自然音痴

 Asahiコラムに「風を見た少年」などの著作で知られるナチュラリストC・W ニコルさんが、こんな談話を載せています。「言葉から自然が失われている」というタイトルで、「木を見てその名を言えるだろうか」というものです。私のブログでは、なるべく星、草木、季節といった内容を子どもの話題に挟んで書くようにしていますが、人として生きていくうえで、自然と共生をしていく意識を持たないと、どんなにえらそうなことをいっても、その内容は自分のためだけから言っているようにしか聞こえません。
 しかし、興味はあっても、自然のことを知るのはなかなか大変です。というのは、最近の生活は、特に東京では自然と共生していかなければ生きていけないということが少ないからです。ですから、たまに大雪が降ると困ってしまうのでしょう。ニコルさんの談話の中で、30年ぶりにフィリピンのルバング島から帰還した小野田寛郎さんが語った言葉、「日本は「自然音痴」になってしまった」を紹介していますが、本当にそう思います。ニコルさんは、国公立大学の学生でも、10の木を指さして名前を言えれば優秀な方で、あなたはどうでしょうかと問いかけています。私は、もう少し言えますが、樹形を見たり、樹皮を見たり、木の葉を見たりしただけでその木の名前を言えるのは10種類くらいかもしれません。
 木の名前だけでなく、星の名前も、花の名前も、鳥の名前も、魚の名前もせめて10種類くらい言えてほしいです。東大にストレートで合格した高校の頃の優秀な同級生と食事に行ったとき、水槽の中で泳いでいる「はまち」を見て、「鯉」が泳いでいるというのを聞いて、東大に入学するためには、ある部分に偏らないとだめなのかと思ったものでした。
 ニコルさんの談話の最初にこう言っています。
 「初めて私が日本の土を踏んだのは45年前、まだ22歳の時でした。日本の自然の美しさは衝撃的でしたね。しかし、その頃からどれほどの勢いで森や川が破壊されてきたことか。自然というものが人間の営みの根本であることを忘れ去り、目の前のビジネス、金もうけに突き進んでいく姿を悔しい思いで見続けてきました。」
 アースという映画を含めて、確かに環境問題について論議することも必要でしょう。しかし、まず身近な自然について、関心を持ち、知ることも必要な気がします。園の近くを流れる神田川は、どう見ても川というものではありませんが、それでも鯉は泳ぐようになり、たまに鷺やかもめを見ることもあるくらい昔の姿に戻ってきています。ニコルさんが子どもの頃のテムズ川は腐って死んでいたそうですが、いまはサケが上り、ロンドン郊外までカワウソが戻ってきているそうです。なぜそれが実現したのかというと、大きなテムズ川を一度によくしようとしたのではなく、あちこちにできた約1万2千の小さなモニタースポットのチェックから事は始まったのです。そのように、どんな小さな川であっても、小さな林であっても、そこに目を向けることが大切であると訴えています。
 小さな川、小さな林は、人間の体で言えばごく末端の細い血管ですが、その詰まりをていねいに調べ、それをきれいにしていくことで、体全体を流れる動脈が健康になっていくことにたとえています。
 アースという映画で、壮大な自然を感じましたが、目を転じて、小さな自然にも関心を持って欲しいですね。

