実際に行動しようとするときに、いつからしようかと思います。しかし、「いつか、いつか」と思っているうちに日が経っていきます。また、「キチンと準備をしてから」と思っていると、いつになっても納得のいく準備が整いません。「日新公いろは歌」の3首目「う」は、こういう歌です。
「はかなくも あすの命を たのむかな 今日も今日もと 学びをばせで」
まだ、時間があるから、明日があるから、そのうちにと思っていると、時間が経っていってしまいます。人の命ははかないものです。いつかやろうというのではなく、今日やるべきことは今日やりましょう。ということです。
私は、「いつかやろう」は、「いつまでもやらない」に通じ、「明日やろう」は、「そのまた次の日に延ばそう」に通じると思っています。先日、ある人と話をしていたときに、「いいのはわかっているのですが、なかなか変えられないのですよ。どのように変えていけばいいのでしょうか?」と聞かれました。そのとき、私が答えたのは、「あなたにとって必要なのは、勇気だけです。」と答えました。勇気とは、普通の人が、恐怖、不安、躊躇、あるいは恥ずかしいなどと感じる事を恐れずに、自分の信念を貫き、向かっていく積極的で強い心意気の事とあります。もちろん、私は人に偉そうに言えるほど、勇気があるわけではありません。人は、決断することに迷います。果たして、本当にそれでよいのか、ほかにも方法があるのではないだろうかというように迷います。しかし、「子どもにとってよいということがわかっていながら」というのは、子どもに失礼です。
論語に、孔子が門弟「子路」との問答の中で「義を見てせざるは勇なきなり」ということを言ったと書かれています。そのなかでいう「勇」とは正しいことを敢然と実行することを指しています。そして、その「勇」は「義」によって発動されるのでなければ、徳行の中に数えられる価値がないとされたのです。「勇ありて義なきは乱を為す」ともいっているように、いくら「勇」があっても、そこに「義」がなければ世を乱すもととなるとも答えています。
「日新公いろは歌」「み」の歌にはこうあります。
「道にただ 身をば捨てんと 思いとれ かならず天の 助けあるべし」
自分が正しいと思う道を、信じてまっすぐに進みなさい。きっと、助けを得られ、道は開けていくものです。自分の人生を、何にゆだねていけばいいのでしょうか。若い頃、中学生の勉強を見ていたとき、ある人に頼んで、高校の入学試験の面接の練習をしたことがあります。そのときに「将来、どんな職業に就きたいですか?」という質問に対して、「食っていければそれでいいです。」とまじめに答えました。この答えがまじめなのかどうかはわかりませんが、中学生の頃からこのように答えるのは悲しいですね。そのときは少しびっくりしましたが、なんだか、今では小学生のころからそう答えそうな気がします。しかし、それは、その子達の問題ではなく、大人が見せている生きる姿勢だと思います。学ぶ喜び、働く喜び、生きる喜びがなく、そのために学ぶ意欲、働く意欲、生きる意欲を見失っている今、「学びて時に之を習ふ。亦説ばしからずや。朋有り遠方より来たる。亦楽しからずや。人知らずして慍みず。亦君子ならずや。」をもう一度噛み締めたいと思います。
何かをやり始める時に「勇気」は最も必要な材料だと思います。今日という日は今日しかないだから、今日逃したら二度とチャンスは来ないかもしれない。少々大袈裟かもしれませんが、それくらい思ってもいいかな?と私は思いました。今の子どもが色々な面の意欲を失ってきているのであれば、学ぶ意欲、生きる意欲、働く意欲などきかっけになる事を大人が子どもに与えてあげることができるといいな?と思います。それによって子どもがそれを踏み出すための「勇気」を身につけて欲しいです。
これまで藤森先生の講演会を開くことで、ずいぶん大勢の先生方に見守る保育の素晴らしさをお伝えできたと思います。しかし残念ながら、すぐに行動に移してくれた方はほんの一握りでしたね。大半は、「いいのは分かっているけど・・・・」で終わっているような気がします。今まで慣れ親しんだやり方を変えていくには、様々な障害があるからだと思うのですが、ひょっとしたら今日の先生のお話のように、一番の障害は、園長先生の心の中にある臆病な一念かもしれませんね。「子どもにとって良いと分かっていながら」というのは、子どもに失礼ですという言葉はそんな先生方への頂門の一針ですね。
「いつかやろう」は「いつまでもやらない」に通じるとはまさしくその通りだと思います。ブログを読みながら見守る保育を取り入れた時のことを思い出しました。良いとはわかっていてもなかなか一歩が踏み出せなかったのですが「今だ」と勇気を出して始め5年目を迎えようとしています。藤森先生の知識をたくさん吸収しながら、色々な問題にもぶつかりながら保育を行っているところです。
私は元来怠け者のせいか「明日できることは今日するな」で「先延ばし」にする癖がありました?あります?特に20代30代は顕著でしたね。40代になって「老眼」や「腰の痛み」「筋肉疲労」等々加齢に伴うと思われる肉体的あるいは精神的「衰え」を感じて「思い立ったら吉日」「善は急げ」で行動に移すように心がけ始めました。今日のブログで触れられていた「勇気」はこの年齢になって何だか備わってきたか?とも思われます。「勇気」を出して「善知識」について行こうと思っています。そして「日新公いろは歌」の「み」の歌は感動しました。そしてこのことは本当だとも思いました。国の基盤を形成するのが「人」であるなら、その基盤形成のために、人・モノ・空間・時間という取り巻く「環境」の「見直し」が急務です。特に「教育」に携わる組織・機関・団体は「共生」と「貢献」を実現できる人材育成に全力をあげなければならない、と今日のブログを読みながら思ったところです。
勇気をもって行動に移すことに関しては、その考えの大切さが少しずつわかってきましたが、そこに「義」があるかどうかはあまり丁寧に確認をしてこなかったように思います。躊躇せずに行動し、信念をもってやり続けるためにも、普段からの考え方や感覚を磨きたいと思います。とにかく今は、どうすることが子どものためなのかということを、ここを考え続けたいと思います。