小林虎三郎の教育論である「興学私議」の基本をなす考えは、「人主の学」です。いわゆる「リーダーシップ論」です。私も少し前にリーダーシップ論をある書で書いたのですが、同じようなことを言っています。彼は、人のうえに位置するすべての者は、学問や教養(教育)を身につけて、道徳心と技術力を学んでいる者でなければならないという考え方です。私は、リーダーとして次のような資質が必要だと思っています。いくつかあるうちの1、2は次のようなものだと思っています。
その1は、「人格」です。保育という仕事は、教育、医療、看護などと同様、直接人と接する仕事です。その相手に対して、人として接するわけですから、その人となりが伝わることが多くなります。ですから、人格が伝わる仕事といっても過言ではありません。保育者は、保育技術(芸)を学ぶよりも、まず、自らの人格を高める(道)必要があります。その保育者がついていってもよいと思うリーダーは、範を示せる人でなければなりません。ですから、リーダーとは、自ら人格を磨く必要があるのは当然です。
その2は、「広い見識」です。リーダーは、外部に対してものを言ったり、説明をすることが必要になるときがあります。そのときには、社会というものをよく知らなければなりません。保育・教育に携わっていると、とかく世界が狭くなりがちですし、独りよがりが通ってしまうことも多い世界です。ですから、保育・教育内容については、自己評価が必要になってきます。そのためには、客観的に自己を見つめる力、広い見識が必要になってきます。
小林虎三郎が「興学私議」の中で、学問にあっては「道」と「芸」が体と用として不可分一体である、という考えは、その佐久間象山が、黒船が来航した時に、日本が今後採るべき道として、「東洋の道徳」を体として持ち、「西洋の芸(技術)」を用として採り入れるべきとしたことからきています。これは詩の形で書かれています。「東洋道徳西洋芸。匡廓相依り圏模を完くす。大地の周囲一万塁。還た須らく半隅を欠き得べしや無しや。」
小林は、象山の戦略においての考え方を教育にあてはめたのです。
「興学私議」の中では、幼児教育の重要性にも触れています。「然れども猶宜しく挙ぐべき者あり。小学是なり。夫れ長じて学ぶは、小にして之を習うの入り易きに執若ぞや。故に先王殊に小学の教えを重んず。而して近頃外蕃、幼蒙を導くの法を聞くに、又其の詳を極む。今都府に於いては、小学を建つること数所、士大夫の子弟、年78歳に至れば、皆これを此に入れ、教うるに六書の学、四子六経の文を以てし、兼ぬるに外蕃幼蒙を導く所以の者を以てす。」
(しかしながら次のことについてない挙げておなければならないことがあります。それは、「小学」です。年齢が入ってからいろいろと学ぶ場合、小さいうちに之を習っておくと、学問の道に入り易くなります。ですから古代聖王はこの「小学」の教えを重んじたのです。ところで、最近外国に幼児を導く方法を聞いたところ、じつに詳細にわたっていました。今の江戸では、小学校を立てているところは数箇所あり、役人子弟で7,8歳になると、みんなこの小学校に入学させ、六書の学問、四子六経の文章を学びますが、これに加えて外国で行っているような幼児教育を行うと良いのです。)
十分に現代に通じるものがありますね。
月別アーカイブ: 3月 2008
興学私議1
「米百俵」の小林虎三郎が行った教育改革は、その時代背景があり、必ずしも現代にすぐに適応するわけには行きませんが、その考え方には学ぶべきことが多い気がします。彼の歴史観や持論は、彼が30歳のときに書いた論文集「興学私議」で詳しく語られています。この「興学私議」は、師の佐久間象山にあてた興学(学問を興すこと)についての私議(個人的な見解)ですが、これを書いたのは、虎三郎が幽閉中のことです。20代半ば象山塾長だったときに、「横浜開港」の建白書が藩主の怒りに触れたからです。