時代のキーワード

 餃子からはじまった安心食材について、週刊誌ではどこかで取り上げられています。今回の事件からだけでなく、最近、無農薬野菜や、有機栽培、無添加食品など関心が高まってきています。2月18日の朝日新聞朝刊に「国産食材の店「緑提灯」じわり広がる/「安心」「農業」イメージ」という記事が掲載されていました。
「国産食材を主に使う飲食店を応援しようと、「安心」や「農業」を発想させる緑色の提灯を店先に掲げてPRする運動がじわじわ広がっています。中央農業総合研究センター(つくば市)所長丸山清明さんが5年前、札幌赴任中にスーパーや飲食店に道産品が少ないのを疑問に思い、遊び心から発案。提灯の対象は、国産食材の使用が半分以上(カロリーあるいは重量ベース)の店で、国産使用率に応じて1~5個の星印付き。星は自己申告制で50%以上から10%上がるごとに増え、90%以上で「五つ星」。05年の北海道を皮切りに広がり、現在全国で168店(最多は東京41店)に。街に緑提灯、見かけるかもしれません。」
 赤提灯から緑提灯への転換の試み、私だったら、ぜひ寄りたいですね。昨日の日曜に、あるデパートのレストランに行ってみて驚きました。デパートのレストラン街は、かつての「お好み食堂」から様変わりをしています。デパートの大食堂は、家族そろって食事をする場所としてデパートに行くひとつの目的でもありました。その食堂の特徴は、家族がみんなで行くことができるようにと、メニューが多彩でした。和、洋、中、子どものためにお子様ランチという、ひとつの皿にさまざまな種類のものが乗り、楕円形のお椀型に盛られたケチャップライスの上には、旗が立っていました。そして、デザートとして、パフェやアイスクリームも必ずメニューに必ずありました。
 最近のデパートのレストラン街は、それぞれの老舗料亭から、有名レストランなど、特徴がある店が並んでいます。ですから、逆に、どの店に行ってお同じような店が並んでいることがあります。しかも、全国どこに行っても主要都市のデパートには、同じような店が並んでいます。それが、昨日行ったレストラン街では、その店の前に書かれたこだわりに共通がありました。
 ある店には、「九州福岡発の健康をテーマにしたビュッフェスタイルの健康家族応援レストランです。木のぬくもりと人のぬくもりが感じられる空間で、体に優しいお料理をお好きなだけお召し上がりください。」
キーワードは、「健康」「体に優しい」です。
 うどん店には、「落ち着いた雰囲気のインテリアで女性一人でも入りやすい、オシャレなうどん専門店。こだわりの讃岐小麦「さぬき夢2000」を使った豊かな風味とふくよかな食感の自家製うどんをご賞味ください。」
キーワードは、「女性一人」「国産小麦」「自家製」です。
 次の店には、「生パスタはデュラムセモリナ100%で無添加。素材を活かしたオリジナルソースとともにどうぞ。」
キーワードは、「無添加」「オリジナルソース」です。
 これらのレストラン街でのキーワードを見ても、これからの時代がわかりますね。

