宇和島

 各地に「にほんの里100選」にノミネートされている里があります。その中で、愛媛県には一箇所候補に上がっています。その地域は、今年度文化庁の「重要文化財景観」に全国で3番目に選定を受けた「宇和島市遊子水荷浦(ゆすみずがうら)の段畑」です。
 江戸時代の宇和海は、鰯の好漁場でした。鰯漁にたずさわる人々が宇和海沿岸部に居住し、自給自足のために段畑を開墾しました。ちょうど里のブログを書いた数日後に、この段畑を訪れることが出来ました。
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 この地域は、歴史的にも意味があるのですが、これまで段畑を守ってきたのは、地元のおじいさん、おばあさんたちだけでした。そこで、石垣の老朽化や後継者不足もあって、このままでは近い将来、段畑が消えてしまうことになるのではないかということで、地元の方たちが立ち上がり、「段畑を守ろう会」が2001年設立されました。
 このあたりでは、江戸末期ころ、斜面を削ってジャガイモを植えていました。しかし、斜面が急なこともあって、大雨が降ったら土が流れてしまいます。そこで、石垣を築いたそうです。当時一面の段畑だったそうです。しかし、しだいに、魚の養殖が盛んになってきました。今でも、真珠や鯛やはまちの養殖がいたるところでされています。すると、畑の仕事をしていた連中は、みんな収入の多い養殖をやるようになり、畑をやる人手が足らなくなり、畑は荒れ放題になります。ですから、今残っている段畑はこの遊子でも日当たりが良くておいしい馬鈴薯のとれる水荷浦だけになってしまっているのです。
段畑での農作業は、経済効率からいうとまったく成り立たない重労働なのだそうです。しかし、地元の方々がこの景観を残そうと努力をして守っています。
この宇和島には築城の名手といわれる藤堂高虎が築城したといわれる「宇和島城」があります。市街の中央、海抜約80メートルの城山に三重三層の天守閣を頂く宇和島城は、その均整のとれた美しさから別名「鶴島城」と呼ばれ、築城以来約400年の歳月を経ており、現存する12ヶ所の天守閣のうちでも江戸時代様式を留める貴重なものとして国の重要文化財に指定されています。
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苔むした急な石段を登っていくと、開花し始めたウスベニカンザクラの後ろに、不等辺5角形をしている城の城郭が見えてきます。
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この早咲きの寒ザクラはとても香りがあり、蜜光を求めて小鳥達が集まってきていました。空高く、青空の下、ピンヨロー、ピンヨローとたのしげに、輪をかいて飛んでいるとんびが見られます。この城を訪れたとき、ちょうど12時の時報としてこのトンビの歌が流れてきました。空高く飛んでいるトンビや、桜の蜜を求めてくる鳥たちを写真におさめようとしましたが、うまくいきませんでした。
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随所に築城の名手と言われた高虎ならではの工夫が見られる宇和島城ですが、高虎が今治に転封となってのち、奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が宇和郡10万石を賜り、元和元年(1615)に入城します。そして、2代宗利の時、天守以下城郭の大修理を行い、寛文11年(1671)に完成し、現在までその姿が残されています。
各地には、人々の生活を支えてきた自然との共生、また、自然と調和するように作られてきた文化遺産、大切にしたいものです。

宇和島” への7件のコメント

  1. 段畑のイメージはのどかで優雅な感じでしたが、写真で見るとかなりの斜面です。重労働になるのもよくわかります。でもすばらしい景観ですね。
    私の住んでいる地域でもそうですが、経済や効率という話が出てくると、途端に景観を守るということが難しくなってしまいます。実際に、住む人がいなくなってしまった地域や、自然が消えていった地域がたくさんあります。それを考えると、「段畑を守ろう会」の活動の大変さが分かります。でも効率だけを考えてもいつかどこかでバランスがおかしくなってしまうんでしょうね。「人々の生活を支えてきた自然との共生」という考えを大切にしたいと思います。

