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2008年03月31日 近頃思うこと

リサイクル業者

江戸時代のリサイクルは、ボランティアで行うほど意識は高くはなかったようです。しかし、それが遅れているかと言うと、逆に進んでいたのではないかと思うほど立派な産業として成り立っていたようです。リサイクル業で成り立つ様々な職業が存在していたのです。
今の使い捨ての時代になる前は、多くの修理屋さんが存在していました。今でも靴の修理や服の直しなどはありますが、江戸時代ではもっと多くありました。例えば「ちょうちん」は、生活必需品ですが、内側にすすがつくと暗くなってしまうし、やぶけたら風が入って消えてしまうので、修理やさんは大流行でした。また、動きの悪くなった「そろばん」を直す職人もいました。そろばんは、商売人にとって、とても大切な道具ですから、その玉の動きはとても重要でした。「鋳(い)かけ」は、なべやかまの修理をするために、その修理道具を持ち歩いており、その場で修理してくれました。これは、私の子どものころにも来ていました。
「桶直(おけなお)し」は、古くなった桶やたるを直します。「錠前直し」は、鍵を直します。今は、スペアキーを作ることが多いですね。「印肉」をつめかえてくれる人もいました。「眼鏡屋」は、江戸時代からこわれた眼鏡を直したり、合わなくなったレンズを買い取って、他の人に売ったりしていました。「こたつのやぐら直し」は、こたつの骨組みを修理します。「瀬戸物の焼きつぎ」は、欠けた茶わんや土びんを元のように直します。古くは、陶磁器類の接着に漆を使っていましたが、寛政年間頃に、白玉粉で接着してから加熱する焼き接ぎ方を発明した人がいて、普通の安い茶碗などこの方法で修理するようになりました。「下駄の歯入れ」は、下駄の歯はすぐにすりへるので下駄の歯をその場で交かんしてくれます。「鏡研ぎ」は、くもった鏡をきれいにしてくれます。昔の鏡は、青銅の表面に水銀メッキをして反射面を作っていたので、使っているうちに曇って見にくくなったのを、表面を細かい砥石で研ぎ、朴炭で磨き上げてから、水銀とすずの合金に砥の粉、焼きみょうばん、梅酢などの有機酸をまぜたものを塗って蒿でこすりつければメッキができ、新品同様になります。「研ぎ屋」は、包丁などの刃物を研いでくれます。
リサイクル業の主流になる回収専門の業者もいました。これには、「木拾い」という、湯屋で働いている人が、燃料にする木を拾って歩きます。「糞尿」を集めたり、「ごみ取り」といって生ごみを集めて、農村に持って行って売る人もいました。もちろん、「紙くず買い」や「紙くず拾い」は、廃品回収業者ですね。「古かさ買い」や、「古樽買い」という中身を使い終わった所有者のはっきりしない樽を専門に買い集める行商人もいました。「行灯の仕替え」は、古くなったりこわれたりした行灯を下取りして、新品を売ります。「箒売り」は、箒の古いしゅろ箒の下取りをし、まとめて植木用の縄やたわし用に売りました。面白いものに、「取っけえべえ」という、子ども相手に古釘などの金属製品を、簡単なおもちゃや飴などと交換していた行商もいました。「ろうそくの流れ買い」といって、燃えた後に残る人もいましたし、「灰買い」という灰を残らず買い集めた商人もいたように、江戸時代は、ごみを出さないだけでなく、出たごみを燃やした後の灰まで使うのですから、ずいぶんと捨てるごみは少なかったでしょうね。

投稿者 fujimori : 23:44 | コメント (4)

2008年03月30日 近頃思うこと

江戸のリサイクル

 縄文時代のごみに対する考え方を昨日書きましたが、江戸時代はどうだったのでしょうか。この時代のリサイクル文化は、世界の中でもとても素晴らしいものです。私が縄文時代でのごみに対する考え方を推測したことがまさに実現されて行きます。「大江戸リサイクル事情」(石川英輔 著)の中では、「子孫のわれわれが見ればどう考えても役に立ちそうにないがらくたでも立派に商品価値があったから、最大の問題は、どうやってそれを効率よく集めて活用するかという点にあった。だから、処理といっても捨てるなどとんでもない話で、いかに上手に再利用するかに知恵を絞り、長い時間をかけて、びっくりするほど無駄がなく洗練されたリサイクルの方法を確立したのである。その徹底ぶりは、ほとんど芸術的といっても大げさではないほどだ。」と書かれています。
  この芸術的というところにどうも私は日本らしさがあるのではないかと思います。この書籍の中でも、その時代は、貧しかったから、貧乏で物が買えなかったからではないかと思うかもしれないが、では、貧しい国がこのようなリサイクルをしているかというと、日本ほどそれが確立している国は見当たらないと言います。
 どのようにリサイクル社会を築いていったかということを、石川さんがネット講座で話しをしています。
「江戸時代と一口にいっても250年も続いていたので、最初からリサイクル社会が成立していたわけではありません。1500年代の末期、江戸時代の初期の頃は、まだ都市としての機能が十分に作られていませんでした。ゴミなどもどう処理していいのかわからず、お堀などに捨ててしまって、船の運行にも支障があったようです。都市としての体裁がようやく整ってきたのは、1650年ごろからで、ちょうど時代は元禄年間にさしかかって、いわば高度成長期に入っていく時期でした。」
これを読んでも、どうも、貧しかったからではなく、より高度な贅沢をしようとしたからのようです。では、どうして、元禄時代という贅沢な時代にリサイクルを考えたのでしょうか。
「元禄時代には、たとえば、初物ブームが起こります。それは、「初物を食べると75日長生きをする」などといって、江戸っ子は競って初物を食べようとしたのです。これに目をつけた農家の人は、一日でも早く野菜や果物などを生産しようと、生ゴミを肥料に使うことを考え付きました。生ゴミを地面に埋め、発酵させて温度を上げ、その地面を油紙で覆って熱を逃がさないようにしました。今のハウス栽培と同じ考え方です。房総半島からは、江戸に来る時には薪を運んできて、帰りには肥料として使う生ゴミを積んで帰る船もありました。このほか、幕府は生ゴミを使って埋め立てるなど、1700年代の初めには、ゴミの循環システムも整っていったようです。江戸の都市計画の面でいうと、彼ら先人は江戸をヒートアイランド化から守ろうとする発想を持っていたように思われます。その理由は江戸には舗装道路がありません。進歩主義の人は、江戸は遅れていたから舗装道路がないのだといいますが、私はそうではないと思う。」と、石川さんは言います。
だからと言って、江戸時代の人たちは環境を考えていたわけでも、もったいない運動を展開していたわけではありません。いわゆる「生きる知恵」を持っていたのでしょう。今足りないのは、この知恵であり、知識でも運動でもないのです。

投稿者 fujimori : 21:57 | コメント (4)

2008年03月29日 近頃思うこと

縄文時代のごみ

 ごみについて、今考えるととてもおかしいことをしていたなあと思うことがあります。マクドナルドが日本にも広がってきたとき、食べ終わって、トレイに乗っているすべてのものをそのままゴミ箱に捨てるシステムに少し抵抗がありました。今は分別するようになりましたが、当時は、すべてを一緒にすることのほうが時代の先端のような気がしていました。しかし、日本は戦後アメリカを見習い、あんなモダンな文化にあこがれました。しかし、国土は日本の25倍もあり、それなのに人口はほぼ半分のアメリカにまねての消費の仕方、廃棄の仕方をするのは、本当におかしいことでした。
日本では2000年に循環型社会形成推進基本法において3Rの考え方が導入されています。3Rとは Reduce(リデュース:減らす)、 Reuse(リユース:再び使う)、 Recycle(リサイクル:再資源化)の頭文字をとった言葉です。そして、この三つの中で1.リデュース(ごみの発生抑制)、 2.リユース(再使用)、 3.リサイクル(ごみの再生利用)の優先順位で廃棄物の削減に努めるのがよいとされています。
 昔のゴミ捨て場といえば、貝塚があります。かつては、貝塚は貝の自然堆積で出来たものと思われていましたが、貝塚は縄文人の「台所のゴミ」の堆積物です。ですから、この貝塚から当時の生活、環境を知ることができるのです。しかし、最近は、またごみの捨て場ではないのではないかと言われています。現代の考古学において最も有力な説は「貝のお墓」です。それは、貝塚の貝は、きちんと並べて積み重ねてあり、貝殻を丁寧に洗った跡も残っているそうです。
 貝殻の主成分は分解しにくい炭酸カルシウムですが、有機物と一緒に埋めたり、多量の土に混ぜて埋めると比較的短期間(数十年から数百年)で跡形もなく分解してしまいます。しかし、貝殻を洗ったり並べて積み重ねたりして築いた貝塚だから分解せずに現代まで残ったのです。しかも、貝塚の研究は19世紀後半にデンマークで始められように、貝塚は日本だけでなく、カナダのブリティシュコロンビアを中心とした北西海岸、アメリカメイン州を中心とした大西洋岸、デンマークを中心としたヨーロッパ地域のほぼ同緯度で氷河期が終わった以降に貝塚が出現しています。
 貝塚が縄文時代のゴミ捨て場ではないとしたら、当時のごみはどうしていたのでしょうか。縄文時代といえば、青森の三内丸山遺跡があります。この三内丸山遺跡は、まだまだ発掘され、わかっていない部分も多いのですが、今までの調査の結果、5500年ほど前から約1500年間、少なくとも5~600人近い人たちが、共同生活をしていたということが分かっています。ここの遺跡から、ゴミ捨て場が見つかっており、その跡が盛土状に残っており,シェルターの中で断面を見ることができるようになっています。そこに捨てられているものを見ると、縄文人は燃えるゴミと燃えないゴミを完全に分別し,1000年にわたって同じ場所に捨て続けていたようです。また、土器などは、敷き詰めています。
 当時は、貝塚同様、ごみを捨てるという意識はなかったと言われていて、ごみに何か意味を持ち、それを埋葬するような意味もあったかもしれません。それだけ、ごみであろうが、自分たちを生かしてくれているものに感謝する気持ちがあったように思います。ごみは、いらないものではなく、世話になったものの残骸です。ですから、簡単に捨てるというよりも、なるべく捨てない、もう一度何かに活用する、違う方法で再度活用するといった3Rの原点を見ます。

投稿者 fujimori : 20:53 | コメント (4)

2008年03月28日 近頃思うこと

ごみ

 ごみを捨てるときによく迷うのが、どこに捨てればよいかということと、どのように分別したらよいかということです。普通は、「可燃ごみ」と「不燃ごみ」に分けます。保育室の中にも、「燃えるごみ」と「燃えないごみ」の二種類のゴミ箱があります。そのほかに資源ごみとして、「古紙類」「びん・缶」「乾電池」「紙パック」「ペットボトル」「白色トレイ」があります。
 この分別の仕方が、最近変わりつつあります。私の園がある場所は新宿区のモデル地域で、昨年7月から資源・ごみの分別方法が変わりました。
いままでの資源ごみであったものはそのまま資源ごみですが、不燃ごみの中から、「容器包装プラスチック」であるレジ袋、卵パック、カップ、ボトルが資源ごみとして分別します。また、「不燃ごみ」は、金属、ガラス、陶器だけになり、容器包装以外のプラスチック(玩具、ビデオテープ、CD、歯ブラシ)やゴム、皮革製品は、今までの可燃ごみに加えて可燃ごみになります。このようにするのは、プラスチックの再生資源化推進とごみ埋め立て処理場の延命を図るためと書かれています。
プラスチックの焼却は、地球温暖化の原因となる温室効果ガスを発生させる大きな要因となるなど、環境負荷を増大させる原因になっています。ペットボトルについてはすでに再資源化されていますが、今回、それ以外のプラスチック製容器包装について、新たに分別回収を行い、再資源化することで、焼却処理量を削減するとともに環境負荷の低減を図ろうとするものです。
これらは、「容器包装リサイクル法」によるものですが、どうしてそれを定めるようになったかが書かれています。「わが国の経済は、高度成長期以後、今日まで「大量生産・大量消費・大量廃棄」によって発展してきました。 この経済システムによって生み出された廃棄物は増大の一途をたどり、廃棄物を埋め立てる最終処分場が足りなくなる事態も生じてきました。このため、廃棄物の発生を抑制するとともに、廃棄物をリサイクルすることによって廃棄物の減量を図ることが重要となり、 特に、一般廃棄物のうち容量で約61%、重量で約22%(出展:平成17年度 環境省「容器包装廃棄物の使用・排出実態調査」)を占める容器包装廃棄物の処理が緊急の課題となってきたのです。」
 その対象となる「容器包装」とはこのように定義されています。「容器(商品を入れるもの)、包装(商品を包むもの)(商品の容器及び包装自体が有償である場合を含む。)のうち、中身商品が消費されたり、中身商品と分離された際に不要になるもの」と定義して、リサイクルの対象としています。それには、最近、いろいろなマークがついていますね。アルミ缶やスチール缶はよく見ます。
arumisuti-ru.jpg
また、飲料用紙パック(アルミ不使用のもの)には「紙パック」、段ボール、紙パック除く紙製容器包装には「紙」と書いたリサイクルマークがついています。
kami.jpg
 また、しょうゆ、飲料、酒類などが入っているペットボトルにはPET、それ以外のプラスチック製容器包装にはプラのマークがついています。
petto.jpg
 ボール製容器についているマークはあまり見かけないかもしれません。
bo-ru.gif
 こうやって、改めて並べてマークを見ると何気なく見ているものの違いがよくわかります。本当に、日本は過剰包装でしたし、何でもかんでもただすぐに捨てて燃やしていましたね。もう少し、神経を使ったほうがいいかもしれません。