現代の日本は患っていると言います。「例えば、土地の生産力をあげ、物産を増やし、利益の権利を手に入れ、もって国の必要を足らし、貿易において利益を得るようにするのは「司農」すなわち財務長官の責務である。にもかかわらず、この「司農」たるもの古代聖王の財政の方法や、古今の食料と財貨すなわち経済の変化について、それに西洋の物産の学、および貿易のことについて、まだ学んでいない。それでどのようにして土地生産力を上げることが出来るだろうか。どのようにして物産をふやすことがわかるだろうか。どのように利益の権利を手に入れることが出来るだろうか。どのようにして国の必要を減らすことが出来るだろうか。」(現代語訳 松本健一「国を興すは教育にあり」より)
この他にも様々なところでそのころの日本が患っていることを書いています。そのために「学を興し、材を育し、以て経論の務をなすに及ばず」必要性を説いています。人は生まれながらに教育をうけ、人のための学問や教養を身につけることが大切だと説いている内容は、ドイツを含めたOECDが乳幼児教育の指針として出した基本のひとつに「ひとは、生まれた瞬間から教育される権利がある。」に通じるものがあります。その教育は自分を助け、社会に貢献するための基盤をなすものだということで、教育改革をしていきます。そして、長岡藩の教育改革の目的に、「まちづくりと人づくり」を置くのです。
「何をか教養を広めて以って人材を育すと謂う。それ学の事二。道のみ。芸のみ。道は以って体を明らかにし、芸は以って用を達す。相離るべからざるなり。」教養を広め、人材を育成するとはどういうことか。学問には二つの方向があると言います。それは「道」と「芸」だと言います。「道」とは、人の生きるべき体を明らかにし、学ぶ主体がまず自らを知り、その道に向かって自ら作り上げることだと言います。
私は、保育と言う仕事は、「道」だと思っています。よく、「保育学」という学問として学びますが、私は、まず、人としての生き方を問い直す仕事のような気がしています。そして、それは、自ら主体として捉え、心得ていかなければならないもののような気がします。そこで、私は、「保育学」という学問ではなく、「保育道」という「保育の道を究める」という言葉のほうが適している気がします。もうひとつの「芸」は用を達す、つまり実際に事を処理する術をいいます。これは、具体的な子ども理解であり、具体的な援助の方法の事を指します。そして、この二つは離れてはならないものなのですが、どうも最近は、「芸」のほうばかりに目が行きがちですし、「芸」の研修が多い気がします。
小林は、「人は何のために生まれてきたのかをよく考えよ」というのが口癖だったそうです。人としての意味を考えること、生きるという本質が改革の根底であるとするならば、人の本質を考える事、生き方を問い直す事によって、改革はおのずと実現するというのが小林の考えだったのです。
河井と小林と吉田
「米百俵」の小林虎三郎といえば、同時代のライバルであった河井継之助を思い出します。河井継之助については、何度かブログで書きましたが、司馬遼太郎の「峠」の主人公です。山本有三は、郷里の偉人として、ある人から河井継之助の執筆を勧められましたが、戦争に踏み切った継之助よりも、戦争に反対し食えないから学校を建てたという虎三郎に関心を示して、戯曲「米百俵」を書いたのです。
「峠」の小説の中では、河井継之助と小林虎三郎はライバルであり、政治的に意見が合わず、仇敵のように対立していたと描かれていますが、実際はそれぞれの立場上の問題なようです。越後長岡藩という小さな藩に生まれた継之介は、武力強化をすることによって、藩を強くし日本の中に中立国を作ろうとします。これに対して小林虎三郎は、精神の教育や学制の改革などに基本を置く考え方で、これができて公正な政治と経済が可能であるという根本的な考え方をしています。しかし、ともに、薩長軍が長岡に迫って来た時、戦争をしたくないという思いは一緒でした。長岡藩を武装中立のもと官軍・同盟軍双方に働きかけ、緊張緩和・戦争回避に尽力するというのが河井の狙いでした。小林虎三郎も絶対非戦論者ではなく、薩長軍が「天朝」の旗印の下に統一国家をつくろうとし、一時の屈辱を我慢してでも戦争はしてはならないが、もし戦争となった場合は、藩主のため、お国のために必死に戦わなければならないと考えていました。