「寒」

 立春を過ぎたというのに、今日はとても冷たい風が吹いています。このような寒さを「寒の戻り」あるいは「余寒」というのでしょう。このころは、一時的に冬型の気圧配置となり、再び寒さが戻ってくることがあります。このように、しばらく暖かい日が続いた後、寒さがぶり返すときがあります。その寒さを、その季節毎に違った言葉で表現します。
 4月になって、桜が咲く季節にお花見に行って妙に肌寒い日もあります。そんな日のことを「花冷え」と表現されています。また、5月に入って新緑のシーズンに、時折、若葉も震えるような冷たい空気に覆われる日がありますが、そのような日のことを「若葉寒む」といいます。6月になると日本列島はどこも早くも初夏を思わせるほど暑い日がありますが、北海道ではまだまだ寒い日が戻ってくることがあります。そんな日のことを、この時期北海道で満開になるライラックの花にちなんで、ライラックの別名のリラから、「リラ冷え」といわれています。7月に入るころになると梅雨になります。そのころも寒い日があることがあります。それは、雨の季節に東風が吹き込み、太平洋側の地方では数日間肌寒さが続いてしまう事があります。それを「梅雨寒む」と表現します。
そんな寒の戻りの今日ですが、もちろん、「寒」とは、暦の上で寒さが最も厳しいとされる期間のことを指します。寒中とも寒の内ともいいます。二十四節気の小寒の日から立春の前日(節分)までの約30日間で、大寒の日がほぼ中間となります。この「寒」に入る「寒の入り」は、「小寒の日」のことをいい、「寒明け」は、立春の日です。
 よく子どものころに歌ったわらべ歌に「おーさむ こさむ やまから こぞうが とんできた なんといって とんできた さむいといって とんできた」というのがありますが、どうも耳から聞いて歌った歌詞は少し違うようです。「おーさむ」は、「お~寒い」と言いながら小僧が飛んできたのかと思っていました。実際は、この「おおさむ」「こさむ」は「大寒」「小寒」のことです。「大寒 小寒 山から小僧が 泣いて来た なんといって 泣いて来た 寒いといって 泣いて来た」という歌詞が本当のようです。
 道を歩いていると居酒屋の看板に「寒ぶり」という字が目立ちます。ぶりは旧暦の師走に最高の味となることから、『魚へん』に『師』と書きます。特に、真冬の最も美味しくなった時期のものを「寒ぶり」と呼んで、古くから真冬の味覚の代表として賞味されています。同じように「寒」の時期にとれる「真ダラ」のことを寒鱈といいます。この寒鱈も、厳寒の日本海の荒波にもまれ脂がのってとてもおいしい魚です。
 この「寒」が着くもので思い出すものに「寒椿」「寒牡丹」「寒桜」があります。
寒椿は早咲きの椿のことで、冬椿とも言います。もともと椿は春の季語ですが、冬に咲く椿のことを俳句では、「寒椿」または「冬椿」といいます。
 緋寒桜は、別名、寒緋桜とも言いますが、まだ寒い早春に、新らしい葉より先に、緋色または濃桃色の小花を、枝一杯に咲かせます。
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 今日の「百草園」で、蝋梅、梅、水仙、福寿草が咲き乱れる中で、少し季節はずれかと思う花を見つけました。その花の形は、5月の節句のころに咲く「アヤメ」に似ています。その花にそばの札に「かんざきあやめ」と書いてあります。
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 日本の季節感は、「寒」という字ひとつとってみても、とても繊細ですね。

ドイツの行事

ホームページが盛んに作られている今、それによってどんな情報を得るのでしょうか。また、発信側は、何を情報提供するのでしょうか?情報の保護が叫ばれている半面、情報公開が言われています。保育所において、入所が、措置から保護者の選択になって、児童福祉法の中に、保育所についての情報提供が市町村に義務付けられています。その内容として、当時の厚生省児童家庭局長通知の中に、「1日の過ごし方、年間行事予定、保育方針、職員の状況、保育の内容に関する事項」とされています。これらの情報提供の媒体として有効的なものが、園のホームページであることは、今は当然になりました。
しかし、これらの内容を、本当に地域住民や保護者にわかりやすいような表現で提供をしているのでしょうか。どうしても、行政から出す一覧簿のように、表にしたり、人数を並べたり、決まりきった内容になってしまいます。行事ひとつにしても、カレンダーのようにいつ何をするかだけを書くことが多くなります。もう少し、行事にどのように取り組んでいるのか、何をねらいにしているかなども表記すると、わかりやすくなります。職員の状況も、どうしても保育士何名、調理員何名というような書き方が多くなります。海外の園のホームページは、スタッフを写真で紹介するところが多く見られます。子どもも事前に先生の顔を見ていると落ち着くかもしれません。
情報として、「保育の内容に関する事項」を、本当にわかりやすく見せるのは大変です。写真で行事や、保育風景を見せるのも一つの方法かもしれません。そうした情報は、保護者が園を選択するための材料とするだけでなく、地域に活動を知らせることにもつながりますし、他園にとっても参考になります。
 ある園でこんな話を聞きました。保護者会である保護者が、「この園の理念は何ですか?」と質問したとき、それに即座に答えられない園長が、少しの間考えて、笑いながらこう答えたと言います。「それは、企業秘密です!」理念を持たない園長としてはすばらしい答えかもしれませんね。
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 昨日のブログで、ホームページに掲載されていたドイツの保育室内の写真を紹介しましたが、ずいぶん参考になりました。同じように、ドイツのある園のホームページに行事が掲載されていました。ドイツの行事の写真は、ほとんどが、子どもがお客で、様々なパフォーマンスを見せるようなことが多いようです。人形劇とか、手品とか、本の読み聞かせとか、子どもが練習してそれを保護者に見せるものというよりは、大人が演じます。そのなかで、年に宗教的な劇や歌は、子どもたちが演じることがあるようです。しかし、出演する園児は、代表者であって、すべての子どもが演じるようなことはなさそうです。
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 これは、運動会の写真です。よく言われるように、世界では日本で行われているような運動会は見られません。学校では競技会ですし、幼児施設では、親子で楽しむ運動の日のようです。保護者も子どもと一緒に体を動かしています。日本の運動会のように、子どもが運動して、その姿を保護者は座って見ているだけというのはあまり見られないようです。
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 幼児教育での行事は、子どもの生活にメリハリを与えますが、その行事を通して子どもたちに何を伝えたいかをもう一度考えたほうがいいかもしれません。確かに、運動会は、子どもたちに体を動かす楽しさを伝えることが優先課題としたら、ドイツのような運動会になるのは当然かもしれませんが、なかなか変えられませんね。
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ドイツのHP