投稿者 fujimori : 19:38 | コメント (4)

2008年03月27日 近頃思うこと

 私の園では、各年齢の発達やその年齢の特性から色彩計画を立てています。その色を基本としてそれぞれ年齢の部屋を構成しています。
 また、園のテーマカラーを設定しています。それは、手や顔に塗る「ニベアクリーム」の缶の色です。
nibea.jpg
ニベアといえば、日本では「ニベア花王」として有名ですが、実は日本の製品ではないのです。ニベア(NIVEA)はドイツで1911年に開発・発売されたハンドクリームの世界的トップシェアーを誇るブランドで、現在は世界187カ国に発売されています。日本でも68年からニベア花王が商品展開しています。「ニベア」とは、ラテン語で雪を意味する「nix, nivis」から派生させて付けた名前です。
 「青」という色は、ひとつの色を表しているというよりも、そのほかの多くの名前の総称として呼ばれます。たとえば、水色、空色と呼ばれるような明度が高く彩度の低い、淡い色合いのもの、 紺色や藍色、群青色などの明度が低い、濃い色合いのものなどがあります。
 日本では伝統的には藍(あい)や縹(はなだ)を用いてきました。これは、日本において青を表現するための染料にツユクサを使い、その色を花色と呼んだことに由来するといわれています。その後、染料としてアイが用いられるようになり、藍や縹が青系統の色を表す総称として定着してきました。この藍は、太古より使用されており現在でも重要な染料・顔料です。
 紺青(プルシアンブルー:プロシアの青)という赤みの強い青色顔料は、最初の合成顔料とされていて、現在でも生産されていますが、この色は、1704年にベルリンにおいて偶然発見されました。当時は安価な青い顔料は他に存在しなかったため、これは陶磁器に彩色するために広く使用されるようになっていきました。
 日本では平賀源内が紹介し、葛飾北斎が描いた「富嶽三十六景」においてこの紺青を使って描いた濃青が評判になって全国に広まったとの説もあります。
hokusai.jpg
 海外でも、さまざまな絵画に青が使われ、その絵を描いた画家によってその色の名前がついています。たとえば、先日も日本に来た名画、フェルメールの「真珠の耳飾の少女」のターバン等に見られる青は、ラピスラズリより得られた天然ウルトラマリンブルーです。この天然ウルトラマリンはフェルメールの絵画において特徴的な色彩である為に、「フェルメール・ブルー」といわれています。
 このラピスラズリより得られたウルトラマリンブルーは、最上の青として聖母マリアに捧げられました。このため、この青色には、ほかにも「マドンナブルー」とも呼ばれています。また、画家ラファエロが聖母マリア像を描き、その中でこの色を用いたことから「ラファエル」(ラファエロの英語名)という別名もあります。日本では瑠璃色と呼ばれている色と同じ色です。
 色というのは、視覚を通して得られる感覚の一種ですが、その色の持つ文化は、デザインや視覚芸術上の重要な要素であり、人間の生活そのものよりも、生活をより厚くするものとしての要素が大きいようです。ということで、保育室の色彩計画が重要になるのです。

投稿者 fujimori : 20:57 | コメント (4)

2008年03月26日 近頃思うこと

試される力

 麻布中学の入試問題は、私からするともっと難しく思います。というのは、いわゆる三択といわれるような、「答えを次の中から選びなさい。」という問題は一切なく、すべて「説明しなさい。」とか、「君の考えを書きなさい。」という設問になっています。さすが、御三家といわれるだけあって、これからの子どもに必要な力を試そうとします。かなり前になりますが、石原都知事の出身校でもある天下の国立大学の一橋大学での集団カンニング事件のことをブログで書きましたが、これは、答えを集団でメールのやり取りで教えあったことがありました。このときに、一流校と呼ばれる大学の学生にしてはなさけないという批判が多かったのですが、私は、大学生にもなって、携帯メールで教えあえるような問題を出すほうがおかしいと思いました。逆に、携帯電話を使おうが、パソコンを使おうが、それは世の中に出て使えるものですから、かまわず使ってもらって、それによって、「自分はどう思うか。」「自分ではどうしようとするのか。」というようなことを自分の言葉で説明するように問うべきだと思います。
ちなみに、一昨日の問題の答えは、「問1は「外食」。独身を中心に、時間がない、面倒であるなどの理由から、自分で料理をせずに外食が多くなる傾向がある。問2は、孤食がエ、個食がイ。家族が別々の時間に食べることが「孤食」、同じ食卓を囲んでも、一人ひとりが好きなものを別々に食べることが「個食」とされている。」
昨日の答えは、「問1、武士の身分を示すものが米で表示された。(貨幣としての役割を担っていた。)いわゆる何万石というものですね。問4は、企業で加工した食品に含まれる成分は、消費者にはわからないため、表示を義務付けることで安全性や購入する判断が確保できる」というものです。
これが、麻布中学の問題になるとさすがです。こんな問題が並びます。
問、第二次世界大戦後の日本農業の変化には、政府の農業政策も深く関係しています。戦後の農業政策について、知っていることを挙げなさい。
問、最近の数十年間で私たちの食生活がどのように変化したのかを説明しなさい。
問、食料自給率が低下している理由を説明しなさい。
問、今後日本の農業が衰退してゆくと、どのような問題が起こると思いますか。君の考えを書きなさい。
こんな問題が続きます。このような問題を解けるようにするのには、どのようなことをすればいいのでしょうか。このような問題は、何かを覚えればできるものでもありませんし、訓練すればできるようになるものでもありません。ニュースを普段からよく見て、それについて考えたり、親子でそれについて会話をしたりする必要があるでしょう。私は、そういう意味では、この問題はとてもいい問題だと思います。しかも、これらを読み解く力や、資料から考える力を持つこともいいことだと思います。しかし、その力が小学生にとって必要なものなのでしょうか。学校から帰ると新聞を丹念に読み、テレビはニュース解説を見て、それについて親子で会話する姿が小学生として理想の姿なのでしょうか。人として必要な力は何かを考える前に、その年齢において必要な力とは何かを考える必要があるような気がします。それが、大人になったときに、大人にとって必要な力を身につけることができるようになる気がするのですが。

投稿者 fujimori : 23:06 | コメント (3)

2008年03月25日 近頃思うこと

食糧問題

 入試問題に見る「食育」も、いわゆる難関校になると難しくなります。例えば、今年の武蔵中学校の入試問題にこんな問題が出されています。様々な法律に関する問題の中のひとつです。ブログに先日書いた、私が小学生のころの国語の問題の中の長文から小説に興味を持ったように、この問題の長文から、いろいろなことを学ぶことが出来ます。
「食べ物についてはさまざまな法律があります。たとえば米についてはどうでしょうか。江戸時代には、米は食べ物であること以上に特別な意味を持っていました。また、大正時代にはすでに、米の取引に政府が直接関わる法律が作られています。さらに、1942(昭和17)年に制定された「食糧管理法」は、生産される米のすべてを政府が管理し、食糧の蓄えや流通、価格の安定などを調整する制度を作り上げました。この法律は、戦後も引き継がれ、1995(平成7)年に政府の役割を縮小した別の法律が出来るまで、日本の農業や社会に大きな影響を与えてきました。今では、米を自由に取引でき、「ブランド米」とよばれる、多少価格が高くても人気のある米が店頭に並ぶようになっています。
 主食である米は、積極的に政府が管理してきたこともあって、国民が十分に食べられる量を国内で生産できる状況が保たれています。しかし、米以外の農産物について見ると、小麦や大豆、トウモロコシから肉や野菜にいたるまで、外国産農産物の輸入が増加し、日本の食料自給率は他国と比べて極端に低い数字になりました。こうして政府は、食料自給率の向上をめざした新しい法律「食料・農業・農村基本法」を1999(平成11)年に作ることになったのです。しかし、農家は外国産の農産物と競争しなくてはならず、今日もきびしい状況におかれています。
食べ物には農産物ばかりでなく、水産物や加工品もあります。国際化が進み、原材産地や加工した場所が外国であることが多くなると、日本の法律では認められない薬の成分が入った食品が輸入されると言った事件も起こるようになりました。「食品衛生法」という法律は、体に有害なものを食品として販売することを禁じ、食の安全を守っています。さらに、「日本農林規格」を定めた法律では、企業に対して原材料や消費期限、原料産地(生鮮品の場合)を正しく表示するよう定めています。しかし、これに違反する事件も発生しており、こうした企業は消費者やマスコミなどから強く批判されています。」
 このあとに「ゴミ」「憲法」「生存権」についての法律の長文が続きますが、今回は、食育のところだけの問題を見てみます。設問は、次のようなことです。
 問1、米が持つ特別な意味とはどのようなことでしょうか。
 問2、食糧管理法で定められている内容は、社会の様子に対応して変化してきました。法律に大きな変更があった時期を基にして考えると「食糧不足」「米の消費現象と生産調整」「稲作中心の農業政策」「農業での所得の向上」「牛肉・オレンジの輸入自由化」「ヤミ米・ヤミ市」はそれぞれ①成立から1954年まで ②1955年から1969年まで ③1970年から1995年までのどの時期でしょうか。
 問3は、1960年から2000年までの自給率の変化のグラフから大豆のグラフを選ぶ問題です。
問4、食品表示(品名、原材料名、消費期限、保存方法、製造者)の例を挙げ、法律でこのような表示を義務付ける意味を、企業と消費者のおかれている立場の違いを明確にしながら説明しなさい。
 麻布中学でも自給率が問題になっていました。これを、小学校6年生が解くのですから、すごいですね。さぞかし立派な大人になるはずですが、どうでしょうか。

投稿者 fujimori : 23:11 | コメント (4)

2008年03月24日 近頃思うこと

食育研修

 今日は、アメリカのハーバード大学の医療関係研究者たちが見学に来ました。日本の高度衛生医療の基礎は、幼児期における食育にあるのではないということについての視察です。園児が、「なにじん?」と聞くので、私は「アメリカ人だよ。」と答えていたのですが、全く間違っていました。ハーバード大は、多国籍から勉強に来ている人が多いので、様々な国の人でした。そういえば、11人に見学者の中に、日本人が3人もいました。
 彼らは、園の環境を0歳児から順に見て回り、昼食を3、4、5歳児クラスの子どもたちと一緒に食べました。私の園では、3歳以上は、トレイを持って、まず、箸かスプーンかフォークを選んで乗せます。そして、主菜、添え物の量を申告して当番の子からよそってもらいます。このやり方を、今日はとても感謝されました。それは、メンバーの中にベジタリアンがいるからです。今日の主菜はすき焼き風煮物で、添え物がシラスの和え物で、汁物がかつおだしの味噌汁です。ベジタリアンは、肉も魚も食べませんので、一斉に同じものを食べさせるような給食には不向きです。しかし、私の園では、箸かフォークが選べますし、肉抜きの主菜とか、昆布だしの味噌汁とか、シラス抜きの和え物とか、麦茶かフィルターを通した水かを選べますので、自分で好きなほうを当番の子に言えばいいのです。普段はベジタリアン用ではなく、アレルギー児のためではあるのですが。
 今回の研修目的の食育ですが、確かに世界の中でかなり進んでいる気がします。国としての取り組みの自給率や農薬使用などはかなり遅れている気がしますが、幼児教育からの食育は、ずいぶんと先駆的な取り組みです。日本における食育基本法は、平成16年の第159国会に提出され、平成17年6月10日に成立しました。
 これを反映して、私立小・中学校の入試問題にも食育に関することが出されています。例えば、小学校入試問題に、「果物を縦に切った時と横に切った時の切り口はどうなるでしょうか。」という問題があります。これは同じ果物どうし、線で結ぶものですが、家庭でいつも同じ向きからだけしか切っていないとなかなかわかりにくいです。ですから、普段から、果物や野菜を食べる時に、縦や横に半分に切ったものを出さないといけないとは、大変ですね。
また、中学の問題にこんなのがありました。穴埋め問題です。
「毎日の食べ物や、それを生み出す農業や環境問題について、自分たちで学び、考え、行動していく取り組みを「食育」とよんでいます。最近のわたしたちの食生活については、いろいろな問題が指摘されています。まず(あ)が多くなっています。独身の青年たちのなかには1日の食事がすべて(あ)という人もいます。また、調理ずみのおかずや弁当、調理ずみパンなどを買ってきて食べることも増えています。これは(あ)と家庭での食事の中間にあるものとして中食とよばれています。家庭での食事についても、欠食、とくに子どもたちが朝食を食べないことが問題になっています。また子どもたちの孤食、個食やテレビを見ながらの食事なども問題だと言われています。」
 問2では、「孤食」と「個食」について、正しい説明をそれぞれ選ぶものです。
(ア)パンや麺類など、精粉したものばかりを食べること。
(イ)家族がいっしょに食事をしていても、それぞれが好きな物を別々に食べていること。
(ウ)食事のときの食べる量がきょくたんに少ないこと。
(エ)家族の食事時間がバラバラで、家族がそれぞれ1人で食事をとること。
 入試問題にでも出されれば、親が少しは真剣に食について考えるかもしれませんね。