この司馬遼太郎の「峠」の中に、小林の性格を表したエピソードが書かれており、印象に残っています。それは、小林虎三郎の家が火事になって、小林虎三郎は体一つで焼け出されてしまったときのことです。
困窮していた小林虎三郎に、普段は意見対立していた河井継之助が火事見舞いとして、要用な生活用品を小林虎三郎の仮住いのところに持っていってあげます。すると、小林はかねて仇敵視していた河井の好意に感激して、面会したその場に涕泣しますが、河井は感傷的なことが大嫌いですので無愛想な態度をとります。これに対して、小林はやがて居住まいを正し、返礼をします。
「貴殿の好意に対し、残念ながら何もお返しできない。私としては貴殿の施策の誤りをこの場で指摘し、今回のお礼としたい」と申し述べて、延々と河井のやり方を批判するのです。「峠」の中では、その内容を「激しさ、痛烈さは、気の弱い者なら卒倒するほどであったろう。これがお礼なのである」と書かれているほどのものだったようです。このお礼に対して、河井もさすがに感情が昂ぶり、帰り道で「小林は偉い、偉い」と呟いていたといいます。
この小林は、23歳の時に藩命で江戸に遊学をし、当時兵学や砲学、洋学で有名な佐久間象山の門下に入ります。そして、長州藩士の吉田寅次郎(吉田松陰)と「象門の二虎」と称せられます。また、象山に「義卿(松陰)の胆略、炳文(虎三郎)の学識、皆稀世の才なり。但事を天下に為す者は、吉田子なるべく、我子を依託して教育せしむべき者は、独り小林子なるのみ。」(天下、国の政治を行う者は、吉田であるが、わが子を託して教育してもらう者は小林だけである)と言わせるほど、虎三郎は教育者でした。なお象山は、幕末の動乱期に際し、回天の仕事をするのは吉田松陰で、百年先を見通した仕事をするのは小林虎三郎、としています。
教育は、百年先を見通した仕事です。
真実一路
「ビルマの竪琴」同様、長文読解の問題から帰りに急いで買って読んだ本が他にもあります。その中で印象に残っているのが山本有三による小説「真実一路」です。これは、もともと「主婦之友」誌上に連載されたものですが、それを原作として映画・ドラマ化されています。この小説は小学生にしては少し長く、1日では読みきれませんでしたが、それでも夢中になって読んだ覚えがあります。
真実一路に生きていくことの真の意味は、当時は当然判らなかったと思います。しかし、これから先の人生とは?自分らしく生きていこうとすることは?それは、周囲の人にどんな影響を与えるのか?なんとなく、行き方を考えるきっかけになりました。山本有三は、私の高校の先輩でもあるので、その後もいくつかの作品を読みましたが、どれも「人生」について、考えるものが多いような気がします。その代表作品に「路傍の石」があります。この作品は、「朝日新聞」に連載されたもので、戦前、戦後を含め4回に渡り映画化されるほど人気のある小説です。
主人公の愛川吾一は勉強がよくでき、級長を務めるほどの優等生で、中学への進学を熱烈に希望していましたが、父がならず者で貧しかったために呉服商に奉公に出されてしまいます。勉強をしたい一心で奉公先から逃亡し身寄りのないまま上京、様々な紆余曲折を経ながら人間として成長していく姿が描かれています。しかし、読んでいて、終わりがなんだか中途半端な気がしました。後になって、それは、当時の時代背景の影響(検閲など)もあり、山本は断筆を決意し、最終的にはこの小説は、未完に終わったのです。しかし、近年では、いわゆる機能不全家族(アダルトチルドレン)との関連で、一部で再び評価されつつあるそうです。
最近、また話題になったものがあります。それは、小泉純一郎元首相の所信表明演説で有名になった、「米百俵」という言葉です。この言葉は、もともとは、戊辰戦争(1868年)で焦土と化した長岡藩に、支藩の三根山藩から見舞いとして百俵の米が送られてきたときの故事から来ています。そのときに、窮乏を極めていた藩士は既得権として米が分配されると思っていましたが、藩の大参事・小林虎三郎は、この米百俵は文武両道に必要な書籍、器具の購入にあてるとして、米を売却した代金を国漢学校建設の資金に注ぎ込んだのです。そして、この国漢学校には洋学局、医学局も設置され、藩士の子弟だけでなく町民や農民の子どもの入学も許されました。ここに長岡の近代教育の土台が築かれ、後年、ここから新生日本を背負う多くの人物が輩出されたのです。