ホームページは、どこの誰でも見ることができることから、情報の保護が言われています。私の園のHPでも、園児の顔が映っている行事や子どもの個人的な写真などは、保護者しか知らないパスワードがないと見ることができないようになっていますが、どうも日本では神経質になりすぎているような気がします。外国の園のHPを見ると、どこでも園内の様子、保育室内、園児の写真や行事は見ることができます。もしかしたら、その写真を悪用する人もいるかもしれませんが、そういう人は、どのようにしてもすると思いますので、その様な一部の人への警戒だけで大切な情報までも制限してしまうのはどうかと思います。
 HPから、こんな勉強もできます。あるドイツの園のホームページです。そこには、クラスごとの子どもの写真とともに、保育室内の写真が掲載されています。この園は、特に有名な園ではなく、普通の、一般的な園ですが、それだからこそ、一般的な保育室がドイツではどうなっているのかがよくわかります。
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 まず、玄関の靴箱です。日本では、靴箱というように靴を収納する箱です。この写真のような靴の収納の仕方は、私の園も同じですが、外国ではほとんどがこの形式です。たぶん、外国では外履き、上履きの概念がないことと、コートを着る習慣があることから、このような形が多いと思いますが、私の園では、靴の収納のためではなく、靴の脱ぐ履くの自立を促す場所として、腰掛けられるようにするためです。
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 保育室には日本でよく見られるような広い空間はありませんし、いっせいに指導するような空間もありません。それに引き換え、子どもたちがグループで取り組めるようなテーブルや、自分たちで教材を出してこれるような棚がたくさんあります。また、日本と違って、壁面装飾よりも、観葉植物や、天井からのつるしものが多く見られます。そして、この保育室には、3歳児から6歳児までの異年齢がいます。
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 ほかに、日本ではあまり見られないコーナーがあります。ひとつは、片付けなくてもいいコーナーです。日本では、出しっぱなしはだらしないと思われ、きちんと片付けます。それは、昔、その空間を次に違うことに使うからです。よくいろいろな園を訪問することがあるのですが、たとえば積み木コーナーを次の日までそのほかの用途では使わず、また、そこに子どもが作りかけの作品があっても、子どもが帰ったあとにすべて片付けてきれいにするとか、子どもに片付けるように指示する園が多いことに気がつきます。この写真のように外国では、あまり1日ごとにすべて片付けてきれいにするとは限りません。それは、環境は、子どもが自ら働きかけたくなるように用意することが保育者の仕事だからです。
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 もうひとつ、ドイツでよく見られるコーナーに「癒しのコーナー」があります。上から布をたらすとか、布で覆ってしまうとかして少し暗めにし、下はクッションなどを敷き詰めたり、ソファーを置いたりして、子どもが少人数で過ごしたり、ごろごろしたり、一人で閉じこもったりできるような場所です。
 ドイツの園にしても、私は毎年研修でツアーを組んで行っていますが、よく参加する人の中で一生懸命写真を撮る人がいるのですが、それでしたら、ホームページで見れば十分です。実際に見るものは、その周りの雰囲気とか、そこで活動する子どもの生き生きとした姿とか、人として感じる部分が重要です。