投稿者 fujimori : 22:54 | コメント (4)

2008年03月23日 近頃思うこと

長所と職業

 卒園式で、子どもたちは将来なりたい職業を発表します。男の子に人気のあるのは、相変わらず「サッカー選手」とか「野球選手」で、女の子は、「ケーキ屋さん」「お花屋さん」などに人気があります。
 キッズgooというサイトのなかに、「Gakken学習研究社」が提供して、「将来の仕事なり方ガイド」というコンテンツがあります。その職業検索に自分の長所から、その長所にむいている職業を紹介してくれるというのがあります。それを読むと、逆に、その職業がそのような力が必要だと思われているのだということがわかります。
 まず「集中力」が必要な職業とは何だと思いますか?集中力とはこういう力と書かれています。「与えられた課題を効率良く、時間内に達成することができる」それは、「ずばぬけた集中力と計画性で、任されたこともあっという間に終えてしまう。」という能力を持ち、長所としては、「緻密な計算力と注意力が必要な財務・総務係の仕事に適している。」と言っています。具体的な職業としては、「公認会計士」「銀行員」「秘書」「国税調査官」「行政書士」「会計・経理事務員」などと書かれています。このような職業には集中力がいるのだと改めて身の回りの人を思い出してしまいます。
 次に「サポート力」です。この力は、ちょっとわかりにくいですが、このような力だといっています。「周囲の人に安心感を与える不思議な魅力を持つ」「いつも気くばりを忘れず、穏やかな性格で、人から頼られることも多い」長所として、「人に対して指導したり、教育する関係の仕事に就けばよい」と助言します。具体的な職業名は、「警察官」「医師」「看護師」「介護福祉士」「社会福祉士」「フライトアテンダント」「保育士」「教師」などと書かれています。たしかに、どれも人をサポートする職業ではありますが、どうでしょうか。例えば、教師をとってみたとき、周囲の人に安心感を与えているかと言われるとちょっと怪しいですね。また、いつも気配りを忘れず、穏やかな性格と言われても、なんだか、実際の教師によく見られるのは、自分本位で動いてしまう人が多い気がしますが。また、最近の子どもが大変ということもあって、穏やかな正確では無理のような気がします。
 「論理的」な長所を持つ人はどうでしょうか。この長所は、「集めてきた情報を頭の中で整理しながら、結論を導き出していくのが得意」「説得力を持った意見を述べ、周囲の人をなるほどと感心させる」そんな人は、「調査・研究や論証を必要とする仕事で実力を発揮できそう」だといいます。たとえば、「弁護士」「司法書士」「法医学者」「科学者」「統計学者」「証券アナリスト」「弁理士」「リサーチャー」などです。
 そのほかに「人付き合いがうまく、自分をうまくアピールすることができる」「周りの協力を得ながら自分の思いどおりに物事を進める」という「社交力」を持っている場合は、顧客との接し方にコツが必要なサービス業が向いていて、「外交官」「ツアーコンダクター」「アナウンサー」「美容師」「営業」「セールスマン|などです。
「器用な手先で、自分でものを作り上げていく才能を持った人」「つねに新しい知識を吸収しながら、現状に適用していく能力も持っている」という「技術力」は、「細やかな作業と冷静さが必要な技術職」ということで、「システムエンジニア」「パイロット」「整備士」「臨床検査技師」「歯科技巧士」「測量士」「印刷製本業」「大工」などです。
 なんだか「当たらずとも遠からず」という感じですが、改めて、「そう なんだ!」と納得してしまいます。

投稿者 fujimori : 23:44 | コメント (4)

2008年03月22日 近頃思うこと

 今日は、園の卒園式でした。今年は、開園1年目のために初めての卒園生です。そのためか、何人かの職員が感極まって泣いてしまいました。
 人はいろいろなときに涙を流しますが、感極まって流す涙はいいですね。涙がうれしいときや感動したときに、自然に流れるような時は、とてもリラックスした状態ですので、心身をリラックスさせる神経「副交感神経」が刺激されることによって分泌される涙です。このような自然に流れる涙は、つらいときや悲しいとき、悔しいときにも流れます。このような時は、とめどなく流れるため、涙の量が多く味は水っぽくて薄口で、また脂肪分が少なく、カリウムが多めだそうです。
 一方、悔しいときや怒ったときなどに涙を流すときは、感情が昂ぶり、落ち着かない気分です。こうした感情のときに流れる涙は、心身を緊張させる神経「交感神経」が刺激されることによって分泌されます。そして、ふりしぼられるように出るため、量が少なめで、ナトリウムを多く含んでいるために、しょっぱい味がします。同じ涙でも流す時の感情によって成分も違うのですね。このように喜怒哀楽で流れる涙を「感情の涙」といいます。そして、その感情によって、涙の成分や味、量が異なるようです。
 しかし、どちらにしても、涙を流した後は、気持ちがすっきりします。それは、脳から分泌されるプロラクチンや副腎皮質刺激ホルモンといったストレスに反応して心身に緊張を強いたり、免疫系に影響する物質が流れ出る涙に含まれ、一緒に流れ出るからです。また、ロイシン-エンケファリンというストレスによって生じる神経反応を緩和する脳内モルヒネの一種も含まれていることが確認されています。また過多になると神経の伝達に影響を与えるマンガンというミネラルも確認されています。どうやら涙は、ストレス物質を排出する重要な役目を果たしているようです。
 どうも、涙を流すことをこらえるよりも、思い切り泣いたほうがいいようです。よくドラマで、「そんなに悲しかったら、私の胸の中で思い切り泣きなさい!」というようなせりふがありますが、それは、化学的にも実証されていることなのですね。
 そういえば、よくドラマで外国人が泣くときに、鼻にハンカチをあてて、涙を拭いたあとに鼻をチーンとかむようなシーンがあります。それに比べて、今日の卒園式で泣いた職員は、ハンカチを目にあてて泣いていました。それは、西洋人は日本人に比べて鼻涙管が大きいため,多量に涙が鼻へ流れこむため鼻にハンカチをあて,日本人は鼻涙管が細いため,涙があふれ出るので目にハンカチをあてて泣くといわれています。
 生まれた直後は,まだ脳の発達が十分でないため,精神的・情緒的な興奮がなく,そのため涙は出てきません。生後3ヵ月までの赤ちゃんは,目を守るための涙の分泌は絶えずありますが,角膜や結膜にある神経が十分発育していないために,まぶたや角膜に物が当たることによって起こる反射性の流涙もありません。
 涙は目の涙腺から分泌される体液のことで、原料は血液です。人間の排出するもののなかで一番きれいなものです。もっと、堂々と涙を流す機会を持ちたいものです。ただ、それは、感動して流す涙でありたいですね。

投稿者 fujimori : 23:03 | コメント (5)

2008年03月21日 近頃思うこと

興学私議2

小林虎三郎の教育論である「興学私議」の基本をなす考えは、「人主の学」です。いわゆる「リーダーシップ論」です。私も少し前にリーダーシップ論をある書で書いたのですが、同じようなことを言っています。彼は、人のうえに位置するすべての者は、学問や教養(教育)を身につけて、道徳心と技術力を学んでいる者でなければならないという考え方です。私は、リーダーとして次のような資質が必要だと思っています。いくつかあるうちの1、2は次のようなものだと思っています。
その1は、「人格」です。保育という仕事は、教育、医療、看護などと同様、直接人と接する仕事です。その相手に対して、人として接するわけですから、その人となりが伝わることが多くなります。ですから、人格が伝わる仕事といっても過言ではありません。保育者は、保育技術(芸)を学ぶよりも、まず、自らの人格を高める(道)必要があります。その保育者がついていってもよいと思うリーダーは、範を示せる人でなければなりません。ですから、リーダーとは、自ら人格を磨く必要があるのは当然です。
その2は、「広い見識」です。リーダーは、外部に対してものを言ったり、説明をすることが必要になるときがあります。そのときには、社会というものをよく知らなければなりません。保育・教育に携わっていると、とかく世界が狭くなりがちですし、独りよがりが通ってしまうことも多い世界です。ですから、保育・教育内容については、自己評価が必要になってきます。そのためには、客観的に自己を見つめる力、広い見識が必要になってきます。
 小林虎三郎が「興学私議」の中で、学問にあっては「道」と「芸」が体と用として不可分一体である、という考えは、その佐久間象山が、黒船が来航した時に、日本が今後採るべき道として、「東洋の道徳」を体として持ち、「西洋の芸(技術)」を用として採り入れるべきとしたことからきています。これは詩の形で書かれています。「東洋道徳西洋芸。匡廓相依り圏模を完くす。大地の周囲一万塁。還た須らく半隅を欠き得べしや無しや。」
 小林は、象山の戦略においての考え方を教育にあてはめたのです。
 「興学私議」の中では、幼児教育の重要性にも触れています。「然れども猶宜しく挙ぐべき者あり。小学是なり。夫れ長じて学ぶは、小にして之を習うの入り易きに執若ぞや。故に先王殊に小学の教えを重んず。而して近頃外蕃、幼蒙を導くの法を聞くに、又其の詳を極む。今都府に於いては、小学を建つること数所、士大夫の子弟、年78歳に至れば、皆これを此に入れ、教うるに六書の学、四子六経の文を以てし、兼ぬるに外蕃幼蒙を導く所以の者を以てす。」
 (しかしながら次のことについてない挙げておなければならないことがあります。それは、「小学」です。年齢が入ってからいろいろと学ぶ場合、小さいうちに之を習っておくと、学問の道に入り易くなります。ですから古代聖王はこの「小学」の教えを重んじたのです。ところで、最近外国に幼児を導く方法を聞いたところ、じつに詳細にわたっていました。今の江戸では、小学校を立てているところは数箇所あり、役人子弟で7,8歳になると、みんなこの小学校に入学させ、六書の学問、四子六経の文章を学びますが、これに加えて外国で行っているような幼児教育を行うと良いのです。)
 十分に現代に通じるものがありますね。

投稿者 fujimori : 23:40 | コメント (5)

2008年03月20日 近頃思うこと

興学私議1

 「米百俵」の小林虎三郎が行った教育改革は、その時代背景があり、必ずしも現代にすぐに適応するわけには行きませんが、その考え方には学ぶべきことが多い気がします。彼の歴史観や持論は、彼が30歳のときに書いた論文集「興学私議」で詳しく語られています。この「興学私議」は、師の佐久間象山にあてた興学(学問を興すこと)についての私議(個人的な見解)ですが、これを書いたのは、虎三郎が幽閉中のことです。20代半ば象山塾長だったときに、「横浜開港」の建白書が藩主の怒りに触れたからです。
現代の日本は患っていると言います。「例えば、土地の生産力をあげ、物産を増やし、利益の権利を手に入れ、もって国の必要を足らし、貿易において利益を得るようにするのは「司農」すなわち財務長官の責務である。にもかかわらず、この「司農」たるもの古代聖王の財政の方法や、古今の食料と財貨すなわち経済の変化について、それに西洋の物産の学、および貿易のことについて、まだ学んでいない。それでどのようにして土地生産力を上げることが出来るだろうか。どのようにして物産をふやすことがわかるだろうか。どのように利益の権利を手に入れることが出来るだろうか。どのようにして国の必要を減らすことが出来るだろうか。」(現代語訳 松本健一「国を興すは教育にあり」より)
この他にも様々なところでそのころの日本が患っていることを書いています。そのために「学を興し、材を育し、以て経論の務をなすに及ばず」必要性を説いています。人は生まれながらに教育をうけ、人のための学問や教養を身につけることが大切だと説いている内容は、ドイツを含めたOECDが乳幼児教育の指針として出した基本のひとつに「ひとは、生まれた瞬間から教育される権利がある。」に通じるものがあります。その教育は自分を助け、社会に貢献するための基盤をなすものだということで、教育改革をしていきます。そして、長岡藩の教育改革の目的に、「まちづくりと人づくり」を置くのです。
 「何をか教養を広めて以って人材を育すと謂う。それ学の事二。道のみ。芸のみ。道は以って体を明らかにし、芸は以って用を達す。相離るべからざるなり。」教養を広め、人材を育成するとはどういうことか。学問には二つの方向があると言います。それは「道」と「芸」だと言います。「道」とは、人の生きるべき体を明らかにし、学ぶ主体がまず自らを知り、その道に向かって自ら作り上げることだと言います。
私は、保育と言う仕事は、「道」だと思っています。よく、「保育学」という学問として学びますが、私は、まず、人としての生き方を問い直す仕事のような気がしています。そして、それは、自ら主体として捉え、心得ていかなければならないもののような気がします。そこで、私は、「保育学」という学問ではなく、「保育道」という「保育の道を究める」という言葉のほうが適している気がします。もうひとつの「芸」は用を達す、つまり実際に事を処理する術をいいます。これは、具体的な子ども理解であり、具体的な援助の方法の事を指します。そして、この二つは離れてはならないものなのですが、どうも最近は、「芸」のほうばかりに目が行きがちですし、「芸」の研修が多い気がします。
小林は、「人は何のために生まれてきたのかをよく考えよ」というのが口癖だったそうです。人としての意味を考えること、生きるという本質が改革の根底であるとするならば、人の本質を考える事、生き方を問い直す事によって、改革はおのずと実現するというのが小林の考えだったのです。

