昨日の読売新聞のコラム研修手帳の書き出しにこんなことが書かれていました。
「以前、京都を旅した折、古今のめずらしい箸を集めた小さな資料館を訪ねたことがある。中国のものという銀製の箸もあった。いわゆる「毒味箸」である。ヒ素などと反応して瞬時に変色することから、古く中国では毒殺を恐れる権力者が銀の箸を用いたとは聞いていたが、実物を初めて見た。食卓という心くつろぐ場所でも警戒心を解くことのできない身分に、同情したおぼえがある。」
箸の文化は、東アジア地域を中心に広くあるようですが、中国や韓国の支配階級に使用されていた銀製の箸にそのような文化があったり、朝鮮半島では戦乱が多かったため、箸に耐久性が求められたので、短く、やや平たい金属製のものを使うことが多いというような文化があるのは悲しいことですね。それに引き換え、日本における箸の文化は、昨日の懐石料理に使われる利休箸のように、ある神事や「美」を表したものが多いようです。それは、使い捨てである割り箸にもこだわりがあるようです。
箸というものは、もともとは単純なもので、二本一対になった棒状のものです。ですから、そのバリエーションは、その材質と、両端の削り方と、装飾の仕方くらいの違いしかありません。箸は、基本的に棒のどちらか一端のみが食べ物に接触し、そこを「先」、持ち手のほうを「天」といいます。用途は、食事用と調理用があり、数え方は、食事用の箸は2本で一膳、調理用は一組、一具と数えます。
利休箸とは、両端を細く削って角(面)を取った箸のことをいい、室町時代に茶の宗匠である千利休が、茶席でもてなす時に愛用したと伝えられているので、そう呼ばれています。
柳箸という、祝いの席や、正月に「祝い箸」として用いられる柳の箸があります。材料として柳を使うのは、柳は新春真っ先に芽吹く「芽出たい」木であるということと、邪気をはらう木とされているからです。また両端とも細くなっている形は、一方は神様、もう一方を人が使う「神人共食」を意味しています。寸法は、末広がりの八寸(約24cm)が基本です。暮れになると、このような箸がおせちの材料と一緒に売られています。
食事用で、自分ひとりだけが使う箸のほかに、取り箸といって、共有する箸もあります。青竹の取り箸といわれるものです。青竹を削って作る箸で、竹ですから、当然、節があるのですが、この節を上手に活用します。その節が真ん中にあるのが「中節」、天の端にあるのが「天節」、両端を細くしたものが「両細」というように三種類あります。
食事といっても、菓子を取るための箸にも、装飾的工夫があります。黒文字の菓子箸といって、黒文字という木の皮を一部残して削った箸です。茶道などで、お菓子を盛った鉢に添えておきます。ここが菓子を食べるときに使う楊枝にも同じような物があります。
割り箸にも、様々に名前のついた箸があります。天削箸は、割り箸の天の部分を鋭角的に削ぎ落とし木目(杉、桧など)の美しさを強調しています。元禄箸は、割り箸の四つの角を削ってなめらかにし、割れ目に溝をつけて割りやすくした中級品ですが、木の分量を減らしたことを、江戸幕府が金の含有量を減らして元禄小判を作ったことに掛けた名前です。
毒味箸と比べて、日本の箸の名前の付け方は、どれも、とても粋な名前の付け方ですね。
「毒味箸」と初めて聞きました。日本にも毒味係という役職は聞いたことがありますが。中国には毒に反応して瞬時に色が変わるような箸があったとは本当に驚きです。中国の毒味箸のように、国によって箸の用途や形、作り方が全く違うのも面白いと思いました。
しかし普段、普通に使っている箸でも、なかなか奥が深いと思いました。とくに日本の箸というものは色々な用途に分けて名前や形が変わり、ブログの最後の文にも書いてありますが、本当にどの名前も美しい名前ですね。普段、気にせずに使っているものでも、実はとても奥が深い物がたくさんあるかもしれませんね。
今、NHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」の舞台になっている福井県小浜市は若狭塗で有名で、塗箸の生産も盛んなようです。箸匠せいわさんのHPをみますと、日本の箸食の起源が書かれています。『日本で初めて箸食制度を採用したのは聖徳太子である。中国式の箸を使った食事作法が遣隋使によって日本に伝えられ、それまでは手食だった朝廷での供養儀式において、「馬頭盤」にのせられた金や銀の箸と匙が用いられるようになった』とあります。日本に箸を使う文化が生まれたのは、奈良時代からなんですね。確かに、世界には、箸やナイフ・フォークなどを使う国もあれば、手づかみで食べる文化を大切に守っている国もありますね。手づかみで食べるから遅れているのではなくて、それはそれでちゃんとした宗教的な理由があるのでしょうね。
本当にいろんな種類の箸がありますね。読みながら「アレは菓子箸って言うのか」などと頭の中で確認しながら読ませてもらいました。用途や作り方によって名前がつけられていることから、食べることと同じくらい箸が大切にされてきたことを感じます。実際、使う箸によって食べるものの味が変わるような気もするので、ただの道具ではなく、料理の一部といってもいいのかもしれません。最近はこのブログのおかげで日本の文化の深さを感じ続けています。
自分で言うのも何ですが、私は箸の持ち方がLDです。その下手さ加減が実際にわかったのは昔お付き合いしていた方によって、でした。20数年間何の疑問も持たずに使っていた「箸」が実に手強い「敵」と化しました。いまだに、意識しないと上手く箸を持つことはできません。今日のブログは「箸」文化の奥ゆかしさを伝えてくれていますが、私にとっての「箸」は持ち方問題、いや「悩み」ですね。字の書き方もそうですが、箸の持ち方も家内から教わりなおさないといけません。6歳の息子と一緒に机を並べることになりそうです。「箸」文化についてブログで読みながら、その「文化」すなわち「その材質と、両端の削り方と、装飾の仕方」あるいは「利休箸・柳箸・菓子箸・天削箸・毒味箸」を知るにつけ、これらが人の心を形成する「環境」に他ならないことに思いが及びました。