学習

 先日園を訪れた方が、台湾に行ったときの話をしていました。
台湾では、年長さんでもうすでに掛け算九九が言えるそうです。しかし、それはどうも無理やりに仕込まれている感じがしたと言っていました。というのは、先生は保育中に一切笑顔を見せず、ずっとしかめっ面をしていたそうです。また、子どもたちの声もどこからも聞こえず、ずっと黙って言われたことをしていたそうです。これは、見てきた人の主観が入っているかもしれませんし、台湾ではどこでもそういう保育をしているとは限りませんが、他の情報からもおなじようなことを聞くことが多いです。
 以前のテレビ番組ではありませんが、確かに中国では子どもたちは一生懸命勉強をしているようです。しかし、中国語では「勉強」(mian qiang)は、無理強いするという意味だそうです。「免」はもともと女性が力をいれて出産している様を表した象形文字なのです。ですから、日本語の「勉強する」という意味では「学習」(xue xi)が使われています。私も、「勉強」「教育」という時は余り好きではありません。「学習」のほうがいいですね。しかし、中国では、「学習」よりも「勉強」のほうがあっているかもしれません。しかし、この勉強でも中国では格差があるようです。
 中国の農村地方では、満足に小学校にも通えない子どもたちが3000万人もいるといわれています。改革開放政策のひずみから富裕層は惜しみなく子どもの教育にお金をかけ、貧困層の子どもは中学を卒業するのが精一杯という二極化が進んでいるのです。そこで政府もいろいろな対策を打ち出しています。小学校の教育費の一部を公費で負担することが、最近やっと決定しましたが、なかなか大変のようですね。
 やはり、先日来園者の話で、絵を描かせるときに一斉に笛を吹いて始める園があると聞きました。それは、日本の園での話しです。私も、以前見学した園で、子どもが立ち上がるときも、歩き出すときも、トイレに移動するときも、ピアノの音にあわせて一斉に列を組んで行動する子どもたちを見ました。整然と、きちんと子どもたちが行動している姿に感動しているようでした。
 なにが子どもたちの学習にとって良いのか難しいですね。以前取り上げた郷中教育のいろはかるたの中にこんなのがあります。
「下手ぞとて 我とゆるすな 稽古だに つもらばちりも 山とことの葉」
下手だからといって、練習を怠けてはいけません。「塵も積もれば山となる」といわれるように、諦めずに続けることで上手くなることが出来るのです。「習」という字は、自ら何度も何度も羽を動かして学ぶ姿を現しています。
「知恵能は 身につきぬれど 荷にならず 人は重んじ 恥づるものなり」
知識や技能はいくら身につけても邪魔にはならず、人から尊敬されます。逆に学ぶことを怠けた人は、自分を恥かしく思うことでしょう。この身につけるべきものは、年齢によって違うでしょう。新しい保育所保育指針には、乳幼児期は、豊かな「心情」「意欲」「態度」を身に付け、新たな「能力」を獲得していく過程であると書かれています。昨年最初に出された原案では、「知識や能力」を獲得していくと書かれていましたが、「知識」は削られました。それは、知識が大切でないというのではなく、この「時期」に獲得すべき大切なものではないということです。

学習” への6件のコメント

  1.  台湾にしても中国にしても日本と学習、勉強に対しての考え方が全く違うのですね。中国での「勉強」という意味が無理強いするという意味はもちろん初めて知りました。正直、恐いです。私も勉強は好きではないので、幼い頃から先生に睨まれながら勉強すると考えただけでも身震いします。しかし、それが中国では当たり前の事なんですね。
     確かに「知識」は身に付けても邪魔にはなりませんし、自分にプラスになります。しかし乳幼児期に知識を身に付けるのはどうかな?と私も思います。この時期は知識なんかよりも友達とたくさん遊んで、色々な事に興味を持ち、色々な体験をすることが一番大切な事だと思います。それが、学習で、その時に得た物がやがて知識となり、自分にプラスになると思います。

  2. 笛を吹いて一斉に絵を描かせたり、ピアノの音で列を組んで行動させる園の様子を想像すると、何か悲しくなります。就学前の教育を勘違いしてとらえているんですかね。行動を強制された子どもたちがはたして小学校で、先生の話を長時間聞くことに耐えられるのか、ちょっと考えればわかりそうなものですが・・・でも意外にこういう見た目に整然とした保育を進んで研究会で披露する園があります。それを見学者が拍手することもあります(嗚呼)。もうすぐ、新しい保育指針が発表されますね。先生のお考えが随所に取り入れられて日本の保育が変わることを期待します。

  3. 私は人から話を聞いたときに、事実かどうかを確かめることをせずに全てを信じて、自分の主観を入れて形を少し変え(歪めて)、人に伝えてしまうことが非常に多いです。いけないと思うのですが、聞くときのクセになってしまっているようです。藤森先生の聞き方や受け止め方は、とても勉強になります。
    先日ある保育園を見学に行った人から、2歳児に「気をつけ!」と言って一列に並ばせ、「向きを変えて!」と言って一斉に向きを変えさせることをしている様子を見ていて悲しくなったという話を聞きました。主観も入っているかもしれません。でももし本当のことだとすれば、これは何のためなんでしょうか。「態度」を身につけることにつながっていくという考えなんでしょうか。外国だけでなく、日本の保育園もいろいろです。

  4. 台湾の幼稚園関係者と話したことがありますが、確かに「英語」や「算数」などの学習がカリキュラムの中心になっているそうです。さもなければ子どもが園に集まって来なくなり、ひいては経営問題に及ぶ、ということでした。しかも、保育者の業務として「子どもの獲得」が園長より命令されるのだそうです。台湾の幼稚園の先生たちは「営業」もしなければならないのですね。しかも給料も安い、と。大変だなぁ、との感想を抱きました。おっと、今回は「学習」がテーマです。20年前のことですが、「勉強」か「学習」か、で結構大激論を交わした経験があります。その頃の私にとっては「学習」の方が無味乾燥、冷たい、という感じがあり、一方「勉強」のほうが自主的で楽しい、というニュアンスを帯びたものでした。小中高時代やアルバイトの塾が「学習」の名のもとに私自身や塾生に「無理強い」をしていたからでしょう。ブログを読んで再び「勉強」と「学習」の違いを考えたところです。

  5. 「勉強」というのは無理強いをするという意味が込められているのですね。人は何かを強いられるとストレスが溜まってしまいますね。そして、「習」という字には、自ら何度も何度も羽を動かして学ぶ姿という意味が込められているとありました。自分が興味を持ったことを無理強いさせられるのではなく、楽しみながら、諦めずに続けることができると自然と上達していく、そのような姿で私も興味を持ったことを習得していきたいと思いました。なかなかうまくいかないと諦めてしまうことも多いですが、そう簡単にはうまくはなりませんね。だからこそ、諦めない、できないこと、少しずつ上達していくことを楽しめるような態度を持っていきたいなと思いました。

  6. 保育所保育指針から「知識」がなくなったことに対して、「知識が大切でないというのではなく、この「時期」に獲得すべき大切なものではないということ」とあり、この部分は別のところでも大切な考え方であるなぁとも思いました。物事は極端に捉えすぎると、大切なものは見失いがちになってしまうのですね。「学習」についても、「自ら何度も何度も羽を動かして学ぶ姿」からきているということで、知識を得るだけに焦点を当てるのではなく、自ら選択し、自らの意志によって行動して思考するさまの状態を言うのであって、決して他人から言われた事だけを黙々とこなしているというものではないことが伝わってきます。

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