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2008年03月19日 近頃思うこと

河井と小林と吉田

 「米百俵」の小林虎三郎といえば、同時代のライバルであった河井継之助を思い出します。河井継之助については、何度かブログで書きましたが、司馬遼太郎の「峠」の主人公です。山本有三は、郷里の偉人として、ある人から河井継之助の執筆を勧められましたが、戦争に踏み切った継之助よりも、戦争に反対し食えないから学校を建てたという虎三郎に関心を示して、戯曲「米百俵」を書いたのです。
「峠」の小説の中では、河井継之助と小林虎三郎はライバルであり、政治的に意見が合わず、仇敵のように対立していたと描かれていますが、実際はそれぞれの立場上の問題なようです。越後長岡藩という小さな藩に生まれた継之介は、武力強化をすることによって、藩を強くし日本の中に中立国を作ろうとします。これに対して小林虎三郎は、精神の教育や学制の改革などに基本を置く考え方で、これができて公正な政治と経済が可能であるという根本的な考え方をしています。しかし、ともに、薩長軍が長岡に迫って来た時、戦争をしたくないという思いは一緒でした。長岡藩を武装中立のもと官軍・同盟軍双方に働きかけ、緊張緩和・戦争回避に尽力するというのが河井の狙いでした。小林虎三郎も絶対非戦論者ではなく、薩長軍が「天朝」の旗印の下に統一国家をつくろうとし、一時の屈辱を我慢してでも戦争はしてはならないが、もし戦争となった場合は、藩主のため、お国のために必死に戦わなければならないと考えていました。
この司馬遼太郎の「峠」の中に、小林の性格を表したエピソードが書かれており、印象に残っています。それは、小林虎三郎の家が火事になって、小林虎三郎は体一つで焼け出されてしまったときのことです。
困窮していた小林虎三郎に、普段は意見対立していた河井継之助が火事見舞いとして、要用な生活用品を小林虎三郎の仮住いのところに持っていってあげます。すると、小林はかねて仇敵視していた河井の好意に感激して、面会したその場に涕泣しますが、河井は感傷的なことが大嫌いですので無愛想な態度をとります。これに対して、小林はやがて居住まいを正し、返礼をします。
「貴殿の好意に対し、残念ながら何もお返しできない。私としては貴殿の施策の誤りをこの場で指摘し、今回のお礼としたい」と申し述べて、延々と河井のやり方を批判するのです。「峠」の中では、その内容を「激しさ、痛烈さは、気の弱い者なら卒倒するほどであったろう。これがお礼なのである」と書かれているほどのものだったようです。このお礼に対して、河井もさすがに感情が昂ぶり、帰り道で「小林は偉い、偉い」と呟いていたといいます。
 この小林は、23歳の時に藩命で江戸に遊学をし、当時兵学や砲学、洋学で有名な佐久間象山の門下に入ります。そして、長州藩士の吉田寅次郎(吉田松陰)と「象門の二虎」と称せられます。また、象山に「義卿(松陰)の胆略、炳文(虎三郎)の学識、皆稀世の才なり。但事を天下に為す者は、吉田子なるべく、我子を依託して教育せしむべき者は、独り小林子なるのみ。」(天下、国の政治を行う者は、吉田であるが、わが子を託して教育してもらう者は小林だけである)と言わせるほど、虎三郎は教育者でした。なお象山は、幕末の動乱期に際し、回天の仕事をするのは吉田松陰で、百年先を見通した仕事をするのは小林虎三郎、としています。
教育は、百年先を見通した仕事です。

投稿者 fujimori : 23:51 | コメント (4)

2008年03月18日 近頃思うこと

真実一路

 「ビルマの竪琴」同様、長文読解の問題から帰りに急いで買って読んだ本が他にもあります。その中で印象に残っているのが山本有三による小説「真実一路」です。これは、もともと「主婦之友」誌上に連載されたものですが、それを原作として映画・ドラマ化されています。この小説は小学生にしては少し長く、1日では読みきれませんでしたが、それでも夢中になって読んだ覚えがあります。
真実一路に生きていくことの真の意味は、当時は当然判らなかったと思います。しかし、これから先の人生とは?自分らしく生きていこうとすることは?それは、周囲の人にどんな影響を与えるのか?なんとなく、行き方を考えるきっかけになりました。山本有三は、私の高校の先輩でもあるので、その後もいくつかの作品を読みましたが、どれも「人生」について、考えるものが多いような気がします。その代表作品に「路傍の石」があります。この作品は、「朝日新聞」に連載されたもので、戦前、戦後を含め4回に渡り映画化されるほど人気のある小説です。
主人公の愛川吾一は勉強がよくでき、級長を務めるほどの優等生で、中学への進学を熱烈に希望していましたが、父がならず者で貧しかったために呉服商に奉公に出されてしまいます。勉強をしたい一心で奉公先から逃亡し身寄りのないまま上京、様々な紆余曲折を経ながら人間として成長していく姿が描かれています。しかし、読んでいて、終わりがなんだか中途半端な気がしました。後になって、それは、当時の時代背景の影響(検閲など)もあり、山本は断筆を決意し、最終的にはこの小説は、未完に終わったのです。しかし、近年では、いわゆる機能不全家族(アダルトチルドレン)との関連で、一部で再び評価されつつあるそうです。
 最近、また話題になったものがあります。それは、小泉純一郎元首相の所信表明演説で有名になった、「米百俵」という言葉です。この言葉は、もともとは、戊辰戦争(1868年)で焦土と化した長岡藩に、支藩の三根山藩から見舞いとして百俵の米が送られてきたときの故事から来ています。そのときに、窮乏を極めていた藩士は既得権として米が分配されると思っていましたが、藩の大参事・小林虎三郎は、この米百俵は文武両道に必要な書籍、器具の購入にあてるとして、米を売却した代金を国漢学校建設の資金に注ぎ込んだのです。そして、この国漢学校には洋学局、医学局も設置され、藩士の子弟だけでなく町民や農民の子どもの入学も許されました。ここに長岡の近代教育の土台が築かれ、後年、ここから新生日本を背負う多くの人物が輩出されたのです。
この「米百俵」の故事は、小泉さんの前に、山本有三の同名の戯曲によって広く知られるようになったのです。この「国が興るのもまちが栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ学校を建て、人物を養成するのだ」という小林虎三郎の思想は、ひとつは将来に備えた教育の重要性です。そしてもうひとつは、既得権保持者こそ潔く既得権を放棄して今の苦しみや痛みに耐えなければならないということです。先の小泉首相の演説以来、構造改革には「痛みを伴う」とされ、米百俵の故事が引合いに出されますが、全く勘違いしていますね。もう一度、その故事を勉強して欲しいと思います。

投稿者 fujimori : 23:35 | コメント (3)

2008年03月17日 近頃思うこと

長文読解

先日、戦後の日本映画界をリードしてきた映画監督の市川崑さんが亡くなられました。これを悼んで、テレビで代表作の名作「ビルマの竪琴」が放送されていました。この映画は、水島上等兵の生き方が人々の共感を呼び、60年に再映画化されました。その作品でベネチア国際映画祭サン・ジョルジュ賞受賞し、米アカデミー賞外国語映画賞候補にもなりました。
「ビルマの竪琴」は、竹山道雄が執筆した児童読み物ですが、私はこの読み物についてある思い出があります。小学校5年生のとき、日曜日の模擬試験を受けに行きました。そのときの国語の問題の中の長文読解は、「ビルマの竪琴」の一部分でした。たぶん、もっとも劇的なシーンだったと思います。水島上等兵だと思って、みんなが必死に一緒に日本に帰ろうと呼びかけるところだでしょう。その部分を読んでいたら、それが問題だということも忘れて、その話しに感動してしまいました。すると、その後の結末が知りたくなって仕方ありません。その後のほかの教科の問題には身が入らず、ずっと、その物語を考えていました。そして、試験が終わると急いで教室を飛び出して、御茶ノ水の本屋街に行き、その本を探して買って帰りました。そして、その日のうちに全文を読み終えて、やっと心が落ち着きました。
 小説「ビルマの竪琴」の主人公、水島上等兵は、英軍の捕虜収容所に送られた所属部隊と合流すべくムドンを目指しますが、途中で目にしたおびただしい数の遺体に触れ、供養を決意して僧侶となって現地に残ろうとします。3日後に日本へ帰国することが決まった隊員達は、水島も引き連れて帰ろうと毎日合唱します。隊長は、日本語を覚えこませたオウムを水島に渡してくれるように、物売りに頼みます。出発前日、皆の前に姿を現した水島に、収容所の柵ごしに隊員達は「埴生の宿」を合唱し、一緒に日本へ帰ろうと必死に呼びかけます。しかし、彼は黙ってうなだれ、「仰げば尊し」を弾きます。祖国のメロディーに心打たれる隊員達を後に、水島は森の中へ去って行きます。
 小説の最後は、水島上等兵が隊長と戦友にあてた手紙で終わります。手紙には、日本に思いを馳せる時に触れたくだりがあります。「私はこの好きなビルマの国にいて、雪のつむ高山から南十字星のかがやく磯のほとりまで、いたるところをさすらって歩きます。これは思うに心たのしいことでもあります。そうして、皆様をなつかしむ心にたえないときは、竪琴をひきます。」
 日英の兵隊が同時に「はにゅうの宿」を歌う場面がありますが、原作者の竹山さんは、最初は場所を中国にする予定だったそうですが、中国と日本に共通の歌がないことから、イギリス軍をえらばざるを得なかったと言います。したがって場所はビルマになったのです。
 もうすぐ卒園式や卒業式がありますが、そこで色々な歌が歌われます。そのときに先生と生徒、児童は敵味方という関係ではありませんが、最近、どうも世代を超えて共通の歌がなくなってきている気がします。また、同世代でも、世代共通の歌もない気がします。何十年か経って、みんなで歌おうとするとき、どんな歌が歌われるのでしょうか。

投稿者 fujimori : 23:14 | コメント (5)

