ピーターパン症候群と呼ばれているピーターパンというのは、今の人はディズニーのアニメからの印象が強く、フック船長と戦ったり、様々な冒険をする少年のイメージがありますが、もともとは、J・M・バリが子ども向けの小説ではなく、大人用に書いた劇の脚本です。しかし、作者のバリによって何度も書きかえられているので、その内容は必ずしも一貫していませんし、ピーターパンの性格もまちまちです。しかし、私が、以前ある雑誌の連載の中で、このピーターパンの逸話から子育てを考えたことがありました。その逸話は、「ウェンディ版」と呼ばれるもので、その中でピーターパン自身が語って聞かせる彼自身のおいたちです。
「ピーターパンは生れた日に、両親が、彼が大きくなったら何になるか話しているのを聞いて、そんな人のことを勝手に決めるなんてたまらないということで、ケンジントン公園に逃げ出します。そして、妖精たちと何か月も家をはなれて暮らしていました。あるとき、思い立って家に帰ってみました。しかし、喜んで迎えてくれると思っていた母親は、無視をして、窓を開けてくれません。しかも、ピーターパンのベッドには、べつの小さい男の子が眠っています。そこで、ピーターパンは、大人になることを拒否することに決めたのです。」
この話しから、私は、子どもが大人になることを拒否するということを「自立していかない」とし、「依存症の若者」としたときに、その原因は、親の過干渉ではないかと思います。そして、親が過干渉になってきた原因は、少子化が進んできて、子どもに大人からの目が行きやすくなったことではないかと思います。
2月14日付の編集手帳にこんなことが書かれていました。
「儒学者、荻生徂徠が徳川吉宗の内命を受けて著した書物「太平策」のなかに、元服を早める当時の風潮を嘆いたくだりがある。修養の足りない者が大人の扱いを受けている様子はあたかも「匕首(あいくち)に鍔(つば)を打ちたるよう」、小刀に不釣り合いな鍔をつけたようだと。いつをもって成人とみなすかは、江戸の昔から議論になっていたようである。大人とは何だろう。個性ある記述で知られる「新明解国語辞典」(三省堂)は、「自分の置かれている立場の自覚や自活能力を持ち、社会の裏表も少しずつ分かりかけて来た意味で言う」と説明している。 ―中略― 歌人小池光さんに一首がある。「人間ができるまで十七年か七十年かは人によりけり」。日々の新聞が報じる美談や醜聞を見れば、立派な鍔の似合いそうな年若き名刀もあり、鍔を没収したい老いたる匕首もある。なるほど、「人によりけり」だろう。」
大人とか子どもとかいう概念はなかなか難しいですね。しかし、最近、どうも何かに依存しないと不安になる人が多い気がします。編集手帳に書かれている国語辞典の「自分のおかれている立場の自覚や自活能力」が欠けてきているようなのです。自覚がないと言うのは、いわゆる「自尊感情」が育っていないのです。ですから、子どもができても、自分自身が親になりきれず、または、子どもに依存してしまうのです。ですから、苦情やクレーマーの保護者は、子どもが大切なのではなく、無理やりに親として振舞おうとしたり、自分の存在をアピールしようとするのです。
少子社会は、様々な影を落とし始めています。
毎日新聞、「引きこもり」になる原因は「就職や就労での挫折」が最多で、30から34歳の年齢層が最も多いという東京都の調査結果が紹介されています。都内の引きこもり人口は推定2万5千人、心理的予備軍も含めて都内で18万人、全国で100万人を超えると見ています。すごい数字です。調査をまとめた明星大学の高塚教授はこうした引きこもりに陥る人の特徴を、▽自意識が強く状況変化に適応できない▽人と争って傷つくことを嫌う▽人間関係の訓練が不十分で逆境に弱いと分析。幼児期に人との関係性を調整する経験を十分積んでいないと一生苦労することになります。子どもの未来の幸せを保障するためにも、幼児教育の改革がどうしても必要な気がします。
なるほど、今回のブログでスッキリしました。少子化による大人の過干渉、そこから起こる問題はとても複雑ですね。少子化というと、こういった大人の過干渉による問題ではなく、人口が維持できなくなるという話にしかならないことが多いです。少子化の弊害を私たちが発信して広く理解してもらうことが必要だと思いながら、なかなかうまく伝えられていません。このことも抱えている課題の1つです。藤森先生の講演を初めて聞いたときに受けた衝撃を少しでも多くの人に伝えたいと思うのですが、今まで経験してきて積み上げた考えを変えていくのは時間がかかりそうです。
確かに大人になりたくないというのは「自立」が出来ない事ですし、依存症の若者の原因は親の過干渉。その過干渉の原因は少子化で親の目が子どもにいきやすくなった。そうなると少子化というのは色々な問題を引き起こしているのですね。それでも少子化は進むわけだから、それにあった保育を考える必要があると思いました。
私は従来「30歳成人説」を主張してきました。もっともこれは私自身が経験してきた事柄から出てきたものですから、あまり説得力を持ちません。まぁ、「30歳」が極端、ということなら「25歳」でも、と考えたりします。現在は20歳で「成人」とされているようですが、大学や専門学校で勉強している、親依存「学生」諸氏のことを考えると、20歳成人には???とトリプルクエスチョンです。ましてや、昨今、政治家から提案されている「18歳成人」については、まったくもって「政治的意図」以外の何ものをも感じられません。いずれにせよ、紹介されていた小池光さんの一首はまことにもってその通り!との感を否めません。わが子がこの4月に小学校へ通います。「苦情やクレーマーの保護者」にならないように、「共生と貢献」できる保護者になるように努力しようと思いました。