HPとブログ

 最近はどこの園でもHPを作成して園の内容を公開するようになりました。園の情報を発信する方法として、かつては紙媒体がほとんどでした。それを、たとえばお便りのように配るとしたら、情報を渡す人はこちらが選ぶことができます。また、掲示板などに貼り出すとしたら、それを見ることができる範囲に限定されます。どちらにしても、情報を受け取る側や、受け取る時間などをある程度想定することができます。しかし、インターネットを介してのホームページは、基本的には見る側を想定することはできません。極端なことをいえば、世界中の誰でもがいつでも見ることができます。世界中の電柱に貼紙をするようなものです。当然、興味がない人は見ないでしょうし、必要がない人は見ないかもしれません。しかし、どちらにしても、それは、見る側の選択であって、発信する側の選択ではないのです。このことを、ホームページからの発信を考える上で、きちんと押える必要があります。そこで、どのような情報を発信するかを検討しないといけないのです。
 また、コンピューターの世界は、わからない人にとっては、とても取り組みにくいものです。また、最近、パソコンでの子どもの事件も多くなりました。そんな中で、とてもコンピューターに抵抗を感じる人が多くいます。機械を通して、人が出会い、人と伝え合うことがなんだか味気なく感じるのでしょう。しかし、今は、IT時代といわれるように、科学を使って情報を伝え合う時代になってきました。 確かに、人は直接で会って、直接話をして気持ちを伝え合うものです。それは、声や、顔の表情や、身振りや、体で表現して伝える要素も大きいからです。そのほかにも、パソコンを導入しない理由をさまざま言う人がいます。予算の面や、技術の面、プライバシーの問題など考えなくてはいけない問題があります。特に、公的な機関では、さまざまな制約があるでしょう。しかし、そんなことを言っていても確実にITを使いこなす時代は来ますし、大人がアレルギーを持って避けている間に、子どもの世界では急激に広がっています。ですから、大人の責任として、今後は、パソコンを使って、どんなことができるのか、その弊害は何があるのか、それを使うときのルールをどのように持てばいいのかを考えることであって、パソコンを避けるべきではありません。特に、園や学校は、これからの時代の子どもを育む場所として、これからの時代の生き方を提案することも必要です。
 このブログのようなこともできるようになりました。これは、ウェブログ(web log)の略で、個人運営で日々更新される日記的なウェブサイトの総称です。一般的には、単なる日記サイト(著者の行動記録)ではなく、ネットで見つけた面白いニュース記事やウェブサイトへのリンクを張り、そこに自分の評論を書き加えた記事が時系列に配置されているものを言いますが、厳密な定義はありません。これによって、HPが、単にしおりのようなものから、内容的には思想信条などの意見のほか、趣味的な見解、身辺雑記、コメントによる読者からの反応などがあり、オリジナル性が強くなります。
 このブログは、子どものことについての内容が多くなってしまいますが、私は子ども相手の仕事に携わっている人は、総合芸術家だと思っていますので、草木、星空、季節、出来事、さまざまな分野に興味・関心を持ってもらいたいと思っています。