この「米百俵」の故事は、小泉さんの前に、山本有三の同名の戯曲によって広く知られるようになったのです。この「国が興るのもまちが栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ学校を建て、人物を養成するのだ」という小林虎三郎の思想は、ひとつは将来に備えた教育の重要性です。そしてもうひとつは、既得権保持者こそ潔く既得権を放棄して今の苦しみや痛みに耐えなければならないということです。先の小泉首相の演説以来、構造改革には「痛みを伴う」とされ、米百俵の故事が引合いに出されますが、全く勘違いしていますね。もう一度、その故事を勉強して欲しいと思います。
長文読解
先日、戦後の日本映画界をリードしてきた映画監督の市川崑さんが亡くなられました。これを悼んで、テレビで代表作の名作「ビルマの竪琴」が放送されていました。この映画は、水島上等兵の生き方が人々の共感を呼び、60年に再映画化されました。その作品でベネチア国際映画祭サン・ジョルジュ賞受賞し、米アカデミー賞外国語映画賞候補にもなりました。
「ビルマの竪琴」は、竹山道雄が執筆した児童読み物ですが、私はこの読み物についてある思い出があります。小学校5年生のとき、日曜日の模擬試験を受けに行きました。そのときの国語の問題の中の長文読解は、「ビルマの竪琴」の一部分でした。たぶん、もっとも劇的なシーンだったと思います。水島上等兵だと思って、みんなが必死に一緒に日本に帰ろうと呼びかけるところだでしょう。その部分を読んでいたら、それが問題だということも忘れて、その話しに感動してしまいました。すると、その後の結末が知りたくなって仕方ありません。その後のほかの教科の問題には身が入らず、ずっと、その物語を考えていました。そして、試験が終わると急いで教室を飛び出して、御茶ノ水の本屋街に行き、その本を探して買って帰りました。そして、その日のうちに全文を読み終えて、やっと心が落ち着きました。
小説「ビルマの竪琴」の主人公、水島上等兵は、英軍の捕虜収容所に送られた所属部隊と合流すべくムドンを目指しますが、途中で目にしたおびただしい数の遺体に触れ、供養を決意して僧侶となって現地に残ろうとします。3日後に日本へ帰国することが決まった隊員達は、水島も引き連れて帰ろうと毎日合唱します。隊長は、日本語を覚えこませたオウムを水島に渡してくれるように、物売りに頼みます。出発前日、皆の前に姿を現した水島に、収容所の柵ごしに隊員達は「埴生の宿」を合唱し、一緒に日本へ帰ろうと必死に呼びかけます。しかし、彼は黙ってうなだれ、「仰げば尊し」を弾きます。祖国のメロディーに心打たれる隊員達を後に、水島は森の中へ去って行きます。
小説の最後は、水島上等兵が隊長と戦友にあてた手紙で終わります。手紙には、日本に思いを馳せる時に触れたくだりがあります。「私はこの好きなビルマの国にいて、雪のつむ高山から南十字星のかがやく磯のほとりまで、いたるところをさすらって歩きます。これは思うに心たのしいことでもあります。そうして、皆様をなつかしむ心にたえないときは、竪琴をひきます。」
日英の兵隊が同時に「はにゅうの宿」を歌う場面がありますが、原作者の竹山さんは、最初は場所を中国にする予定だったそうですが、中国と日本に共通の歌がないことから、イギリス軍をえらばざるを得なかったと言います。したがって場所はビルマになったのです。
もうすぐ卒園式や卒業式がありますが、そこで色々な歌が歌われます。そのときに先生と生徒、児童は敵味方という関係ではありませんが、最近、どうも世代を超えて共通の歌がなくなってきている気がします。また、同世代でも、世代共通の歌もない気がします。何十年か経って、みんなで歌おうとするとき、どんな歌が歌われるのでしょうか。
バッテリー