2008年03月16日 近頃思うこと

バッテリー

 最近、パソコンのバッテリーパックの交換の案内が来ました。それは、バッテリーパックで発火、焼損にいたる事例が発生しているからのようです。私は、以前、そのような通知をもらい、交換をしたことがあるので、すでにしたと思っていてそのままにしていたら、何度も通知が来ます。調べてみると、もうひとつのほうのパソコンでした。随分と、そんな事例があるのですね。
 そんな問題のあるバッテリーですが、とても便利なものですね。このバッテリーによって、コンセントのない車内や機内や屋外でもパソコンが出来るようになりました。バッテリーや蓄電池は、二次電池といい、充電を行うことにより電気を蓄えて電池として使用できる様になり、繰り返し使用することが出来る化学電池のことです。一般的に二次電池は、その電気を使用しなくても、時間と共に蓄えた電気が徐々に失われる自然放電が大きいため、長期保存後に使用するには、失われた容量を回復させる為の充電(補充電)を行わなければなりません。その充電は、当然普通の場合は、コンセントからするので、どうしても定期的に、コンセントのある場所にいかなければなりません。ですから、どのくらいバッテリーが持つかが問題になります。最近は、その持つ時間は随分と長くなりました。少し前までは、パソコンに限らず、デジタルカメラや携帯電話などすぐにバッテリーが切れてしまい、いくつもバッテリーを持ち歩いたものです。今でも、パソコンを買うときに、バッテリー動作時間が重要な観点になっています。
 それが、昨年暮れ、バッテリー駆動時間を10倍にする技術が米大学で開発されたということが発表されました。それは、シリコンナノワイヤを使ってリチウムイオンバッテリーの電気の蓄積量を増やす技術をスタンフォード大学の研究者が発見したからです。それによって、リチウムイオンバッテリーの駆動時間を10倍にすることが出来るのです。例えば、今のバッテリーで2時間動くノートPCは、この技術を使ったバッテリーでは20時間動くといいます。
 このニュースはとてもうれしいのですが、いつも思っていたのが、「バッテリー○○時間連続使用OK」と書かれていても、実際にはその時間よりもかなり短くしか持たないことが多いのです。そんな疑問を誰でも持つようで、地下鉄駅構内で配られているR25で、そんな特集が組まれています。
 その記事の中で、充電器に詳しいITライターの中村浩之さんがこんなことを言っています。「そもそも携帯電話やノートPCなどの多機能な製品は、バッテリーの使用時間を測定しづらいんです。日本では、ノートPCに関して“JEITA(ジェイタ)”という測定方法が2001年に定められました。『電源を入れただけの状態と、作業をしている状態のバッテリーの減り時間の平均値』の表示が義務づけられています。とはいえ、あくまでも平均値なので、実際に使える時間とはズレが生じてしまうんですね。ちなみに、携帯電話に関してはそういった測定基準が定められておらず、各社によって測定方法はまちまちです」
 しかし、「社団法人 電子情報技術産業協会」で、ノート型パソコンにおける「JEITAバッテリー動作時間測定法」について定められており、多くのメーカーがこれを採用しています。各メーカーともこの測定法によるバッテリ動作時間をカタログ等に記載することによって、私たちがノート型パソコンを購入する際、異なるメーカー間のバッテリー動作時間を簡単に比較できるようになっているのです。

投稿者 fujimori : 21:00 | コメント (4)

2008年03月15日 近頃思うこと

クレド3

 J&Jの「我が信条」には、4つの利害関係者「顧客、社員、地域社会、株主」に対する責任が書かれています。その中の「顧客」を「我々の製品およびサービスを使用してくれる医師、看護師、患者、そして母親、父親をはじめとする、すべての顧客」とし、その顧客に対しての責任が書かれています。私たちの園にとっての顧客とは誰でしょうか。園が開園するときの職員紹介の下に「私たちは、世界の子どもの担任です。」というメッセージを入れました。J&Jが危機のときに立ち返った企業理念である「我が信条」の第一の責任は、この顧客に対しての責任の意思決定でした。それは、「質的に高い水準」「製品原価を引き下げる努力」「注文に、迅速、かつ正確に応える」「取引先への適正な利益をあげる機会の提供」です。
 次に「社員」に向けての責任です。これは、なにもJ&Jの社員だけではなく、世界中で共に働く男性と女性に対してのものでもあります。それは、「個人として尊重され、その尊厳と価値を認める」「安心して仕事に従事する」「待遇は公正かつ適切」「働く環境は清潔で、整理整頓され、かつ安全」「社員が家族に対する責任を十分果たすことができるような配慮」「社員の提案、苦情が自由にできる環境」「能力ある人々への平等な雇用、能力開発および昇進の機会」「有能な管理者を任命」「公正、かつ道義にかなった行動」があげられています。
 第三の責任は、我々が生活し、働いている地域社会にたいしてです。しかも、全世界の共同社会に対するものまで視野に入れています。それは、良き市民として、「有益な社会事業および福祉に貢献」「適切な租税の負担」です。また、「社会の発展」「健康の増進」「教育の改善に寄与する活動への参画」また、「使用する施設を常に良好な状態に保ち、環境と資源の保護に努めなければならない。」ということが定められています。
第四の責任は、会社の株主に対するものですが、株式公開企業になるのだから、株主を最後にするのはおかしいという意見がありました。それに対しては、「顧客第一で考え行動し、残りの責任をこの順序通り果たしてゆけば、株主への責任は自ずと果たせるというのが、正しいビジネス論理なのだ。」と返答しています。
 これらの信条の柔軟性は、この言葉に表れています。「この文書の文言は時代の流れや会社発展にあわせて修正してよい。新しい経営概念を導入してもよい。」また、不変性の点では、「しかし、基本哲学・思想は不変のはずだ。」とこの信条への確信を述べています。
 ザ・リッツ・カールトンの場合は「ゴールドスタンダード」と題するクレドを経営の中核に据えています。ここで定めているのは6項目の指針です。「使命」として「心のこもったおもてなし」、「モットー」では、「紳士淑女をおもてなしする私たちもまた紳士淑女です」そして残り4項目で「サービスの3ステップ」「従業員への約束」などの具体的行動指針を記しています。
 よく園の保育方針に「感動する心」とか「みんなと仲よくあそぶいきいき遊べる子ども」というような言葉が並びます。そのときに、例えば、保育者が、子どもの服を着せてあげているときにどのように着せてあげれば、感動する心を持つのか、みんなと仲良く遊べる子になるのか、行動の方法が見えにくいですね。それが、「自立していく子ども」としたら、どう援助すれば自立につながるかを考えることで、援助の仕方がわかりやすくなります。
 もう一度、園で、保育者がいつも持ち歩いてそこに帰るようなクレドが必要かもしれません。

投稿者 fujimori : 19:51 | コメント (4)

2008年03月14日 近頃思うこと

クレド2

 経営理念やマニュアルの類とクレドとの違いを、新語・流行語を専門とした執筆活動を展開中のもり・ひろし氏は、こう言っています
まず、クレドは、守るべき指針を「簡潔かつ具体的に」記していて、抽象的になりがちな経営理念とは異なっている点です。第2に、クレドは「指針」にすぎず、従業員は指針に基づき具体的行動を考えなければならないのです。この点が、行動そのものを規定するマニュアルと異なり、具体的行動を考えることが、従業員の自主性やモチベーションを引き出し、ひいては従業員としての誇りを形作ることになるのです。第3に「普遍性と柔軟性」を併せ持っています。クレドの基本的指針は不変ですが、具体的指針は時代によって変化するからです。
これは、保育園、幼稚園などに置き換えて考えてみるとよくわかります。第1の「簡潔かつ具体的に」というところですが、園にはよく理念が掲げられています、非常に抽象的というか、情緒的なものが多く、そのためにどう動くかが見えにくいことがあります。特に利益を追求しない組織ではより行動目標が見えにくくなります。たとえば、ドラッカーが「非営利組織の経営」という書物の中で書いているのですが、病院に掲げられている「健康を守ることが使命である」というのは間違っていると言います。というのは、病院は健康を扱うところではなく、病気を扱う所だからです。しかも、この使命では、病院が何をすべきなのか、どのような行為をすればいいのか、わかりにくいからです。その表現は、それに基づいて現実に動けるものでなければならず、そうでなければ、単なる意図の表明に終わってしまうというのです。その組織にかかわる一人ひとりが、目標を達成するために自分が貢献すべきことはこれだ、といえるようなものでなければならないのです。
第3の「普遍性と柔軟性」というのも大切です。私は、よく「不易と流行」をよく見極める目を持つべきだと主張しています。私の園で、先日職員のアンケートで、「園の理念に向かっていくための職員の資質として必要な力は何と思うか、三つあげなさい。」という問いに対して、「柔軟性」と答えた職員が一番多かったことになんだか納得しました。というのも、私もひとつに柔軟性を選んだからです。その柔軟性というのは、何に対してと職員は思っているのか聞いてみないとわかりませんが、私は、大きくいえば「時代の変化に対して」と、「子どもからの働きかけに対して」があると思います。しかし、そのためには、普遍的な基本的理念を持っていないといけないのです。
 このクレドが最近また注目を浴びているのは、世界の賓客を魅了し続ける5ツ星ホテル「ザ・リッツカールトン」が東京に初進出したときに、従業員が携行するクレドの存在があったからです。「ザ・リッツカールトン 東京」は、昨年3 月 30 日に六本木の防衛庁跡地の再開発計画によって建築された東京でいちばん高いビル、複合施設ミッドタウン・タワーの上層階にオープンしました。この紹介にも、「リッツ・カールトンの哲学を極めた、きめ細かなおもてなし。」と書かれてあります。
「タイレノール」事件を乗り越えた「J&J」のクレドや、従業員が常時携帯している「リッツ・カールトン」のクレドとは、どんなものなのでしょうか。

投稿者 fujimori : 23:04 | コメント (4)

2008年03月13日 近頃思うこと

クレド1

最近の中国の餃子問題で思い出すことがあります。それは、1982年9月に、全米を震撼させた「タイレノール」事件です。これは、J&J(ジョンソン・エンド・ジョンソン)の医薬品部門で全米の主力商品だった家庭用鎮痛剤「タイレノール」にシアン化合物が混入され、シカゴを中心に7名が死亡するというものでした。そのときに、J&Jと「タイレノール」を扱うグループカンパニーのマクニール社は重大な危機に直面しました。
しかし、このときにあたって、J&Jは全「タイレノール」商品の回収、マスコミを通じた積極的な情報公開、新聞への警告広告の掲載、対策チームの設置など素早い対応を行いました。陣頭指揮をとった当時のJ&Jバーク会長は、単なる危機管理として対応することに終わらず、「消費者への責任」を第一に考えた体制をとりました。これは、J&Jの企業理念である「我が信条」の第一の責任に立ち返った意思決定でした。事件終結後、J&Jのこの事件における対応は、一般消費者をはじめ政府・産業界からも、これまで以上に高く評価されました。そして、全社員が一丸となった再場市努力の結果、予想をはるかに越える速さで市場を回復していきました。
最近、企業理念や社是などに代えて、クレド(credo)を導入する企業が現れているそうです。クレドとは「信条」を意味するラテン語で、「企業の信条や行動指針を簡潔に記したもの」を指します。このクレドを導入している企業はこの仕組みを、従業員の自主的な行動を促すためのツールとして利用しているといいます。それは、具体的にはどのようなものなのでしょうか。
危機を脱出したJ&Jのクレドはどういうものなのでしょうか。この会社は「我が信条」と題するクレドを、企業運営の中核に据えています。会社案内には、こう書かれています。「社是、経営理念、ビジョン、ミッションなど、その会社を表す文書は何種類もありますが、ジョンソン・エンド・ジョンソンについて言えば、「我が信条」という、A4用紙一枚の文書があるのみです。この文書は顧客、社員、地域社会、そして、株主という四つのステークホルダー(利害関係者)に対する責任を具体的に明示したものです。起草以来60年以上に亘り、ジョンソン・エンド・ジョンソンの行動指南役として機能し続け、今後もその役割を果たし続けることでしょう。」
この文書は1943年に起草されていますが、そのときに、「この文書はジョンソン・エンド・ジョンソンという会社の社会的責任(Company Social Responsibility)を記したものである。」として導入されました。今でこそ企業経営においてCSR(企業の社会的責任)という概念が最近定着しつつありますが、当時から、この考え方が記され、以来、一貫して、この「我が信条」を行動の拠り所としていますし、ここに込められた哲学に従って、数え切れないほどの意思決定を行なってきました。その思い入れは強く、起草したロバート・ウッド・ジョンソンJrは、取締役会で発表したときに、「この文章の中に書かれている考え方が会社の経営理念である。」と説明したのに続けて、「これに賛同できない人は他社で働いてくれて構わない。」と断言しています。
J&Jに限らず、クレドは、どんなものか、今、もう一度見直す必要があるかもしれません。

投稿者 fujimori : 23:01 | コメント (4)

