お子様

 今発売されている読売ウィークリーの記事の中に「飲み会“ウザい”を上手に誘う法
“お子様社員”のしつけ方 自己愛・ミーフェチ世代」というものがあります。このミーフェチ世代とは、アサツウ ディ・ケイの岩村室長が、思春期にさしかかっても他人の目を気にせずに自分の気分に従って行動し、何よりも「自分が気持ちいいかを大切にする傾向が見られた自己愛の強い世代を指した言葉です。この世代が今、職場に進出してきていると言うのです。彼らの特徴を、「面倒なタテ関係イヤ」「KYを恐れ4、5人でつるむ」「自分本位で協調性を欠き、やたら態度が大きい反面、めっぽう打たれ弱い。」そんな特徴を持った「お子様」な若手社員が増えているといいます。しかし、それらの特徴は、何も若手社員だけでなく、最近、園児の保護者にも見られる傾向のような気がします。
彼らが出現した背景にある「子育て」や教育現場の変化を岩村室長は、こう考えています。「この世代の子どもたちの母親が子育ての手本にしたのは、当時相次いで創刊された育児雑誌だった。それらで強調されていたのが、子どもには、無理や我慢をさせたり、頑張らせてストレスを与えるより、その子なりのペースを大切にして育てるべき、という考え方だった。育児書の教えに従って「自分のペース」で育てられた子どもたちが就学期を迎えるころ、教育現場にも変化が生じていた。個性の重視をうたった新学習指導要領が策定され、小学校では92年度から指導要録が改訂され、相対評価から個人の達成度などを見る絶対評価に変わった。競争排除の機運も高まり、小学校の運動会からと競争などの個人競技が消えたりした。そうやって周囲の人々との関係で自分を相対的にとらえられなくなったのは、当然かもしれない。育った環境のせいか、彼らには「尊大」という特徴もある。「調査した子どもたちは、自分は一人前で大人と対等という意識が強く、子ども扱いを嫌う傾向にありました。社会に出ても、何も出来ないうちから先輩たちと同等に処遇されることを当然と思うかもしれません。」
 「お子様社員」とか、「お子様保護者」とかいう言葉を聞くと、もうひとつ似たような言葉を思い出します。1983年にアメリカの心理学者のダン・カイリー博士の著した「ピーターパン症候群(原題:Peter Pan Syndrome)」で提唱された精神疾患としての概念です。この本の中で、ピーターパン症候群は「成長する事を拒む男性」として定義されていますが、その心理学的な特徴としては、「言動が子供っぽい」だけでなく、「精神的・社会的・性的な問題をはらんでいる」という事が挙げられています。それは、もともとこの概念は、大人に成れない恋人や息子、それに夫のことで悩む婦人への治療指針として書かれたものだからです。ここで定義される大人になりきれない男性の特徴を、「人間的に未熟でナルシズムに走る傾向を持っている」「無責任」「反抗的」「怒りやすく」「依存的」「ずるがしこい」「価値観が世間一般のものや法律を飛び越している」などとカイリー博士はあげ、また、ピーターパンは年齢的には大人の男性である“少年”で、母親に甘えている時や甘えたいと欲している時に、母性の必要を演じる傾向があるとも述べています。
 週刊誌で言う「お子様社員」と共通なものが見られますね。ということは、どうも、その出現の原因である分析は少し違う気がします。もう少し明日も考えてみたいと思います。

お子様” への6件のコメント

  1.  ミーフェチ世代のような若者は、自分勝手で自分が中心だと思っているのですね。ですが私も年齢的に近いので、何とも言えないです。それに、少し前までの自分もミーフェチまではいきませんが、気分で行動していた時もあり何とも言えません。今は子ども達がいるおかげで、そんな事は不思議と無くなりました。自分の事を好きになるのは悪い事ではないと思いますが、度が過ぎるとミーフェチのようになってしまうのですね。子ども達にも自分自身を好きになってもらいたいですが、他人の目を気にせず、自分の都合で行動するような人にはなって欲しくありません。しっかりと保育をしないといけないと考えました。

  2. 「保育参観の後で、子育てに役立つ講演会を開いても、聞いてもらいたい母親はさっさと帰ってしまう。」よくそんな声を園長先生から聞きます。講演の時間を前倒ししても、何人かでつるんで喫茶店に避難する親もいるらしいですね。わが子のためにしっかり勉強すればと思うのですが、そんなことは「ウザい」のでしょう。こんな「お子様保護者」を作ったのは、彼らが育ってきた教育環境や家庭教育の流行によるという今日のお話はショックです。教育の在り方次第で、人間は形成される。人間の在り方次第で社会は形成されることを忘れてはいけないと思います。

  3. 「お子様社員」や「お子様保護者」はなかなかおもしろい言葉ですね。人のことは言えないかもしれませんが、確かにここで挙げられている特徴は、多くの場面で見かけることのように思います。ただ今回のブログを読んでいて、何かしっくりこないところ、頭の中ですんなり理解できていかないところがあります。何度も読み返すのですが、何に引っかかってしまうのかがわかりません。藤森先生の次の分析を待ちながら、もう少し自分なりに考えてみようと思います。

  4. 今回のブログテーマ「お子様」現象こそ、藤森先生が講演でお話しくださる「少子社会」の一側面、と理解できます。新人職員同士が飲み会を催しても、いわゆる「幹事役」をしっかりと決めて行わないと「飲み会」さえが先に進まない、ということもあるようです。みなさん「やってもらうお子様」なんですね。「やってもらう」ことが当たり前。そして本人たちはそのことを意識せずに自然とそうなっているので余計厄介です。「個性の重視」は決して間違ってはいないのですが、重視の方法を間違うと「お子様社員」や「お子様保護者」登場、というこれまた厄介なことに直面することになります。「家庭教育」についてはなかなか大変なので、せめて「乳幼児教育」や「学校教育」の場が「お子様社員」や「お子様保護者」を生み出さないように意識して教育環境を創造しなければならないと思います。

  5. お子様社員、ミーフェチ世代というのは私たちの世代もその中に入っています。『「面倒なタテ関係イヤ」「KYを恐れ4、5人でつるむ」「自分本位で協調性を欠き、やたら態度が大きい反面、めっぽう打たれ弱い。』とあり、私にもそのような部分があるなと恥ずかしくなっています。藤森先生のもとで保育を学ぶことは人としての生き方を学ぶことにも繋がっています。このような部分を反省し、そうではない人との接し方ができるように意識することも多くなりました。ですが、まだまだです。子どもの心も持ちながら、「大人」にならないといけないなと思う責任も増えてきました。人間的に成熟に向かうことで、自分自身も周りも幸せになっていきますね。自分だけではない生き方をまずは私たち大人が示していかなければいけませんね。

  6. “子ども”に「お」と「様」と付けて、大人であるのにそれとは反対の言葉をもって優しく諭す、なんとも言えない言葉ですね。会社で、上司に「お子様」扱いされれば、当然嫌がると思いますが、本物の「お子様」は、それでも何とも思わず、『他人の目を気にせずに自分の気分に従って行動し、何よりも自分が気持ちいいかを大切にする傾向が見られた自己愛の強い』人々の事なのでしょうね。社会性を学ぼうとしている子どもでさえ、社会の一員であることを願っています。ということは、「お子様」という呼び方より、もっと別の言い方の方がいいかもしれないとも思いました。

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