興学私議1

 「米百俵」の小林虎三郎が行った教育改革は、その時代背景があり、必ずしも現代にすぐに適応するわけには行きませんが、その考え方には学ぶべきことが多い気がします。彼の歴史観や持論は、彼が30歳のときに書いた論文集「興学私議」で詳しく語られています。この「興学私議」は、師の佐久間象山にあてた興学(学問を興すこと)についての私議(個人的な見解)ですが、これを書いたのは、虎三郎が幽閉中のことです。20代半ば象山塾長だったときに、「横浜開港」の建白書が藩主の怒りに触れたからです。
現代の日本は患っていると言います。「例えば、土地の生産力をあげ、物産を増やし、利益の権利を手に入れ、もって国の必要を足らし、貿易において利益を得るようにするのは「司農」すなわち財務長官の責務である。にもかかわらず、この「司農」たるもの古代聖王の財政の方法や、古今の食料と財貨すなわち経済の変化について、それに西洋の物産の学、および貿易のことについて、まだ学んでいない。それでどのようにして土地生産力を上げることが出来るだろうか。どのようにして物産をふやすことがわかるだろうか。どのように利益の権利を手に入れることが出来るだろうか。どのようにして国の必要を減らすことが出来るだろうか。」(現代語訳 松本健一「国を興すは教育にあり」より)
この他にも様々なところでそのころの日本が患っていることを書いています。そのために「学を興し、材を育し、以て経論の務をなすに及ばず」必要性を説いています。人は生まれながらに教育をうけ、人のための学問や教養を身につけることが大切だと説いている内容は、ドイツを含めたOECDが乳幼児教育の指針として出した基本のひとつに「ひとは、生まれた瞬間から教育される権利がある。」に通じるものがあります。その教育は自分を助け、社会に貢献するための基盤をなすものだということで、教育改革をしていきます。そして、長岡藩の教育改革の目的に、「まちづくりと人づくり」を置くのです。
 「何をか教養を広めて以って人材を育すと謂う。それ学の事二。道のみ。芸のみ。道は以って体を明らかにし、芸は以って用を達す。相離るべからざるなり。」教養を広め、人材を育成するとはどういうことか。学問には二つの方向があると言います。それは「道」と「芸」だと言います。「道」とは、人の生きるべき体を明らかにし、学ぶ主体がまず自らを知り、その道に向かって自ら作り上げることだと言います。
私は、保育と言う仕事は、「道」だと思っています。よく、「保育学」という学問として学びますが、私は、まず、人としての生き方を問い直す仕事のような気がしています。そして、それは、自ら主体として捉え、心得ていかなければならないもののような気がします。そこで、私は、「保育学」という学問ではなく、「保育道」という「保育の道を究める」という言葉のほうが適している気がします。もうひとつの「芸」は用を達す、つまり実際に事を処理する術をいいます。これは、具体的な子ども理解であり、具体的な援助の方法の事を指します。そして、この二つは離れてはならないものなのですが、どうも最近は、「芸」のほうばかりに目が行きがちですし、「芸」の研修が多い気がします。
小林は、「人は何のために生まれてきたのかをよく考えよ」というのが口癖だったそうです。人としての意味を考えること、生きるという本質が改革の根底であるとするならば、人の本質を考える事、生き方を問い直す事によって、改革はおのずと実現するというのが小林の考えだったのです。