2008年03月12日 近頃思うこと

企業の求める力2

 日本経団連が11月に行った新卒採用に関する企業アンケートでも、選考で重視する点(複数回答)は「コミュニケーション能力」が75・1%と最多でした。この能力は、OECDが行うPISAの学力調査でも重要な力とされています。それは当然なことで、例えば語学が堪能になっても、人と会話をすることがうまくいかなければ、話すことは出来ませんし、さまざまな問題も答えが出ても、それを人に伝えなければ回答したことにはならないからです。
 それを、経団連は「対話は仕事を行う上でもっとも基本的な能力。企業はより基礎的な力を新入社員に求めている」と分析しています。しかし、それに反して、最近の若者は、コミュニケーション能力が低下してきていると言われています。その理由は様々あるでしょうが、インターネットや電子メールの普及などで、若者世代の対話能力が低下しているとの懸念も背景にあるとみられているようです。私は、この能力が低下している背景に「少子化」があるような気がします。子どもが多かったころは、自分を主張しないと認めてもらえないし、やってもらえないし、物も貰えないことが多かったでしょう。しかし、子どもが少ないと、親は子どもが欲しがっている様子を、自分から言わなくても気がついてしまうでしょうし、それ以上に、欲しがる前に欲しがるであろうと思って与えてしまうことが多いような気がします。それが、子どもを愛し、子どものために自分はしてあげていると思ってしまうようです。
 そのほかの望む力として、企業不祥事の続発を受け、「倫理観」の大切さを説く経営者も多かったようです。カネボウ化粧品の高山外志夫会長は「法律や規則と言った社会の決まりを守るのは当然だが、礼儀も含む『人の道』という言葉で表現される事柄にも、強い意識を持って欲しい」と言っていますし、新日本石油・西尾進路社長は、「自らの権利ばかり主張して、責任を放棄するような人間は社会人としての資格はない」と苦言を呈しています。それぞれの仕事には、かつての「武士道」のように、それぞれの「道」があり、その前提として「人としての道」も歩んで欲しいと思います。
また、少子化の影響は違うところにも出ています。厚生労働省によると、大学を卒業して就職し、3年以内に職を離れる比率は02年卒で34・7%だそうです。随分、多くの若者が入社してすぐに働く意欲を失ってしまうようです。今の若者に継続して働いてもらい、きちんとした社会人として育てるためには、兄弟が少なく、大事に育てられたため、「上司の温かいまなざしと共感が育成のカギ」社会経済生産性本部の「職業のあり方研究会」では分析しています。
 成績、学歴、資格、語学力は後になっても身につけることが出来ます。この結果を見た社会人の息子は、「この上位に上げられている力は、生まれつきのものだったり、親の育児の姿勢によって左右されてしまうので、それが必要だと言ってもかわいそうだよ。だから、後で身に付くものを求めるしかないんじゃないの?」と言っていましたが、私は、そうではなくて、上位に上げられているものは、乳幼児期での過ごし方が重要なものだと思います。
 ですから、国は、本当にPISAの学力をあげたいのであれば、また、将来企業で活躍する人材を作りたいのであれば、もっと、少子時代における乳幼児教育を見直し、国の責任として乳幼児教育を充実していったほうがいいと思うのですが。

投稿者 fujimori : 18:44 | コメント (4)

2008年03月11日 近頃思うこと

企業の求める力1

 昨日は、各国が定めている、また取り組んでいる教育目標を見てみました。しかし、国が思っている人材養成が、果たして将来の生きる上での本当の知恵になるのでしょうか。例えば、今回代表的に言われているのが「台形の面積」があります。これは以前のブログでも書きましたが、この台形の面積の出し方「(上底+下底)×高さ÷2」を子どもに教え、覚えさせることがどれだけの基礎学力の向上につながるのでしょうか。その公式など、学校時代以外で使われることはありません。こんなものは、長方形の面積の出し方を知っているだけで、自ら考える力がありさえすれば導き出せるのです。ですから、公式を覚えさせるよりも、自ら導き出す力をつけたほうがいいと思うのですが。
 実際に役に立つ学びの種は、様々なところにあります。それを見つけ、それに水をやり育てていく力をつけるべきです。3月9日読売新聞のコラム編集手帳にこんなことが書いてありました。
「先の世界卓球で活躍した平野早矢香選手は、日々の練習に励むだけではなく、古武術家の甲野善紀さんや、麻雀を通した独特の人生哲学で知られる桜井章一さんを訪ね、体の使い方や心構えについて教えを請うてきた◆甲野さんや桜井さんの考えは、学校教育の枠内では学ぶことができない世界だ。幕末期、志士たちは武者修行のために諸国を歩いた。評判の高い学者のもとを訪ねて入門を願った。自藩の学校に通うだけでは進歩がないと思ったからだ◆大嶋さん(監督)は「感じる能力」とか「感性」という言い方をする。それが相手の動きを素早く察知する力になる。異なる分野で活躍する人の知恵を借りるのも、そのためだ。監督に度量の広さがなければ難しい◆卓球は中国が圧倒的に強い。その鉄壁を崩す日が来てほしいが、そのためには、一般の人とは違う才能に加え、何か特別の要素が必要なのだろう。」
 人生を送る上で、本当に必要な力は、決して学校だけでは得られるものではないようです。また、人生を送る上だけでなく、企業に就職しようとするときには、どんな力が要求されるのでしょうか。最近、英語熱が高まっていますが、企業では語学力をどのくらい必要としているのでしょうか。
 読売新聞社が主要企業100社対象の2006年春の新卒者採用予定状況調査による「新卒採用で重視する点」のアンケートを実施しました。
その結果、重視する点として「コミュニケーション能力」は78社、「人柄」は70社、「仕事への熱意」は66社、「業界の理解度」は5社、「大学の学部・専攻」は、5社、「大学の成績」は2社、「社会経験」は2社、なんと「語学力」は1社、「資格」を必要とする企業は、0社でした。
経営者は入社式で、新入社員に贈った様々なメッセージではある傾向があります。それは、人間関係が重視されてきています。「人間に深い愛着をもち、直接ふれあう機会をたくさん持つことで、人間について勉強し、人間通になってほしい」(東京電力の勝俣恒久社長)、「フェース・トゥ・フェース(対面)で話し合うことも大事だ。Eメールのやりとりだけでは伝わらないことがある」(日本板硝子の藤本勝司社長)、「世代や組織の枠を超えたコミュニケーションを大切にして欲しい」(三菱商事・小島順彦社長)など他の経営者も、コミュニケーションの重要性を訴える内容が目立っています。
どうも、企業で求める力は、学校で習って身に付くような力ではないようです。

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2008年03月10日 近頃思うこと

教育目標

 昨日は、NHKテレビで「学力」についての番組が放映されていました。各国では、社会経済や教育の時代背景の変化に伴って、教育目標を掲げて、ここ数年の間に様々な取り組みをしています。日本でも、「総合的学習」や「ゆとり」の授業から、「基礎学力の向上」を目指す方向に転換し始めています。その話し合いの中で、文科省では「諸外国の教育目標の動向」を資料として提示しました。その資料では、各国では目標の方向が定められています。
 アメリカ合衆国では、各年齢によるそれぞれの目標が示されます。「学力の底上げ(初等中等教育)」「教育の質の維持・向上(初等中等教育)」「アカウンタビリティの改善(初等中等教育,高等教育)」「アクセス向上,学費負担軽減(高等教育)」学力の底上げについての課題は、どの国でも同じようですね。しかし、底上げのために、まず「質」の維持・向上があげられています。そのために、「全国教育スタンダード及び学力の測定・評価システムの開発・設定」や「学力テストの実施と結果の公表(2013年度までに各州が定める学力水準にすべての児童・生徒が到達すること)」などが具体的な目標として立てられ、そのために「基礎学力向上政策への集中投資」などを目標としています。
 イギリスでは、すべての年齢に共通する課題が示されています。「経済発展に役立つ人材の養成」「教育水準の向上」「機会の拡大(義務教育後教育及び高等教育)」です。人材は、経済発展に役に立つために育成するとは、面白いですね。まあ、国としては、豊かな心とか、感性豊かな心情などという目標は立てないでしょうね。しかし、いくら経済優先でも、その具体的な目標では、「人々の自己実現のための可能性を引き出す」とか「より個性に応じた教育と選択の拡大」をあげているように、みんな一緒というような。一斉に教え、言われた通りに活動させることは、かえって経済効果に貢献しないと思っているようです。
 フランスでは、「教育の質の維持・向上」「機会の拡大(後期中等教育、高等教育)」「失業問題対策の一環としての教育の質の向上」です。やはり、フランスでも、質の維持・向上が上げられています。そのために「児童生徒の多様性に応じた教育課程の弾力化(個々の児童生徒の学習リズムへの配慮)」などがあげられていますが、ここへの対応が課題のようです。
 中国では、「国民全体の資質向上と優秀で大量の人材の効率的育成」「資質教育(創造性の育成)」です。なんだか、私たちが目にし、耳にする中国での教育とはイメージが違います。その目標内容として「高水準で創造能力を持つ人材育成」というように、認知的なものを強化しようという動きは、表面的には出されていないようです。
 ドイツ、フィンランド、、韓国では、「目標の柱」が立てられています。ドイツでは、「基礎学力の向上」「人材の養成(職業・高等教育)」「国際化・情報化への対応」であり、
フィンランドでは、「基礎教育の機会の保障」「教育機関と職業生活の相互関係を一層強化」「高等教育の国際競争力と地域のニーズへの対応」「高等教育の拡充、成人教育の充実」があげられていますし、
韓国では、「学習社会と人材強国の建設」「“人”と“知”主導型の成長」があげられています。
 どの国でも課題は似たようなものがあげられていますが、それは、当然時代的背景が同じだからでしょう。しかし、それに対する教育目標は、各国では多少違うようです。

投稿者 fujimori : 22:26 | コメント (4)

2008年03月09日 近頃思うこと

マガジン

 週刊少年サンデーで夢中になった漫画に、忍者ものがありました。作者は三国志などで有名な横山光輝氏で、「伊賀の影丸」「仮面の忍者赤影(飛騨の赤影)」白土三平氏の「カムイ外伝」「サスケ」などです。
野球物では、古いところでは、寺田ヒロオ氏の「スポーツマン金太郎」は創刊号から連載されました。オトギ村の金太郎少年と桃太郎少年がプロ野球に入団して活躍する物語で、金太郎はジャイアンツで桃太郎はライオンズに入団します。同じ寺田さんの作品に「背番号0」がありますが、これは、野球が好きで心優しい少年、ゼロくんと妹のキミ子ちゃん、それにゼロくんの友達の活躍を描いた作品です。これら寺田さんの作品は、基本的にはほのぼのしたストーリーで、スポーツ少年達の生活や友情を一貫して描いています。他に水島新司氏の「一球さん」「男どアホウ甲子園」、あの「巨人の星」を描いた川崎のぼる氏がレスリングの世界を描いた「アニマル1(ワン)」がありました。
 当時、どの子どもたちもあこがれ、夢中になったヒーローがいました。「少年ケニア」、「スーパージェッター」「ローンレンジャー」「赤胴鈴之助」などです。そのほか、ナンセンス物として、「おらぁグズラだど」「がんばれ!ロボコン」などは懐かしいですね。「今は大御所となった漫画家の初期の作品が掲載されています。「冒険ガボテン島」は、テレビ放送もされましたが、無人島に漂着した少年少女たちが、その島を「ガボテン島」と名づけ、厳しい環境の中で懸命に生きる姿を描いていました。
 一方、週刊少年マガジンは、やはり1959年、講談社から発行されました。この創刊号の表紙を飾ったのは大相撲の横綱朝潮です。創刊当時の定価は、40円で、途中で30円に値下げされました。初期のころのキャッチコピーは「ゆめと希望の少年マガジン」のように、少年のものでした。そのなかで、「エイトマン」「ちかいの魔球」「紫電改のタカ」「サイボーグ009」がありました。そして、1965年の「ハリスの旋風」を皮切りに2大スポコン「巨人の星」と「あしたのジョー」がはじまりました。またマガジンは、ちょうど私の年齢が上がってきて、ほのぼの系よりも、ちょっときつめのほうが面白くなってきたころ「キッカイくん」「アシュラ」「ワル」などの問題作が連載されはじめました。また、スポコンに代わって、「空手バカ一代」「おれは鉄兵」「釣りキチ三平」などがスタートしました。
 この中で、「紫電改のタカ」は、ちばてつや氏の作品です。珍しく戦場漫画でしたが、当時の多くの子ども心をつかんで、人気作品となりました。主人公は日本帝国海軍の青年パイロットです。彼は、新戦法をあみだし、撃墜王となっていきますが、終戦を目前にして特攻隊員として出撃してゆく姿を描いています。当時は夢中になりましたが、1963年から1年半の連載で、戦後20年余りもたった時代としては、今考えると、随分と古臭いテーマでしたが、戦争の中で生きる若者たちの苦痛や苦悩を描き出されていて、戦争を考えるきっかけにもなりました。
 サンデーにしても、マガジンにしても、「当時の子どもに夢と希望と、豊かな心を育てた」などというとなんだか“くさい”ようですが、本当にそういう感じでした。今は、そのような言葉は“死語”になってしまったのでしょうか。

投稿者 fujimori : 23:17 | コメント (5)