最近、パソコンのバッテリーパックの交換の案内が来ました。それは、バッテリーパックで発火、焼損にいたる事例が発生しているからのようです。私は、以前、そのような通知をもらい、交換をしたことがあるので、すでにしたと思っていてそのままにしていたら、何度も通知が来ます。調べてみると、もうひとつのほうのパソコンでした。随分と、そんな事例があるのですね。
そんな問題のあるバッテリーですが、とても便利なものですね。このバッテリーによって、コンセントのない車内や機内や屋外でもパソコンが出来るようになりました。バッテリーや蓄電池は、二次電池といい、充電を行うことにより電気を蓄えて電池として使用できる様になり、繰り返し使用することが出来る化学電池のことです。一般的に二次電池は、その電気を使用しなくても、時間と共に蓄えた電気が徐々に失われる自然放電が大きいため、長期保存後に使用するには、失われた容量を回復させる為の充電(補充電)を行わなければなりません。その充電は、当然普通の場合は、コンセントからするので、どうしても定期的に、コンセントのある場所にいかなければなりません。ですから、どのくらいバッテリーが持つかが問題になります。最近は、その持つ時間は随分と長くなりました。少し前までは、パソコンに限らず、デジタルカメラや携帯電話などすぐにバッテリーが切れてしまい、いくつもバッテリーを持ち歩いたものです。今でも、パソコンを買うときに、バッテリー動作時間が重要な観点になっています。
それが、昨年暮れ、バッテリー駆動時間を10倍にする技術が米大学で開発されたということが発表されました。それは、シリコンナノワイヤを使ってリチウムイオンバッテリーの電気の蓄積量を増やす技術をスタンフォード大学の研究者が発見したからです。それによって、リチウムイオンバッテリーの駆動時間を10倍にすることが出来るのです。例えば、今のバッテリーで2時間動くノートPCは、この技術を使ったバッテリーでは20時間動くといいます。
このニュースはとてもうれしいのですが、いつも思っていたのが、「バッテリー○○時間連続使用OK」と書かれていても、実際にはその時間よりもかなり短くしか持たないことが多いのです。そんな疑問を誰でも持つようで、地下鉄駅構内で配られているR25で、そんな特集が組まれています。
その記事の中で、充電器に詳しいITライターの中村浩之さんがこんなことを言っています。「そもそも携帯電話やノートPCなどの多機能な製品は、バッテリーの使用時間を測定しづらいんです。日本では、ノートPCに関して“JEITA(ジェイタ)”という測定方法が2001年に定められました。『電源を入れただけの状態と、作業をしている状態のバッテリーの減り時間の平均値』の表示が義務づけられています。とはいえ、あくまでも平均値なので、実際に使える時間とはズレが生じてしまうんですね。ちなみに、携帯電話に関してはそういった測定基準が定められておらず、各社によって測定方法はまちまちです」
しかし、「社団法人 電子情報技術産業協会」で、ノート型パソコンにおける「JEITAバッテリー動作時間測定法」について定められており、多くのメーカーがこれを採用しています。各メーカーともこの測定法によるバッテリ動作時間をカタログ等に記載することによって、私たちがノート型パソコンを購入する際、異なるメーカー間のバッテリー動作時間を簡単に比較できるようになっているのです。
クレド3
J&Jの「我が信条」には、4つの利害関係者「顧客、社員、地域社会、株主」に対する責任が書かれています。その中の「顧客」を「我々の製品およびサービスを使用してくれる医師、看護師、患者、そして母親、父親をはじめとする、すべての顧客」とし、その顧客に対しての責任が書かれています。私たちの園にとっての顧客とは誰でしょうか。園が開園するときの職員紹介の下に「私たちは、世界の子どもの担任です。」というメッセージを入れました。J&Jが危機のときに立ち返った企業理念である「我が信条」の第一の責任は、この顧客に対しての責任の意思決定でした。それは、「質的に高い水準」「製品原価を引き下げる努力」「注文に、迅速、かつ正確に応える」「取引先への適正な利益をあげる機会の提供」です。
