立春を過ぎたというのに、今日はとても冷たい風が吹いています。このような寒さを「寒の戻り」あるいは「余寒」というのでしょう。このころは、一時的に冬型の気圧配置となり、再び寒さが戻ってくることがあります。このように、しばらく暖かい日が続いた後、寒さがぶり返すときがあります。その寒さを、その季節毎に違った言葉で表現します。
4月になって、桜が咲く季節にお花見に行って妙に肌寒い日もあります。そんな日のことを「花冷え」と表現されています。また、5月に入って新緑のシーズンに、時折、若葉も震えるような冷たい空気に覆われる日がありますが、そのような日のことを「若葉寒む」といいます。6月になると日本列島はどこも早くも初夏を思わせるほど暑い日がありますが、北海道ではまだまだ寒い日が戻ってくることがあります。そんな日のことを、この時期北海道で満開になるライラックの花にちなんで、ライラックの別名のリラから、「リラ冷え」といわれています。7月に入るころになると梅雨になります。そのころも寒い日があることがあります。それは、雨の季節に東風が吹き込み、太平洋側の地方では数日間肌寒さが続いてしまう事があります。それを「梅雨寒む」と表現します。
そんな寒の戻りの今日ですが、もちろん、「寒」とは、暦の上で寒さが最も厳しいとされる期間のことを指します。寒中とも寒の内ともいいます。二十四節気の小寒の日から立春の前日(節分)までの約30日間で、大寒の日がほぼ中間となります。この「寒」に入る「寒の入り」は、「小寒の日」のことをいい、「寒明け」は、立春の日です。
よく子どものころに歌ったわらべ歌に「おーさむ こさむ やまから こぞうが とんできた なんといって とんできた さむいといって とんできた」というのがありますが、どうも耳から聞いて歌った歌詞は少し違うようです。「おーさむ」は、「お~寒い」と言いながら小僧が飛んできたのかと思っていました。実際は、この「おおさむ」「こさむ」は「大寒」「小寒」のことです。「大寒 小寒 山から小僧が 泣いて来た なんといって 泣いて来た 寒いといって 泣いて来た」という歌詞が本当のようです。
道を歩いていると居酒屋の看板に「寒ぶり」という字が目立ちます。ぶりは旧暦の師走に最高の味となることから、『魚へん』に『師』と書きます。特に、真冬の最も美味しくなった時期のものを「寒ぶり」と呼んで、古くから真冬の味覚の代表として賞味されています。同じように「寒」の時期にとれる「真ダラ」のことを寒鱈といいます。この寒鱈も、厳寒の日本海の荒波にもまれ脂がのってとてもおいしい魚です。
この「寒」が着くもので思い出すものに「寒椿」「寒牡丹」「寒桜」があります。
寒椿は早咲きの椿のことで、冬椿とも言います。もともと椿は春の季語ですが、冬に咲く椿のことを俳句では、「寒椿」または「冬椿」といいます。
緋寒桜は、別名、寒緋桜とも言いますが、まだ寒い早春に、新らしい葉より先に、緋色または濃桃色の小花を、枝一杯に咲かせます。

今日の「百草園」で、蝋梅、梅、水仙、福寿草が咲き乱れる中で、少し季節はずれかと思う花を見つけました。その花の形は、5月の節句のころに咲く「アヤメ」に似ています。その花にそばの札に「かんざきあやめ」と書いてあります。
日本の季節感は、「寒」という字ひとつとってみても、とても繊細ですね。
2月の中旬でもうすぐで3月になりますが、地方はまだまだ寒いです。はやく、暖かい季節になり桜でもゆっくり見に行きたいものです。「寒」という漢字のほかにも色々な季節を表す言葉がありますが、言葉の頭につけてそのものの本来の意味をより一層深くするのは、漢字の表現の豊かさというものを感じます。
昨日は冷たい風が吹き荒れて、まさに「余寒」という言葉がぴったりでした。この「余寒」もそうですが、手紙の冒頭に使われる言葉などでは、多くの表現に触れることができます。四季だけでない繊細な季節感から、感性の豊かさや自然に対しての畏敬の念といったものを感じます。日本人の感性はすごいですね。私もそんな感性を隠し持っているんでしょうか。
北風の冷たいこの季節にいつも思い出すのが、「北風小僧の勘太郎」という歌です。NHKのこどものうたで堺正章さんが歌っていました。こんなおじさんになってからでも、冬の寒い日に外で仕事をしながらつい口ずさんでしまいます。
北風小僧の勘太郎 今年も街までやってきた
ヒューン ヒューン ヒュルルンルンルンルン
寒うござんす ヒュルルルルルルルン
寒い日でも、ほっぺを真っ赤にして鼻をすすりながら、たんぼのあぜ道を棒きれふりまわして走りまわっていた少年の頃が無性に懐かしくなることがあります。こどもはいつの時代でも風の子であってほしいですね。
お休みの日には、息子の求めに応じて「お出かけ」します。今日日曜日は広い「公園」に行きました。曇り空で冷たい風が吹く一日です。折りしも午前中には「マラソン」のテレビ中継があり、私はそれほど関心がなかったのですが、息子は観ていたようで、その「公園」に着くと早速「マラソンごっこ」です。「鬼ごっこ」ではなく「マラソンごっこ」ときた所に私同様、影響を受けやすい男だ、とヘンなところに感心しました。その後公園を後にして「マラソン」のスタート地点まで行ってみました。高層ビル群を吹き抜けうる風は重い冷たさをもってカラダにぶつかってきます。マラソンスタートの際の「紙ふぶき」が「ハート型」であったことに何だか感動し温かさを感じました。高層ビルの展望スペースに上って眼下を見るとまたしても広い公園があります。次回の「お出かけ」はそこのようです。次回は「寒」ではなく「暖」の一日であってほしいと思います。
改めて日本語の持つ美しい響きに感動します。寒いと言う言葉も、その季節毎に使い分けることにより情景も映し出され、おしゃれに聞こえますね。話は変わりますが真ダラと言えばやはり旬だからでしょうか、先日真ダラのパスタを作ったのですが脂ものっていてとてもおいしかったです。