2008年03月08日 近頃思うこと

サンデー

 先月末に「マガジンとサンデー、共同で漫画発行へ 創刊50周年」という記事が各新聞に掲載されていました。週刊少年マガジンと週刊少年サンデーが来年、同時に創刊50周年を迎えるのを記念し、両誌の出版元である講談社と小学館が、共同して少年向け漫画雑誌を発行するそうです。内容は、マガジンで不定期連載している「金田一少年の事件簿」と、サンデーで連載中の「名探偵コナン」の過去の作品を再編集したものだそうです。
私は、小学生のころ創刊された週刊少年サンデーを毎週買っていました。そして途中から週刊少年マガジンを買っていました。そのころは、今ほど漫画だらけではなく、読み物を多くあり、また、漫画も今考えると随分と良識的な、名作と言われるようなものが多かった気がします。
週刊少年サンデーは、サンデーというだけあって、毎週日曜日に発行されたのかというと全く関係ない1959年3月17日火曜日に4月5日号として創刊されています。この誌名は、この雑誌を読むとまるで日曜日のように楽しい気分に浸れるようにという願いによるものだそうです。創刊号の表紙を飾ったのは、よく取り上げられるので有名ですが、当時読売巨人軍の主力選手だった長嶋茂雄でした。そして、巻末には児童心理学者の波多野勤子さんが祝辞を寄せていますが、今でしたら、漫画ということで眉をひそめられるでしょうね。
1970年、ヤング向け雑誌への方向転換を図るまでは、「少年サンデー」は「少年マガジン」ともに子ども用の漫画雑誌でした。作者は、そのころいわゆる「トキワ荘」の面々が並びます。これらの作品の話しになると、たぶん私のような団塊の世代は盛り上がるのですが、今の人はしらけるかもしれませんね。
トキワ荘の大御所は、なんといっても手塚治虫氏です。この週刊少年サンデーにも創刊の年には、「0マン」があります。この「0マン」は「週刊少年サンデー」では創刊号から連載された「スリル博士」に続く手塚さんの二作目に当たる作品です。「0マン」と呼ばれる超人類と人類との抗争を軸とした大河ドラマを展開する作品でしたほかにもいくつか私の好きだった作品を手塚さんが書いています。1960年代では、「勇者ダン」「W3(ワンダー・スリー)」「バンパイヤ」「どろろ」などがあります。
しかし、なんといっても作品が多かったのは、藤子不二雄氏の作品です。創刊から書いている「海の王子」は、画だけでしたが、この作品で彼を知りました。その後「オバケのQ太郎」「ビッグ・1」「ウメ星デンカ」があります。彼は、当然その名前から一人の人物だと思っていました。しかし、途中から名前が「藤子・F・不二雄」となり、どうしてだろうと思っていました。その名前で発表した作品には、「21エモン」「パーマン」がありました。その後、別れて描くようになって「プロゴルファー猿」などは、「藤子不二雄A」という名前を使っています。
 次に何本も作品のあるのが「赤塚不二夫」です。「おそ松くん」をはじめとして、「もーれつア太郎」「天才バカボン」などの名作があります。
 せっかく思い出してきたので、明日も、この時代の子ども文化を紹介します。

投稿者 fujimori : 21:53 | コメント (4)

2008年03月07日 近頃思うこと

春キャベツ

 今朝、「春キャベツ」が出荷されたというニュースが流れていました。最近、焼き鳥屋とかいくと、春キャベツを頼むことが多くなりました。キャベツがそのまま4分の1くらい出てきて、マヨネーズとか、からし味噌とか、塩とかをつけて食べます。そのままですが、甘みがあって、とてもおいしいです。
 しかし、何で春キャベツなのでしょうか。朝のテレビでは、一般のキャベツとの比較を輪切りにした断面で説明をしていました。一般のキャベツはきちんと閉まりよく丸くなっていますが、それに引き換え、春キャベツは隙間だらけに丸くなっています。見たところ、そのほうがしまりがなさそうですが、コメントでは、そのほうがやわらかくておいしいのだそうです。
 では、春に収穫するとそのようになるのかというとそうではなさそうです。キャベツは農作物の中では珍しく、旬といえるような時期はありません。「春キャベツ」というのは、正確には、「春系キャベツ」と言うのだそうです。その種類は、何も春だけに取れるのではなく、市場には1年を通じてあり、春系キャベツ、寒玉系キャベツ、その中間型が出回っています。その中で、春系キャベツは、葉の質が柔らかく生食に向いているのです。しかし、葉が薄いので火を通すと柔らかすぎてベシャッとなってしまうので加熱調理には、寒玉系キャベツのほうが葉が厚く、そのため生では堅い印象を受けますが、甘みがあるのでキャベツ本来の味が楽しめ、加熱調理をしても歯ごたえが損なわれにくい特徴があり、むいています。また、その両者をかけあわせて作られた中間型のタイプもあります。
 私たちは、栄養面から見ると、そうしても色の濃いもののほうが栄養がある気がします。ですから、どうしても色の濃いキャベツとか、色の濃い野菜を取ろうとしますが、キャベツには、緑黄色野菜も顔負けの健康パワーが秘められているようです。春キャベツを生で食べる場合、キャベツ100g(中くらいの葉2枚)に44mgものビタミンCが含まれています。これは、レモン1/2個分とほぼ同じ量で、成人1日の必要量の約90%にもなります。すっぱくもないし、淡い色なので、信じられませんが、意外にたっぷり含まれているのです。次に、キャベツを始めとするアブラナ科の野菜にはビタミンUが多く含まれています。このビタミンは、胃壁を守り、肝機能アップや活性酸素除去に働きます。「キャベジン」などの胃薬の主成分にも使われる健康成分です。
 これらのビタミンC、Uは、ともに水に溶けやすいビタミンです。ですから、千切りキャベツやサラダにするとき、切ってから水にさらしておいては、ビタミンが流出してしまうだけでなく、味わいも抜け出てしまいます。また、朝のテレビでは、「どこが一番おいしく、栄養があるのでしょう。」という問いに対して、芯の周りと答えていました。実は、ビタミンCは外側と芯側の葉に多く、ビタミンUは内側にいくほど多く含まれているそうです。ですから、外葉や芯も、中の葉と混ぜて丸ごと食べるのがよいようです。
キャベツには旬といえるような時期はないようですが、 日本の平坦部では秋から春にかけて多く作られていますし、春に飛び交うモンシロチョウが卵を葉に産み付けるので、春のイメージが強いです。
 農薬がかかっていない春キャベツをバリバリ食べたいですね。

投稿者 fujimori : 23:38 | コメント (4)

2008年03月06日 近頃思うこと

職場検診2

検診の中で中高年になるときになる数値に「中性脂肪」(TG) があります。中性脂肪とは、エネルギーとして消費される脂肪ですが、多くなると皮下や肝臓に蓄えられ、肥満、脂肪肝、すい炎の原因になることがあるといわれています。健康診断書の中では、TGの数値としてあらわされ、基準値が50~149mg/dlです。この中性脂肪が高い場合を2007年7月に高脂血症といっていたのを脂質異常症(高TG血症)というように改名されました。
高TG血症は、血液中に含まれる脂質が過剰、もしくは不足している状態を指しますが、高コレステロールと合併していると、動脈硬化をより促進すると言われています。このような場合は、ウォーキングにより改善するようです。それは、高TG血症では、歩行不足により蓄積した内臓脂肪より遊離脂肪酸が分泌され肝臓に流入し、TGとして蓄えられ、さらに血液中のTGも増加します。ウォーキングを継続すると内臓脂肪が減少し、肝臓に蓄えられたTGも徐々に分解され、高TG血症も改善します。この変化はかなり早く表れ、ウォーキングを始めて1月もすると見られるようです。ですから、TGの減少はメタボリックシンドロームの改善傾向のよい指標となるようです。
最近、中高年ではメタボリックシンドロームをはじめとする、医学的な不具合が取りざたされています。単純に胴回りだけでは判断できませんが、メタボリックシンドロームの進展によって引き起こされる脳卒中や心筋梗塞の予防が叫ばれています。医学博士で、日本ウォーキング協会副会長、ウォーキング医科学研究所所長である泉嗣彦さんが、あるネットの中でウォーキングの効用から、それを勧めています。
 まず、ウォーキングで大切なことは、「自分に合ったウオーキングスタイルを身に付け、体力と気分・体調に合わせ、歩く時間、速さ、距離、楽しみ方などを調節しながら長続きさせること」といいます。二つ目は「体力増進」と言っています。これは、「若年者では速歩の練習で心肺機能、筋持久力を増強できますし、高齢者ではプラス千歩より徐々に歩数を増やし、体力をつけて衰弱を防ぎ、転倒・骨折を予防することになる。」と言います。心肺能力、筋力、筋持久力およびバランス能力などが改善すると、好みの運動や余暇活動も楽しめます。そして、三つ目は「こころの健康」と言います。「ウォーキングにより身体が変わるとこころも変わります。よい歩き方ができると、速く長く歩け、歩いた後の心地よい充実感・達成感・満足感が得られます。毎日の散歩やイベント参加、更に楽しみを求めて活動範囲が拡がると、歩くこと、出かけることが生きがいにもつながります。」
四つ目の効果として、「五感が鋭くなり、単調な日常生活の中のわずかなよい変化にも気づくようになります。気分も改善、ストレスも解消して、明るく、積極的になり、好奇心も旺盛になります。認知症予防にも効果があります。」最後は、「社会的な効果です。高齢になると人と交わるのもおっくうになります。でも、散歩では見知らぬ同士がいつの間にか声をかけあう仲間になります。」
このウォーキングは、何も取り立てなくても人間は毎日歩いています。人は、自然と自ら様々な病気の予防を行っているのです。病気は、人としての自然な生き方をしなくなることによって引き起こされることが多いのかもしれません。

投稿者 fujimori : 23:20 | コメント (3)

2008年03月05日 近頃思うこと

職場検診1

 職場健診を毎年受診することになっていますが、その結果に一喜一憂します。特に年齢が高くなってくると、血液検査が気になるところです。その中で直接気になるのが、ひとつは、血糖値や総蛋白の数値です。もうひとつは、コレステロール値や中性脂肪関係の数値です。これらは、体に必要なものも多いために、高すぎても、低すぎてもよくない場合が多いようです。
 まず、血糖値ですが、この数値が高いと恐ろしい、あらゆる病気の引き金になりやすい「糖尿病」になる可能性が高くなります。最近、ペットボトル症候群といわれる、 スポーツドリンク、清涼飲料水などを大量に飲み続けることによっておこる急性の糖尿病が問題になっています。人間が1日に必要とする炭水化物は、総エネルギー必要量の50%から70%を目標にすべきとされ、また砂糖は総エネルギー必要量の10%未満にすべきだと勧告されています。それであるにもかかわらず、市販飲料の多くには、100mlあたり10g程度、スポーツドリンクにはたいてい100mlに6g程度の糖分が含まれています。これを普段水代わりとして飲んでいる場合、1日に2リットル程度飲むと仮定すれば、120~200gもの糖分を摂ることになり、2gのスティックシュガー60本分となり、スティックシュガーの袋詰め商品一つ分を摂取していることになるのです。
 総蛋白濃度などは、栄養状態の指標として利用されます。それは、主に肝臓の働きに関係します。一般に総蛋白とアルブミンは低いことが問題となることが多いようです。
年齢が高くなって心配なのは、コレステロールと中性脂肪です。しかも、この数値は、総コレステロールはわかるのですが、HDLとか、LDLとか、そのあたりはやたらとアルファベットが並ぶので、何がどうなのか、何に影響するのかがよくわかりません。しかも、高いといいのか、低いといいのかもよくわかりません。そして、それらを正常値にするには、どうすればよいのかもよくわからない場合もあります。
最近よく言われるものに、総コレステロールの中の、悪玉と呼ばれるLDLコレステロールと、善玉と呼ばれるHDLコレステロールです。悪と善と言っても、必ずしも善悪で割り切れるものではないようです。たとえば、悪玉と言っても、LDLコレステロールは、人間の細胞組織の構成や、ホルモンの合成などに欠かせない大切なもののようです。しかし、多すぎると血管に沈着して、動脈硬化を促進してしまいます。HLDコレステロールは、血管壁内の余分なLDLコレステロールを取り除く作用を持ち、逆に少なければ動脈硬化によくありません。
 これまで「高脂血症」と呼ばれていた脂質異常は、低HDLコレステロール血症を含む表現としては適切でないということで、2007年版動脈硬化性疾患予防ガイドラインでは「脂質異常症」と改訂されました。脂質異常の内容は男女で異なり、高LDLコレステロール血症は女性に多く、女性では大多数が単独の異常で、男性では約半数が他の脂質の異常を伴っていたそうです。低HDLコレステロール血症は男性に多く、メタボリックシンドロームを伴っていたようです。高LDLコレステロール血症には食事療法が優先するようですが、閉経後の女性の場合は体質によるものが多いので、改善の程度は少ないようです。
 数字だけで翻弄されるのではなく、正しい知識と、具体的な改善策を練る必要があるようです。

投稿者 fujimori : 23:12 | コメント (4)