次に「社員」に向けての責任です。これは、なにもJ&Jの社員だけではなく、世界中で共に働く男性と女性に対してのものでもあります。それは、「個人として尊重され、その尊厳と価値を認める」「安心して仕事に従事する」「待遇は公正かつ適切」「働く環境は清潔で、整理整頓され、かつ安全」「社員が家族に対する責任を十分果たすことができるような配慮」「社員の提案、苦情が自由にできる環境」「能力ある人々への平等な雇用、能力開発および昇進の機会」「有能な管理者を任命」「公正、かつ道義にかなった行動」があげられています。
第三の責任は、我々が生活し、働いている地域社会にたいしてです。しかも、全世界の共同社会に対するものまで視野に入れています。それは、良き市民として、「有益な社会事業および福祉に貢献」「適切な租税の負担」です。また、「社会の発展」「健康の増進」「教育の改善に寄与する活動への参画」また、「使用する施設を常に良好な状態に保ち、環境と資源の保護に努めなければならない。」ということが定められています。
第四の責任は、会社の株主に対するものですが、株式公開企業になるのだから、株主を最後にするのはおかしいという意見がありました。それに対しては、「顧客第一で考え行動し、残りの責任をこの順序通り果たしてゆけば、株主への責任は自ずと果たせるというのが、正しいビジネス論理なのだ。」と返答しています。
これらの信条の柔軟性は、この言葉に表れています。「この文書の文言は時代の流れや会社発展にあわせて修正してよい。新しい経営概念を導入してもよい。」また、不変性の点では、「しかし、基本哲学・思想は不変のはずだ。」とこの信条への確信を述べています。
ザ・リッツ・カールトンの場合は「ゴールドスタンダード」と題するクレドを経営の中核に据えています。ここで定めているのは6項目の指針です。「使命」として「心のこもったおもてなし」、「モットー」では、「紳士淑女をおもてなしする私たちもまた紳士淑女です」そして残り4項目で「サービスの3ステップ」「従業員への約束」などの具体的行動指針を記しています。
よく園の保育方針に「感動する心」とか「みんなと仲よくあそぶいきいき遊べる子ども」というような言葉が並びます。そのときに、例えば、保育者が、子どもの服を着せてあげているときにどのように着せてあげれば、感動する心を持つのか、みんなと仲良く遊べる子になるのか、行動の方法が見えにくいですね。それが、「自立していく子ども」としたら、どう援助すれば自立につながるかを考えることで、援助の仕方がわかりやすくなります。
もう一度、園で、保育者がいつも持ち歩いてそこに帰るようなクレドが必要かもしれません。
クレド2
経営理念やマニュアルの類とクレドとの違いを、新語・流行語を専門とした執筆活動を展開中のもり・ひろし氏は、こう言っています
まず、クレドは、守るべき指針を「簡潔かつ具体的に」記していて、抽象的になりがちな経営理念とは異なっている点です。第2に、クレドは「指針」にすぎず、従業員は指針に基づき具体的行動を考えなければならないのです。この点が、行動そのものを規定するマニュアルと異なり、具体的行動を考えることが、従業員の自主性やモチベーションを引き出し、ひいては従業員としての誇りを形作ることになるのです。第3に「普遍性と柔軟性」を併せ持っています。クレドの基本的指針は不変ですが、具体的指針は時代によって変化するからです。
これは、保育園、幼稚園などに置き換えて考えてみるとよくわかります。第1の「簡潔かつ具体的に」というところですが、園にはよく理念が掲げられています、非常に抽象的というか、情緒的なものが多く、そのためにどう動くかが見えにくいことがあります。特に利益を追求しない組織ではより行動目標が見えにくくなります。たとえば、ドラッカーが「非営利組織の経営」という書物の中で書いているのですが、病院に掲げられている「健康を守ることが使命である」というのは間違っていると言います。というのは、病院は健康を扱うところではなく、病気を扱う所だからです。しかも、この使命では、病院が何をすべきなのか、どのような行為をすればいいのか、わかりにくいからです。その表現は、それに基づいて現実に動けるものでなければならず、そうでなければ、単なる意図の表明に終わってしまうというのです。その組織にかかわる一人ひとりが、目標を達成するために自分が貢献すべきことはこれだ、といえるようなものでなければならないのです。
