名前にする。」ということで、その後は魚の漢字の読み方を言わされたのです。
 こんなこともありました。数学の授業が数量と図形があり、1年生の3学期、なぜか図形の授業を化学の先生がすることになっていました。その授業で、なぜか私が避けられている気がしました。手を上げているのに、指してくれないのです。そこで、私は、表を作り、誰が何回指されたかを記録してみたのです。すると、思ったとおり、私が指される回数が極端に少ないのです。そこで、授業中、そのデータを基に抗議しました。「何で、私を指さないのか!」すると、先生は「そんなに答えたいのか?」と聞くので、「そうだ」と答えると、「分かった。じゃあ、これから学期末までの期間、お前が図形の授業をしろ!」ということで、私が生徒の身でありながらその後の授業をしたのです。
 こんな逸話が他にもいくつもある、おおらかな中学時代でした。

中学生時代” への6件のコメント

  1.  私の中学の頃の社会の先生で花の名前では無かったのですが授業の前に単語のテストをし一人ひとり問題を出され、分からなかったらその場で立たされてました。もちろん私は立たされるのは嫌なので賢明に覚えていた記憶があります。
     先生は今でも本を出版されたり、講演で全国を飛び回っていて凄い事ばかりされていますが、中学生の頃も武勇伝ばかりで、普通は考えない事もやってしまうのですね。まさか、先生の代わりに授業をされるとは、失礼ですが読んでいて思わず笑ってしまいました。昔から人が考えないような事をされていた結果が今の先生を作り上げているのでしょうか?

  2. 今でこそ学校の先生はサラリーマン化していますが、昔は面白くて個性的な先生が多かったですね。数学の授業を担当した化学の先生は、どうして藤森先生を指名しなかったのでしょう。今日一日、そればっかり考えていました(笑)。たぶんこの先生は、藤森少年が数学が得意そうに見えたので、あえて他の苦手な子を指名して、正解ならほめてあげて自信をつけさせようとした。藤森少年には授業をさせてさらに力をつけさせようとしたのだと勝手に解釈しています。習熟度授業のはしりでは…。でも今なら、間違いなく職員会議で問題になりそうです。

  3. 何とも大らかな「中学時代」ですね。私自身の中学時代も結構「大らか」だったと思います。しかし、住んでいるところが東京とは違う地方の町だったのでその土地ならではの「大らかさ」と言ったほうが的確でしょう。挙げればホントにきりがないくらいです。逸話だらけ、と言っても過言ではありませんね。それでも流石に「先生」の代わりに「授業」を受け持つ、ということはありませんでした。藤森先生との格の違いを感じさせられますね。私の場合はプライベートで同級生たちに「教える」のが好きでした。中間試験や期末試験の前の土日は私の家に同級生たちがやってきて中には泊りがけで勉強しに来る子もいました。学習の最善の方法が「教えること」であることをおそらくその頃会得したのかもしれません。その後、高校に行っても大学に行っても「教える」機会があれば惜しまず教えていました。いまだにその癖は抜けません。

  4. 教え方がどうだったかまでは覚えていませんが、中学校には変わった先生が多かったように思います。先生の個性だけが記憶に残っています。今の先生はどうなんでしょうか。
    藤森先生と数学の授業のやりとりを読んでいて、以前ブログで紹介されたイタリアの生徒が誤って非常レバーを引いたときの車掌とのやりとりを思い出しました。主張することとそれを聞くことは大切ですね。

  5. 小学生の頃、少し釣りのハマった時期があったのですが、気に入った魚の漢字があるとそれを書いて遊んでいました。理由は分かりませんが、特に気に入っていた漢字が「鰤」と「鰆」でした。写真を見てそんなことを思い出しました。なんとも個性的な先生方ですね。私が中学の頃といえば社会の先生が怖い先生で、授業前に常にキレイなはごろもチョークが用意されていないと怒る先生がいました。後は机に肘をつくと怒られました。とても緊張感のある授業でした。中学の先生と藤森先生のやりとりはおもしろいです。自分が避けられているというのは敏感に感じますよね。そして、しっかり統計をとる先生もさすがですが、「何で私を指さないのか」とことに「そんなに答えたいのか」と言ってしまう先生にも驚いてしまいました。そして、そのまま授業を藤森先生に任せてしまう…そしてなによりその後の授業を先生が担当するというのにも驚きました。しっかりと理解していないと人に教えることはできないと思うので、当時の藤森先生のすごさをなんだか感じるようでありました。そして、またずっと藤森先生に授業を任せてそのままにしてしまう学校もまた当時はおおらかだったのかもしれませんね。それくらいの方がおもしろいですね。

  6. 授業中に、問題を答えるために教師に「指して」懇願できる藤森先生はすごいですね。私は逆に、ずっと「指さないで」と思っていた記憶があります(笑)。また、中学生が中学生に授業を行うというのも面白いですね。できる人が分からない人に教える。郷中教育とか寺子屋などと、それが自然なことなのかもしれませんね。そして、生活の中から漢字や読みなどを知っていくやり方も面白いなぁとも感じました。花や魚など、一日一本、一匹知っていくことで生活の中に学びがあることを自然と理解していきそうですね。しかも、それが国語の教師ではなく、保健体育の教師というのがまた良いですね。健康には花や食に興味を示す事が大切である事を伝えたかったのでしょうか。

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