2008年03月04日 近頃思うこと

春の味覚

 最近は、それほどうるさくなくなりましたが、給食のときに「好き嫌い」をなくそうと躍起になっていた時代がありました。今になってみると、何でそんなにむきになっていたのかと思うほど、全部食べるまで、教室の後ろでは掃除が始まっている時間になるまで残したり、吐いたものまでもう一度口の中に押し込んだり、随分とひどいことをしていた教師がいました。
 栄養補給だけのためであれば、錠剤でも飲めばいいことで、その食材の季節感を感じながら、そのものをおいしく食べることが意味あることです。そのおいしく感じる味覚は、年齢によっても変わってくるようです。私は、もともと好き嫌いがないのですが、最近特においしく感じるものに「にがい」「くさい」「くせがある」という食べ物があります。また、肉よりも野菜がおいしく感じるようになりました。たぶん、子どものころは余り好きではなかったものが、いつの間にか好きなものになっている気がします。
 その中で、春は、おいしく感じる物が多く出回ります。
「君がため春の野に出て若菜摘む わが衣手にゆきはふりつつ」(光孝天皇)
 この百人一首でなじみ深いこの歌に出てくる若菜とは春の七草のことです。眺める「秋の七草」に対して、食べておいしく、体に良い「春の七草」と言われる野草が並びます。この七草を入れたかゆが「七草粥」で、旧暦の一月七日に食べると邪気が払われ、無病息災でいられるという慣習があります。そういった慣習には関係なく、この七草は年をとってくると、おいしく感じられるようになります。
「せり」は、セリ科の多年草で、田の畦など湿地に自生します。効能としては、消化を助け黄疸をなくすと言われています。「なずな」は、別名「ぺんぺんぐさ」と呼ばれ、 アブラナ科の越年草で、視力、五臓に効果があったようです。「ごぎょう」(おぎょう)は、ハハコグサの異名です。この効能は、吐き気、痰、解熱に効果があると言われます。「はこべら」は、別名を「はこべ」といい、効能は、歯ぐき、排尿に良いとされています。「ほとけのざ」は、別名「タビラコ」と言います。この効能は、歯痛に効くといわれています。「すずな」とは、蕪と書き、カブラの異名です。消化促進、しもやけ、そばかすにいいと言われています。「すずしろ」は、大根の異名で、胃健、咳き止め、神経痛によいと言われています。まあ、この効用は、地域でも異なる伝承があり、必ずしも科学的に定かではありませんが、確かに、春の七草はおいしいですね。
 そのほかに、春の味と言ったら「ふきのとう(蕗の薹)」があります。雪どけと一緒に春一番に顔を出す山菜ですが、とくに蕾が開いたものは苦く、蕾の開いていないふっくらとしているものが食べごろです。天然のものは独特な苦味が特徴です。これは、子どものころは好きでなかったような気がしますが、今は、大好きです。もう少し時期的にはあとかもしれませんが、「たけのこ(筍)」があります。昨年たけのこ掘り体験をさせてもらいましたが、おいしいものは、全体の形がズングリして太く、短いもの、うぶ毛のそろったものは、なかなか掘るのが大変でした。「わらび(蕨)」は、日本各地の日当たりのよい草原、林、土手などに見られますが、茎、葉、根全体を食べることができ、野草の代表の気がします。ただ、アクが強く、歯ごたえやぬめりが特徴です。他にも、おいしいものに「菜の花」「よもぎ」「たらのめ」「うど」「うこぎ」「ニラ」「ノカンゾウ」などがあります。
 感動する景色の好みが変わると同じように、味覚の好みも変わってくるものですね。

投稿者 fujimori : 23:51 | コメント (4)

2008年03月03日 近頃思うこと

中学生時代

「ど根性ガエル」に登場する蛙「ピョン吉」が生まれた町「神田」には、江戸時代からこんな早口言葉がありました。「神田鍛冶町の角の乾物屋の勝栗買ったが、固くて咬めない。返しに行ったら、勘兵衛の内儀(かみ)さんが帰ってきて、癇癪(かんしゃく)起こして、カリカリ咬んだら、カリカリ咬めた。」
私の出身中学校は、この神田鍛冶町にありました。毎日通る中学へ曲がる道の角の店には、こんな言葉が書かれていました。「神田鍛冶町 角の家具屋」ということで、乾物屋ではなく、家具屋でした。今は、この中学校は、統廃合によって廃校になってしまっています。
先日、園の保護者が、「自分の店をたたむことになったので、いらなくなったものを園で使ってください。」と持ってきてくれたものがいくつかありました。そのひとつの、よく寿司屋などで出される魚の名前を漢字で書いた湯飲み茶碗があります。
yunomi.JPG
この茶碗を見ていて中学時代が懐かしく思い出されました。
そのころの教師は、教え方がどうだったか、尊敬できたか、いい先生だったか分かりませんが、今に比べて、生徒も、親も、先生もとてもおおらかだった気がします。
保健体育の男性の先生は、授業が始まる前にまず、することがあります。それは、教卓の上においてある花瓶に挿してある花の名前を言うことです。指された子は、それが言えないと、花に向かって「あなたの名前が分からずに申し訳ありません。」と土下座して謝らないといけないのです。そこで、花係は忘れずに花を買うときに花屋にその花の名前を聞いて、後ろの黒板にその名前を書いておく事にしていました。あるとき、保健体育の授業の日に、係りが花の名前を聞くのを忘れたときありました。私は、クラス委員だったので、急いで後ろの掃除箱の中に花瓶をしまいました。先生が入ってきて、教卓を見てこう言いました。「机の上が少し水にぬれている。雑巾で拭かなければ。」と言って、後ろに行って掃除箱を開けたのです。そこで、隠してある花瓶を見つけました。「どうして、ここに花瓶がしまってあるのか?」と聞くので、私が代表して「今日は、花の名前を聞くのを忘れたので、また謝らないといけない子が出るのでしまいました。」と答えると、「そんなに花の名前を言うのがいやか?」と言うので、「いやです!」と答えると、「じゃあ、これからやめる!」と言うので、みんなは「やったー」と叫んだら、すかさず、「これからは、花の名前ではなく、魚の名前にする。」ということで、その後は魚の漢字の読み方を言わされたのです。
 こんなこともありました。数学の授業が数量と図形があり、1年生の3学期、なぜか図形の授業を化学の先生がすることになっていました。その授業で、なぜか私が避けられている気がしました。手を上げているのに、指してくれないのです。そこで、私は、表を作り、誰が何回指されたかを記録してみたのです。すると、思ったとおり、私が指される回数が極端に少ないのです。そこで、授業中、そのデータを基に抗議しました。「何で、私を指さないのか!」すると、先生は「そんなに答えたいのか?」と聞くので、「そうだ」と答えると、「分かった。じゃあ、これから学期末までの期間、お前が図形の授業をしろ!」ということで、私が生徒の身でありながらその後の授業をしたのです。
 こんな逸話が他にもいくつもある、おおらかな中学時代でした。

投稿者 fujimori : 23:56 | コメント (4)

2008年03月02日 散歩

早春から迎春

 今日は、本格的な春に向けての兆しと、行く早春を感じるために出かけました。
 まず、小田急線新松田駅から徒歩で松田山に登ります。ここでは、松田山の山肌をピンクに染める早咲き桜と、今日は少し曇っていたために見ることが出来ませんでしたが、雪化粧の富士山を見ることが出来ます。ここの早咲き桜は、河津から移植したカワヅザクラ約260本が濃いピンクの花を咲かせています。その花には、めじろが何羽も枝から枝に飛び回っています。
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山頂のハーブガーデンには、約181種16,500本のハーブが植栽されているそうで、いまは、クリスマスローズが花盛りで、ローズマリーが花をつけ始めていました。その花にうずもれながら、散策路の途中、松田市街が一望できる斜面に腰掛けて、妻の作ったお弁当を妻と二人で食べました。
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 そのあと、JR御殿場線松田駅から下曽我に向かいます。ここの曽我の梅林は、中河原・原・別所の3箇所の梅林があり、約3万5千本の白梅が植えられています。ここからも、田園風景のなかの梅林の背景として、富士山(今日は、残念ながら見えませんでした)、箱根連山、丹沢山塊等の眺めもすばらしく、風に乗って、梅の香もあたり一面に漂っています。
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一方、この地は、曽我十郎、五郎兄弟の育った場所として有名で、数多くの史跡もあります。私の子どものころは、この曽我兄弟の絵本や漫画があり、一度訪れたいと思っていた場所ですが、最近の若い人は知らない人が多いかもしれません。曾我兄弟の仇討ちは、1193年源頼朝が行った富士の裾野の巻狩の際に、曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件で、赤穂浪士の討ち入りと伊賀越えの仇討ちに並ぶ、日本三大仇討ちの一つといわれています。この事件は後に「曽我物語」としてまとめられ、江戸時代になると能・浄瑠璃・歌舞伎・浮世絵などの題材に取り上げられ、民衆の人気を得ました。
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まず、中河原梅林の中を散策したあと、曹洞宗の瑞雲寺へ行ってみました。ここには、曽我兄弟が父の敵を討つために願文を納めて、「十人力」を授けられたといわれている「力不動尊」があります。
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この境内に「曽我の春」の歌碑がありますが、その3番の歌詞にこのことが歌われています。「真白く清き富士の嶺 望みはるかな志 十郎五郎傘焼く宵も 力不動に願いをかける 梅の故里 梅の故里 曽我の春」この中の傘は、敵討ちに行くときにたいまつ代わりに傘を燃やしたことからきています。
 つぎに城前寺を参詣しました。ここは、十郎、五郎、祐信、母満江御前の供養墓や鬼王兄弟の碑などもある曽我兄弟ゆかりの寺で、曽我兄弟の墓は、本堂の裏手にありました。
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 そこから、原梅林を経て、別所梅林まで白い布を広げたように一面の梅林です。時折、しだれ梅や深紅の梅が目を引きます。今日で梅祭りは最後のようですが、期間中は、郷土芸能の寿獅子舞や、流鏑馬などさまざまなイベントが行われています。
 郷土芸能の由来や歴史的な逸話を知ることは、その地を訪れるときに、見る目を厚くしますね。

投稿者 fujimori : 22:13 | コメント (4)

2008年03月01日 地域を知る

空間博物館

 せっかく各地に講演に行くのであれば、もし時間があり、先方に「どこか行きたいところありますか?」と聞かれたときに、ブログで紹介した「にほんの里100選」にノミネートされている里を訪ねることが出来たらいいなあと思います。
 ちょうど今日は富山県の氷見で講演があったので調べてみると、氷見全域が「ひみ田園漁村空間博物館」ということでノミネートされています。この試みは、面白いですね。「氷見全体を博物館に」ということで、先日2月5日に各地区の活動発表が行われたそうです。
 例えば、一刎地区では、ミズバショウの増株や脇之谷内地区の遊歩道の設置など市内16の地区を整備しました。このミズバショウの植え込みイベントには市内外からボランティアで参加したそうです。また、脇之谷内地区の三千坊山や宮田地区の乱橋池についての報告もあったようです。
 氷見市は、富山県の西北、能登半島の東側付け根部分に位置し、地形的には海と山がコンパクトにまとまっており、農山漁村の持つ豊かな自然環境を有しています。日本海側有数の氷見漁港には、四季を通じて156種類もの魚が水揚げされ、広辞苑にも掲載されている「氷見いわし」や、初夏の「マグロ」、冬の「寒ブリ」などは特に有名で、昨日の夜も「ブリしゃぶ」をいただきました。
氷見市は、堂故市長が初当選した1998年当時、少子高齢化が県内9市で最も進んでいた地域で、地域活力の低下が懸念されていました。市長には、「これからの時代に子供を持つことへの思いや都市中心型の社会構造の変革は、ちょっとした少子化対策で対応できるものでは、もうない」という思いがあり、定住に寄与してきた魅力を思い切って世界に発信することで、外からの高い評価を得、それによって市民の「愛郷心」と「誇り」を醸成し、定住に跳ね返らせるという、定住と交流が表裏一体の良い関係を持ち、市の活力を維持していこうということに挑戦したのです。
まず、「伝統漁業の定置網を今に生かすまちづくり」を行いました。市長は、この定置網漁法を、「消極的で時代遅れの漁法」ではなく、「21世紀の資源管理型漁法」として、さらには「人にやさしい漁法」として世界へ発信しようとしたのです。そのために、「成功から出発する」ということから、さまざまな機会を通じて全国の市長などから貴重な失敗例を聞いて回ったのです。成功例ではなく「どうしたら失敗するか?」を聞いたのです。
もうひとつが、県内初の「棚田オーナー」事業で、不利な自然条件を「地域の良さ」に変えるという発想です。長坂という所をモデル地域として進められていますが、粘土質の土壌が生むおいしいお米と、棚田から眺める海越しの立山連峰の美しいパノラマ、そして、地元の人々のホスピタリティに、回数を重ねるごとにファンが増えてきているようです。
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それに引き続いて、「里山林のオーナー事業」「竹林オーナー事業」をスタートさせています。これらの事業が、中山間地活性化の認識を市民に浸透させ、積極的な地域活動が展開されるきっかけになっているようです。
この「ひみ田園漁村空間博物館」は、単に施設をつくるということではなく、有形・無形の地域資源を展示物ととらえ、内外の交流を活発にすることで地域活性化を図ろうという地域づくり活動です。そろそろ、大きな建物や道路などの施設を作ることから、住民が活性化する事業への転換を図るべきでしょうね。

投稿者 fujimori : 21:09 | コメント (5)