農薬

 今、原因は定かではありませんが、餃子事件から農薬の問題が騒がれています。昨年は賞味期限が問題になっていますし、何年か前からO157などの菌が問題になっています。菌対策として農薬や薬品を使い、消費期限を延ばすために薬品を使い、輸入するために薬品を使い、それを落とすためにまた薬品を使い、何が、どの部分に対しての対策を練ることが人間の体にとってよいのかを、きちんと優先順位を決めていかないと、堂々巡りの気がします。
 この問題は、何も日本とか、中国の問題ではなく、世界規模で話し合いをしていかなければならないでしょう。昨年10月にフランスからこんなニュースが流れました。環境グルネル会議でのサルコジ大統領のスピーチです。
農業について、4年以内に最も有害とされる約50種の殺虫剤を禁止すること、また、現在流布している殺虫剤の使用を半減させることなどを発表したのです。また、現在、全農地面の2%で行われている有機農業についても、10年までには6%、12年までは20%までに増やす目標を掲げるなど、具体的な数字を挙げました。しかし、有機農業といってもフランスでは、その農法によって細かく分類されています。殺虫剤などの化学物質を一切使用しない農法もあれば、減農薬で有機肥料を取り入れる農法、また、無肥料、無耕作、無除草を通す農法もあり、どの方法をとるかは農家の事情により千差万別ですし、土地の質、耕作している農作物の種類などによって収穫高が大幅に変わってくるため、有機農法を実践する各農家は、それぞれの目指す目標に向かって日夜試行錯誤を重ねているそうです。
しかし、どこの国でも同じで、課題は経済的な採算です。目標に掲げてあるように農地面積の20%を有機栽培に割り当てるためには、作物や土壌の研究を進め、農家が収支のバランスをとれるようにいなければなりませんが、その研究は誰がするのか、有機農業の促進のために投入する300万ユーロ(約50億円)の財政資金はどう工面するのかなどまだまだ課題が多いようです。
 また、地産地消を行うために苦労する課題はどの国でも同じようです。それは、農家に嫁ぐ女性がいないことです。ドイツのお茶の間を釘付けにする番組が登場したそうです。そのタイトルは、ズバリ「農家の嫁探し」。2005年の第1シリーズからぐんぐんと視聴率を伸ばし、今秋スタートした第3シリーズで、とうとう月曜日の21時15分という超ゴールデンタイムに進出したようです。 この番組ではまず、「女性と知り合う機会がない」「付き合った女性にはことごとく農家の生活にしり込みをされた」などという女運にからきし恵まれない農家の独身男性が、番組で「ヨメに来ませんか」と呼びかけます。応募してきた女性がその男性の家で実験的に農家の暮らしを体験するなかで、互いに相性を確かめていくというものです。20%を超えるこの番組の高視聴率を支えているのは、旧東ドイツ地域の農村部なのだそうです。
 農薬を使うこと、薬品を使うこと、安いものを使うこと、楽なことをすること、人の知恵の浅はかさで、快適を求めるあまりに、快楽を知ってしまったら、なかなか元に戻すのは大変です。

もったいないから捨てる

 携帯電話が普及し、次々に新しい機種が発表され、若者は次から次に新機種に買い替えて行きます。私は、そんなに買い換えませんが、携帯電話はかなり使いこなしています。朝の目覚ましから始まって、メールチェック、電車の乗降、買い物、検索、色々と使っていることを考えると、新しい機種に買い換えても決して無駄ではないと思えるほど、1日の中で、一番使っているものかもしれません。
 買い換えるときに、困るのは古い携帯の処分の仕方です。私は、前々回、買い換えたときには、ショップで処分してもらいました。そのときには、目の前で、携帯電話の中心にバリバリと穴を開けて見せてくれました。それは、もう決して情報は使えませんよというアピールでした。それを目の前で見たときは、なんとなくショックでした。
 前回買い換えたときは、古い携帯は2年になりますがそのまま、まだ持っています。私は、それを予備として、持っていますが、実際は一度も使ったことがありません。昨年暮れの雑誌AERAの記事に「古いケイタイが捨てられなくて」というのがありました。「アルバム代わりかタイムマシンか 携帯電話を買い換えたとき、古い電話機はどうしてますか。目覚まし代わり?子どものおもちゃ?本来回収すべきものを持ち帰る人々が増えているのは、実は思い出のためでもあるらしく……。デジタルなのにアナログなお話。」
 この記事では、いろいろな人が、どうして古い携帯電話をまだ持っているかを取材しています。電気通信事業者協会が携帯とPHSを買い換えた人に行ったアンケートによると、古い電話を引き取ってもらった人は62%で、前年度の71%から9%減ったそうです。台数でいうと、回収実績は00年度の1362万台から06年度は662万台に半減しています。目覚まし時計や電話帳代わりに使う人も多いようですが、一番多かった理由は、「コレクション・思い出として残す」が35%と最多でした。
 しかし、実は携帯電話は100%リサイクルすることができるのです。しかも、携帯電話には金や銀などの貴金属が数種類も含まれており(ちなみに携帯電話1台に含まれる金の量は0.028g)、携帯電話をリサイクルすることで金、銀のほか貴重な金属資源であるパラジウム、コバルトなどの希少金属(レアメタル)を再び回収することができます。
 このような「都市鉱山」に眠る資源確保のためにリサイクルを進めようと、東京都がメーカーなどと協力態勢を組むことになったという記事が、2月8日朝日新聞に掲載されていました。販売店に加え、区市町村役場にも回収箱を置くなどの策を打ち出しますが、同時に「思い出」を残す仕組みも検討するといいます。具体的には、都や区市町村、メーカー、携帯電話会社は近く協議会をつくり、対策を話し合い、新たに回収場所となる役所では、利用者の思いに配慮し、携帯の内蔵データをCD―ROMで残すサービスや、逆にデータ消去のための専用シュレッダー設置を検討していくそうです。自治体広報誌でPRするほか、利用者が役所に持ってきたらストラップなどを渡す景品キャンペーンも考えるといっています。
 「もったいない」は、捨てないことだけでなく、捨てることも意味あることのこともあります。何度でも使う、もう一度使うもエコです。