第3の「普遍性と柔軟性」というのも大切です。私は、よく「不易と流行」をよく見極める目を持つべきだと主張しています。私の園で、先日職員のアンケートで、「園の理念に向かっていくための職員の資質として必要な力は何と思うか、三つあげなさい。」という問いに対して、「柔軟性」と答えた職員が一番多かったことになんだか納得しました。というのも、私もひとつに柔軟性を選んだからです。その柔軟性というのは、何に対してと職員は思っているのか聞いてみないとわかりませんが、私は、大きくいえば「時代の変化に対して」と、「子どもからの働きかけに対して」があると思います。しかし、そのためには、普遍的な基本的理念を持っていないといけないのです。
このクレドが最近また注目を浴びているのは、世界の賓客を魅了し続ける5ツ星ホテル「ザ・リッツカールトン」が東京に初進出したときに、従業員が携行するクレドの存在があったからです。「ザ・リッツカールトン 東京」は、昨年3 月 30 日に六本木の防衛庁跡地の再開発計画によって建築された東京でいちばん高いビル、複合施設ミッドタウン・タワーの上層階にオープンしました。この紹介にも、「リッツ・カールトンの哲学を極めた、きめ細かなおもてなし。」と書かれてあります。
「タイレノール」事件を乗り越えた「J&J」のクレドや、従業員が常時携帯している「リッツ・カールトン」のクレドとは、どんなものなのでしょうか。
クレド1
最近の中国の餃子問題で思い出すことがあります。それは、1982年9月に、全米を震撼させた「タイレノール」事件です。これは、J&J(ジョンソン・エンド・ジョンソン)の医薬品部門で全米の主力商品だった家庭用鎮痛剤「タイレノール」にシアン化合物が混入され、シカゴを中心に7名が死亡するというものでした。そのときに、J&Jと「タイレノール」を扱うグループカンパニーのマクニール社は重大な危機に直面しました。
しかし、このときにあたって、J&Jは全「タイレノール」商品の回収、マスコミを通じた積極的な情報公開、新聞への警告広告の掲載、対策チームの設置など素早い対応を行いました。陣頭指揮をとった当時のJ&Jバーク会長は、単なる危機管理として対応することに終わらず、「消費者への責任」を第一に考えた体制をとりました。これは、J&Jの企業理念である「我が信条」の第一の責任に立ち返った意思決定でした。事件終結後、J&Jのこの事件における対応は、一般消費者をはじめ政府・産業界からも、これまで以上に高く評価されました。そして、全社員が一丸となった再場市努力の結果、予想をはるかに越える速さで市場を回復していきました。
最近、企業理念や社是などに代えて、クレド(credo)を導入する企業が現れているそうです。クレドとは「信条」を意味するラテン語で、「企業の信条や行動指針を簡潔に記したもの」を指します。このクレドを導入している企業はこの仕組みを、従業員の自主的な行動を促すためのツールとして利用しているといいます。それは、具体的にはどのようなものなのでしょうか。
危機を脱出したJ&Jのクレドはどういうものなのでしょうか。この会社は「我が信条」と題するクレドを、企業運営の中核に据えています。会社案内には、こう書かれています。「社是、経営理念、ビジョン、ミッションなど、その会社を表す文書は何種類もありますが、ジョンソン・エンド・ジョンソンについて言えば、「我が信条」という、A4用紙一枚の文書があるのみです。この文書は顧客、社員、地域社会、そして、株主という四つのステークホルダー(利害関係者)に対する責任を具体的に明示したものです。起草以来60年以上に亘り、ジョンソン・エンド・ジョンソンの行動指南役として機能し続け、今後もその役割を果たし続けることでしょう。」
