マガジン

 週刊少年サンデーで夢中になった漫画に、忍者ものがありました。作者は三国志などで有名な横山光輝氏で、「伊賀の影丸」「仮面の忍者赤影(飛騨の赤影)」白土三平氏の「カムイ外伝」「サスケ」などです。
野球物では、古いところでは、寺田ヒロオ氏の「スポーツマン金太郎」は創刊号から連載されました。オトギ村の金太郎少年と桃太郎少年がプロ野球に入団して活躍する物語で、金太郎はジャイアンツで桃太郎はライオンズに入団します。同じ寺田さんの作品に「背番号0」がありますが、これは、野球が好きで心優しい少年、ゼロくんと妹のキミ子ちゃん、それにゼロくんの友達の活躍を描いた作品です。これら寺田さんの作品は、基本的にはほのぼのしたストーリーで、スポーツ少年達の生活や友情を一貫して描いています。他に水島新司氏の「一球さん」「男どアホウ甲子園」、あの「巨人の星」を描いた川崎のぼる氏がレスリングの世界を描いた「アニマル1(ワン)」がありました。
 当時、どの子どもたちもあこがれ、夢中になったヒーローがいました。「少年ケニア」、「スーパージェッター」「ローンレンジャー」「赤胴鈴之助」などです。そのほか、ナンセンス物として、「おらぁグズラだど」「がんばれ!ロボコン」などは懐かしいですね。「今は大御所となった漫画家の初期の作品が掲載されています。「冒険ガボテン島」は、テレビ放送もされましたが、無人島に漂着した少年少女たちが、その島を「ガボテン島」と名づけ、厳しい環境の中で懸命に生きる姿を描いていました。
 一方、週刊少年マガジンは、やはり1959年、講談社から発行されました。この創刊号の表紙を飾ったのは大相撲の横綱朝潮です。創刊当時の定価は、40円で、途中で30円に値下げされました。初期のころのキャッチコピーは「ゆめと希望の少年マガジン」のように、少年のものでした。そのなかで、「エイトマン」「ちかいの魔球」「紫電改のタカ」「サイボーグ009」がありました。そして、1965年の「ハリスの旋風」を皮切りに2大スポコン「巨人の星」と「あしたのジョー」がはじまりました。またマガジンは、ちょうど私の年齢が上がってきて、ほのぼの系よりも、ちょっときつめのほうが面白くなってきたころ「キッカイくん」「アシュラ」「ワル」などの問題作が連載されはじめました。また、スポコンに代わって、「空手バカ一代」「おれは鉄兵」「釣りキチ三平」などがスタートしました。
 この中で、「紫電改のタカ」は、ちばてつや氏の作品です。珍しく戦場漫画でしたが、当時の多くの子ども心をつかんで、人気作品となりました。主人公は日本帝国海軍の青年パイロットです。彼は、新戦法をあみだし、撃墜王となっていきますが、終戦を目前にして特攻隊員として出撃してゆく姿を描いています。当時は夢中になりましたが、1963年から1年半の連載で、戦後20年余りもたった時代としては、今考えると、随分と古臭いテーマでしたが、戦争の中で生きる若者たちの苦痛や苦悩を描き出されていて、戦争を考えるきっかけにもなりました。
 サンデーにしても、マガジンにしても、「当時の子どもに夢と希望と、豊かな心を育てた」などというとなんだか“くさい”ようですが、本当にそういう感じでした。今は、そのような言葉は“死語”になってしまったのでしょうか。