水仙と菜の花

 立春は過ぎたといえ、春はまだ名ばかりで、風は冷たく、まだまだ寒い日が続きます。谷の鶯は、まだ春になっていないと、まだその季節になっていないと、まだ声を潜めています。というと「早春賦」ですが、今日は昨日の福寿草に誘われて、春の気配を感じに「吾妻山公園」に行ってきました。なぜ、早春賦が浮かんだかというと、その道すがら、目の前に鶯がとまったのです。綺麗な鶯色をした、そのかわいらしい姿を見せてくれましたが、まだ、泣き声は聞こえませんでした。あとで、写真を急いで撮ればよかったと後悔しましたが、そのときには、急いで、一緒にいた妻に教え、その姿に見とれてしまっていました。
 今日登った吾妻山公園は、東海道線二宮駅より階段、山道を登り、標高136.2メートルの山頂までに広がる公園です。何年か前にここに行って、感動したので、妻がもう一度行こうと提案したのです。
何が感動するかというと、山頂は360度の大パノラマが広がり、箱根、丹沢の山々に加えて、富士山が手に取るような近さに感じられ、一方、南には相模湾が広がっています。晴れた日には大島や初島も見ることができるそうです。山頂一面の芝生には、子ども連れの家族がたくさんシートを敷いてのんびりしていました。この公園が子どもにも人気のあるのは、途中にいくつかのアスレチックが設置され、山頂からは長いローラー滑り台が下のほうに続いています。
 その山頂からの魅力に加えて、この公園は、季節の花が咲き乱れることでも有名です。今の季節には、山を登る道の脇や展望台の山側の部分に、かわいらしい水仙の花がたくさん咲いています。水仙は、そう派手ではありませんが、自分の姿に見とれたことがうなづけるような、少しうつむいた姿は、春に先駆けて咲くにはふさわしい気がします。
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 そして、山頂には、箱根、富士山をバックに一面まっ黄色の菜の花畑が広がります。
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 少し横を向くと、やはり菜の花畑越しに相模湾が広がります。青さの増した空の下、遠くに富士山、少し高くなった太陽に照らされた海、手前には一面の菜の花という構図は、再度訪れたくなる景観です。
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 日本武尊が東北戦を終え、帰路相模国から足柄を通り甲斐に出る途中、峠ではるか東方の海をながめ(あヽ吾が妻)と嘆かれたと云うことからついた「吾妻山」。山頂の石碑には、「万葉の昔から、淘綾の里 二宮の美しい海浜と、それを眼下に一望できる吾妻山は人々のふるさとでありました。云々」と書かれています。その脇には、
「相模路の 淘綾の濱の 真砂なす 児らは憂しく 思はるるかも」萬葉集第十四 東歌
と書かれた石碑もあります。淘綾の濱とは、ゆるぎ・こゆるぎの浜ともいい、二宮を中心に国府津から大磯あたりまでの白砂青松の海浜をいいます。石碑には、こう続けてあります。「戦後社会構造の変化にともない、就職の変遷や、豊かな生活になるにつれ、日毎に住民とのかかわりが少なくなり、荒廃が進むのを憂えた町民、云々」とありますが、豊かな生活になるにつれ、このような公園が荒廃していったというのは、本当に豊かな生活になったと言えるのでしょうか。アースという映画を見ても感じることですが、自然を壊すことは決して豊かではなく、とても貧困だと思うのですが。早く、そういうことに気がついて欲しいと思います。