この文書は1943年に起草されていますが、そのときに、「この文書はジョンソン・エンド・ジョンソンという会社の社会的責任(Company Social Responsibility)を記したものである。」として導入されました。今でこそ企業経営においてCSR(企業の社会的責任)という概念が最近定着しつつありますが、当時から、この考え方が記され、以来、一貫して、この「我が信条」を行動の拠り所としていますし、ここに込められた哲学に従って、数え切れないほどの意思決定を行なってきました。その思い入れは強く、起草したロバート・ウッド・ジョンソンJrは、取締役会で発表したときに、「この文章の中に書かれている考え方が会社の経営理念である。」と説明したのに続けて、「これに賛同できない人は他社で働いてくれて構わない。」と断言しています。
J&Jに限らず、クレドは、どんなものか、今、もう一度見直す必要があるかもしれません。
企業の求める力2
日本経団連が11月に行った新卒採用に関する企業アンケートでも、選考で重視する点(複数回答)は「コミュニケーション能力」が75・1%と最多でした。この能力は、OECDが行うPISAの学力調査でも重要な力とされています。それは当然なことで、例えば語学が堪能になっても、人と会話をすることがうまくいかなければ、話すことは出来ませんし、さまざまな問題も答えが出ても、それを人に伝えなければ回答したことにはならないからです。
それを、経団連は「対話は仕事を行う上でもっとも基本的な能力。企業はより基礎的な力を新入社員に求めている」と分析しています。しかし、それに反して、最近の若者は、コミュニケーション能力が低下してきていると言われています。その理由は様々あるでしょうが、インターネットや電子メールの普及などで、若者世代の対話能力が低下しているとの懸念も背景にあるとみられているようです。私は、この能力が低下している背景に「少子化」があるような気がします。子どもが多かったころは、自分を主張しないと認めてもらえないし、やってもらえないし、物も貰えないことが多かったでしょう。しかし、子どもが少ないと、親は子どもが欲しがっている様子を、自分から言わなくても気がついてしまうでしょうし、それ以上に、欲しがる前に欲しがるであろうと思って与えてしまうことが多いような気がします。それが、子どもを愛し、子どものために自分はしてあげていると思ってしまうようです。
そのほかの望む力として、企業不祥事の続発を受け、「倫理観」の大切さを説く経営者も多かったようです。カネボウ化粧品の高山外志夫会長は「法律や規則と言った社会の決まりを守るのは当然だが、礼儀も含む『人の道』という言葉で表現される事柄にも、強い意識を持って欲しい」と言っていますし、新日本石油・西尾進路社長は、「自らの権利ばかり主張して、責任を放棄するような人間は社会人としての資格はない」と苦言を呈しています。それぞれの仕事には、かつての「武士道」のように、それぞれの「道」があり、その前提として「人としての道」も歩んで欲しいと思います。
また、少子化の影響は違うところにも出ています。厚生労働省によると、大学を卒業して就職し、3年以内に職を離れる比率は02年卒で34・7%だそうです。随分、多くの若者が入社してすぐに働く意欲を失ってしまうようです。今の若者に継続して働いてもらい、きちんとした社会人として育てるためには、兄弟が少なく、大事に育てられたため、「上司の温かいまなざしと共感が育成のカギ」社会経済生産性本部の「職業のあり方研究会」では分析しています。
成績、学歴、資格、語学力は後になっても身につけることが出来ます。この結果を見た社会人の息子は、「この上位に上げられている力は、生まれつきのものだったり、親の育児の姿勢によって左右されてしまうので、それが必要だと言ってもかわいそうだよ。だから、後で身に付くものを求めるしかないんじゃないの?」と言っていましたが、私は、そうではなくて、上位に上げられているものは、乳幼児期での過ごし方が重要なものだと思います。
ですから、国は、本当にPISAの学力をあげたいのであれば、また、将来企業で活躍する人材を作りたいのであれば、もっと、少子時代における乳幼児教育を見直し、国の責任として乳幼児教育を充実していったほうがいいと思うのですが。