  2. 段畑の景観、のどかで美しく、ホッとする感じがいたします。小豆島の中山の棚田の風景も是非ご覧いただきたいと思います。
    梅の香のする穏やかな春も良し、新緑が眩しい初夏も良し、畦道に真っ赤な曼珠沙華が咲き誇る秋もなかなか良いです。
    是非、お訪ねください。

  3.  どの写真も素晴らしい光景です。とくに城を背景にした桜の写真は、本などの表紙に使えるほど綺麗だと思いました。
     段畑も素敵な風景ですが、その裏では地元の方達の大変な努力があっての光景なんですね。しかも全て石で作り上げているとは本当に驚きです。また、こんな急な斜面での手入れは、とても大変だと思いますが、その前に命が危ない気がします。それでも残していくという地元の人達の努力というものが「重要文化財景観」に選定されたのだと思います。
     人は自然のおかげで生きていく事ができますし、自然のおかげでその地域が有名になれたりします。そんな自然を大切にするのは当たり前の事だと思います。

  4. 四国の面積は日本一広い岩手県と同じくらいですので、四国に住んでいても、行きたいと思ってなかなか行けないところがあります。その一つが今日の宇和島市です。松山までは行く機会がありますが、そこから西は未知の世界で、闘牛で有名だということくらいしか知りませんでした。宇和島城も棚田も見応えがありますね。確か、四国で桜の開花が一番早いのが宇和島だったと思います。写真を見ると、四国にもようやく春が訪れたようですね。

  5. 今日のブログで紹介されている「宇和島」は一度訪れてみたいと思っている地の一つです。高校生の頃からそう思っていました。日本史への興味関心がそう思わせました。司馬遼太郎『花神』で大村益次郎が宇和島藩に招聘されます。そして薩摩長州土佐と伍して幕末維新期に10万石の「小」藩がその存在を誇示します。また、時代は少し遡って同藩内に高野長英が匿われます。高野長英の故郷と宇和島藩は共に仙台伊達藩の流れを汲みます。さらに『忠臣蔵』として後世に語り伝えられる赤穂藩の藩主と共に「院使饗応役」を務めていた伊予吉田藩主は宇和島藩主の家の出です。さらに地理的にも九州に近い四国の半島としても関心の対象となっています。ブログの写真から「宇和島」はもう春、といった感じですね。

  6. 段畑の写真、すごいです!とても美しく、圧倒されてしまいます。目の前で見るともっとすごいのでしょうね!この一番上から転げ落ちちゃったら大変だろうな〜なんてことも想像してしまいました笑
    しかし、この段畑は自然にできたものではなく、それを手入れしている方たちがいるというのがまたすごいです。里山の美しい風景は人の手入れが行き届いた自然と人とが共生している姿でもあるのですね。
    藤堂高虎!詳しくは知らないのですが、真田繋がりですね!大阪の陣で徳川方にいた武将ですね。この方は築城の名手と言われていたのですね!鶴島城、ぜひこの目で見てみたいと思いました。

  7. 写真の段畑は、ほんと美しく見えます。棚田は知っていましたが、段畑というものもあるのですね。実に非効率的な「段畑」ですが、そこを守るということは、強固な意志が必要であったでしょうね。遊子水荷浦の段畑について調べてみると、NPO法人段畑を守ろう会の理事長、松田鎮昭氏が「郷里に対する愛情とは別に、複雑な感情も持っている」「地元の人々にとって段畑は、美しいだけのものでなく、苦難の記憶でもある」と語っていました。その景観を維持するためには、相当な苦労があったのですね。そのような経緯も全て含めて、商品展開していかなくては維持できないでしょうね。段畑ということで、地元では“だんだん”という言葉がよく使われているそうです。それにちなんで、段畑でとれた作物を“人生だんだん良くなる”、“運もだんだん上向き”等と『だんだん作物』といったうたい文句で、活性化したら面白いだろうなぁとも感じました。

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