四季

 昨日の東京は、この冬で二度目の大雪に見舞われました。昨日の夕方から舞い始めた雪は、深夜に向けて大雪になり、八王子は、今朝は一面の雪景色でした。と言っても、雪国よりは少ないかもしれませんが。しかし、春が近いだけあって、今日はとても暖かい1日でした。ですから、雪は融けてしまいましたが、そんな日に出かけて、その雪が解けた土の上にこんなものを見つけました。
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「日のあたる 窓の硝子や 福寿草」(永井荷風)
福寿草は春一番新年を祝う花として喜ばれ、福を招く、縁起の良い花として「福寿(幸福と長寿)」の草という意味で「福寿草」と名づけられています。この花を見ていると、春が近づいたことを感じるとともに、もうすぐ寒い冬が終わって、花が咲き乱れる春が来るのだという期待が膨らんできます。毎年、きちんと春が巡ってくるのですね。また、雪解けや花の開く姿から、太陽のありがたさが身にしみます。その当たり前のことの大切さを感じる映画を見てきました。
 その映画は、こんなメッセージで始まります。
「50億年ほど前、巨大な小惑星がまだ若かった地球に衝突したその衝撃は計り知れず、惑星そのものを23.5度も傾けてしまう。しかし、この衝突事故は大惨事となるどころか、我々が知っている「地球」の誕生に重大な役割を果たすこととなった。この傾斜がなければ、今のような驚くほど多様な地形や四季の移ろいもなかっただろう。そして、生命が生息するための完璧な条件も揃わなかったのだ。」
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 この映画は、今話題のネイチャー・ドキュメンタリー映画「アース」です。太陽を道先案内として、北極から赤道直下、南極と舞台を移して行きます。そして陸、海、空などを背景にダイナミックな地球の景観、さらにそこに暮らす動植物たちの驚くべきドラマが、展開して行きます。当然、その奥には、「地球温暖化」に対する警告のメッセージも流れています。
そのメッセージは、やはり話題になった「不都合な真実」と比較されることが多いのですが、アラステア・フォザーギル監督と本作の共同監督を務めた、マーク・リンフィールド監督が、こんなコメントを言っています。「『アース』は必ずしも温暖化を食い止めるために撮った作品ではありませんが、本作を観ることで多くの人たちが、今残っている自然の素晴らしさを再認識し、それについて何か考えてもらえたらいいなと思いますね。『不都合な真実』が「もう、これしか自然が残っていない」という危機を訴える作品なのに対し、「アース」は「まだ、こんなに地球の素晴らしさが残っている!」という前向きな作品。まずは、地球の本当の美しさについて知ってもらうことが大切なのです。」
 私が子どものころ見たウォルト・ディズニーによって1953年に製作されたドキュメンタリー映画「砂漠は生きている」を思い出しました。これは、アメリカ合衆国南西部の砂漠に生きる動物たちの日常を記録した作品で、当時、アカデミー賞最優秀ドキュメンタリー長編賞を獲得しています。この映画は、濃艶なサボテンの開花を微速度撮影で捉え、砂漠の落日を望んで終わります。
 花の開花は、自然を大切にする心を開かせるようです。