真実一路

 「ビルマの竪琴」同様、長文読解の問題から帰りに急いで買って読んだ本が他にもあります。その中で印象に残っているのが山本有三による小説「真実一路」です。これは、もともと「主婦之友」誌上に連載されたものですが、それを原作として映画・ドラマ化されています。この小説は小学生にしては少し長く、1日では読みきれませんでしたが、それでも夢中になって読んだ覚えがあります。
真実一路に生きていくことの真の意味は、当時は当然判らなかったと思います。しかし、これから先の人生とは?自分らしく生きていこうとすることは?それは、周囲の人にどんな影響を与えるのか?なんとなく、行き方を考えるきっかけになりました。山本有三は、私の高校の先輩でもあるので、その後もいくつかの作品を読みましたが、どれも「人生」について、考えるものが多いような気がします。その代表作品に「路傍の石」があります。この作品は、「朝日新聞」に連載されたもので、戦前、戦後を含め4回に渡り映画化されるほど人気のある小説です。
主人公の愛川吾一は勉強がよくでき、級長を務めるほどの優等生で、中学への進学を熱烈に希望していましたが、父がならず者で貧しかったために呉服商に奉公に出されてしまいます。勉強をしたい一心で奉公先から逃亡し身寄りのないまま上京、様々な紆余曲折を経ながら人間として成長していく姿が描かれています。しかし、読んでいて、終わりがなんだか中途半端な気がしました。後になって、それは、当時の時代背景の影響(検閲など)もあり、山本は断筆を決意し、最終的にはこの小説は、未完に終わったのです。しかし、近年では、いわゆる機能不全家族(アダルトチルドレン)との関連で、一部で再び評価されつつあるそうです。
 最近、また話題になったものがあります。それは、小泉純一郎元首相の所信表明演説で有名になった、「米百俵」という言葉です。この言葉は、もともとは、戊辰戦争(1868年)で焦土と化した長岡藩に、支藩の三根山藩から見舞いとして百俵の米が送られてきたときの故事から来ています。そのときに、窮乏を極めていた藩士は既得権として米が分配されると思っていましたが、藩の大参事・小林虎三郎は、この米百俵は文武両道に必要な書籍、器具の購入にあてるとして、米を売却した代金を国漢学校建設の資金に注ぎ込んだのです。そして、この国漢学校には洋学局、医学局も設置され、藩士の子弟だけでなく町民や農民の子どもの入学も許されました。ここに長岡の近代教育の土台が築かれ、後年、ここから新生日本を背負う多くの人物が輩出されたのです。
この「米百俵」の故事は、小泉さんの前に、山本有三の同名の戯曲によって広く知られるようになったのです。この「国が興るのもまちが栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ学校を建て、人物を養成するのだ」という小林虎三郎の思想は、ひとつは将来に備えた教育の重要性です。そしてもうひとつは、既得権保持者こそ潔く既得権を放棄して今の苦しみや痛みに耐えなければならないということです。先の小泉首相の演説以来、構造改革には「痛みを伴う」とされ、米百俵の故事が引合いに出されますが、全く勘違いしていますね。もう一度、その故事を勉強して欲しいと思います。